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ローストビーフにむせただけで氷の公爵に溺愛されました。〜攻略本に載っていない社畜令嬢ですが、最強の二人に独占されて平穏な隠居生活が崩壊した件〜  作者: 成瀬 一
シナリオが、狂い始める

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第56話 信用している

 アッシェンバッハ侯爵が失脚し、平穏が戻ったかに見えた王都。だが、巨大な組織が崩壊した後の「煤」は、そう簡単には消え去らない。


 公爵邸の執務室。


 重厚なデスクを囲むように、グレアム、レオナルト、そしてルカ=フォン=エデルハインの三人が顔を揃えていた。


「……アッシェンバッハの残党が、北部の一部貴族と結託して動き始めています。既に複数の不審な資金移動を確認しました」


 レオナルトの淡々とした報告を聞きながら、ルカは小さく息を吐いた。


(また来た。……でも、今回は不思議と前ほど心臓がバクバク言わない。前世で言うところの『一度クローズしたはずの大型案件で、現場の担当者が勝手に仕様変更しようとして火種が再燃した』時の、あの妙に冷めた『あー、はいはい承知しました』っていう感覚に近い)


 一度地獄のような炎上を経験した社畜は、多少のトラブルでは動じない。ルカは既に、自分の中に「当事者」としての落ち着きが根付いているのを感じていた。


「どの程度の規模だ」


 グレアムが低い声で問う。


「アッシェンバッハ本人がいた頃のような統率力はありません。……ただ、一点だけ厄介な男が混じっています。法務官僚出身の男で、王国の法律の抜け穴を熟知している。正面から不正を暴こうとしても、法の網を潜り抜けられる可能性があります」


 レオナルトの言葉に、グレアムがわずかに眉をひそめた。


 そして、彼は不意に視線を動かし、隣に座るルカを真っ直ぐに見た。


「……ルカ。お前の『読み』を聞かせろ」


 ルカは一瞬、目を丸くした。


(呼ばれた。……以前は『遠い親戚から聞いた噂話なんですけど』っていう怪しすぎる枕詞をつけないと意見を言えなかったのに。今は閣下が、普通に『私自身の判断』を求めてくれてる)


 ルカは居住まいを正し、少しだけ考えてから口を開いた。


「法律の抜け穴を突いてくるということは──相手は『証拠を残さないこと』ではなく、『証拠を合法に見せること』に特化しているということですよね」


「ああ」


「だとしたら、後から不正を暴くのは時間がかかりすぎます。……法律の専門家が相手なら、その抜け穴自体を物理的に塞ぐか、あるいは彼らがその穴を使おうとする瞬間に、全く別の角度から別の法規をぶつけて動きを止めるべきじゃないでしょうか」


 前世の契約交渉で、細かい但し書きを盾に無理難題を押し付けてくる取引先への対抗策と同じだ。重箱の隅を突く相手には、重箱そのものをひっくり返すルール変更が必要なのだ。


 グレアムとレオナルトが、一瞬だけ顔を見合わせた。


 レオナルトが、ふっと口角を上げる。


「……奇遇ですね。実は、私も同じことを考えていました」


「騎士団長殿はどうやって封じるつもりなんですか?」


「少し……汚い手を使おうかと」


 レオナルトの笑みが、いつもより少しだけ鋭く、冷徹なものに変わった。


   *


「残党の中には、脅されて協力している者や、今の状況を快く思っていない者もいます。その法務官僚が知っている『抜け穴』を、逆に彼らを封じるための『檻』に変える。……私が直接、何人かと交渉してきますよ」


(『競合他社のキーマンを、理念と条件を提示してこちら側に引き抜く』やつだ。リスクは高いけど、成功すれば相手の戦力はゼロどころかマイナスになる。一番効率的な解決策だ)


 ルカが内心で納得していると、グレアムがどこか怪訝そうにレオナルトを見た。


「……お前らしくない、回りくどい手だな。騎士団の力でねじ伏せれば済む話だろう」


「そうですか? 私は──騎士団長という立場を、そろそろ『次の段階』で使おうと思っているのですよ」


「次の段階?」


 グレアムが問い返すが、レオナルトはそれには答えず、ただ完璧な笑顔を浮かべた。


「公爵殿には、追って詳細を報告します。……ルカ嬢」


「はい」


「心配しないでください。……これが、私の選んだ『仕事』ですから」


 そう言った彼の目が、ほんの一瞬だけ、ルカの向こう側のひどく遠い場所を見ているように見えた。


 ルカは、胸の奥に小さな、でも確かなざわつきを感じた。


「……騎士団長殿、無理はしないでくださいね。何かあれば、私にも言ってください」


「ありがとうございます。……ふふっ、本当に貴女らしい」


 レオナルトは短く笑うと、エレガントに一礼し、風のように執務室を去っていった。


   *


 レオナルトが去った後。


 しんと静まり返った執務室で、グレアムがぽつりと言った。


「……お前の読みは、正しかった」


「いえ、騎士団長殿が先に考えていたことなので、私は後追いです」


 ルカが謙遜すると、グレアムは首を横に振った。


「それでも──お前が迷わずに言葉にしたから、話が動いた。……お前がそこにいてくれて助かる」


(閣下……。こういう、部下へのストレートな評価をさらっと言うようになったの、本当にずるい。心臓に悪いって言ってるのに)


 ルカが顔を赤くしていると、グレアムは表情を引き締め、釘を刺した。


「今回は──お前は動くな。実務は私とレオナルトで処理する」


「わかりました」


 ルカが素直に頷くと、グレアムは少し意外そうな顔をした後、柔らかく目を細めた。


「……信用しているぞ」


「はい。存分に信用してください。……その代わり、美味しいご飯とお菓子は欠かさないでくださいね」


 少し茶化すように言うと、グレアムは「……生意気だな、お前は」と呆れたように吐き捨てた。


「閣下の教育の賜物ですよ」


 ルカが胸を張って言い返すと。


 グレアムは今度こそ堪えきれないように、ククッと喉の奥で笑い声を漏らし、広い肩を震わせた。


 残党の影が、王国の片隅で再び蠢き始めた夜。


 氷の公爵と名もなき令嬢は。

 共に戦い、迷い、秘密を共有した日々を経て。以前よりもずっと強く、そして深く結ばれていた。

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