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k-78 正月休み明けは憂鬱

 正月休みが明けて、アハロに灯りが戻った。


 モト子と花が草津温泉から帰還し、久しぶりの厨房に立った花が食材のチェックを始めた。


 冷蔵庫を開けた。


「……モト子さん」


「なに?」


「冷蔵庫の中に、何故か豚肉が入ってるんですけど」


 年末年始に鈴菌へ地下空間のリフォームを頼んでいたことを思い出して、モト子は即答した。


「どうせ鈴菌が自分で食べようとして買っておいたやつでしょ? 私たちの賄いとして食べちゃいましょう!」


「いや、それが……賄いで食べるにしては大量にありまして……」


 モト子が冷蔵庫の前に立った。


 見た。


 豚肉の塊が、隙間なく、パンパンに詰まっていた。


「は?」


 モト子がフリーズした。


 完全に止まった。


 花が慌てて鈴菌にLINEを打った。


『冷蔵庫の中の肉の詳細を求む!!ヽ(`Д´)ノ』


 返信はすぐ来た。


『お裾分けだ!(*´∇`)ノ』


「モト子さん……お裾分けだそうです」


 モト子は膝から崩れ落ちた。


   *


 ひとしきりフリーズした後、モト子は復活した。


 花がトンカツを揚げた。

 二人で食べた。


「…………」


「…………」


 箸が止まった。


「ちょっと! これって店でも出せるくらい上質なお肉じゃないの! 鈴菌は何処のブランドとか言ってた?」


「ただ、お裾分けとしか言ってませんよ? でも、これだけ上質なお肉なら、きっと高かったはずですよ! こんなお肉が冷蔵庫いっぱいに入ってるなんて……年末年始に何かあったんですかね?」


 二人が首を傾げていると、床の一角がガタンと開いて、カッパが地下から這い出てきた。


「あ」


 カッパが固まった。

 まさかモト子と花がいるとは、思っていなかったようだった。


「あら? カッパじゃないの。一人で地下空間のリフォームをしていたの?」


「あ、いや、その、あの、えっと! あの、あの、地下室にはヨンキュウ部のメンバーと遊んでましたとですばい……」


「なんか言葉遣いがおかしいわよ? 何か隠してない?」


「隠し事なんでないとですたい!」


 明らかに動揺していた。

 だがカッパは鈴菌と違って暴走するような子ではないので、モト子はそれ以上追及しなかった。


「ところでカッパ、年末年始の事なんだけど——」


 ビクッ。


「ん? カッパ? どうしたの?」


「な、な、な、なんでもなかとですばい!」


「鈴菌が豚肉を大量に冷蔵庫の中へ入れてたんだけど、このお肉の事を何か知らない?」


「あの肉を……食べたんですか!?」


 カッパの目が丸くなった。驚きの種類が、少し妙だった。


「えぇ。花がトンカツを作ってくれたのよ。とても良いお肉だったから、お肉のブランド名を知りたいのだけれど」


「え!? 美味しいんですか!? あれ!!」


 その時、花が厨房からカッパへ声をかけた。


「カッパ、地下でヨンキュウ部の皆と遊んでるんでしょ? 揚げたてのカツサンドにしてあげるから、持って行ってあげなよ!」


 花はそう言いながら、サンドイッチを作り始めた。


 カッパはポケットをごそごそと探ると、小さな布袋に入ったゼラチンを厨房の作業台に一つ、二つ、三つ……次々と積み上げた。


「これ、ゼラチンなんですけど、使えますか?」


「ん? ゼラチン? まあ、あれば助かるかな〜。どうしてそんなにたくさんゼラチンがあるの? 自分たちで作ったの? 学校の自由研究か何か?」


 カッパは目をそらしながら答えた。


「はい……冬休みの自由研究です……」


(自由研究でゼラチンを大量生産?)


