12 交わした約束
クロードの申し出は、シズルにとって予想外だったようだ。
「……はぁっ?」
たっぷり一拍以上の間を置いてから、シズルは素っ頓狂な声を出す。
「お前、自分が何を言っているのか分かってるのか?」
「さすがにそれくらい理解してますよ」
むしろ心配するかのように尋ねられ、クロードは苦笑する。
「以前姉が借りていた部屋を引き継ぐ形で、現在は俺が借りているんですが、一室余っているんです」
近衛騎士団に所属している姉のブリジッタは、王女付きになったことで去年めでたくも王宮内に部屋を賜り、そちらに居を移した。
しかしそれまで住んでいた部屋も随分気に入っていたらしく、悩みに悩んだ結果、なぜか同じ王都に暮らす弟を住まわせることに落ち着いたのだ。
姉の命令で寮を出ることになったクロードだが、炊事洗濯も自身でこなすことに苦がなかったため、さほど不便はなかった。
ただ、姉と違って持ち物が多くなかったため、せっかくの部屋を一室持て余していたのだ。
「俺の部屋とは別の一室で、鍵もかかります。小さいですが湯船もあります。炊事場と居間は共有ということで、家賃は折半でどうでしょう」
ちなみに家賃はこれくらい、とクロードが示した額は確かに妥当な額だった。
「お前、私に同情してるのか?」
「別に同情とかじゃないですよ。シズルさんなら、探せば借りる家にも困らないでしょうし。ただ、現状住む家がなくて、他に宛がないならどうだろうと思ったんです」
もし、シズルが困っているなら手を貸してあげたいと思ったのは、別に昨日今日考えたことではない。
シズルをこの国に留めた責任、などと大仰なことを言うつもりはないけれど、せっかく縁ができたのだ。現状困っているなら、手を貸せる程度の力にはなりたかった。
「あと、シズルさんが一緒に部屋を借りてくださるなら、経済的な面で俺が助かります」
姉に言われて借りた家は、クロード一人の給料では若干荷が重かった。
そう言って、クロードは照れたように笑う。
しかし、シズルのクロードを見る目は厳しかった。
「私は言ったよな。街中から離れた場所を選んだのは、私がのべつ幕無しに人を斬りたくなった時、周りに誰かいたら困るからって」
「そんな事になったら、俺が止めますよ」
「へえ」
はっとシズルが吐き捨てるように嗤う。赤黒い目がぎらりと獣じみた光を放った。
「お前が、私を止める? どうやって? そんなへなちょこの腕でよ、カワイコちゃん」
「扉に鍵を掛けて、シズルさんが出られないようにします」
クロードは迷いなく答える。
「物を投げて止めても良いですし、誰か俺よりも強い人を呼んで来ても良いです。実際に何をするかは、その時になってみないと分かりませんけど」
それでも、ちゃんと止めますよ。
そう言って、クロードはへにょりと笑う。
「そんなもんで、私を止められると本当に思ってるのかよ」
「どうでしょう。でも、シズルさんがどうしても人を斬りたくなったら、一番近くにいる俺を狙うでしょう。俺、確かにそこまで腕は良くないですけど、他の強い人がいる所まで逃げるくらいだったらできると思います。それにーー」
「それに、何だよ……」
シズルが唸るように問いを重ねる。クロードは、ふわふわした笑みを崩さずに言った。
「シズルさん、俺と一緒に住んだら、美味しいもの食べられますよ?」
ぎょっとして、シズルの目が丸くなる。
「そりゃ、俺だって任務で疲れている日もあるでしょうから、毎日必ず美味しい物を用意すると約束することはできませんけど。でも、俺自身どうせ食べるなら美味しい物がいいですし」
美味しいお店には詳しいし、料理もそれなりに得意だ、とクロードは言う。
「明日も美味しい物が食べられると思えば、俺を斬り殺すのを躊躇う理由にはなるんじゃないですか」
良いことを思いついたと言わんばかりのクロードの様子に、シズルは反応しなかった。
ぽかんと呆気にとられたように口を開いていたが、やがてふるふると唇が震え始める。
「どうしました、シズルさーー、」
「ば、馬っ鹿じゃねえの!!? お前、馬鹿だろう。底抜けの馬鹿野郎だ。この馬ぁ鹿っ!!」
「だ、駄目でしたかね……?」
突如、怒濤の如く罵倒され、さすがにクロードもたじろぐ。
シズルはぜいぜいと切れた息を整えて、ぼそりと呟いた。
「どうなっても、知らねえからな」
「え? なんですか?」
「……その家、庭か近くに空き地でもあるか?」
いきなり尋ねられ、クロードは焦りながら答える。
「えっと、小さいけれど中庭がありますよ」
「じゃあ、いいよ」
今度は、クロードがぽかんとする方だった。
「その部屋に住んでやってもいいと言ったんだ。ほら、てめえが案内しないと場所も分かんねえだろ!」
「はいっ!」
足取りも荒く、歩き出すシズルをクロードは喜色満面で追い掛ける。
その後ろ姿を追いながら、ふとクロードはシズルに伝え忘れていたことを思い出した。
この屋敷を再度調査していた、同期のギュンターが言っていたのだ。
(屋敷の構造上、納屋の地下にいる人間の声が、あの酒蔵にまで聞こえる筈がない、らしいけど……)
全身で腹立ちを表現しながら歩くシズルを見て、クロードはそれを彼女には黙っておくことに決めた。
背後の屋敷から、微かな笑い声が聞こえたような気がした。




