第17話 婚約候補の令嬢再び
翌週の月曜日。
朝から、学園が妙に騒がしかった。
「今日、侯爵家の令嬢が来るんだって」
「転入じゃないらしいよ。王宮からの特別な手続きだとか」
「もしかして……」
「ルーカス様の婚約候補の?」
その噂を聞いた瞬間。
オリビアの胸がざわついた。
「……」
分かっていた。
いつか、こうなることは。
それでも。
実際にその人が目の前に現れると思うと、落ち着かなかった。
昼前。
学園の正門に、一台の馬車が止まった。
降りてきたのは、一人の令嬢だった。
淡い銀色の髪。
落ち着いた紫色の瞳。
上品な身のこなし。
その姿を見た生徒たちが、自然と道を開ける。
「アリア・グレイス侯爵令嬢です」
教師が紹介する。
「本日よりしばらく、本学園に滞在されます」
アリアは微笑んだ。
「よろしくお願いいたします」
その視線が、ふと廊下の奥へ向く。
そこにいたのは、ルーカスだった。
「ルーカス様」
「アリア嬢」
二人は向かい合う。
「お久しぶりです」
「そうだね」
「王宮では、何度かお話ししましたけれど」
「うん」
その光景を、少し離れた場所からオリビアが見ていた。
「……」
胸が痛い。
自分でも驚くほど。
ただ話しているだけなのに。
どうしてこんな気持ちになるのだろう。
「オリビア」
友人が声をかける。
「大丈夫?」
「うん」
「顔、怖いよ」
「……そう?」
「うん」
オリビアは慌てて表情を戻した。
その日の放課後。
いつものように図書館へ向かう。
けれど。
いつもの席には、誰もいなかった。
「……」
今日は来ないのかもしれない。
そう思って、本を開く。
数十分後。
扉が開いた。
「オリビア」
「……ルーカス先輩」
ルーカスだった。
「今日、来てくれたんですね」
「約束したから」
「……そうでしたね」
オリビアは笑った。
「でも、忙しいんじゃないですか?」
「どうして?」
「アリア様が学園に来たので」
ルーカスは少し驚いた。
「……気にしてる?」
「してません」
「またそれ?」
「本当に」
「分かった」
ルーカスは向かいに座る。
「アリア嬢は、僕の婚約者ではないよ」
「はい」
「候補の一人」
「はい」
「それに、今回学園に来たのも、僕との婚約を決めるためじゃない」
「……そうなんですか?」
「うん」
ルーカスは少し笑った。
「彼女は王宮魔術研究局の家系なんだ。古代魔法の研究をしている」
「え?」
オリビアの目が輝く。
「魔法を?」
「そう。今回の滞在も、学園の研究施設を使うためだって」
「……それ、先に言ってください!」
「何で?」
「だって……」
オリビアは言葉を止めた。
危うく「心配した」と言いそうになった。
「……なんでもないです」
ルーカスがじっと見る。
「オリビア」
「はい」
「もしかして、嫉妬した?」
「し、嫉妬!?」
オリビアの顔が一気に赤くなる。
「してません!」
「そう?」
「してません!」
「分かった」
ルーカスは笑いを堪えている。
「その顔で言われても、あまり説得力ないけど」
「もう!」
オリビアは本で顔を隠した。
しばらくして。
「……でも」
小さな声が漏れる。
「ん?」
「先輩が……誰かと婚約するって考えたら」
オリビアは本を下ろした。
「嫌だと思いました」
今度は、はっきりと言った。
ルーカスは黙った。
「私、自分でも分かってなくて」
オリビアは視線を落とす。
「でも、最近ずっと先輩に会えなくて寂しくて」
「……」
「婚約の噂を聞いたら、嫌で」
「……」
「だから、たぶん」
オリビアは顔を上げた。
「私は、先輩のことが好きなんだと思います」
言ってしまった。
けれど。
ルーカスは何も言わなかった。
「……先輩?」
「ごめん」
「え?」
「少し、考えさせて」
そう言って、ルーカスは目を伏せた。
オリビアの胸がきゅっとなる。
けれど。
その表情は、拒絶ではなかった。
むしろ。
何かを必死に抑えているように見えた。
「……はい」
オリビアは小さく頷いた。
そのとき。
図書館の扉が開いた。
「ルーカス様」
アリアが立っていた。
二人の姿を見て、一瞬だけ目を見開く。
「……お邪魔でしたか?」
「いや」
ルーカスが立ち上がる。
「どうしたの?」
「少しお話が」
アリアはそう言ったあと、オリビアを見る。
そして、柔らかく微笑んだ。
「初めまして。アリア・グレイスです」
「オリビア・エヴァンスです」
「魔法学科の方ですよね?」
「はい」
「噂は聞いています」
「噂?」
「ルーカス様と、よく魔法研究をされていると」
オリビアは少し驚いた。
「……はい」
「そうですか」
アリアは笑った。
「でしたら、私もぜひお二人の研究を見てみたいです」
オリビアは目を瞬かせた。
どうやら。
彼女は、ただの婚約候補ではないらしい。
そして、この出会いが。
二人の関係を大きく動かしていくことになる。




