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12_すれ違いと戸惑い(2)

「数日ぶりですね、オルディス侯爵令嬢」


 図書館に入ると、ちょうど扉のそばに立っていた、顔馴染みの若い男性司書官と目が合う。


「ええ、ちょっと忙しかったものだから。あ、それからこれ、長い間借りてしまって本当にごめんなさい」


 その日クレアは、久しぶりに図書館を訪れていた。


 借りていた本の返却も気になっていたし、何より新しい本を読みたくて我慢がもう限界だったのだ。


 そして悩んだ末、図書館通いを控えていた原因である謎の紙片をもしまた見つけても、放っておけばいいという結論に至った。


 クレアは背後に控える侍女のサリーに目配せする。

 サリーは、クレアが借りていた三冊を差し出す。


「いえいえ、大丈夫ですよ。ご令嬢のほかには、なかなか手を出す人も滅多にいませんし。それよりも今日は侍女の方とご一緒なんですね」

 司書官は本を受け取りながら、クレアとサリーを交互に見る。


「ええ、やっぱり、ひとりで出歩くのはほかのご婦人方の目もあるし、控えることにしたの」


「ああ、なるほど」

 司書官は納得顔で頷く。


 先日拾ったラースレーの不正書類のこともあり、ディルからは、出かける際は必ず侍女のサリーを付き添わせるようにお願いされた。そうでなくても元々ひとりで行動することに納得してなかったサリーなので、ここぞとばかりに正当性を主張し、こうしてついてきてくれている。


「また何か貸出しが必要な本があれば、お声がけください」

 司書官は人のよい笑みを浮かべて言った。

「ありがとう」


 その後、クレアは本棚の間を行ったり来たりしながら、読みたい本を探す。


「あの、サリー。さすがに座って待っていてくれていいのよ?」

 クレアは居たたまれず、無言で後ろをついてきているサリーに声をかける。


「お気遣いは不要でございます。殿下からも申し付けられておりますので」


「ああ、そう……」

 仕方ないとクレアは諦める。


(まあ、サリーがいれば、たとえ変な紙片をまた見つけても、謎解きしたくなる衝動は抑えられるわね)


 ひとまずサリーがいることを意識から外し、本選びに集中する。


 そうしてクレアにしては、比較的短時間で六冊を選び出し、それぞれの本を軽くさーっとめくり、間に何も挟まっていないことを確認した。


 一冊は自分で持ち、残りの五冊はサリーに運んでもらう。

 半分ずつ持つとクレアは主張したが、サリーは譲らず、結局クレアが一冊持つことで妥協してくれた。


「じゃあ、帰りましょうか」

 司書官に貸出しの処理をしてもらい、クレアとサリーは図書館をあとにする。




 図書館の敷地を抜け、王城の庭園があるあたりを歩いていると、向こうに見える外廊下に見慣れた姿を見つけた。


 ディルだった。


 ここ最近本当に忙しいらしく、お茶を一緒に飲むどころか、顔を合わせる時間さえなくなっていた。


 久しぶりに見る姿に、クレアは少しばかり緊張する。


 声をかけるかどうか迷っていると、ディルに駆け寄る人影に気づき、クレアはぴたりと足を止める。


 それはディルと同じ年くらいの令嬢だった。


「お嬢さま?」

 後ろから声をかけたサリーだったが、クレアの視線を追ったあとで、同じく動きを止めた。


 よく見れば、その令嬢はクレアも知っている顔だった。


 ディルのまたいとこにあたり、王太后の実家で由緒ある公爵家、その息女でもある、リリアンだ。リリアンの父、現公爵は王太后の弟になる。


 リリアンは遠目からでもわかるほど頬を赤らめ、恋する少女らしい初々しさで、隣を歩くディルを見つめている。


 ふいにリリアンがくるりと体勢を変え、ディルの正面に回り込むと、伸ばした手をディルのややくせのある黄金色の髪の毛に近づける。


 クレアは思わず目を背けた。


(あれ、なんで顔を背けたの、わたし……?)


 我に返り、ゆっくりと視線を戻すと、向こう側にいるリリアンがこちらを見ていた。


 目が合い、クレアはぎくりと体をこわばらせる。


 リリアンは、クレアに向かって不敵な笑みを浮かべると、ディルの腕を取るように向こう側へと消えていった。


 クレアはその場からしばらく動けなかった。


 リリアンがディルに好意を向けているのは、ずっと昔から気づいていた。


 でも彼女がどれだけディルに近づいても、クレアの目にはほほえましい光景に映っていたし、胸がこんなにざわつくこともなかった。


 それなのに、いまはどうしてだろう。先ほど目にした光景が視界から消えない。


 クレアは切り替えるように振り返ると、

「……きっと王太后陛下に会いにいらしてたのね、行きましょう、サリー」

 にっこりと微笑んで言った。


 クレア付きの侍女であるサリーは、当然ながら公爵令嬢であるリリアンを把握している。彼女が王城にいるなら、王太后のもとを訪れるためだということは容易に推測できる。だからクレアの口から、わざわざそんなことは伝えなくてもいいはずだった。

 でもなぜかクレアは、あえて口に出していた。


 きびすを返すと、その場から離れるように、急ぎ足であてがわれている棟へと続く道を歩きはじめる。


 ぎゅっとまぶたを閉じるが、リリアンがディルの髪の毛に手を伸ばす光景がはっきりと映し出される。


 本を抱えている指先に無意識に力がこもり、その指先で幾度となく触れた感触が無意識によみがえる。


(……彼女も知ってるんだわ)


