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07_王城での試練開始と見つけた紙片(1)

「オルディス侯爵令嬢、昨日お探しだった本、ありましたよ」


 図書館の重い扉を開けた直後、ちょうど目の前にいた若い男性司書官がにこやかな笑みを浮かべ、クレアに声をかけた。


「本当⁉︎」

 クレアは声を上げて、すぐさま目を輝かせる。


 司書官は頷き、カウンターの奥へ一度引っ込んだあと、いかにも年代ものの分厚い本を三冊、手にして戻ってくる。


「ええっと、『オイディプスの哲学書』と『ル・シャミのマレドロールの歌』、あと『バギウル数学言論』でしたよね」

 そう言って、クレアに本を差し出す。


「どれも難解ですが、とくにこの『バギウル数学言論』なんて私たち司書官でも手を出す者が少ないくらいですから、昨日は驚きました」


 クレアは受け取った三冊を胸に抱きながら、

「この機会にどうしても読みたかったものなの!」

 頬を紅潮させ、興奮気味に伝える。


 この由緒ある王立図書館は、歌劇場くらいの広さがある。その壁一面、クレアが見上げなければいけないほどの高さまでびっしりと本で覆われている。


 司書官が渡してくれた三冊は、ずっと気になっていたが、ここにしかない貴重な本のため、これまで外出が許される短時間ではとても読了できる分量ではなく諦めていた。しかし王宮に滞在するこの機会なら読めるだろうと思い、昨日探してみたのだが見つからず、ひとまず司書官に尋ねていたのだった。


(今日は朝食のあとすぐに来てよかったわ。午後にディルとのお茶の時間があるかわからないけど、それまではじっくり読めるし、残りはまた明日図書館に来れば読めるもの、なんて贅沢なのかしら!)


 クレアの満面の笑みを目の当たりした司書官は、どきりと胸を鳴らしながら、

「い、いえ、お役に立ててよかったです。あ、それと貸出し許可も出ていますから、そのままお持ちになれますが、どうされますか?」


 クレアは驚きのあまり、薄紫色の瞳を丸くした。

「え! 本当に?」


「ええ、ディルハルト殿下から、オルディス侯爵令嬢の図書館への出入り許可とあわせて、禁書以外でご希望の本があれば貸出しも許可するようにと、ご指示を受けております」


「……ディルが?」


 王立図書館に保管されてある本は貴重なものばかりのため、出入りも許可制の上、基本的に本の貸出しは許されていない。


(ディルはどうやって許可を出してくれたのかしら……。それとも王太后さまかしら)


「どうされますか?」

 黙り込んだクレアに、司書官は声をかける。


 クレアは慌てて顔を上げ、

「許可をいただけるなら、貸出しさせてほしいわ。もちろん丁重に扱うと約束するから」


 司書官は朗らかに微笑んで、

「ご令嬢は大変な読書家でいらっしゃいますから、本の扱いは心配しておりません。では読み終えられましたら、私か、ほかの司書官へご返却ください」


「ええ、わかったわ」

 そう言ってクレアは、本を大事そうに抱えながら、図書館を訪れた際のお気に入りである奥まった窓際の席へ移動し、ひとり腰をかけた。


 いつも付き添ってくれているサリーは、滞在中にあてがわれている部屋に残してきている。


 クレアの世話係として王城の使用人も付けてくれているが、それでもクレアの身の回りのことは普段どおりサリーがおこなっているし、図書館にいる間は本を読んでいるだけなので、長時間付き合わせるのも申し訳ない気がするため、図書館くらいはひとりで行き来できるからと、サリーを納得させたのだった。


 クレアは三冊の本を机の上に並べ、その間で人差し指をさまよわせる。


(どれから読もうかしら、迷うわね。うーんと……、よし! 『マレドロールの歌』にするわ!)


 『マレドロールの歌』は、ル・シャミが晩年に残した散文詩の傑作で、神への反逆と人間への愛と屈折を歌で綴ったものだ。苦悩と幻想、美の比喩と反文学的な言葉の数々は、完成当時は世の中に受け入れられず、彼の死後、数十年経って、ようやくその作品の素晴らしさが認められた。そのため現存する本が少なく、いまでは王立図書館で保管されるほど希少価値が高い。


 クレアはすーっと息を吸い込み、重厚な革の表紙をめくった。


 古い本独特のにおいが鼻口をくすぐる。

 ペラペラとページをめくる音だけが耳に届く。

 いつしかその音もクレアには聞こえなくなっていた。



 ──どれくらい経っただろう。


 窓ガラスの向こうから、バサッと鳥が羽ばたく音がして、クレアはふと顔を上げた。


 と同時に、かすかに人の気配を感じ、窓とは反対側に目を向ける。


「……ディル」


 いつの間にきたのだろう。


 そこにいたのは、ディルだった。


 彼はクレアの斜め向かいの席に腰かけ、頬杖をついて本を読んでいた。


「声をかけてくれればよかったのに」


 クレアが驚きながらそう言うと、顔を上げたディルは、


「ずいぶん集中してたから」

 笑みを浮かべて、肩を軽くすくめる。

「クレアは本当に本が好きだな。そういえば、昔、読み聞かせしてくれたこともあったな」

 懐かしむ視線をクレアに向ける。


 その言葉に、クレアも昔のことを思い出す。

「ふふ、そうね、学術書とか解説書なのにディルはなぜか楽しそうに聞いていたわ」


 お茶会や散歩でディルとふたりで会っていても、クレアはたいてい本を携えていることが多かった。


 ディルとの会話はいつも楽しいものだったので、けっして暇をもてあましていたわけではない。時折訪れる沈黙の時間、それすらも苦にならないくらいの間柄になっていた。だからこそクレアは、自分を装うことなく、自然と本を開くようになった。

