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エピローグ

 ピピッ、ピピッ、という規則正しい電子音が、静かな病室に響いている。

 私はパイプ椅子に腰掛け、手元の小さなナイフでリンゴの皮と格闘していた。途中で赤い皮がブツリと切れてしまい、思わず「あちゃっ」と小さくため息をつく。私が作るリンゴのウサギは、いつも耳の長さがちぐはぐになってしまうのだ。

 ふと視線を上げると、真っ白なベッドの上で、包帯とセンサーだらけになった長女――ノゾミが、スースーと静かな寝息を立てていた。

 丸一日。この子は、あの大熱狂のロボコン予選が終わってから丸一日も目を覚ましていない。

 トウマくんから半泣きの電話がかかってきて、病院に救急搬送されたと聞いた時は、本当に心臓が止まるかと思った。診断結果はAIとの過剰同調による『神経過負荷オーバーロード』。命に別状はないと言われたけれど、ベッドで泥のように眠る娘の顔を見た時は、膝の力が抜けそうになった。

 もちろん、ノゾミの父親――カワシマの社長であるうちの旦那は大騒ぎだった。会社から血相を変えて飛んできたかと思えば、ノゾミの無事を確認した途端に、

「あの装甲のないトラス骨格だけで大和をひっくり返したトルク計算は芸術的だった! やはりうちの空隙樹脂をパージの爆薬代わりに使ったか! さすが俺の娘だ!」

と病室で大声で解説を始め、すかさず看護師さんに首根っこを掴まれて廊下へとつまみ出されていった。

 親子揃って本当に機械のこととなると周りが見えなくなるんだから。

「……ん、うぅ……」

 ベッドのシーツが微かに擦れる音がして、ノゾミがゆっくりと重い瞼を開けた。

「気ぃついた?」

 私は努めて明るい声を出し、少し不格好なリンゴのウサギを小皿に乗せてベッドを覗き込んだ。

「……お母さん。私、どれくらい寝とった?」

「丸一日よ。もうお母さんの寿命が十年は縮んだんやけん。なんでこんなことをさせたんですかって、お医者さんにもこっぴどく叱られたわよ」

 私がフォークでリンゴを刺して口元へ運んでやると、

「うぅーん、お腹に染みる…」

 ノゾミは「あーん」と口を開けてモグモグと咀嚼した。

「……お父さん、怒っとった?」

「ううん、 病室で大声出して絶賛して、看護師さんに怒られて廊下に追い出されとったわ。今は会社に戻っとる」

 私がクスクスと笑うと、ノゾミもホッとしたように小さく笑った。

 コンコン、と控えめなノックの音がして、病室のドアが開いた。

「ノゾミ先輩! 起きましたか!?」

 広報のコウメちゃんが、自分の背丈ほどもある大きなヒマワリの花束を抱えて飛び込んできた。その後ろから、目の下に酷い隈を作ったトウマくんと、いつも通り冷静な顔をしたカイトくんが、ホッとしたように入ってくる。

