k-72 無自覚のチート
ある夜。アハロのテーブル席に、京子先生とVタックと三十代くらいの男性が顔を合わせていた。
「今夜は京子先生にこの男を紹介したくてねぇ〜。この人は僕のかつての教え子で石郷岡くんだよ」
「は、はい。この方はどういった方なんですか?」
「文化庁で調査官をやっております、石郷岡です。……まあ、国から来た教育委員会の小言担当、とでも思っていただければ。今日は皆さんの『自由すぎる活動』を、ちょっとだけ見学させてください」
教育委員会という言葉を聞いて、京子先生が震え上がった。
「ハハハ、そんなに固くならなくても大丈夫ですよ! 京子先生。石郷岡くんはヨンキュウ部を潰しに来たんじゃないから安心していいよ〜」
「そ、それなら何故、ここに?」
「本来なら高校生で原付の部活なんて教育委員会としても解散を促したいところなんですが、Vタック先生から直接ヨンキュウ部の実態を見てみろと言われましたので、今夜、この席を設けさせて頂きました」
「ヨンキュウ部の実態ですか……普段の部員たちは部室の中で不動車のレストアをしていますよ。明日にでも案内しましょうか?」
「いえ、機械いじりをしてる分には全く問題はありません。それくらいなら工業高校でも同じような事をしてますから。教頭先生からも言われたように教育委員会としては、遠征の方に問題の重きを置いてます」
「なるほど。実は来週の三連休にもヨンキュウ部は山梨県まで走る予定です。同行しますか?」
「是非!」
こうして、週末のツーリングには石郷岡も同行することになった。
*
三連休初日の早朝四時。
石郷岡が文化庁所有のSUZUKI K50でアハロの前に現れた。
「ねぇねぇ、オジサンも一緒に走るの? オジサンのバイクもSUZUKIなんだね。私もモレもSUZUKIだよ! それツースト?」
「つ、つーすと?って何かな?」
「え? オジサン、ツーストも知らないのに本当に一緒に走るの? 大丈夫?」
「まあ、山梨なら問題無いだろ? 原付なんてアクセルひねってれば走るんだし」
「アハハ! オジサン甘いよ〜。原付って本当に疲れるんだよ? 知らないの?」
「疲れる? どうして? アクセルひねれば良いだけだろ?」
カッパとラーナとキーコンとボーアが大笑いした。
石郷岡だけが、笑われている理由が全くわからなかった。
ラーナが部長らしく全員に告げた。
「まずは日の出までは私が先行します! 日が昇ったらカッパ。カッパは日が昇ったら私と先頭を変わって次の食事ポイントまで先行してね! まずは最初の食事ポイントまではノンストップで行くよ!」
「「「「「りょ!」」」」」
ラーナのモルフェと菊のロードフォックスが先行して、京子先生のMBXが続き、石郷岡のK50が続いた。その後ろをキーコンのモンキーR、ボーアのVOX、殿をカッパのモレが続いた。
七台が笠寺を後にした。
*
豊橋付近で夜が明けた。
浜名湖の向こうから朝日が顔を出した瞬間、カッパが先頭へ躍り出てラーナとポジションを交代した。
ラーナは殿へ回った。
全ての動作がハンドサインだけで完結していた。
石郷岡がその動きを見て、思わず後ろの京子先生に告げようとしたが、京子先生はすでに先を走っていた。
掛川のなか卯の前で全員が揃い、朝食を食べた。
食後のミーティングでラーナが全員に語った。
「ここからは原付泣かせの静岡だから京子先生も石郷岡さんも気をつけてね! ここからは一列に並んでると後続車の邪魔になるから、二台のペアで走ります! 五分間隔で車間距離を保ちましょう! 京子先生は私と二人で走りましょ! 石郷岡さんはカッパの後ろを走ってください! 菊はソロで行けるよね? 菊は殿をお願いね! キーコンはボーアの後ろを着いてきてね! それじゃ、ボーア組から先に行って良いよ! 五分後にカッパ組、十分後には私がスタートします! さあ、ボーア、スタート!」
ボーアとキーコンがなか卯の前から走り出した。
「この連携は京子先生が指導したのですか?」
