13_ロラッカの刺繍糸(2)
クレアが王太后陛下に謁見の申し込みをした翌日、来訪を許可するという知らせを受け取った。
急ぎ身支度を整えたクレアは、サリーを伴って、指定された時間きっかりに、陛下が住まう離宮を訪ねた。
通された応接間は華美過ぎず、されどどれもが最高級品だとわかる品のよい家具と、花瓶やガラス細工、絵画などの美しい調度品で落ち着きのある雰囲気に統一されていた。
それらを眺めながらしばし待っていると、静かにコンコンと扉をノックする音がした。
すぐさまクレアは立ち上がる。
「ようこそ、クレア」
王太后は凛としたたたずまいで、使用人が開けた扉から室内へと入ってくる。
クレアは失礼のないよう細心の注意を払い、淑女の礼をとる。
「このたびは急なことにもかかわらず、謁見のご機会をいただき、誠にありがたく存じます、王太后陛下」
王太后はしずしずと進み入ると、若草色の絹張りのソファーに腰を下ろす。
「おかけになって」
許しを得て、クレアは王太后の向かい側のソファーに腰かける。
すると壁際で控えていた使用人たちがさりげなく動き、お茶の用意を整える。
緊張する空間に紅茶の甘い香りが漂う。
王太后は優雅な手つきでカップを口元に運ぶ。
ちらりとクレアに目配せし、どうぞ、と微笑む。
クレアも目の前に出された紅茶に口をつけるが、一口味わったところで、その懐かしい味に思わず手が止まる。
「メイローンの茶葉よ。あなたのお母上、クラウディアも好きだったわ」
はっと顔を上げれば、やさしく微笑む王太后の姿があった。
ディルと同じ、森のような深緑色の瞳には、深い慈愛を感じる。
クレアはゆっくりとカップをソーサーに戻すと、
「陛下がそのように覚えていてくださっていることを知れば、亡き母もとても光栄に感じると思います」
丁寧にお礼を述べる。
すると、王太后は過去を懐かしむように目を細め、
「わたくしにとって、クラウディアはかけがえのない人だったわ、それは昔もいまも変わらなくてよ」
それを聞いて、クレアは目を瞬かせた。
王太后がまだ王妃だった頃、母が王妃付きの侍女を務めていたのはクレアも知っている。
しかしそのような身分を超えた友情を感じさせる言葉をかけてもらえるほど、親しい間柄とは思ってもみなかったのだ。
幼い頃に亡くなった母の知らない一面を垣間見た気がして、胸が熱くなる。
「そう言っていただけて、母はとても幸せです」
素直な気持ちを伝える。
「それで、年寄りが住まうこの離宮にわざわざ足を運んでくれたのは、どんなご用なのかしら?」
王太后はクレアに問いかける。
クレアははっとして、本来の目的を思い出し、気持ちを整える。
小さく息を吸い込み、
「陛下に見ていただきたいものがあって、まいりました」
背後に控えているサリーに目配せし、受け取ったそれをテーブルの上に置く。
濃い青色の、ロラッカの群青といわれる刺繍糸のひと束だ。
王太后の侍女がすかさず近寄り、テーブルの上の刺繍糸を手に取ると、主人の手元に差し出す。
王太后は刺繍の束をつまみ上げ、しげしげと眺める。
「この刺繍糸が、何か?」
首を傾げ、クレアに尋ねる。
クレアはちらりと、壁際に待機している王太后の侍女や使用人らに視線を向ける。
それに気づいた王太后は、さっと目配せし、彼女らに退室を促す。サリーも気を利かせ、一緒に出ていく。
扉が閉まると、室内はしんとした空気に包まれる。
クレアは、王太后のその深い緑色の瞳を見返す。
ごくりと喉が鳴るのを堪え、言葉を発する。
「わたしが滞在させていただいているお部屋、そこに置かれている刺繍箱におさめられていた刺繍糸です。ロラッカの宝石と謳われる、ロラッカの群青を示すラベルが付けられています」
王太后はラベルに目を留める。
「ええ、そう書かれているわね」
「ですが、これはロラッカの群青を名乗るには、いささか品質が劣るような気がするのです」
すると王太后は口元に笑みを浮かべたまま、すっと目をすがめ、
「この王城内にあるものを、にせものかもしれない、あなたはそうおっしゃっているの? 何を根拠に?」
鋭い視線をクレアに投げかける。
微笑みを浮かべているが、声色にはすごみがある。
少しでも気をそらすと、ぶるりと体が震えそうだ。
クレアは膝の上に置いた両手をぎゅっと握りしめる。
「──はい、ですから、少し調べさせていただきました。お部屋にある刺繍箱、あれは王家御用達の職人が手がけた一点ものです。商会に問い合わせたところ、王城に納品したのは三ヶ月ほど前で、その際、刺繍箱の中には、刺繍針や糸切りハサミ、指ぬき、そして刺繍糸などの必要なものをすべて揃えた一式で納品したと言っています」
王太后は依然として微笑をたたえたまま、
「では、あなたが言う、このロラッカの刺繍糸も一緒に入っていたことになりますね?」
確認するようにクレアに問いかける。
クレアはその視線を受け止めたまま、
「はい、ですが、商会は『ロラッカの刺繍糸は、そもそも取り扱いがない』と答えているのです」
はっきりと告げる。
クレアが王太后に謁見の申込みをする前に出した一通の手紙は、王家御用達の商会に宛てたものだった。
『王城で素晴らしい刺繍箱を拝見した。王太后陛下に訊けば、貴店のものだと教えていただいた。刺繍箱の中には、刺繍糸をはじめ、数々の名品が揃えられていたが、その中にロラッカの群青という刺繍糸も見た気がしたのだが、貴店で取り扱っているだろうか?』
事情をふせた上で、そう問い合わせたのだ。
王太子の婚約者であり、オルディス侯爵家の息女であるクレアの名前を出せば、王城に出入りすることはもちろん、刺繍箱を目にする機会は当然あるだろうと商人なら判断する。そこに王太后から訊いたと補足すれば、なんら疑われることなく、答えてくれた。
そして返ってきた答えは、
『残念ながらロラッカの群青の刺繍糸は、我が商会だけでなく、そもそも我が国での取り扱い自体、叶っていない』
とのことだった。
ならば、誰かが刺繍箱を納品したあと、わざわざロラッカの群青に似せた濃い青色の刺繍糸をまぎれ込ませたことになる。
なぜ──?
