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15_王太后の真意

 コンコンと扉を叩くと、

「お入りなさい」

 部屋の中から声がして、クレアは静かに足を踏み入れる。


 若草色の絹張りのソファーに優雅に腰かけているのは、王太后だった。

 王太后は目線で、向かいの席をクレアにすすめる。


 クレアは淑女の礼(カーテシー)をとり、腰を下ろす。


 試練が終わったあと、クレアは手早く着替えを済ませると、王太后の離宮をひとり訪れていた。


 事前の許可も得ていない謁見だったが、王太后は理由を尋ねることなく、すぐにクレアを招き入れてくれた。


 お付きの侍女らがお茶の準備を整え、退室したのを見計らったあとで、王太后は口を開いた。


「あなたのことですからね、来ると思っていましたよ」


 クレアは姿勢を正す。


「試練のことで、いくつかおうかがいしてもよろしいでしょうか」


 王太后のもとをこうしてひとりで訪れたのは、そのためだった。


「ええ、どうぞ」

 王太后は手のひらを見せて、(しと)やかに促す。


 クレアはすっと息を吸い込むと、

「これからお話しすることに間違いがあればおっしゃってください」


 王太后が頷くのを見届けてから、クレアは話しはじめる。


「──まず試練として提示されたメリツァ先生の問答は、王太子妃としてふさわしい知識をわたしが有しているかをお試しになる基礎的なものでした。

 そのあと、わたしが滞在している棟で偶然拾ったラースレー領の不正書類、これは試練と提示されてはいなかったものの、やはり試練のひとつでした。

 しかしわたしに不正の調査をさせるのが本当の目的ではなく、この機会を利用して、ディルの力量をはかろうとしたのではありませんか?」


 王太后はわずかに口端を上げ、肯定を示す。


「きっとあなたなら気づいて、ディルのところへ持っていくと思っていました」


 やはり、とクレアは思う。

 クレアが気づくかどうか、そしてディルが解決できるか、さらにどのように解決するのかを王太后は見ていたのだ。


 クレアは続ける。

「次に、ワインの銘柄当ての試練がありました。これは一見知識を問うものとしては、いささか奇抜なものだと思ったのですが、何か別の目的も兼ねていたのだとしたら、納得できます」


 クレアはわずかに息をつき、


「──たとえば噂に過ぎませんが、ワインを取り扱う数ある商会の中には、表看板を出さず、女性だけで営んでいる裏の商会があると聞いたことがあります。そしてそれを支援しているのが……、王太后陛下でいらっしゃる」


 冷や汗が出そうになりながら、クレアは目をそらさまいと、じっと王太后を見つめる。


 事実であってもなくても、こんなことを王太后直々に尋ねるなど本来はあり得ない。不敬だと処されてもおかしくない。

 しかし試練を受けたいまなら、答えてもらえるのではないかと思っていた。


 クレアは、以前そのような店があると噂で聞いたことがあった。そのときは半信半疑ではあったものの、好奇心に駆られ、オルディス侯爵領のワインを紹介できたらという思いで調査を進めた。しかし上がってきた調査の途中報告は、王太后が支援者として裏にいる可能性だった。すぐさま調査は取りやめたが、その話が本当なら……。


 しばしの沈黙のあと、王太后は優雅に微笑んだ。


「城下でもどこでも情報収集はとても大事よ。その点、彼女らはとてもよい働きをしてくれるわ。いずれあなたには、その商会を引き継いでもらうことになるでしょうね。

 でもそのためには、商会を任せている者があなたを認める必要があったのよ。ワインにちょっとうるさいご婦人なの、だから悪く思わないでちょうだいね。そうね、今回の結果をバトラー経由で聞いて、あなたを気に入ったみたいだから、そう遠くないうちに顔を合わせる機会があるでしょう」


