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05_いざ王城へ

 クレアが王城に三ヶ月間滞在する日がやってきた。


 ディルが告げていたとおり、オルディス侯爵家に、王城から迎えの馬車がやってきたのは今朝のこと。


 すでに支度を終えていたクレアは、父であるオルディス侯爵にしばしの別れを告げ、侍女のサリーをともなって馬車に乗り込んだ。


「旦那さまは渋々といったご様子でしたね」

 先ほどクレアを送り出すオルディス侯爵の表情を目にしたサリーが漏らす。


「ええ、そうね」

 クレアも別れ際の父の顔を思い出す。


 娘を送り出したくはないが、引き止めることもできない板挟みで苦心しているのが手にとるようにわかった。


 馬車に揺られながら、クレアは通り過ぎる景色を眺める。

 なかなか気軽に外出が許されない身なだけに、外の景色はいつも新鮮だ。

 それらに目を奪われているうちに、気づけば馬車は王城へとたどり着いていた。




「待たせた、すまない」

 扉を叩く音と同時に、ディルが足早に、クレアが待つ応接間へと入ってきた。


 すぐさま立ち上がったクレアは、目線を下げ、

「いいえ、お忙しい中、殿下のお時間を頂戴してしまい申し訳ありません」


 両手でスカートの裾を軽く持ち上げ、片足を斜め後ろの内側に引くと、もう片方の足の膝を軽く曲げ、背筋を伸ばしたまま体を落として、最大限の礼である淑女の礼(カーテシー)をとった。


 ディルはあからさまに眉根を寄せた。そして何か言いかけたが、ぐっと飲み込む。


「……座ってくれ」


 ひとまずクレアに着席を促し、そばに控えていた使用人たちに目で合図して、お茶の準備を整えさせる。


 バラの甘い香りを漂わせる紅茶と香ばしい焼き目がついたお菓子がテーブルの上に並ぶと、自身の侍従のルカスとクレアの侍女サリー以外は人払いをさせた。


 そのあとで、ディルは再び口を開く。


「まず言っておく。この試練が終わるまではこれまでどおり、僕のことはディルと呼んでくれていい。言葉遣いも態度も変える必要はない」

 そう告げるディルの表情は険しい。


「ですが……」

 クレアは言葉に迷う。婚約者ではなくなるのだから、言葉も態度もあらためる必要がある。


「頼む。結論はすべて試練のあとに」

 そう言うディルは切実さを帯びていた。


(婚約破棄を申し出たのはディル自身なのに……?)


 クレアは腑に落ちないながらも、ひとまず頷く。


 ディルはどこかほっとした様子で、

「ありがとう」

 そうお礼を述べるものだから、クレアはますます状況がつかめなくなった。


「それで? 訊きたいことがあるんだろ?」


 ディルの態度は気になったが、先を促され、クレアはひとまず感じていた疑問について尋ねることにする。


「ところで、なぜこのタイミングで婚約破棄なの?」


(わたしに非があるならもっと早く言ってくれれば、七年も婚約しなくて済んだんじゃないのかしら……)


 いまさらこんなことを言っても仕方ないと分かっていても、やはりそう思ってしまう。


 もちろん(おおやけ)に、婚約者の女性に非があるとは言いにくいだろうし、それを王家が口に出せば、オルディス侯爵家としての体面に傷がつくから、クレアとしても避けなければならない事態だ。


 しかし不満があったのならひと言でも言ってくれればよさそうなもので、それにクレア自身、完璧な淑女からかけ離れていると自覚しているだけに、目につく非はいくらでもあっただろうと感じるのだ。


「それは──」

 ディルは口ごもる。


 漏らせない王家の事情があるのか、それとも婚約を終わらせたい理由がディルにできたのか……。


 ディルは、言い訳なのか、何か言葉を紡ごうとするしぐさを見せているが、


(なぜこのタイミングなのかさえ答えられないなら、理由について訊いても無理でしょうね……)


