5 花の園に落ちる影
腹ごなしに散歩でもしませんか、と次にクロードが誘ったのは王城の庭園だった。王城と言っても、役所も兼ねた一般に開放されている区画の為、よほど挙動の怪しいものでなければ誰でも出入りができる。
「いくら何でも不用心過ぎやしないか。ここも城なんだろう?」
「王城の一部とは言っても、陛下がいらっしゃる一画や重要な施設とは塀で隔たれていますから。そのため、残念ながら王女殿下のお気に入りの薔薇園などは見られませんが、ここもなかなか悪くないですよ」
訝しげに尋ねるシズルに、クロードは答える。
むしろ、姉の勤める王宮部分とは隔離されているからこそ、安心して脚を運べるという言葉をクロードはひっそりと飲み込んだ。
庭園には、長い冬の寒さから解き放たれた、陽春の時節に相応しい花々が咲き誇り、みずみずしい新緑の若葉が日ごとに眩しさを強める日差しをめいっぱいに浴びて、輝いている。
そうした景色を楽しみながら散策をすれば、程よく、と言うよりはやや満腹に近くなってしまったお腹もこなれてくるだろう。
もっとも、シズルが食べたのはほんのわずかで、実際はその大半がクロードの腹に収まっていた。
「あの……あまり、お口に合いませんでしたか?」
庭園を案内していたクロードはおずおずとシズルに尋ねる。
巷で人気の高級菓子店であるが、人には好みというものがある。
クロードにとっては、経費で飲み食いができるまたとない機会であったが、反応はあまりよくなかったかもしれないと不安を覚えた。
「……いや。確かに私は甘味はさほど好まないが、あのチーズケーキとやらは悪くなかったと思う、ぞ」
思わず肩を落としていたクロードは、シズルの告げる言葉にばっと顔を上げる。さながら叱られた子犬のようなクロードの傷心振りからすれば、気を使わせてしまった可能性も多いに有り得た。
「だが、どうやら私のような人間は、あの店には不釣り合いだったようだ」
「そんなことないですよ!」
皮肉めいた物言いを、クロードは慌てて否定する。だが同時に、どうしてシズルがそんなことを感じたのか、不思議だった。
「あの席は通りからよく見えただろう。まるで見せ物にでもなったかと思うほど、随分とじろじろ見られていた。あれは私があの店の客として相応しくなかったからだろう?」
自嘲を思わせる、溜め息混じり苦笑がふっとシズルの口の端に浮かぶ。
だがクロードはむしろ、情けない顔付でがっくりと肩を落とした。
「すみません……。それ、たぶん俺の所為です」
騎士団の広告塔の役割を担っているクロードは、恐らく騎士団長や何人かの人気の部隊長を除けば、もっとも顔が知られている騎士と言っても過言ではないだろう。
クロード自身の性格もあってか、街に巡回に出れば城下の人々から気安く声を掛けられる事が多い。
特に私服ではなく騎士団の制服を着ていた事もあり、クロードの姿はかなり目立っていたことだろう。呼び掛けられたり、周りを囲まれなかっただけ、良かったかもしれない。
「あの店は老若男女問わず人気の店だから、不釣り合いとか気にしなくて大丈夫ですよ」
クロードは甘味の類いが好物だし、同じ嗜好のものは騎士団にも少なくない。一方で辛いものばかりを食べるものや肉が好物だというものもいるが、どちらにしても美味しいものを厭う人間をみたことはない。
「美味しいものを食べたいのは、誰だって同じですから」
クロードがにっこりとシズルに笑いかけると、彼女は拍子抜けしたような、木の匙でも噛んだような、曰く言い難い表情を浮かべた。
「でも、あのようなひと目につく場所を選んでしまったのは、俺に配慮が足りませんでした。その代わりと言っては何ですが、人の少ない穴場も知っていますからここの案内は任せて下さい」
シズルを先導し、ひとの少ない方を目指して歩くクロードであったが、ひっそりと下げた眉尻には彼の困惑の気持ちが表れていた。
クロードの目的は、シズルにこの国へ残ってくれるよう交渉することだ。
部隊長は、彼女を籠絡しろなどと無茶を言っていたが、そんなことクロードにできる訳がない。
半ば諦めきってはいるものの、形だけは命令通り、彼女にお願いをする必要がある。けれど、何と切り出せば良いのか見当もつかないのだ。
最初は戦々恐々としながらシズルに接していたクロードだが、いざ顔を突き合わせてみれば彼女は傍若無人でもなければ乱暴なところもない、むしろ大人しい印象を抱く女性であった。
そんな彼女を困らせることは、騎士として、そして男としてクロードにはできかねた。
もういっそ、部隊長には断られたと言ってしまうか。いや、しかし王命に偽りを述べられるほど自分の肝は太くない。
クロードがそう頭を悩ませていると、ふいにシズルの姿が消えていることに気がついた。
さっきまで後ろを歩いていたはずなのに、と慌てて周囲を見回すと掃除用具入れの小屋の裏手に消える姿が一瞬だけ見える。
(万が一、小用とかだったら気まずさ半端ないよな……)
一瞬、そんな切実な思いが脳裏を過ぎるが、だからと言ってここでぼんやりと立ちすくんでいる訳にもいかない。
どうか違いますように、と祈りつつクロードもまた彼女の後を追って小屋の影に回った。
その瞬間だ。
いきなり襟首を掴まれたクロードは、そのまま日当たりの悪い湿った壁に背中を押し付けられる。
不用意に背中を強くぶつけた衝撃で、肺の空気が意図せず押し出された。
苦しげに咳き込み、涙目になって顔を上げたクロードの目に飛び込んできたのは、鋭い刃物を思わせる剣呑なきらめき。下から自分を覗き込む、赤黒い瞳だ。
「な、何用ですか!?」
「……好きにして、いいんだろ?」
慌てふためくクロードとは対象的に、冷たい笑みでシズルは嗤う。
「あんたは私に与えられた餌。だから、私はあんたをどう扱おうが構わないはずだ。違うか?」
まるで獲物を前にした肉食獣が、舌なめずりするかのような声だった。




