第22話 助けに行けない
翌日の夕方、仕事を終えた俺は彩乃宮第一高校の迷宮踏査部室へ向かった。
部室には久世さんたち3人が揃っていた。白瀬さんは軽く手を振って迎えてくれたが、机の上で組んだ指には力が入り、目元には疲れが残っている。昨夜の頭痛は治まったと聞いているものの、まだ体調が戻りきってはいないようだった。
全員が席につくと、榊原先生が手元の端末を机へ置いた。
「鏡石迷宮で保護された男性は、今朝になって短い会話ができるまで回復しました。命に別状はありません」
「残りの2人は?」
久世さんが尋ねる。榊原先生は小さく首を横に振った。
「まだ見つかっていません。救援班は捜索を続けていますが、地図にない通路が現れては消えています。安全を確保できない場所には、専門班でも無理に踏み込めない状況です」
「救難信号は出てへんの?」
「最初に確認されたものは途切れています。端末の故障なのか、通信できない場所へ移動したのかは分かっていません」
白瀬さんが唇を結んだ。昨日、搬送された男性から流れ込んだ感情を思い出しているのだろう。
榊原先生は俺たちを順に見て、声を少しだけ強めた。
「管理局からの正式な指示です。彩乃宮第一高校迷宮踏査部と相良さんは、鏡石迷宮および47番の調査へ参加しません」
「でも、うちが患者さんから拾ったもん、捜索に使えるかもしれへん」
白瀬さんがすぐに顔を上げた。
「昨日は、あの人だけの怖さやないって感じた。残っとる2人の感情まで混じっとったなら、もう1回つながれたら何か分かるかもしれへん」
「何が分かりますか」
「それは……まだ分からへんけど」
「場所や方向を特定できますか」
「できるとは言い切れへん」
「昨日の反応は、患者を介して一時的に起きたものです。再現できる保証もありません」
榊原先生の声は厳しかったが、突き放す響きはなかった。
「助けたい気持ちを理由に、白瀬さんまで救助される側になることは認めません」
「うちなら、まだ動ける」
「頭痛と手の震えが出ました。それを『動ける』とは判断しません」
白瀬さんは反論しかけ、言葉を飲み込んだ。昨夜、自分から榊原先生へ体調を報告した以上、なかったことにはできない。
「あなたたちは関係者です。調査員でも、救援隊員でもありません。今できることは、知っている情報を正確に渡し、専門班の邪魔をしないことです」
久世さんは黙って頷いた。雨宮さんも不安そうに白瀬さんを見ながら、膝の上で両手を重ねている。
俺も、鏡石迷宮へ向かうつもりはなかった。行方不明者がいると聞けば落ち着かない。それでも、俺が勝手に加わったところで、救援班の負担を増やすだけだ。
しばらくして、榊原先生が管理局へ提出する追加報告の確認を始めた。久世さんが時系列を読み上げ、雨宮さんが《ダンジョンの裏道》で感じた空間の変化について補足する。
その途中で、白瀬さんが相槌を打たなくなった。
視線は机の一点へ向いたまま、目の焦点が合っていない。呼吸は少しずつ浅くなり、机の上で組んでいた指が小さく震え始めた。
「白瀬さん」
呼びかけても返事がない。
昨日の治療院で見た顔色と同じだった。俺は椅子から立ち、机を回り込む。
「何をしているんですか」
「昨日の感じを、もう1回……追いかけられへんかと思って」
「やめてください」
「もうちょっとだけ。何か、奥に残っとる気がするんよ」
白瀬さんの指の震えが強くなった。額には薄く汗が浮かび、呼吸をするたびに肩が小さく上下している。
「何も言わずに続けたら、支援する側は困るんでしょう」
白瀬さんの指が止まった。
「それ、おっちゃんに言われるん、ずるいわ」
「教えてくれたのは白瀬さんです」
「向こうに、誰かがおるかもしれへんのに」
「白瀬さんまで倒れたら、その人を捜す手は増えません」
彼女は目を閉じたまま、苦しそうに眉を寄せていた。やがて組んでいた指をほどくと、大きく息を吐く。
身体が横へ傾き、雨宮さんがすぐに肩を支えた。手首へ指を当て、白瀬さんの顔を覗き込む。
「美玲ちゃん、脈が少し速いよ。指もまだ震えてる」
「大丈夫。ちょっと、頭が痛いだけや」
「その言葉は、今は使用禁止です」
榊原先生が白瀬さんの前へ移動し、顔色と受け答えを確認する。
「白瀬さん、あたしを見てください。吐き気は?」
「ない。耳鳴りが少し」
「視界は?」
「ぼやけてへん」
「今日はこれ以上、能力を使わせません。治療院へ連絡して、もう1度診てもらいます」
「先生、そこまでせんでも」
「今、無断で能力を使った人の自己判断は採用しません」
「……はい」
白瀬さんは肩を落とした。榊原先生は叱責を続けず、雨宮さんへ水を頼み、久世さんには症状が始まった時刻を記録するよう指示した。
10分ほど休むと、白瀬さんの顔色は戻ってきた。榊原先生が治療院へ連絡している間、久世さんと雨宮さんは部室の反対側で追加報告を整理している。
俺は白瀬さんの向かいへ座った。彼女は水の入った紙コップを持ち、表面に浮かぶ小さな波を見つめていた。
「怒られたなあ」
「止められて当然です」
「相良のおっちゃん、今日は先生側なん?」
「勝手に動きたくなる気持ちは、分かります」
俺が答えると、白瀬さんが顔を上げた。
「俺も、行方不明者がいると聞けば助けに行きたい。でも、俺たちが勝手に動けば、榊原先生たちはその2人に加えて、俺たちまで捜すことになります」
「分かっとるよ。頭では」