 花は首を傾げながらも、カツサンドを仕上げた。


 カッパはそれを抱えて、足早に地下へと戻っていった。


 モト子はその後ろ姿を眺めながら、ひとりごとのように言った。


「相変わらず青春してるわね」


「今が一番楽しい年頃ですもんね!」


 花が笑顔で答えた。


 厨房に、揚げたてのトンカツの香りだけが残った。


 謎の豚肉と、謎のゼラチンの正体は——まだ、誰も知らなかった。


   *


 冬休みが明けた。


 本栖高校に、伊勢リンが登校してきた。


 制服のポケットの中には、昨夜まとめた「部活設立申請書」の下書きがあった。


 一時間目が始まる前に、伊勢リンは担任の教室を訪ねた。


「先生! 名古屋の中央高校には既に原付の部活があるんです! うちにもそんな部活があっても良いと思います! 今のところ部員は私と結しかいませんが、春になればまた原付通学する学生も増えますよね? その時には入部希望者も必ず現れます!」


 担任は少し考えてから、頷いた。


「う〜ん。確かにうちは原付の免許を持ってる学生も多いからね。確かにあってもおかしくないよねぇ。まあ、今度の職員会議で他の先生とも話し合ってみるから、少し時間をもらえるかな?」


 一歩、前進した。


 伊勢リンは教室に戻ると、隣の席の結にすぐ報告した。


「結! 先生に頼んできたよ! 次の職員会議で話し合うって!」


「行動力が凄すぎて着いていけないよ! でも、認められるかな、部活」


「先生は原付免許を持ってる学生が多いから、あっても良いって言ってたよ! だから、きっと大丈夫!」


 伊勢リンはもう、その先のことを考えていた。


「うちもヨンキュウ部みたいなネーミングを考えないとね!」


「ヨンキュウ部じゃだめなの?」


「なんかパクったみたいで嫌じゃない? どうせならもっと素敵な名前にしたいよね!」


「それじゃ……低速部はどう?」


「低速部か〜。なんか地味じゃない?」


「それなら——疾走部!」


「カッコイイ! 疾走部! 良いね! 疾走部!」


 二人は声を合わせて繰り返した。


「疾走部! 疾走部!」


 職員会議の日を、伊勢リンは指折り数えて待った。


 眠れない夜もあった。

 授業中に部の活動内容を考えてしまって、先生に当てられて焦ったこともあった。

 結と放課後に「部室は空き教室を借りよう」「バイクは学校の駐輪場の端を使おう」と二人で話し合った。


 この学校で、最初の一人になる。


 コロンブスが大西洋を渡った時だって、地図はなかった。

 追い風さえあれば、どこへでも行ける。


 伊勢リンは、そう信じていた。


   *


 数日後。


 担任から呼び出しがかかった。


 伊勢リンは職員室へ向かいながら、どんな顔で結に報告しようかを考えていた。

 ガッツポーズをして見せようか。それとも泣き真似をして驚かせてから「嘘! 通ったよ!」と言おうか。


 職員室のドアを開けた。


 担任が、少し困ったような顔をしていた。


 伊勢リンはその顔の意味を、最初は読み取れなかった。


「伊勢リンさん、座って」


 椅子に座った。


 担任が、口を開いた。


「職員会議で話し合ったんだけどね」


「はい」


「——却下になった」


 伊勢リンは、動かなかった。


 一秒。


 二秒。


 三秒。


 担任が続けた。


「安全面の問題と、学校としての責任の問題でね。万が一、部活動中に事故が起きた場合の対応が……」


 言葉が、耳の中で霞んだ。


(却下)


 その二文字だけが、頭の中で反響していた。


(却下。却下。却下)


 コロンブスは大西洋を渡れた。

 でも自分は、職員会議すら渡れなかった。


 追い風は——どこにも、なかった。


「伊勢リンさん? 聞いてる?」


「……はい」


「気持ちはわかるんだけどね」


「……はい」


 伊勢リンは椅子から立ち上がって、頭を下げて、職員室を出た。


 廊下に出ると、窓の外に冬の空が広がっていた。

 青くて、遠くて、どこまでも続いていた。


 誰もいない廊下で、伊勢リンはしばらく立ったまま、その空を見ていた。


 天国から地獄とは、こういうことか、


と——伊勢リンは初めて知った。





本栖高校は、全国でも稀な「原付免許取得を認めている高校」です。しかし「免許が取れる」ことと「原付の部活が存在する」ことは、まったく別の話でした。日本のほとんどの高校では、三ない運動の有無にかかわらず、原付に特化した部活動は前例がありません。前例がないということは、誰かが最初の一人にならなければならないということでもあります。伊勢リンが今日ぶつかったのは、悪意ではなく「慣習の壁」でした。ヨンキュウ部が異様なのです。あの部が存在すること自体が、奇跡に近い。


謎の豚肉と謎のゼラチンの正体については——もう少しだけ、お待ちください。

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