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【番外編SS】幸福な時間

「何かお探し──」


 由緒あるサザラテラ王立図書館に、念願叶って異動してきたばかりの中年の男性司書官は、館内で見かけた人物を前に慌ててあいさつをしようとした。


 しかし相手が唇に人差し指を当てるしぐさをしたので、すぐさま口をつぐむ。


 相手はかすかに微笑んだあとで、先を急ぐように、小さな歩幅を広げて目の前を通り過ぎていく。


 ふわりと揺れるハチミツ酒(ミード)を思わせる黄金色の髪の毛が本棚の向こうに消えたあとで、

「……ディルハルト王太子殿下は、あんなに急いでどうされたんだ?」

 中年司書官は首を傾げて、独りごちる。


 すると、

「ほっほっほっ、さっそくいらっしゃるとは……」


 突然、背後から声がしたので、中年司書官は驚いて振り返った。


「──これは、筆頭司書官」


 そこにいたのは、白いあごひげを蓄えた初老の男性だった。


 自分の上司にあたる、この王立図書館を管轄する(おさ)である。

 なかなかお目にかかることのない筆頭司書官を前に、中年司書官は緊張しながら居住まいを正す。


 そしてややあってから、合点がいくように、

「なるほど、殿下は筆頭司書官を訪ねていらっしゃったのですね、お声がけしてまいりましょうか」


 筆頭司書官は、あごひげをなでつけながら、さもおかしそうに、

「まさか、殿下がわしに急いで会い来られるはずがなかろう」


「え、そうなのですか? では、あんなに急いでどちらに……」


 中年司書官の疑問を遮るように、筆頭司書官はしわがれた手を軽く振って、

「しばらくあちらの奥は、殿下がお帰りになるまで、誰も近寄らせぬようにしておきなさい」


「え、でも……」

 中年司書官は、やや狼狽(ろうばい)した様子で口ごもる。

 あの奥の窓際の席には、どこかの貴族令嬢がひとりいたはずだ。


 図書館の開館の前におこなわれる朝会で、その日の来館者の予定が共有されるのだが、中年司書官は今日に限って別件で外しており、どこの令嬢が来るのか聞きそびれていた。


 図書館を訪れる令嬢自体めずらしいのに、実際訪れた人物は、ずいぶん人目を引く美人だったのでなおさら驚いた。その上、ほかの司書官がみな、一目置くような態度でその令嬢に接していたのが、やけに印象的だった。


 よほど高位の貴族令嬢なのか、そんな方に移動を申し出なければならないのは気が重い、そう思っていると、


「ああ、いまいらっしゃるご令嬢はいい、そのままで」


 筆頭司書官がさも当然のように言ったので、中年司書官は目を丸くした。




 足早にいくつかの本棚の間を通り抜けたディルは、目的の一角に差しかかる前で、ぴたりと足を止めた。 

 本棚から顔を覗かせ、向こう側をそっと確認する。


 うっすらと光が差し込む窓際の席のひとつに、目当ての人物の姿があった。


 紫みを帯びた繊細な銀髪に、ライラックのような薄紫色の瞳をもつ、少女らしさもわずかに残る令嬢──。


 ディルの婚約者であり、オルディス侯爵家の息女、クレアだ。


 去年十六歳を迎えた彼女は、社交界デビュー(デビュタント)を終えて以来、より一層きれいになった。

 きっと王太子である自分との婚約を発表していなければ、いま頃、求婚書が山のようにオルディス侯爵家に届いていたはずだ。


 その上、婚約者であるディルがまだ幼いのをいいことに、パーティーやお茶会では、クレアにさりげなく色目を使う連中もいるのだから、ディルとしては気が気ではない。


 ディルのそんな懸念など、きっと知らないであろうクレアは、わずかに首を傾けて、手元の本を一心に読んでいる。


 まるでその空間だけ、時が止まっているかのようだ。


 ディルは足音を極力立てないよう、ゆっくりと近づく。

 普通なら人の気配を感じて顔を上げるはずだが、本に没頭しているクレアは微塵も気づかない。


 ディルは、クレアが座る斜め向かい側の席の椅子を、そっと引く。

 そしてさっき通り過ぎた本棚から抜き取った一冊の本を開く。


 頬杖をついて、手元の本を読みながらも、わずかに上げた視線で斜め向かいに座るクレアを見つめる。


 クレアの華奢な指先がページをめくる音だけが、心地よくディルの耳に届く。

 彼女の紫みを帯びた銀色の髪の毛がはらりと落ちて、無意識に耳にかけるしぐさすらも、愛おしく感じる。


 クレアと頻繁に会うことのできないディルにとって、クレアと一緒にいられる時間は、かけがえのないものだ。


 どのくらい時間が経っただろう、窓ガラスの向こうから、バサッと鳥が羽ばたく音がした。


 クレアがふと顔を上げる。


 そしてゆっくりと、ディルのほうへと顔を向ける。


「……ディル? いつからそこに? 声をかけてくれればよかったのに」


 クレアの薄紫色の瞳が、ディルをとらえる。

 ディルは、この瞬間がとても好きだ。


 本を読むクレアも好きだが、それ以上に、彼女の瞳が自分だけを映したとき、この上ない幸福感に包まれる。


 でもだからと言って、自分の欲望を優先してまで、クレアの時間を奪おうとは思わない。


 ディルはわずかに肩をすくめると、笑って言った。


「ずいぶん集中してたから」



本編よりも数年ほど前の過去エピソードです。

この頃からディルなりに一緒にいる時間を確保しようとがんばってました……!

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