「頭で分かっていても、納得できないことはあります」
白瀬さんは紙コップへ視線を戻した。いつもの笑みを作ろうとしたようだが、口元はすぐにほどけてしまう。
「治療院でな、間に合わへんかった人も見てきたんよ。帰ってきた仲間が、もう少し早かったらって何回も言うとるのも」
明るい口調ではなかった。言葉を重ねるたび、紙コップを持つ指に力が入っていく。
「自分に何かできたかもしれへんって思ったら、待っとるだけなんが嫌になる。助けられるかもしれへんのに、何もせんまま手遅れになるんが、一番嫌や」
「何もしていないわけではありません」
「でも、うちはここにおるだけや」
「昨日、異変を隠さず報告したでしょう。白瀬さんが拾った感情も、管理局の記録に加わっています」
彼女が顔を上げる。
「場所を見つけたわけではありません。それでも、患者の恐怖に別の感情が重なっていた可能性は、管理局の記録に残りました。白瀬さんが黙っていたら、最初から検討されなかった情報です」
「役に立ったんかな」
「少なくとも、無駄ではありません」
俺は少しだけ言葉を選んだ。
「助けたいから動くことと、助けるために止まることは、たぶん別です。俺も最近、止まる練習を始めたばかりですが」
「おっちゃんに止められる日が来るとは思わんかったわ」
「俺も、止める側になるとは思いませんでした」
「成長したなあ」
「白瀬さんの星なら、いくつですか」
「星3つ」
「意外と厳しいですね」
「言うことはよかったけど、右腕のこと問診票に書かへんかった前科があるから」
「そこまで持ち越されるんですか」
ようやく、白瀬さんが小さく笑った。いつもの調子にはまだ遠い。それでも、無理に作った笑顔ではなかった。
榊原先生が通話を終えて戻ると、治療院へ送るまで、白瀬さんは部室で休むことになった。実地訓練もしばらく中止し、管理局から安全確認が出るまでは、迷宮内での活動を装備点検などへ切り替えるという。
「何もしない時間を作るつもりはありません」
榊原先生が部室の収納棚を開いた。
「装備と消耗品を総点検します。実地訓練を再開するときに不足がないよう、今のうちに補充品をまとめてください」
「休むんやなかったん?」
「白瀬さんは座ったまま、在庫表の確認だけです。能力は使わないこと」
「はーい」
久世さんが救急用品を確認し、雨宮さんは携帯食と保温用品を数え始めた。俺は予備ライトと電池を机へ並べ、動作しないものを分けていく。
点検を進めると、保温シート、携帯食、ライト用の電池、誘導ロープの予備が不足していることが分かった。久世さんが部費で購入できる範囲を端末へ入力していく。
「これだけなら、彩乃宮モールで全部揃うんちゃう?」
白瀬さんが在庫表を見ながら言った。
「アウトドア用品店もあるし、電池や救急用品も買えるやろ」
「47番のある施設です。ほかの購入先を確認します」
久世さんが端末で、必要な品を扱う店舗を調べ始めた。しばらくして、表示された一覧と在庫表を見比べる。
「学校で使っている規格の誘導ロープを扱う最寄りの店が、彩乃宮モール内の踏査用品店です。ほかの消耗品も同じ施設で揃えられます」
「何か所も回るより、短時間で済むな」
「地下2階の北側は封鎖されていますが、一般の売り場は管理局が営業を認めています」
俺が説明すると、榊原先生は少し考えてから頷いた。
「出発前に、47番の監視状況を管理局へ確認します。異常があれば購入先は変更します」
榊原先生は在庫表と店舗一覧を確認してから、条件を続けた。
「学校へ外出届を提出し、あたしが同行します。立ち入るのは一般客用の区画だけ。従業員通路や地下の管理区域へは近づきません」
「土曜日なら、俺は遅番でモールにいます。店の場所くらいなら案内できますよ」
「勤務中に部活動へ参加させるつもりはありません」
「休憩時間に売り場を教える程度です」
「それなら、施設側の許可を取ってください」
「分かりました」
「ほな決まりやな。買い物ついでに、なんか食べよ」
「美玲。目的を増やさないで」
「小春は甘いものなら賛成です」
「雨宮さんまで」
部室に、少しだけ普段の空気が戻った。
そのとき、榊原先生の端末が鳴った。表示を確認した彼女の表情が変わり、俺たちは自然に声を止める。
「管理局からです」
短い通話のあいだ、榊原先生はほとんど言葉を挟まなかった。確認を終えて端末を下ろすと、机の上に置かれた報告書へ目を向ける。
「行方不明になっている2人の救難端末が、先ほど短時間だけ反応しました」
「見つかったん?」
白瀬さんが椅子から身を乗り出す。
「反応しただけです。救援班がそれぞれの地点へ到着したときには、通路も信号も消えていました」
「2人とも同じ場所ですか」
久世さんの問いに、榊原先生は首を横に振った。
「いいえ。ほぼ同時刻に、通常なら短時間で移動できないほど離れた2地点から反応しました」
白瀬さんの顔から、戻りかけていた笑みが消えた。
「やっぱり、あの人だけの怖さやなかったんや」
「その可能性は高くなりました。ただし、もう能力を使って確かめようとしないこと」
「……分かってる」
3人で同じ迷宮へ入り、同じ道を進んでいたはずだった。
それなのに、2人の救難信号は、同じ時刻に遠く離れた場所から届いていた。
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