「アハハ! まさか! 私だってまだ原付の初心者ですよ! 石郷岡さんと原付歴は大差ないですから、ラーナみたいな風に仕切れるはずがないじゃないですか! あれが原付に乗るという事なんだと思います。自分で考えて、自分で全て決めて進むという力なんですよ。きっとラーナも自覚してやってるんじゃなくて、人よりも走ってきたから、無意識的に仕切れるんだと思います。ちなみに石郷岡さんは静岡が原付泣かせだという意味はわかりますか?」
「いえ、さっぱり分かりません」
「やっぱりそうですよね〜。まあ、着いていけばわかることなんで、今はお互い大人しく着いていきましょう!」
*
静岡市内に入ると、原付泣かせの意味がわかった。
バイパスが多く、原付一種は通行禁止区間ばかりだった。
県道や旧道を探しながら走らなければならなかった。
先行していたボーアとキーコンがバイパスの前で何度も困り果てていて、四組が合流してしまう場面が度々あった。
その都度、ラーナが先行するボーアに抜け道を丁寧に教えて、四組の原付はようやく興津付近までたどり着いた。
石郷岡は走りながら、ようやく静岡が原付泣かせだという意味を体で理解した。
ラーナが四組に分けたのも、静岡の交通量の多さを見れば納得できた。
*
道の駅とみざわで全員が合流して昼食を楽しんだ。
再び出発しようとすると、石郷岡が待ったをかけた。
「ちょ、ちょっと待って下さい! なんかメーターのランプが光ってます! これなんだかわかる人いますかー?」
一同が石郷岡のK50のメーターを覗き込んだ。
真っ赤なオイルランプが光っていた。
「オジサン、これオイル切れだよ! オイル入れてこなかったの?」
「オイル? ガソリンなら入れてきたよ?」
「ガソリンじゃないよ! ツーストオイルだよ! このバイクはオイルは何処から入れるの?」
「え? ガソリン以外にも、そのツーストオイルってのを入れなくちゃならないのかい?」
「そうだよ。このK50はツーストの音がするからツーストなんだよね? ツーストならオイル入れないとダメに決まってるじゃん! 変なオジサン!」
「は? だって車ではオイル交換しかしないだろ? オイルを継ぎ足したことなんて無いはずだよ?」
カッパが大爆笑した。
つられてラーナとキーコンとボーアも笑い出した。
石郷岡だけが、意味もわからずに戸惑っていた。
見かねた京子先生がフォローした。
「石郷岡さん、実はツーストエンジンというのは自動車のエンジンとは全く別物らしいんですよ。ツーストエンジンというのはガソリンとオイルの二種類を給油するんですって。私もMBXを買ってから初めて知りました」
「そ、それでは、私はどうすれば……」
「私はどうすれば……。ウフフ! 私はどうすれば……。だって! アハハ!」
カッパが笑い疲れてから答えた。
「この近くにコメリハード&グリーン南部店があるみたいだから、オイル買ってくるよ! オジサン! 千円ある?」
石郷岡が財布から千円を二枚出してカッパに渡した。
カッパはモレで走り去り、十分後に戻ってきた。
「はい! オジサン。お釣りとオイル! ちゃんとSUZUKIのオイルにしたよ〜。私もいつもこれを使ってるんだ〜。青いのと赤いのがあるけど、私はタンクを青一色にしたいんだよね〜」
石郷岡がオイル缶を受け取り、ガソリンタンクへ入れようとした瞬間、カッパが叫んだ。
「オジサン!! 何やってるの! そこはガソリンタンクだよ! それをやっていいのはベスパだけ!」
石郷岡がピタッと止まり、恥ずかしそうにキャップを閉じた。
「それなら、このオイルはどこに入れるのかな?」
「それは知らない。だってK50なんて初めて見たもん。キーコンならわかる?」
キーコンはK50をじっくり観察するとすぐにわかった。
「たぶん! ここ!」
K50のサイドカバーを外した。
「こっちは……あ! バッテリーだった! ってことはこっちか!」
もう片方のサイドカバーを開けた。
「あったよ! オジサン。オイル缶を貸して! 私が入れます」
トプトプトプトプとオイルを補充すると、一リットル全てが入ってしまった。
