質問2【中世ヨーロッパは「自分の領地だけ安全ならいいや」という了見の貴族が力を持っていた時代で(略)
質問2【中世ヨーロッパは「自分の領地だけ安全ならいいや」という了見の貴族が力を持っていた時代で、王様が「世界の危機を救ってくれ」と言うようになるのは近世ヨーロッパになってから。と、『シナリオのためのファンタジー事典』に書いてありました】
質問者:Iさん
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すいません、ご指摘の本、持ってませんでした(_ _;
(-⊡ω⊡){なのでここからは私の考えをちょろっと流します
中世の貴族というのは考えていくうえで前期中世においては〝部族性社会〟というのが原型になっています。つまり自分の部族のところだけ守られてればいい――と言うのが思想の基本になっているはずです。
この部族が複数集まり集団化し組織化され国家の原形が生まれます。
ローマ文化を破壊に追い込んだゲルマン民族流入はこの部族制社会が大規模の影響力を持って暴れまわった典型例です。
(´・ω・){ そのゲルマン民族の移動も別エリアの匈奴の侵略を受けて移住を試みた結果ですが
੬ჴ ƠωƠჴჱ{ 北欧バイキングの進出も民族・部族単位の行動の結果よね
中世前期は、
ゲルマンにしろ
ローマにしろ
ペルシャにしろ
ケルトにしろ
北欧にしろ、
――民族や部族が行動の単位でありそれを抜け出ることはありませんでした。そこに変化が生まれたのがフランク族によるフランク王国であり、当時東ローマ帝国と軋轢を生んでいたローマ教皇・キリスト教勢力とフランク族が、利害の一致から手を結び、フランク族の国家であるフランク王国に権威を与えたことにより西ヨーロッパにキリスト教による神権を背景とした王政国家が生まれることになります。
実はこのフランク王国の誕生が中世の前期と中期の境目と私は考えてます。
そしてこれ以後、王権と宗教が結びつくことにより、国家の支配者の権限が増大することになります。
(´・ω・){ のちの王権神授説につながっていきます。
中世期におけるローマ教皇の支配力と権力は絶大なものがあり、国家の王もまたローマ教皇に承認されることにより神に与えられた王の権力と言う神権授受の考え方を背景として、支配下になる貴族や騎士と言った諸侯をその支配システムの中に組み入れることになります。
੬ჴ ƠωƠჴჱ{ カノッサの屈辱の逸話はあまりにも有名よね。
神の支配の名のもとに、世界は巨大な構造体となるのです。
(゜∀゜){ ところがどっこい。
(-⊡ω⊡)_/ {14世紀に生じた【14世紀カタストロフ】これがヨーロッパのすべての人々の意識を根底から変えてしまいます。
神の教えの支配は否定され、王権の絶対性にも疑問を持つ人々が現れます。
経済による富を背景に、神の教えすら支配下に置く富豪貴族も登場します。
軍隊も戦争もビジネス化する者が現れます。
これ以降、王の権威とは【権力そのもの】であり、身分間各差の隔絶も加わり、絶対的に逆らえないものとしてシステム化されていきます。王権神授の考えはさらに変化して王が国家と人民を支配するための【力】として作動し始めるのです。
その王の権威の下で認められることで貴族や騎士や諸侯は身分を保証されます。宗教家も権威者と連携を組むことで、身分と立場が保証されます。平民はその下に組み伏せられ、支配を受けることになります。
フランスの支配構造の代表例である【アンシャンレジーム】がその例です。
これが打ち倒され、身分間の隔絶がなくなっていくのが、フランス革命以後であり、近代法が生まれ始めたナポレオン以後です。そして世界は近世から近代へと移り変わります。
(-⊡ω⊡)_/ { そして軍事力ですら、王の実力行使の手段から、規則と規律と階級構造と情報の統制による〝近代的軍隊〟の形へと移行します。
੬ჴ ƠωƠჴჱ{ フランスの大軍隊 プロイセンの参謀本部方式などがその嚆矢よね
ご指摘の本の中で記載されていた中世と近世と近代の貴族の違いと言うのは、私としてはやはりこういう点において違いが現れたと考えています。
かなりざっくりとした解説ですがそんなふうに考えてます
(´・ω・`){ 突発的に長々と書きましたが、これで終わりです。
੬ჴ ƠωƠჴჱ{ お読みいただき、ありがとうございました!!
(-⊡ω⊡)_/ { これにて終了!