03_試練のお知らせ(2)
途端に静かになった部屋の中、クレアは机の上で頬杖をつき、考えを巡らせる。
「王太后さまからのご指示、どういうことかしら……」
手紙に書かれていたことが気になる。
クレアとディルが婚約を交わしたのは、クレアが十三歳のとき、もう七年も前のことだ。
王妃主催の園遊会に、オルディス侯爵である父とともに参加したことがあった。
その場には、クレアのほかにも、たくさんの女の子がいた。いま思えば、どの子も公爵家をはじめとする家格の高い貴族令嬢ばかりだった。きっと王太子であるディルの婚約者選定の意味を兼ねていたのだろう。
そしてそれから数日後のことだった。
オルディス侯爵家に、ディルの婚約者にクレアを、という打診があったのだ。
使用人一同はよろこび勇んだが、クレアの父であるオルディス侯爵は、無実の罪でも問われたかのように驚き、固まった。
クレアの母、クラウディアは、クレアが六歳のときに流行病で亡くなっていて、オルディス侯爵家にはクレアのほかに子どもがいなかった。
妻のクラウディアを心から愛していた侯爵は、再婚する気はなく、オルディス家の跡取りはいとこを養子に迎え入れるか、クレアが望むなら婿養子を取る方法が考えられていた。侯爵は愛娘の幸せを一番に願っており、できる限り手元に置いておきたいとも思っていた。
それなのに、権力の中枢に身を置かねばならない王太子の婚約者という立場への打診があり、侯爵は頭をかかえた。
しかし侯爵家といえど、いち臣下である以上、断れるわけもない。
苦渋の決断で婚約は受け入れたものの、代わりに、慣例では王城で受けるはずの王太子妃教育をオルディス侯爵家に通いの家庭教師を寄越してもらうことを条件として提示した。
その条件は王太后により承諾された。その上、どんな配慮があったのか、クレアはもとより父であるオルディス侯爵にも知らされていないらしいが、クレアに施される王太子妃教育はひとまず最小限でよいことになった。
そうしてディルの婚約者となったクレアだが、母がいない寂しさを共有できる兄妹がいなかったため、ただ単純に弟ができたようでうれしかった。
しかし成長するにつれ、なぜ自分がディルの婚約者に選ばれたのだろうと、不思議に思うばかりだった。
唯一思い当たるとすれば、かつて王太后が王妃だった頃、その侍女として、若い頃のクレアの母クラウディアが王宮勤めをしていたことだろう。その縁で、王太后はクラウディアの娘であるクレアを目に留めたのではと、父が以前ぽろりと漏らしていたのをクレアは覚えている。
(婚約破棄したいディルは、きっと王太后さまに話しをしたはずよね。その上で破棄するなら、婚約者であるわたしが試練を受けなければならないと条件を出されたのかしら……。でもなぜ?)
クレアは頬杖を解き、曲げた指先をあごに当てる。
(そんな試練なんかしなくても、王太子であるディルならば、婚約破棄ではなく、婚約解消という形で、もっと穏便に済ませる方法があるはずじゃない?)