「まったく……あれほどクォンタム・ゴーストは使っちゃダメって言ったのに!」

 トウマくんが眉間を揉みながらお小言を並べるが、その顔は今にも泣き出しそうに歪んでいた。

「それにしても危なかった。大和のバッテリーがあと数秒持っていたら、完全に負けてたんじゃないですか??」

「その時は俺たちがオーバーライトし直す。大和に比べたら緑龍の方がまだバッテリー効率はマシだ。結果はおれたちが勝っていた」

「いやいや、クォータム・ゴーストだって燃費極悪ですよ」

 カイトくんはベッドの脇に立つと、そっとノゾミの頭に大きな手を乗せた。

「……ごめん。次はもっとうまくやるけん」

「ああ。期待してる」

 カイトくんの、ノゾミを見つめるその深く、優しい瞳を見て、私は少しだけ胸が熱くなった。

 この子は本当に、不器用で真っ直ぐで、周りの人たちに恵まれている。

「邪魔するよ」

 病室のドアの隙間から、ひょっこりと顔を出したのは、四一のパイロット、都扇ミライくんだった。

 うわ、本物や。この子はホンマにイケメンやな。

 そしてその後ろには――ずっと気まずそうに目を逸らしている、見慣れた男の子の姿があった。

「カナタ! ミライくんも!」

 ノゾミがパッと顔を輝かせる。

「優勝おめでとう、ノゾミちゃん」

 ミライくんが爽やかに笑ってベッドに近づいてきた。

「イースト・マースの御堂代表、君のあの動きのデータを見て感動して大騒ぎしてたよ。逆に、うちのスポンサーのクロサワの茜CEOは、自分の庭を荒らされたみたいにカンカンだったけどね。おかげでこっちまでとばっちり受けたよ」

 ミライくんが、後ろに隠れていたカナタの背中をポンと押して前に出した。

 私の息子。ノゾミの弟、カナタ。

 家を出てから少し背が伸びたカナタは、ベッドの前に立つと、しばらく黙ってノゾミの顔を見つめていた。やがて、彼は小さく息を吐いた。

「……姉さん」

「ん?」

「今回は姉さんの勝ちだ。敗けを認めるよ」

 そう言ったカナタの顔を見て、私は思わず目頭を熱くなった。

 家を出ていく時の、あの姉へのコンプレックスに縛られた冷たい表情は、もうそこにはなかった。悔しそうに、でもどこかスッキリと晴れやかな顔で、彼は力強く宣言した。

「……でも、関西州本戦は、僕のラプラスが絶対に勝つから」

 ノゾミは、自分と同じ負けず嫌いな目をした弟に、満面の笑みで頷いた。

「ええよ、いつだって返り討ちにしてあげる!」

 二人が笑い合った瞬間、この数年間、私たちの家族の間にあった見えないわだかまりが、ようやく溶けて消えたような気がした。

「ノゾミ先輩、見てください!」

 コウメちゃんがタブレットを開き、誇らしげに画面を突き出した。

「昨日の決着の瞬間の映像、コウメ・チャンネルの再生数が『一億回』を突破しました!コメント欄も『四国サイコー!』って、世界中から大絶賛の嵐です!」

 画面の中では、朝焼けの海を背に、ボロボロになった『緑龍』と『黒麒麟』が並んで海面に浮いている映像が流れていた。

 背景に映っているのは、かつて本州と四国を繋いでいた、崩落した巨大な橋脚の残骸。

 私は、病室の窓の外を見た。

 窓の向こうには、キラキラと黄金色に輝く瀬戸内海と、青い空が広がっている。

 環境が激変し、世界の人口が減り、本州と繋がる橋はたった一本しかなくなってしまった。無人になった島々は自然へと還り、私たちは点在する安全な「生存圏ノード」に身を寄せ合って生きている。

 世間はこれを「明るい過疎」時代と呼ぶ。

 綺麗で、最適化されていて、でもどこか寂しくて退屈な世界。

 だけど、この子たちは違った。見えない仮想の「ノード」を力ずくで繋いでみせたのだ。

 その熱は確かにこの瀬戸内の分断された島々と、世界中の人々の心を強く、熱く結びつけていた。

「早く退院しなきゃね。緑龍の修理、私も手伝うから!」

 ノゾミがベッドの上でガッツポーズを作る。

「やめてください! また無茶な改造して壊す気ですか!」

 トウマくんが頭を抱えて叫び、病室がドッと温かい笑い声に包まれた。

 ふぅーと私は呆れたようにため息をつきながらもこっそりと微笑んだ。

 まったく、この子たちは。

 窓の向こうの瀬戸内海はこれまで見たどんな景色よりも、眩しく輝いていた。

 分断されたこの世界は、きっとまた繋がっていく。

 彼らの熱がある限り……。


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