諦め
「ララリア、おはよう」
「おはようございます、ハロルド様」
学園に戻ってから1週間程経った今日も、毎朝待ち合わせている女子寮の前で、私達はいつもと変わらない挨拶を交わしました。その挨拶の言葉こそいつもと変わりはありませんが、そこに込められた感情は幾分かの違いがありました。そして私のこの感情は、ハロルド様や友人達と時間を共にしながら毎日毎日繰り返し考えた結果生まれたものでした。
私の挨拶に込められた感情を感じ取ったのか、ハロルド様が少し動揺したように私に声を掛けました。
「ララリア?どうしたんですか?何かありましたか?」
「何も。何もありませんわ」
「でも、何か怒っているように見えますが」
「いいえ。これは怒りではありません。諦めです」
「諦め?何の?」
「私はハロルド様を好きになる事を諦めました」
隣で歩くハロルド様の方を見ながらそう言うとハロルド様の青の瞳が見開かれました。
「ララリア、俺は」
ハロルド様の言葉を遮り、私は話し続けます。
「私はララリア・ガーベルですが、あなたにとってのララリア・ガーベルは、きっと私ではありませんわ」
そこで言い終えようと思っていたのに、何故か自身の言葉を止める事は出来ませんでした。
「魔力供給とは、どんなものですか?私とあなた様を繋いでいたのは、どれ程尊いものだったのでしょうか?」
家族から、友人から、そして隣にいる婚約者だと言うハロルド様から、幾度となく魔力供給についての話を聞きました。いえ、聞くまでも無く、全員が話してくれました。
「私には分かりません。沢山の人から聞いた、あなたと私にあったという強い絆のような繋がりを分かりたいと思いましたし、分かる努力をしたつもりでした。ですが、分かりませんでしたわ」
分からない私には、ハロルド様に好意を抱く資格すら無いのではないかと考えるようになりました。ハロルド様はあくまでも彼を『ルド』と呼んでいたララリア・ガーベルの婚約者なのだと考えるようになりました。
そして、言ってしまいました。
「どうして私は、ハロルド様を覚えていないのでしょう?」
マリーナ・ロマンヌは、空に向かって大声を出していた。
「神様、神様!聞こえますか?」
「私の声が届いているなら、返事を下さい!」
「どうか、ララリア・ガーベル侯爵令嬢をお助け下さい!」
「私の父をお救い下さったように、リア様を助けて下さい!」
『マリーナ・ロマンヌ』
突然、空から声が聞こえた。マリーナは空から聞こえる声がかつてと同じ声であると理解し、その声の主が『神』であると悟った。
「神様!私の声が聞こえているのですね!」
『まずはお前に謝罪しよう。お前が苦しむ原因を創ったのはこの私だ。すまなかった』
「そんな事はもう良いのです。今は、リア様を!」
『ララリア・ガーベルに関しては、私も考えたのだ。しかし』
「しかし・・?」
『ララリア・ガーベルとハロルド・コスモ、両者が真に望まぬ限りは記憶を戻してやれぬ。この世界を見届けると決めた以上、自らの責任は果たすつもりだが、この世界の者達の意思を無視してはならないだろう』
「それはつまり、リア様は記憶が戻る事を望んでおられないという事ですか?」
『現状、そういう訳でも無いようではあるが・・。とにかく、自分の耳で彼女の言葉を聞くが良い。ララリア・ガーベルへの記憶付与をはばかった理由も分かるだろう』
マリーが初めて学園を欠席した1週間後、彼女は学園に戻ってきました。そしてすぐに私と2人で話がしたいと言った為、放課後、私の部屋へと誘いました。
ユノが淹れたミルクティーを一口飲み、少し落ち着いた様子でマリーは私と向き合います。
「リア様は、ハロルド様に関する記憶を得たいと望みますか?」
しっかりと合わせた目線を逸らす事無く、彼女は尋ねます。
「望めば叶うの?」
「お互いが、真に望むならば」
「本当に?・・それではきっと、私の想いが足りなかったのね。ハロルド様は十分望まれていたでしょう」
「どうしてですか?どうしてリア様は、望まれないのですか?」
「私は・・。私はこれまで私として生きてきたと思っているわ。17年間、私として。そしてハロルド様がいない世界が私にとって普通の事だったの。だから突然出来た婚約者との記憶が欲しいかと言われても、積極的にはなれなくて・・。でも、皆は違う。ハロルド・コスモ様と共にいた私をララリア・ガーベルとして扱うの。まるでそうでない私はララリア・ガーベルでは無いみたいに」
「そんな事は・・!」
「分かってるわ。そんな事は無いと思ってくれているのも分かっているの。でも、それでも感じてしまうのよ。そして何より、婚約者であるハロルド様が望んでおられるのは、私ではなく、私の知らないララリア・ガーベルなの。だから、これは最近決めたのだけれど、私は、諦める事にしたわ」
「え?」
「私は今の私でいる以上、ハロルド様を好きになる事を諦める事にしたの。だからマリー、丁度良かった。私に記憶を戻して?そうすれば、皆が幸せになれるわね?」
ハロルド様に関する記憶を戻す方法があり、ハロルド様をはじめとする多くの人は記憶のある私を望んでいる状況ならば、今の私にとって既に否やはありません。ハロルド様を好きになる事を諦めた私にとっても都合の良いものでした。きっとこれで記憶が戻れば、めでたしめでたし、と言って祝福すらされるでしょう。そんな事を考えていると、目の前のマリーは何故か、難しい顔をしていました。悲しみなのか、苦しみなのか、言い表す事の出来ない顔で、何かをこらえるようにしながら、それでも一生懸命に私に言葉を届けてくれました。
「今のリア様も、皆が大好きなリア様です。そして、記憶が戻ったからと言って、今のリア様が消える訳ではありません。・・今、リア様に記憶を戻したとして、記憶の戻ったリア様が喜ぶとは思えません」
それきり、マリーはギュッと自身の両手を握り締めて俯いてしまいました。
「私は、どうすれば良いのでしょうね?」
そう言って笑ったつもりでしたが、きっとそれは歪で不格好なものだったでしょう。そんな事を自分でも思ってしまう程、上手く笑顔が作れませんでした。