クレアは真意を問うように、王太后をじっと見つめる。
万が一クレアの予想が外れていたならば、不敬罪に問われてもおかしくない状況だ。
どれくらい時間が経っただろう。
クレアには永遠にも感じた。しかし実際は、風が通り抜けるくらいのほんのわずかだっただろう。
ふいに空気がゆるむ気配がした。
「……ふふ、本当に聡いこと、クラウディアそっくりね」
クレアは目を瞠る。
王太后は、まるでいたずらが見つかった少女のような笑みを浮かべていた。
「ええ、そうよ、わたくしがこっそり入れておいたのよ。ああ、でも勘違いしないでちょうだい。これは、本物のロラッカの群青よ。ただしロラッカの群青を生産している過程で振り分けられた、いわゆる下等品ね」
「え?」
思わぬ答えに、クレアはさらに目を見開く。
その上、不躾なほど王太后の顔を見つめ、砕けた口調で訊き返してしまう。
王太后は気にしていない様子で、ふふふと微笑み、
「我が国にロラッカの群青を取り扱う店があると偶然耳にしたものだから、調べてみたのよ。すると実際は、ロラッカの群青の下等品をこっそりロラッカから持ち出した者が本物だと謳い、我が国で売りさばいていたの。いけないことよね。もしこれが公になれば、国家間の争いにもなりかねない危険な行為よ。
ただでさえ我が国は、ロラッカの群青の刺繍糸を含めたさまざまな商品をもっと流通できないか、長い間交渉し続けているところだというのに」
クレアはただ固唾を飲んで、その言葉に耳を傾ける。
「だから当然取り締まったわけだけれど、でも残念なことに、我が国ではロラッカの群青の取り扱いがないものだから、そもそも実物を知る者自体が少ないの。もし誰も気づかずに国内に流通していたらと思うと、本当に恐ろしいことだったわ」
王太后は、クレアに視線を投げかける。
それはまるで、あなたならいまみたいにきちんと見抜けたかしら? と問われているような気持ちになる。
ぴりつくような緊張が背中に走る。
「では、これはやはり試練のひとつなのですか?」
クレアは確認するように問いかける。
昨日、最初は、ロラッカの群青がにせものかもしれないという可能性を伝えるためだけに、王太后に謁見を申し込もうとした。
しかしサリーに手紙を届けてもらう間際、ふと気になった。
果たして本当に、にせものの刺繍糸が王城にまぎれこむだろうか、と。
そこで商会に尋ねてからでも遅くはないだろうと思い直した。
そして商会から返ってきた答えを受けて、試練の二文字が頭に浮かんだのだ。
王太后はすっと手を伸ばし、テーブルの上に置かれたベルを小さく鳴らす。
すぐさま静かに入室した侍女に、軽く目配せする。
侍女は主人の意図を汲み、手早く紅茶を淹れ直し、テーブルの上に並べ終えると、再び退室した。
「すっかり冷めてしまったわね、熱いうちにどうぞ」
そう言うと王太后は、カップを手に取り、香りを楽しんでから、口をつける。
それを見届けてから、クレアも手を伸ばし、ひと口飲む。思った以上に喉が渇いていた。
「クレア、あなたはディルのことをどう思う?」
唐突に尋ねられた言葉に、クレアは思わず、ごくりと音を立てて紅茶を飲み込んでしまう。
慌てて見返した先の王太后は、ただ静かに、こちらの瞳の奥をじっと見つめていた。
「好きか、きらいかで言うと、きらいではないでしょう? だってあなたなら、いやなものはいやとはっきり言うもの」
クレアは混乱する。
(なぜそんな話を? そもそもいまは、婚約破棄するための試練を受けているんじゃないの……?)
クレアが見せる反応に、王太后は面白そうにしていたものの、ややあってから息をつき、
「まあ、いいでしょう。──では、最後の試練を申し付けます」
一転して、上に立つ者の風格を漂わせる声色ではっきりと言った。
「──え」
(最後の、試練──?)
まるでクレアの心の声を読んだように、王太后は告げた。
「ええ、これで最後です」
ここまでご覧くださり、本当にありがとうございます!
次話からは【第四章】最後の試練に移ります。引き続き楽しんでいただけるとうれしいです。
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