「オジサン! 一リットル全部入ったよ! これって普通は少し余るんだよ? 全部入ったってことは、ずっと前からオイルランプは光ってたはずだよ!」
石郷岡がハッとした。
ずっと誰かの後ろを走っていたから、自分はメーターすら見ていなかったことに気づいた。
「そ、そうだね……私はここに至るまで、全然メーターを見てなかったよ。ごめん、ごめん」
*
K50の問題を解決すると、ラーナが再び仕切り始めた。
「いよいよ身延に入ります! ここからはお待ちかねのキーコンによるゆるキャンの聖地巡礼です。キーコンが好きなように走るので身延駅前からはゆるキャンに興味のない人は自由行動です! 駅前からは離脱したい人は勝手に離脱して下さい! 十五時に再び身延駅前に集合します! 集合時間に間に合わなかった人は自力で浩庵キャンプ場まで来てください!」
身延に入ると、キーコンとボーアとラーナはゆるキャンの聖地巡礼へと消えていった。
カッパと菊はゆるキャンのことを全く知らなかったので、京子先生と石郷岡の四人で甲斐黄金村・湯之奥金山博物館へ行って砂金掘り体験をすることにした。
「菊ちゃんの為に金をいっぱい取って菊ちゃんに金歯にしてプレゼントするからね!」
「金歯だば、田舎者の私がらすれば、一番強い印だべ。私も頑張って金歯入れるくらい、砂金取るぞー!」
京子先生と石郷岡が笑っていた。
四人の砂金掘りが終わり、取れた砂金をパッキングしてもらい、四人は待ち合わせ場所へと走り出した。
すると、石郷岡の乗るK50のリアタイヤがペチャンコになっているのを菊が気づいて、駅前付近で石郷岡のK50を停めた。
「石郷岡の旦那! アンダの単車、パンクしてまってらど?」
石郷岡が路肩へバイクを停めて後輪を見ると、完全に空気が漏れてペチャンコになっていた。
そのK50のリアタイヤを見て菊が語った。
「これだばタイヤも限界だぉ。完全にくたびれで、ヒビも入ってまってら。こりゃチューブも終わってまってらべなぁ」
「パ、パンクですか!? これはバイクのパンクってどうすればいいんでしょうか? JAFってバイクにも対応してるんでしょうか?」
カッパもしゃがんでK50のリアタイヤをつついた。
「オジサン、パンクした事ないの?」
「うん。これは職場のバイクだからね。あまり乗ったことが無いんだよ。だからパンクも初めてなんだ」
カッパがスマホで何かを検索していた。
すぐにニコッと笑って立ち上がった。
「オジサン! 良かったね! ここからすぐのとこに加藤サイクルって自転車屋さんがあるよ! そこまで押し歩こう!」
そう言ってカッパもモレを押し歩いて、石郷岡と並んで歩き出した。
菊と京子先生は一足先に加藤サイクルへと走り出した。
「あそこはただの自転車屋だよ? バイクなんて取り扱ってないよ? カッパさん!」
「大丈夫! このK50なら自転車屋でも直るはずだよ!」
石郷岡が半信半疑でK50を押し歩くと、加藤サイクルが見えてきた。
先行していた菊が加藤サイクルの店主にK50の状況を告げていた。
店主はすぐにK50の後輪をあっという間に外して、新品のチューブと新品のタイヤを組み始めた。
カッパが食い入るように店主の手際を眺めていた。
その光景を見て石郷岡が菊に尋ねた。
「な、なぜ、自転車屋さんにタイヤとチューブがあったんですか? ここはバイクの取り扱いなんてしてませんよね?」
石郷岡と同じ疑問を持っていた京子先生も、菊の回答を待った。
「なだ言ってらんだば? アンタの街の住んでら街さ、新聞配達や郵便の方だばいねぇんだが? あの人だぢ、普段何に乗って配って歩いてらど思ってらんだ?」
「郵便配達や新聞配達はスーパーカブですよね? それとなんの関係が?」
「まだわがんねぇんだが? 新聞配達も郵便も、みんなカブで配って歩いてらべさ。アンダのK50のタイヤだば、カブと同じなんだぉ。K50だばスズキだばって、タイヤはカブと全ったぐ同じなのさ。つまりだぉ、カブのタイヤとチューブの在庫を持ってる自転車屋だば、どこでもK50ば直せるんだ。そんで、ここが肝心だぉ。日本全国の自転車屋だば、カブのタイヤどチューブくらいいつでも置いてらもんだ。配達の途中でパンクするごどだば、山ほどあるんだぉ。そんな時、いちいちJAFなんて呼んでられねぇべさ? 見でればわかるべ、K50もカブもパンク修理だば十五分もあれば全ぶ終わるんだぉ!」