 重大な事実をさらりと告げられ、クレアは目を(みは)った。


 ワインを取り扱っている裏で、女性たちが諜報活動のようなものをしているということだろう。

 まさかその裏の商会を引き継ぐためだったとは、さすがに予想していなかった。 


「それで? ほかにもまだ訊きたいことがあるのかしら?」

 王太后は謎解きを楽しむように、続きを促す。


 クレアはその視線を受けて、


「庭園で会った庭師の老人がいました。いつもいる庭師がけがをした代わりに来たと言っていましたが、老人は腹痛を引き起こす毒性のある植物を放置しそうになっていたり、触るとかぶれてしまう植物を素手で触ろうとしていたり、庭師にしてはやけにおぼつかない手元でした」


「あらあら、では、半人前の庭師だったのね」

 王太后は冗談めいて笑う。


 しかしクレアは、至極まじめに、

「あの方は、先代国王の時代にその人ありと言われ、さらにあの英雄の子孫でもあるグーヴェルク元宰相閣下ではありませんか?」


 王太后は、あら、という表情を見せ、

「それも気づいていたのね」


 さほど驚く様子がないことから、これもお見通しだったのだろう。


 しかしクレアとて、すぐに気づいたわけではなかった。

 老人は、庭師にしては不慣れな手つき、そして何より特徴的な鷲鼻がやけに印象に残った。

 部屋に戻ったあとで、もしや、と思い至ったのだ。


 そして(まつりごと)からはすでに引退したはずのグーヴェルク元宰相がクレアに接触することがあるなら、それは王太后の試練絡み以外には考えられなかった。


 しかし庭園でのあのやりとりで、グーヴェルク元宰相はいったい何を判断したのかはいまだにわからずじまいだ。


 クレアにしてみれば、ただ世間話をして、めずらしい花をもらっただけで、試練らしいものは何もなかった。

 だから余計に気になる。


「いったいあれはなんの試練だったのでしょうか?」

 クレアは素直に尋ねる。


 王太后は、くすくすと小さく笑う。


「そうね、あなたにとっては何もなかったように感じるのでしょうね。でもほかの人ならどうかしら? 庭師でも薬師でもないのに、あまり知られていない植物を見分けて、毒性があるからとその対処法まで教えられるかしら?」


 クレアにとっては、めずらしい植物は興味の対象になる。好奇心でその知識をもっていたからと言って、さして特別とは思えない。クレアでなくとも、知識をもっている者ならば、きっとあの場で同じように老人に伝えただろう。


 そのクレアの気持ちを読み取ったのか、王太后は小さく首を横に振る。


「それだけではないわ。もし仮に、世間で知られていない毒性のある植物を、悪意のある何者かが誰にも知られず王城の庭園に持ち込むことができたら? その植物が死に至るほどの毒をもっていたら? そしてそれを使ってなんらかの事件が起きたら? それこそ大問題よ。

 もちろん庭園の管理や王城への検問を徹底させることで防げるけれど、だからといって、身を守る知識はどれだけあっても無駄にはならないわ。それにね──」


 そこで王太后はにこりと笑う。


「素手で触るとかぶれるからと、使用人である庭師を心配するあなたのその心根も、グーヴェルクにとっては好ましいものだったのよ」


 クレアは恥ずかしさのあまり、さっと目をふせ、

「光栄です……」


(本当に当たり前のことをしただけなのに……。まさかあの英雄の子孫でもあるグーヴェルク元宰相閣下に好ましいなどと思ってもらえるなんて……、英雄を尊敬しているお父さまが聞いたら泣いてよろこぶわ)