 なぜかまぶたがじんと熱くなっていた。


(ディルの髪が金糸のように細くてしなやかな指どおりだってこと……)


 気づくとクレアは駆け出していた。


「お、お嬢さま!」

 後ろで本をかかえているサリーが叫ぶ。


 でも振り返る余裕はなかった。


(ああ、たしかに──)


 クレアは思った。


(婚約者を差し替えたいなんて、正当な理由にはならないでしょうね、ディル……)


 ディルが突然婚約破棄など言い出した理由は、ひとつだった。


 クレアの代わりに、あのリリアンを婚約者にするためなのだ。


(そうならそうと、はっきり言ってくれればよかったのに──)


 クレアは心の中で叫んでいた。




          ***


「ディル殿下」


 ふいに呼び止められた声に、外廊下を歩いていたディルは足を止めて振り返る。

 剣術の稽古を終えて、自身の執務室に戻るところだった。


 そこにいたのは、またいとこのリリアンだ。

 ディルと同じようなハチミツ酒(ミード)を思わせる黄金色の髪を風になびかせている。


 リリアンの父である公爵は、ディルの祖母である王太后の弟だ。

 そのため、リリアンとは幼い頃からの付き合いになる。


「王太后陛下に会いに来たのか?」


 ディルが尋ねると、リリアンは顔をほころばせ、

「ええ、先ほどまでお茶をご一緒させていただいていたの。ディル殿下もいらっしゃればよかったのに」

 残念そうに見上げる顔には好意がにじむ。


 ディルは素知らぬ顔で、


「ああ、そうだったのか。でも悪いね、僕は剣術の稽古があったから、どのみち無理だったかな」


 と当たり障りのない笑みを浮かべる。


「あら、じゃあまた別の機会にぜひ」

 期待のこもった視線を向けられる。


「そうだね、機会があれば」

 そう言って、その場を離れようとするが、


「あ、ディル殿下」

 そう言って、リリアンはディルの前に回り込むと、すっと手を伸ばす。


 ディルはその手の行方を見極めた上で、自身の手のひらをかかげ、髪の毛に無断で触れようとしていたリリアンの手を寸前でやんわりと遮る。


 リリアンは、はっとするしぐさを見せるが、すぐに微笑んで、

「木の葉がついておりますわ、お取りしましょうか?」


 それには答えず、ディルは髪の毛が乱れるのも構わず、手でさっと払う。

 と、一枚の木の葉が地面にふわりと舞い落ちる。


「ああ、本当だ。教えてくれてありがとう。じゃあ、急いでいるから、僕はここで」

 ディルはにっこりと笑顔を浮かべて言った。


 だがリリアンは、すぐさまディルの手を取り、ぐいぐいと引っ張っていく。


 いますぐにでも手を払いたかったが、向こうから使用人が歩いてくるのが見えた。

 リリアンは、自分の血縁関係のある令嬢で、しかも公爵家の息女だ。

 使用人の前でぞんざいにあしらっている姿でも見られれば、噂の種になりかねないし、それがリリアンの父である公爵の耳に入れば厄介だ。


 へたに刺激しないほうがいいだろうと、ディルは諦めて従う。


 しかしさすがに、廊下の角を曲がったところで、あたりを見回し、誰もいないことをたしかめてから、やや力を入れて押し離した。


「ねえ、リリアン、断りもなく腕を取るのは控えてほしいな」


 一言注意しておく。

 これできくような令嬢じゃないことは知っているが、それでも言っておかないと、許されたと思って、これ以上べたべたされても困る。


 リリアンは何か言いたげな様子だったが、ディルはそのまま気にせず、彼女を残して、その場をあとにした。




 さらに廊下を進んだところで、


「せっかくでしたら、リリアン公爵令嬢と親しげな様子を見せて、クレアさまにやきもちを妬いてもらってはどうですか?」


 稽古場にディルを迎えにきたあと、ずっと無言で彼の後ろをついてきていたルカスが声をかける。


 歩きながらディルは、眉間にしわを寄せる。


「……そんな小細工をしても無駄だ。クレアはなんとも思わない。それこそクレアに婚約解消のきっかけを与えるようなものじゃないか」


「ああ、そういえば、昔、やきもちを妬いて欲しいがために、試しましたね。たくさんのご令嬢からいただいたお菓子をクレアさまの前で自慢したんでしたっけ? それともわざとほかのご令嬢と手をつないで歩いたときのことでしたか?」


「……お前、わざとだろう」


 ディルは苦虫を噛みつぶしたような顔で後ろを振り返る。ルカスがすっとぼけて口にしたのはあきらかだった。


 しかし彼は軽く肩をすくめ、

「確認しただけですよ、でもそのときとは違うのかもしれませんね……」


 ディルは、ルカスの言葉に首を傾げる。

 どういう意味だと問いただそうとしたが、ルカスは、


「執務室に戻りましょう、ラースレー伯爵の件で、ご報告があります」


「わかった」

 ディルは歩く速度を早める。


 あるじの後ろをついていきながら、ルカスはふと背後を振り返る。


 視線の向こう、そこはつい先ほどまでクレアが立っていた場所が遠目に見えている。


 ディルからは背後の死角になっていて、その場所にクレアがいたことに気づかなかったようだが。


「よいほうへ転がってくれるといいのですが……」


 ルカスはひとり呟いた。



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