 いずれにしてもはっきりしているのは、ディルも、このまま婚約の継続を望んでいないということだ。


 クレアはあえて切り替えるように、

「それで、試練というのはなんなの?」


 ディルは気まずげに、深く息を吐き出し、


「……王太后陛下からのご指示だ。婚約破棄のためには、クレアには試練をいくつか受けて、すべてクリアしてもらう必要がある。試練は、『知識や行動を問うもの』とだけ聞いているが、具体的な内容は僕も知らない。陛下はそれ以上教えるつもりはないようだ。今日からクレアが王城に滞在する三ヶ月の間、さまざまな試練を出されるらしい」


 クレアは、ディルの言葉に耳を傾けたあとで、


「あえて訊くけれど、婚約破棄したいのはディルのほうよね? なぜその試練を受けるのがわたしなの? 王太子であるあなたなら、そんな試練なんかしなくても、婚約解消という形で丸く収められる方法があるんじゃない?」


 と疑問に感じていたことを一気に尋ねる。


「そ、それは……」

 ディルはまた口ごもる。


「──恐れながら、それは私から」

 そう言って話に割り込んできたのは、ルカスだった。


 クレアは頷いて続きを促す。


 ルカスはその許しに目礼したあとで、

「クレアさまもご存知のとおり、この国では、教会に認められた正式な婚約を白紙に戻すには、正当な理由と手続きにより成立すると取り決められています」


「ええ、そうね」


 それは誰もが知る事実だった。

 と同時に、それこそが一番穏便に済ませられる方法でもある。


 だからクレアは、侯爵家が不利にならない正当な理由をなんとか見つけて、婚約解消を父に直談判することをずっと考えていた。しかし相手が王族となれば、どんな理由を用意しても『正当な理由』として受け入れてもらえないことも目に見えていたため、これまで行動には移せなかったのだ。


「そしてそれは王家との婚約も例外ではありません」

 ルカスの言葉に、クレアは神妙に頷く。


「そう承知しているわ」


 だからこそ、王家といえど、先日ディルがクレアに突きつけたような一方的な婚約破棄など、本来はあり得ない。


 でも……、とクレアは思う。


 あり得ないが、あくまで表向きの取り決め範囲でのこと、破棄とはいかなくとも、婚約解消という形で王家側が本当に白紙を望む場合、何かしらの抜け道はあるはずだろういう考えもあった。


(もちろん、婚約は家同士のつながりだから、破棄であろうと解消であろうと、ディルの一存でなんて許されないでしょうけれど……)


 そこで、クレアははたと気づく。


「……だからこそ、試練を、というわけなのかしら?」


 正当な理由をディルが提示できないから、婚約を白紙にするためには、試練という手段を取るしかない、ルカスはそう言っているのだ。


 問いかけられたルカスは、


「ええ、今回のように、王家がかかわる婚約の白紙について正当な理由や手順を踏めない場合、ある試練を設けることで、それが可能になります。試練は国王、王妃の両陛下、またはそれに準ずる者から出される決まりになっていまして、今回は王太后陛下がお出しになるとのことです。

 そしてこちらも決まりですが、婚約者であるお相手側に試練を受けていただき、それをクリアできれば、お相手側も婚約の白紙を望んでいるという意思表示、さらにはお相手側に何かしら非があってのことではないという証明にもなります」


 と淡々と述べる。


 クレアは考え込む。


 そんな話はいままで聞いたことがない。

 しかしクレアが知らないだけで、王家にかかわる者だけが知る事実はいくらでもあるのだろうと思えた。でも……。


「念のために訊くけれど、正当な理由をでっち上げることはできないのかしら? それさえあれば、ディルとわたしが手続きをすれば済む話じゃない?」

 クレアは疑問を投げかける。


 やはりそれが手っ取り早く、穏便に済ませられる方法に思える。王太后をはじめ、王や王妃を納得させるだけの正当な理由を用意するのは並大抵ではないが、お互い婚約継続の意思がないとわかったいまは協力しあえる分、よくわからない試練を受けるよりなんとかなりそうな気がする。