石郷岡が愕然とした。
確かに街にはスーパーカブが溢れている。
新聞配達や郵便配達に限らず、ラーメン屋や蕎麦屋の前にも停まっているのを石郷岡がようやく思い出した。
自分のK50はカブと同じタイヤを使っている。
だからカッパはすぐに自転車屋を検索したのだ。
自転車屋ならどんな街にも必ずある。バイク屋よりも遥かに件数が多い。
そんな女子高生でも知っている常識を、今日初めて知った。
しかもカッパはそれを偉ぶることなく、ただ純粋な気持ちで自転車屋まで案内してきた。
今は店主の手際を食い入るように見つめて、パンク修理の手順を学ぼうとしている。
大人の自分でもパンクした事であんなに狼狽えたのに、目の前の十六歳の女の子は微塵も動揺することなく、自然にスマホで検索してここまで案内した。
考えてみれば笠寺を出てからずっとそうだった。
静岡のバイパス群の前にはフォーメーションを組み、オイルが切れればホームセンターへ走り、パンクすれば自転車屋を検索する。
土地勘のない土地で、まるでそこに住んでいる地元の人間のように動いていた。
(これは経験値の差などではない。この少女は常に先を読んで、自分の足で前へ進んでいるのだ)
「京子先生……原付で旅をすると誰でもここまで成長できるのでしょうか……」
「カッパさんとラーナさんは特別かも知れません……でも、キーコンさんもボーアさんも大人顔負けのスキルを身につけてますよ? 私のこのMBXのサイドキャリアはキーコンが設計して自ら制作したものですし、ボーアに至ってはサーキットでは敵無しだったらしいですよ。この二人もまたヨンキュウ部に入ってから急激に成長したのは事実です!」
「それじゃ、ヨンキュウ部は全員が大人顔負けのスキルを持っていると!?」
「はい。全員が私よりも大人ですし、経験値も遥かに上です。私ができないことを平気な顔をしてやっています」
石郷岡は自転車屋の店主に質問しているカッパを眺めながら思っていた。
(この部を潰してはいけない!)
Vタックに促されるままに視察に来て、本当に良かった。
もし、視察に来ないままヨンキュウ部のことを断罪していたらと思うと、震えるほど怖くなった。
*
パンク修理を終えて、石郷岡がK50に跨ってローギアに入れると、スコンとこれまでよりも素直にギアが入った。
カッパがニコッと笑って言った。
「オジサンの単車のチェーンが緩んでたから自転車屋さんがチェーンを張り直してくれたんだよ! ギアチェンジが楽になったでしょ?」
「ありがとう! 凄く良くなったよ! 本当に来て良かった!」
石郷岡は今日の視察に来て良かったと言ったつもりだった。
「そうだね! 自転車屋さんが近くにあって良かったね!」
カッパはそう笑って、待ち合わせの駅前へと走り出した。
石郷岡はその背中を見送りながら、静かに笑った。
この少女には、自分が何を言いたかったかなど、全く届いていなかった。
それで、ちょうど良かった。
正式名称: SUZUKI K50
型式: BA15A
最高出力(馬力): 4.5PS / 6,000rpm
※1967年の登場から2000年代まで、基本設計を変えずに生産され続けたスズキが誇る「ビジネスバイクの生きた化石」。
低回転から粘り強い2ストロークエンジンと、重い荷物にも耐える頑強なプレスアンダーボーンフレームを採用しています。
今回の物語で語られた通り、タイヤサイズがホンダ・スーパーカブと共通(2.25-17)であることから、日本中のどんな小さな自転車屋でも修理が可能という「最強の汎用性」を誇ります。
「ビジネスバイク=おじさんの乗り物」という枠を超え、その質実剛健なスタイルは今なお一部の愛好家から「ビジバイ界の傑作」として愛され続けています。