 その隣には、ディルがいた。

 そして時々、なんの本を読んでいるのかとクレアに尋ね、中身を説明させたがった。


「それは……!」

 ディルはなぜか顔を赤らめ声を上げた。


「それは?」

 クレアは首を傾げる。


「──何でもない」

 そう言うと、不機嫌そうにそっぽを向いてしまう。


 やや癖のある黄金色の髪の毛がふわりと揺れる。


 その髪の毛を、彼が幼い頃に何度もなでていたことをクレアは思い出す。金糸のような滑らかな指どおりの感触を指が覚えている。


 ディルが小さく、

「……クレアのそばにいられるのがうれしかったから」

 と漏らした声は彼女の耳には届かなかった。


 クレアははたと意識を戻し、

「そういえば、わたしに用事だったの?」


「あ、ああ、お茶に誘おうと思って。部屋に行ったら、いなかったから」


「それは、ごめんなさい」

 クレアは素直に謝る。


 呼びに来るためだけに、わざわざ図書館まで足を運んでくれたのだ。その上、この様子だとずいぶん待たせてしまったのではないだろうか。


「いや、自由にしていいと言ったのは僕だ。謝る必要はない。お茶はまたにしても……」

 ディルは自分が読んでいた本を閉じて、立ち上がる。お茶は諦めてひとりで帰ろうとしているように見えた。


「いえ、いいの」

 クレアは急いで立ち上がる。


 読みかけのページに、スカートのポケットから取り出した自前のしおりを挟み、


「貸出し許可を出してくれたって聞いたわ、本当にありがとう。続きはあとでも読めるもの」


 微笑んで言った。


「あ、ああ。それくらいしかできないけど」

 ディルが頬をゆるめる。


「これ以上ないくらいにうれしいわ」

 クレアは心からの笑顔で答えた。


 ディルはまぶしいものを見るように目を細める。


 その視線に気づかないクレアは、そういえば、と確認するように、


「でもディル、もしわたしが試練をクリアできないんじゃないかとか、途中で辞退してしまわないかとかを心配して気を遣ってくれているなら、そんなことしなくてもいいのよ。約束したとおり、きちんとクリアできるように全力でがんばるから」


 婚約破棄を言い渡しているのはディルなのに、彼の態度はやはり以前とまったく変わらない。


 呼び方や態度を変えないでほしいと言ってきたり、お茶に誘ったり、こうして忙しい合間を縫って呼びにきたり……。


 それはなぜだろうと、クレアはディルの意図をはかりかねていたが──。


(でも、これもすべて婚約破棄の試練をクリアさせるために、わたしの気持ちを保とうとしているなら、納得できるわ)


 クレアは、安心してちょうだい、という意味を込めて、ディルに視線を返す。


 しかしディルは安心するどころか、眉間に深いしわを寄せ、憤りをあらわにしていた。


「ああ、そういう解釈をするのか……」


 予期せぬディルの態度に、クレアはたじろぐ。


(な、なんで? 怒ってる……?)


 ディルはまるで何かを堪えるかのように、

「はあ……。気を遣う? そんなわけないだろ、そういうのじゃない」

 深いため息をついて吐き出す。


「え、でも、本当に、わたしは自分のためでもあるんだし、あとはがんばるしかないって思ってるわ、いけないの?」

 クレアはわけがわからず訊き返す。


 しかしそれすらも逆効果だったようで、

「気を遣ってなんかない、だからもうそれ以上は聞きたくない」

 ディルはますます苛立ちを募らせる。


「な、なんで……」

 クレアは、ただただ混乱する。


 ディルはぐしゃっと黄金色の髪の毛を乱したあと、


「この話はもういいだろ。それより、クレアの好きな焼き菓子を用意してあるんだ、早く行こう」


 切り替えるように、苛立ちをかき消して言った。


 そして机の上にあったクレアの本を持ち、反対側の手をエスコートするように差し出す。


 クレアはもうそれ以上、何も言えなかった。


「ええ……」


 かろうじて頷くと、これまで何度も触れた馴染みのあるディルの手のひらに自分の手を恐る恐るのせた。


 そのあと、口にした焼き菓子は、とびきりおいしいはずなのに、なぜか味があまりしなかった。



次話以降は、毎日投稿でがんばります。覗いていただけるとうれしいです!

どうぞよろしくお願いいたします(*´▽`*)


次話は、少し謎解き要素が入ります!

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