「あとは、最後の馬の競争かしら? 何か気になるところはあって?」


 続きを促され、クレアは顔を上げる。


 最後の試練で、ひとつだけ気になっていたことがあった。


 王太后は、最後の試練の内容をクレアとディルに告げた際、


『城内にいる者ならば誰でも構いません、あなたの代理として騎手を指名なさい』


 そう付け加えた。


 しかしあとで振り返ると、クレアが乗馬に慣れていることは隠し事というわけではないため、王太后も知っていたはずだ。


 王太后が選ぶ騎手と自分とでは勝負にならないから、代理騎手を立てろという提案だった可能性も考えられたが、いまとなっては、そうではなかったのでは、と感じていた。


 代理で騎手を指名させる理由がほかにあるなら、それは──。


「わたしの馬の騎手は、本当ならディルを指名せよ、というご意志だったのでしょうか」 

 クレアは思い切って尋ねた。


 王太后はじっとクレアを見つめる。

 ややあって、まぶたを閉じて、静かに頷く。


「それを望んでいました。あなたにとって、ディルに託すことこそ、信頼の証にもなる。それに王城内、ひいてはこの国の中でも、ディル以上の乗り手はそうそういないでしょうから。ただディルが、あなたに嘘をついて試練に臨ませているとは思っていなかったのよ、その点はわたくしからもお詫びするわ」


 クレアは首を横に振る。

 あくまで王太后は、婚約継続のためにクレアが試練に挑んでいると思っていたのだ。


 王太后はカップを持ち上げ、口をつける。


 時間が経った紅茶はぬるくなっているはずだが、彼女は席を外している侍女らを呼び寄せて取り替えさせようとはしなかった。


 クレアはまだふたりきりで話す時間を許されているようで、自然と肩の力を抜く。

 カップに手を伸ばし、紅茶を飲む。


 先日この離宮を訪れたときと同じく、クレアの母クラウディアが好きだったメイローンの紅茶だった。


 ふたりは無言で、紅茶を味わう。


 しばらくしたところで、クレアはカップをソーサーに戻すと、意を決したように顔を上げる。


 視線をまっすぐ王太后へと向け、

「……試練は、わたしの覚悟を試すためだったのですね」


 王太后が、なぜこのタイミングで、婚約継続のための試練をディルを経由してもちかけたのか、ずっと疑問に思っていた。


 しかしいまは、ひとつの結論が浮かんでいた。


 それこそが最もクレアが尋ねたかったことだった。


 クレアの問いかけに、王太后はすっと目をすがめると、

「王族に必要なのは、このサザラテラすべての民の安寧のために行動できるかという覚悟です」


 長年この国の国母として、その身を捧げてきた王太后の言葉には、言い表せないほどの重みがあった。


「王妃は、王のそばでそれを支え、ときに過ちを諌め、王がなし得ない部分を補える存在として、民に自愛を与えていかなければなりません。そしてそれは、いずれ玉座につく王太子の伴侶となる王太子妃も同じです。簡単に背負えるものではないでしょう。ましてやその重さを理解しない者には到底務まるはずはありません」


 クレアはごくりと唾を飲み込む。


 ディルのそばにいる、そしてともに国を背負っていくという覚悟を決めたはずだった。


 それでもこれまであらゆる難局を乗り切ってきた偉大なるかつての王妃を前に、クレアは足がすくみそうになる。


 しかし王太后は、ふっとかすかに口元をゆるめる。


「クレア、あなたは十分過ぎるほどに、その手にのるものの重さを理解していると、わたくしは感じています。でもそれを背負う本当の覚悟を、わたくしや周りが無理強いするわけにはいきませんからね。ですからこの試練をあなたが辞退して、ディルとの婚約解消を決めたのなら、それは仕方のないことだと、わたくしは思っていましたよ」


