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k-68 Grand Symphony,

 三連休前夜。


 ヨンキュウ部の乙女たちと京子先生はアハロへ泊まっていた。


「ここがカッパさんのバイト先?」


「そうだよ」


 六人の席へモト子がラテと紅茶とココアを運んできた。


 モト子と京子先生が大人の話を始めたので、乙女たちはそれぞれの飲み物を飲んでいた。


「皆は何度か来たことがあるのね? 随分慣れてるけど……」


「うん! 私なんて梅雨の頃から毎週末通ってるよ! 先生もここで食事したら虜になるよ!」


   *


 食事が来た瞬間、京子先生の思考が止まった。


 丼から車海老の尻尾が四本、V字のツノのようにそびえ立っていた。

 その下にはワタリガニの身を詰め込んだ愛知産の肉厚椎茸が、どっしりと鎮座している。

 蓋が閉まらないどころか、もはやご飯が見えなかった。


「……これ、本当に『原付の部活動』の食事なの?」


 箸を入れて、椎茸にかぶりついた。


 椎茸から濃厚な蟹の旨味が溢れ出した。

 衣がサクッと砕けた。

 車海老のプリプリとした弾力が追い打ちをかけた。


「……っふ、ふふふ……!」


 声にならなかった。


「美味しい……。美味しいわ、これを食べたなら、私は日本海まで走れる……!」


 京子先生は顧問としての威厳をかなぐり捨てて、一心不乱に丼を掻き込んだ。


 横ではラーナが「計算外の旨さ!」と叫び、キーコンは「溶接の火花より熱い!」とハフハフしている。ボーアは無言だが、箸の動きがいつもの三倍速だった。菊も高齢の割にはもりもり食べている。


 ふと、京子先生は隣のカッパを見た。


 カッパだけが「私は天丼より洋食気分!」と、ワタリガニとクルマエビのマカロニグラタンを突っついていた。


 そのグラタンが、あまりにも凶悪だった。


 ホワイトソースの上でグツグツと泡を吹くチーズ。

 その隙間から真っ赤なカニの爪とオレンジ色のエビが顔を出している。

 カッパがスプーンを持ち上げると、黄金色のチーズが糸を引いた。


(……え、何あれ。あんなの、美味しいに決まってるじゃない……!)


 天丼を完食したばかりの京子先生の胃袋が、信じられないことに「キュウ」と鳴った。


「……カッパさん。そのグラタン、一口……いえ、やっぱり……」


 背後の店員さんに手を挙げた。


「すみません! このグラタン、あと五つ! 全員分追加で!」


「「「ええーっ!? 先生、まだ食べるの!?」」」


「日本海までは二百六十キロあるのよ。エネルギー不足は事故の元よ! ……あ、それからカッパさん。あなた、グラタンだけじゃ足りないでしょ? この子に、今の天丼を一丁追加してあげて!」


「やったぉ! 先生、一生ついていく!」


 こうして、ヨンキュウ部の決起集会は、胃袋の限界を突破する「無限追加祭り」へと突入した。


 十月中旬の名古屋の夜。

 明日、彼女たちのバイクが過積載(胃袋的な意味で)で走ることになるのを、京子先生だけはまだ、甘いホワイトソースの香りに酔いしれて忘れていた。


   *


 翌朝。


 日の出前のアハロ前に、六台が並んだ。


 四時ちょうど。

 まだ真っ暗な中、六人は走り出した。


 十月中旬の早朝は冷えた。

 防寒着を着込んでも、顔に当たる空気が鋭かった。


 国道二十二号を北上して岐阜へ入り、美濃市のコンビニで朝ごはんを食べた。

 温かい缶コーヒーと、おにぎり。


 郡上八幡を過ぎると、長良川沿いの景色が広がった。

 そしてそこから、ひるがの高原への「山登り」が始まった。


 標高二百メートルから九百メートルへ。

 長い登り坂が十キロ以上続いた。


 時速二十キロしか出なかった。


 京子先生とキーコンとボーアが困惑した。

 アクセルを開けても速度が上がらない。

 エンジンが唸っているのに前に進まない。


(ああ……だから東海地方では一日二百キロしか進めないのか)