うーん、とクレアはうなる。
「わからないわ。でも婚約破棄したい側のディルが、その試練とやらを受けるのが筋じゃないかしら……!」
腑に落ちない苛立ちを感じ、勢いよく椅子から立ち上がる。
しかし、ふと動きを止める。
(そういえば、ディルはどうしていま頃になって婚約破棄だなんて言い出したのかしら……? そもそも理由も訊いてなかったわね……)
思わぬ婚約破棄のうれしさに頭がいっぱいになっていたクレアは、ディルがなぜこのタイミングでそんなことを言い出したのかを問うのを失念していた。
後ろにある窓ガラスに目を向ける。
そこに映っているのは、二十歳の自分の姿だ。
その横に見慣れたディルの姿を浮かべる。
十五歳の彼は、顔立ちにはまだ幼さが残るが、ここ一、二年は、急激に精悍さが増してきている。本人はクレアよりもほんの少し低い身長を気にしているが、成長期だ、すぐにクレアの背など追い越してしまうだろう。
クレアがディルの婚約者として選ばれた理由がなんであれ、五歳も年上のクレアよりも、ディルと年が近くてお淑やかで美しい令嬢はほかにごまんといる。いまは昔からの付き合いでクレアがディルの婚約者の立場にいたとしても、いずれほかの誰かを選ぶこともあるだろうとクレアは思っていた。
現にクレアはもう二十歳を迎えてしまった。
婚約者の立場であるなら、成人となる十八歳の頃には、嫁いでいてもおかしくない年齢だった。それでも相手のディルがまだ幼いこともあり、彼の成長を待つ意味もあるのかと思っていたが、もしかしたら理由はどうであれ、婚約が白紙になる可能性も考慮して保留にしていたのかもしれない。
「はあ……」
クレアはため息を漏らした。
何となく胸がすっきりしない。
馬車の中では、あれほど解放感とよろこびに満たされていたというのに……。
先ほど婚約破棄を告げられたときのディルの顔が浮かぶ。
目をさまよわせ、とても言いにくそうだった。
(それもそうよね、七年もずっと一緒にいたんだもの。そんな相手に、お別れしましょうなんて言いにくいわよね……)
そこでクレアは、はたと思考を止める。
(お別れ……、そう、お別れになるのよね……)
兄妹のいないクレアにとって、五歳年下のディルは弟のような感覚で、それはいまも変わらない。
昔のディルはなんでもクレアの真似をしたがった。
クレアが木に登れば、自分も登ろうとしてけがしたり、噴水で遊んでいて足を滑らせたり、そのたびにクレアも叱られたが、あとでふたりでこっそり笑って次はどんな遊びをするか相談した。
しかしその楽しい計画もすぐにできなくなった。
最初は仲良くなるための期間として大目に見られていたのだろうが、気づけば、クレアは完璧な淑女としての立ち振る舞いをしなければならなくなり、王太子妃教育という名目で通いの家庭教師が付けられた。同時にディルも、王太子としての教育で忙しくなってしまった。
クレアがディルと過ごすのは、周りに見守られながらのお茶会や庭園の散歩、そして堅苦しい夜会などばかり。そんな中でもディルは、おいしいお菓子を用意したり、クレアが好きな花を庭園に咲かせたり、散歩では侍従たちとはなるべく距離を置かせるなど、気を配ってくれた。それだけでなく、クレアが父を通じて王立図書館への出入りを希望すれば、その都度許可を出してくれた。
だけど自分は──?
あらためて胸に問いかけると、ディルのために何もできていなかったのでは、と感じる。
(そうね……。わたしは自分が王太子妃なんて面倒な立場になるのがいやで、無意識に未来を考えないようにしていたもの。これから国を背負って立つディルの隣にいるべきは、きちんと未来を見据えて支えてくれる女性よ……)
ディルは見た目の華やかさもあって、誰もが魅了されるが、本当は内面の方がずっと素敵だとクレアは知っている。
少し単純だが、無邪気なところは可愛いし、正直で正義感が誰よりも強い。人前ではなんでもそつなくこなせる風を装っているが、寝る間も惜しんで勉強するほど努力家な面もある。でもじつは繊細で寂しがり屋なところもあって、常に王太子としての重圧と戦っていることをそばで見守ってきたクレアは知っている。
クレアは切り替えるように、首を強く横に振った。
「わたしだってずっと望んでいたことじゃない! 王太子妃なんて、わたしには務まらないもの! ねえ、ライラ!」
そう言いながら、こちらを見上げていたライラを抱き上げる。
「にゃー」
ライラはしっぽをゆらゆらさせながら、首を傾げるようにクレアを見つめる。
「わたし、婚約破棄のための試練、絶対クリアしてみせるから! その間、お前はしばらく留守番をお願いね」
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