 そう言って微笑む王太后の顔は、まるで娘を心配する母のような慈愛に満ちていた。




          ***


 クレアが去ったあとの応接間、その扉を控えめにノックする音が響く。


「お入りなさい」


 王太后は、窓の外に目を向けたまま告げる。


 足音を忍ばせるように部屋に入ってきた人物は、王太后に敬意の礼をとる。


 王太后は視線を来訪者へと向けると、満足そうに微笑んだ。


「面倒をかけましたね、でもそのおかげでうまくまとまりましたよ。あなたにはお礼を言わなくてはね、ルカス」


 王太后が腰かけるソファーのそばに歩み出たのは、ディルの侍従のルカスだった。


「婚約破棄のための試練だなんて、突拍子もない方法だったけれど、存外ディルが素直にのってくれて本当によかったわ」


 王太后のつぶやきに、ルカスはごくわずかに口端を上げて、

「それほどまでに、クレアさまを手放したくないと思ったがゆえでしょう」


「ええ、そうね。大変だと思うけれど、これからもディルハルトのそばにいて助けてやってちょうだい」


 ルカスならきっとディルを裏切らない。そう確信しているからこそ、大事な孫のそばに置いているのだ。


 今回のこともきっとすべてをこと細かく自分へ報告はしていないだろう。それでいい、ルカスのあるじは自分ではないのだから。

 王太后は信頼の眼差しをルカスへ向ける。


 ルカスは深く(こうべ)を垂れ、御意を示す。

 言われるまでもなく、ルカスにとって、ディルは尊敬すべきあるじだ。君主たる資質を持ち合わせていると思っているし、これからも忠誠心は変わらない。

 そして彼の隣にいるのは、いままでも、これからもたったひとりの女性だ──。


 王太后は、ふふふと少女のように笑う。


「今回のこと、試練だなんてでっちあげて、ちょっと強引だったとは思っているわ。でもこうでもしないとクレアは、きっとディルから逃げていたでしょうからね。それじゃあ、困るもの。あのクラウディアの娘よ、それだけでも申し分ないのに、あれだけの逸材は国中探してもいないでしょうね。本当にディルは見る目があるわ」


 王太后が王妃だった頃、そばに使える侍女として、クラウディアをはじめて見たとき、目を奪われた。十六歳のまだあどけなさを残す容姿ながら、こんなにも美しい少女がいるのかと思った。


 クラウディアはその見た目だけにあらず、内面こそ彼女の本質と言っていいほどだった。知性と品格を兼ね備え、彼女との会話はいつも楽しかった。


 時折ふたりで、本の間に異国の文字を書いた紙片を挟み、隠したお菓子を探し当てるゲームをして遊ぶこともあった。

 王妃として絶え間ない重圧にさらされている王太后にとって、そんな童心に帰れるひとときは何ものにも代えがたいものだった。


 当時十歳になる息子をもつ王太后は、多少年齢差はあるもののぜひとも息子の花嫁にクラウディアを迎えたいと思っていた。しかしオルディス侯爵がクラウディアを先に見初めてしまい、彼女も侯爵に惹かれているのがわかったため、断念したのだ。


 そして数年後、オルディス侯爵と結婚したクラウディアに娘が生まれたときは、王太后は歓喜した。

 その後、五年遅れで、ディルという男児の孫を授かったときは、運命だと思った。


 どうにかしてクラウディアの娘、クレアを王太子妃にと考えていたが、画策するまでもなく、ディルは一目でクレアを見初めた。


 しかし婚約後、数年経っても、クレアがディルに見える形で思いを寄せることはなく、それどころか婚約の解消を望んでいると知り、業を煮やした。


 さすがにクレアがディルのことを好ましく思えないでいるなら諦めもしたが、おそらくそうではないと踏んでいた。


 ならば、あとは王族として国を背負えるか、その覚悟だけだ。


 そこで今回の試練を思いついたのだ。


 王太后は、ルカスを手招きする。


「今日は気分がいいの、せっかくだから、あなたもお茶を飲んでいきなさいな」


 ルカスは驚きのあまり目を見開いたが、またとない貴重なお誘いに恐れ多くも素直に従った。



次話で、いよいよ完結です……!


ここまで読んでくださった方、ブクマなどでご評価くださった方、本当にありがとうございます!すごく励みにさせていただいています(*ˊᵕˋ*)


完結までどうぞよろしくお願いいたします!

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