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11_ペンテスの花と希望(2)

 そのあと、ディルは執務を済ませるため、呼びに来たルカスともに、クレアを庭園に残して行ってしまった。


 やはり忙しい合間を縫って、時間を作ってくれたらしかった。


 去り際の名残惜しそうな彼の顔がやけに頭から離れない。


(婚約破棄を望んでいるくせに、なんで、あんな顔をするの……?)


 いま置かれている状況とディルの言動とで違和感を覚え、クレアは戸惑う。


 なんとなくまだ顔が熱い気がして、そのままひとり、とぼとぼと歩く。

 サリーは無言で後ろからついてきてくれている。その気遣いが今日はとてもありがたく感じる。


 しばらくうろうろしたあとで、ふと生垣の向こうに動く人影を見つけた。


 庭園を管理している庭師らしき老人がひとり、草むしりをしている。


 クレアは老人のそばまでくると、横から声をかける。特徴的な鷲鼻が目を引く老人だった。


「はじめて見る顔ね、ティムは、今日はいないのかしら?」


 クレアにとってこの王城の庭園は、よくディルと散歩していた場所でもある。だから庭師とも顔見知りだ。


 ティムは何人かいる庭師のひとりで、クマのような大きな体をしているが、穏やかな性格の中年男性で、幼い頃からクレアもディルもよく相手をしてもらっていた。


 老人は顔を上げると、

「ティムは少しばかり足をひねったようで、今日はわしが代わりに世話をしております」


「そうなの? ではお大事にと伝えておいて」

 体が資本の庭師なだけに、クレアは心配するように言った。


「ティムに何かご用でしたかな?」


「いえ、庭師の姿が見えたものだから、ティムはいるかしら、と思って声をかけただけよ」


「さようでしたか」

 老人は申し訳なさそうに、ふさふさの白い眉を下げる。


「あ、そうだわ。邪魔はしないから、あそこの木の下で少し休んでいってもいいかしら?」

 クレアは、向こう側にある一本の木の下に置かれたベンチを指差す。


「ええ、どうぞ、わしなぞに断りは不要です、ご自由に過ごしてくだされ」

 老人は穏やかな笑みを浮かべて答える。


 そもそも王城の庭園に入れる人間は限られている。クレアのこともそれ相応の身分がある令嬢だと認識しているのだろう。


 老人にお礼を述べたあと、ベンチまでくると、サリーがすっと大判のハンカチを広げてくれた。


「ありがとう」

 クレアはそのハンカチの上に、静かに腰を下ろす。


「しばらくこちらでゆっくりされますか?」

 サリーがクレアに尋ねる。


「ええ、そうね。少しここにいるわ」

「ではお茶でもお持ちしましょうか」


 そういえば少し喉が乾いた気がする。


「じゃあ、お願いできるかしら」


 サリーは頷くと、生垣の向こうに歩いて行った。


 クレアは何をするでもなく、ぼんやりと空を眺める。

 日差しは穏やかで、秋晴れの心地よい天気だった。


(本でも持ってくればよかったかしら……)


 なんとなく手持ちぶさたになって、向こうで草むしりをしている庭師の老人に目を向ける。

 せっせと動く手をぼんやりと視線で追う。


 しかし何かにはっと気づいたクレアは、慌てて立ち上がった。


 庭師のそばまで来ると、自分の白い手袋が汚れるのも構わず、彼がむしって地面に放り投げたばかりの植物を拾い上げる。


「おじいさん、この植物の根っこは腹痛を起こす毒をもっているわ。そのまま捨ておいては大変よ。焼いてしまわないと」


 庭師は驚いた表情でクレアを見上げる。

「そんな、見慣れない植物じゃと思いましたが、毒があるとは……、申し訳ありません……」


 クレアは首を横に振って、

「普通は北部の森の中に自生している植物だから、王都の、それも庭園に生えることは滅多にないんです。そもそもご存じない方も多いですから……」


 幼い頃、オルディス侯爵家が所有する北部の領地にある広大な森の中を探索したとき、木こりに教えてもらったことがあったためクレアは知っていた。


 そのあと領地の邸宅で試験栽培をはじめて、毒性の強さは自生する森の土壌が関係することを突き止めたところで研究するのをやめたのは数年前のことだ。それでも万が一毒をもつと危険だから、引っこ抜いたら焼いてしまうのが一番安全だ。


(でも王城の庭園で勝手に生えるとも考えにくいし、だからといって誰かが持ち込むことなんてあるかしら……)


 クレアは庭師が草をむしった地面の跡を見つめる。

 すでに抜いたあとのため、誰かが故意に植えた跡かどうかは判断つかなかった。


 諦めてクレアは顔を上げる。すると、


「あ、その葉に触るとかぶれてしまうわ!」


 庭師は、触ると赤くかぶれてしまう植物の葉を素手でちぎろうとしていた。


 クレアはまたも慌てて止めに入る。


「ああ、これはこれは。近頃は手元が見えにくくなっておりまして、お礼を申し上げます」


 なんだかおっちょこちょいにもほどがある。


(庭師ならこの植物がかぶれることは知っているはずなのに、ティムならぜったいにしないミスだわ……、このおじいさん、庭師なのに大丈夫かしら?)


 心配になりながら、クレアは、

「いいえ、お役に立ててよかったですわ」

 ひとまず胸をなで下ろしながら言った。


 すると庭師はおもむろに、足元に置いてあった古ぼけた木箱の中から何かを取り出すと、


「お礼も兼ねて、こちらを心やさしきお嬢さまに」


 そう言ってクレアに差し出されたのは、一本の茎にかわいらしい五つの小さな白い花弁が寄り集まって咲いている植物だった。


 庭園に咲いているバラやダリアに比べると派手さはないが、どことなく素朴な感じに親しみを覚える。あまり見かけない花だった。


「これは?」

 クレアは好奇心に駆られ、尋ねる。


 老人は笑みを絶やさず、

「『ペンテス』という希少性の高い花ですじゃ」


 クレアはじっと見つめる。

 そして、なるほど、とひとり納得する。


「五つの花弁、だから数字の五(ペンテス)なのね。エリシア語ね?」


 老人は目を丸くして、

「へえ、さようですか、わしは名前しか存じませんで。なるほど、では見た目どおりの名前というわけですな」


「ふふ、そうね。でもせっかくだけれど、王城の庭園のものは勝手にいただけないわ」

 クレアは申し訳なさそうに断りを入れる。


 しかし庭師は、

「いやいや、これは今朝わしの庭で咲いたものでしてな、きれいだったのでつい持ってきてしまったのですじゃ。よければもらってくだされ」


 庭師の仕事をするのに、なぜわざわざ持ち歩いていたのかという疑問が沸いたが、悪意のまったくない庭師の様子に尋ねるのは無粋な気がしてやめた。


「じゃあ、お言葉に甘えて。ありがとう、おじいさん」


 そう言って、ペンテスの花を受け取ったクレアは、きびすを返す。すると、


「ああ、お嬢さま、ペンテスの花言葉はご存じですかな?」


 庭師がクレアを呼び止める。

 振り返ったクレアは、小さく首を横に振る。


「『希望が叶う』ですじゃ。お嬢さまの希望が叶いますように……」


 そう言うと、庭師は背中を向け、かがみ込むとまた作業を再開させた。


 クレアは、ベンチに再び腰かける。


(不思議ね、まるでわたしがいま置かれている状況を見通しているような言い方だったわ、気のせいかしら……)


 クレアはもらったばかりのペンテスの花をぼんやりと眺めた。



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