「そ、それは無理だ!」

 慌てたようにディルが口を開く。


「なぜ?」


「な、七年も婚約を継続した以上、いまさら正当な理由なんてでっち上げられない。あとで虚偽だと教会から詰め寄られても困る。無理は承知しているが、試練を受けるのがもっとも有効なんだ」

 なぜかディルは、たたみかけるように訴えた。


(まあ、たしかにあとで虚偽だと追求された場合は厄介よね……)


 素直に納得できない部分はあるが、クレア自身も婚約継続を望まない以上、その試練とやらを受けるしかやはり選択肢はなさそうだった。


「そうなると、このままお父さまに相談もせず、勝手に事を進めるのは気が進まないのだけれど……」

 クレアは感じていた懸念を伝える。


 ディルから手紙で言われていたとおり、父にはこのような状況になっていることを告げていない。王家との婚約だ、当然ながらオルディス侯爵家の今後にもかかわってくるため、クレアの希望だけで押し通すわけにはいかない。


 ディルが一瞬ぎくりとしたように体を硬直させたようにも見えたが、ルカスが素早く答える。


「クレアさまがご心配されるのは当然です。しかし試練が終わるまでは、この件は他言しないでください。王太后陛下からもそう言いつかっております。試練を受けていただくことで、オルディス侯爵家が不利になるようなことはありません」


 クレアは真意をたしかめるように、じっとルカスを見返す。


(王太后さまがそう言うのなら、従わないわけにはいかないけれど……。でも鵜呑みしてもいいのかしら?)


 しばしの沈黙が流れたのち、


「……わかったわ」

 クレアは口を開いた。


(ルカスが、王太子であるディルの前で嘘をつく必要はないものね)


「でもわたしの不注意でサリーには知られてしまったの。もちろんサリーなら誰かに漏らしたりはしないわ。その点は大丈夫かしら?」


 ルカスは壁際で控えているサリーに目を向ける。サリーが静かに頷いて肯定を示すのを確認してから、


「問題ないでしょう。クレアさまにとっても、ご事情を知る侍女がそばにいたほうがよろしいでしょうから」


「ありがとう」

 クレアはひとまず胸をなで下ろした。


 そのあとで、話を試練へと戻すように、

「でも試練が知識や行動を問うものと言われても、どんな試練かわからないんじゃ対策するのも難しいわ。それに『さまざまな試練』ということはいくつもあるの?」

 そう言ってディルとルカスを交互に見やる。


 するとディルが、

「ああ、陛下は『さまざまな試練』と、そうおっしゃっていた。いくつあるのか、それに詳しい内容についても、正直なところ僕にも予想できない」

 と申し訳なさをにじませる。


 クレアは目をふせ、考え込む。


(婚約の白紙を望んでいると証明すると同時に、自らに非がないことも証明するための試練。それが知識や行動を問われるものだとしたら……?

 可能性のひとつとして、淑女としての知識や(たしな)みを有し、相応の振る舞いができる……、というのもあり得るわね。わけあって婚約が白紙になったけれど、王太子の婚約者としてふさわしい技量を兼ね備えていた令嬢だったと証明できれば、婚約の白紙はそれ以外の理由だと示せるもの)


 クレアは唇に指先を当てる。


 淑女としての知識や嗜み、振る舞い──、それはつまり、王太子妃教育という名目でクレアが受けていた教育にほかならない。ならばそこまで不安に思う必要もないのだが。


(でも王太后さまは博識で知られているお方、そんな方が自ら出す試練となると、淑女に関する試練だけで済む……? やるしかないけど、本当に大丈夫かしら……)