 三人は、ようやく理解した。


 信号だけじゃなかった。坂があった。


 ひるがの分水嶺公園で休憩した。

 ここから水が太平洋側と日本海側に分かれる場所だと聞いて、キーコンが目を輝かせた。


「同じ雨粒が、どちら側に落ちるかで、最後にたどり着く海が変わるんですね……」


「私たちも今日、日本海側に向かって走るんだね」


 カッパが空を見上げた。

 空は晴れていた。


 ひるがの高原から御母衣湖へ向かう下り坂は、一転して急な下りになった。


 そこでボーアが先頭に飛び出した。


 コーナーを正確に読んで、ブレーキを当て、バンクさせて、また加速する。

 サーキットで見せたあの走りが、峠道でそのまま発揮されていた。

 五人が後ろからその背中を追いかけるように、麓まで駆け抜けた。


   *


 白川郷手前のマクドナルドで昼ごはんを食べた。


「まだ岐阜県なのね……」


「先生、疲れたの?」


「うん……実は肩が疲れたわ……」


「実は私も肩が疲れてる!」


「わかるなぁ〜。私もモルフェに乗り始めた頃は肩が一番先に疲れてたなぁ〜」


 富山平野へ出ると、空が広くなった。


 山に挟まれていた道が、突然、どこまでも続く平野に変わった。

 六人は思わず声を上げた。


 石川県に入って、細かなアップダウンをいくつも越えた。

 体力が削られていた。

 でも、誰も止まらなかった。


   *


 午後四時半。


 千里浜なぎさドライブウェイに、六台が到着した。


 名古屋から二百六十キロ。


 六人はバイクを停めて、海の前に立った。


 誰も何も言わなかった。


 日本海だった。


 空が次第にオレンジ色に染まり始めた。


 その瞬間、カッパがモレを走らせて砂浜に侵入した。

 ラーナのモルフェが続いた。

 菊のロードフォックスが、どっしりと後に続いた。


「こら! 二人ともバイクでビーチに入っちゃダメよ! あ! 菊さんも入っちゃ危ないから!」


 カッパとラーナはニコッと笑うだけで止まらなかった。

 それどころか、砂浜を走りながら手招きしていた。


 その時、ビーチへ侵入する自動車が見えた。


「先生……まさか、ここって走ってもいいんじゃないですか? だって自動車まで走ってますよ?」


 京子先生が唖然としている間に、ボーアがVOXでビーチへ走り出した。


「あ! ボーア!」


 叫んだ瞬間、キーコンまでモンキーRでVOXの後を追いかけていた。


 京子先生も、何故か身体が勝手にMBXのギアをローに入れていた。


   *


 それは、世界でたった一つの、そして一瞬だけのオーケストラだった。


 先頭を行くカッパのモレが、弾むようなリズムを刻む。


 ポポポポポポ……


 それに寄り添うラーナのモルフェが、優しく時を刻む。


 トトトトトトト……


 最後尾をどっしりと守る菊のロードフォックスが、低音のビートを加える。


 ブブブブブブブ……


 三台の音が潮風に混ざり、一つの旋律へと変わっていく。


 遅れて飛び込んだ三台が、その調べをさらに厚く、豊かに書き換えた。


 キーコンのモンキーRが、高回転の歌声を響かせる。


 ラララララララ……


 ボーアのVOXが、静謐な低音で奥行きを与える。


 ロロロロロロロ……


 そして京子先生のMBXが、力強い咆哮で全体を包み込んだ。


 バババババババ……


 ポポポ、トトト、ブブブ。

 ラララ、ロロロ、バババ。


 六つの排気音は、もはや単なる機械の音ではなかった。


 それは「生きている」という証だった。


 重なり合い、共鳴し、砂浜という名の巨大な鍵盤の上で、六人の乙女たちの心が一つになっていく。


「負けないぞ! SUZUKIに敗北の二文字は無い!」


 カッパがスロットルを回すと、ラーナが、キーコンが、ボーアが、火花を散らすような若さで先頭を奪い合った。


 抜きつ、抜かれつ。


 砂を蹴立て、飛沫を浴び、六人は黄金色の風になった。


 タイヤの跡が砂浜に刻まれていく。

 それは、誰にも邪魔できない自由の証だった。


 京子先生は隣を走る菊と視線を合わせた。


 バックミラーに映る教え子たちは、もう守られるだけの子供ではなかった。


 自ら道を選び、鉄を繋ぎ、日本海の風を飼い慣らす、立派なライダーの顔をしていた。


 太陽が最後の光を放ち、水平線に沈もうとしていた。


 世界が紫と金に染まる奇跡の時間。


 六台のエンジンは、なおも歓喜の歌を歌い続けていた。


 ポポポ、トトト、ブブブ、ラララ、ロロロ、バババ……


 この音が止まないでほしい。

 この一瞬が永遠であってほしい。


 なぎさドライブウェイ。


 そこには、教育委員会の書類も、三ない運動の呪縛も、何ひとつ届かなかった。


 あるのは、潮の香りと、心地よい振動と、最高の仲間たちの笑い声だけだった。


 夕日のオーケストラは、最後の最後まで美しく、激しく。


 六人の乙女たちの心に、一生消えない黄金の旋律を刻みつけていた。



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