 クレアはそっと胸の中で息を漏らす。

 しかしもう後戻りはできない。


 不安を表に出さないよう、ディルに向き直ると、

「ディルにも予想できないのなら仕方ないわね。なんとかなるようにやるだけだわ」

 微笑んで言った。


 ディルはぎこちなく頷いて見せ、すぐに切り替えるように、

「この王城に滞在する三ヶ月間、クレアは好きに過ごしてくれればいい」


「……好きに?」

 予想外の言葉に、クレアは唇を薄く開けて問い返す。


「ああ」

 ディルが頷くのと同時に、クレアは目を輝かせた。


「本当? じゃあ図書館へ行ってもいいのかしら?」

 そのクレアらしい反応に、ディルは、ふっと、自然な笑みを漏らす。


「ああ、そう言うと思って、もう司書官には伝えてあるから、自由に出入りするといい。それと……」

 そこでわずかに言葉を切った。


 ディルのあらたまった様子に、クレアは少しばかり身構える。


(試練のことでまだ何かあるのかしら……)


 一瞬間が空いたのち、ディルは、

「……それと、滞在している間、お茶に誘ってもいいか?」

 クレアをうかがうように言った。


 クレアは拍子抜けしながら、

「ええ、もちろんよ」

 と答える。


(なんだ、そんなこと、わざわざ訊くほどでもないのに)


 するとディルは、

「本当か?」

 ぱっと顔を上げるので、クレアは逆に驚いてしまう。


(そんな念押ししなくても、お茶をするのはいつものことじゃない)


「ええ」

 クレアは苦笑しながら頷いた。


「そうか、ならクレアの好きなお菓子を用意しておく」


「それはうれしいけど……」


 そのとき、

「ディルさま、そろそろ……」

 ルカスが言いにくそうに割って入る。


 ディルはルカスを振り返り、

「ああ、もう時間か──」


 クレアに向き直ると、

「すまない、議会の時間だ。じゃあ、また明日、誘いに来るから」

 そう言って、少し名残惜しそうに応接間から出て行った。



 扉が閉まるのを見届けてから、クレアは振り返り、

「せっかくだから、さっそく図書館に行こうかしら?」

 壁際に待機していたサリーに声をかける。


 しかしサリーは、

「──そんなことよりもお嬢さま!」


 我慢していたものを吐き出すように、

「やっぱり私には婚約破棄だなんて信じられません! 殿下のご様子はまったく変わっていらっしゃらないじゃないですか!」


 クレアは先ほど目にしたディルの態度を思い返す。


 たしかに婚約破棄を告げる前と後でそう変わったように思えない。それどころか、言葉や態度を変えようとしたクレアを押し留める場面すらあった。しかし、


「え? でもはっきりと『婚約破棄のためには、ある試練を受けてクリアしてもらう必要がある』そう言ってたじゃない」


 クレアは首を傾げる。サリーの耳にもそうはっきりと聞こえたはずだ。


「そうですけど……、やっぱり信じられません!」

 サリーは納得できない様子で、憤慨しながら言う。


 クレアは手招きして、サリーをそばに呼び寄せる。

 お皿の上の焼き菓子をつまみ、ぽいっとサリーの口に放り込む。


「むぐっ!」

「これを食べ終えたら、図書館に行きましょう」


 そう言って、クレアも焼き菓子を頬張る。

 ハチミツのほのかな甘みと焼き菓子独特の香ばしさが相まって、絶品だ。


 試練はなんであれ、図書館に出入り自由というこんな機会を逃す手はない。


 ほかの令嬢と同じように、クレアも家長である父親の許しがなければ気軽に外出もできない。さらに王城にある王立図書館を利用するには、事前に出入りの許可を申請しなければならず、頻繁に出入りしたくてもなかなかできなかった。


(それなのに! 好きなときに自由に自分の足で行けるなんて、最高だわ!)


 クレアは、ひとまずいつ訪れるかわからない試練のことは置いておいて、まずは貴重な機会を堪能することにしたのだった。



次話は、クレアとの出会いをディル視点で語ります……!

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