01_プロローグ
「クレア、婚約破棄させてほしい」
「え……」
突然の告白に、クレアは息を呑んで固まった。
長年連れ添った目の前の婚約者、このサザラテラ王国の王太子であるディルハルトを凝視する。
クレアは、国内でも有数の権力をもつオルディス侯爵家のひとり娘。つい先月、二十歳の誕生日を迎えたばかりで、その盛大な祝いのパーティーでディルは、クレアの婚約者としてパートナーを務めてくれたはずだった。
「突然ですまないが……」
ディルは目をさまよわせ、言いにくそうに吐き出す。
──本当に突然だ。クレアは思った。
しかし唇が震えて、言葉にはならない。
「クレア……?」
ディルがクレアの反応をうかがい見る。
クレアよりも五つ歳下、十五歳の王太子は、青年と呼ぶにはまだ幼く、少年らしさが残る。
ハチミツ酒を思わせる、少しくせのある黄金色のしなやかな髪に、森の木々のような深緑色の瞳。整った顔立ちは、誰もが好感を抱き、ため息を漏らすほどだ。
対するクレアは、冬の空を思わせるような紫みを帯びた銀髪に、冷ややかな薄紫色の瞳、肌は透けるほど白く、彼女が物静かにたたずむさまは、儚げでやや近寄り難い印象すらある。
「……ついに」
クレアはぽそりと漏らす。
その直後、目の前のテーブルを両手で叩きつけると、勢いよく立ち上がった。
お茶を楽しんでいただけに、テーブルの上にあるカップやお菓子がのったお皿がガチャンッと大きな音を立てる。
「──本当に⁉︎」
そう言って、顔を上げたクレアの表情は、あふれんばかりに輝いていた。
先ほどまでの儚げな印象はどこにも見当たらない。
瞳にはよろこびの涙がにじみ、頬はうれしさのあまり紅潮している。
それはまるで、愛する恋人から婚約を申し込まれた娘のような反応だった。
しかしクレアに叩きつけられているのは、まぎれもなく『婚約破棄』である。
「いまさら冗談と言われても、無理よ! たったいま、この耳ではっきりと聞いたわ! 撤回はなしよ!」
クレアは、胸の前で神に祈るように指先を交互に組み合わせ、キラキラと輝く瞳をディルに向けている。その場で踊り出しそうな雰囲気すらある。
「ク、クレア……」
その様子に、今度はディルのほうが硬直し、ピクピクと口端を痙攣させている。
しかしクレアは、そんなディルには目もくれず、
「ああ、こうしてはいられない! ではわたしはもうお役ごめんですから、失礼いたします。お菓子、大変おいしかったわ。これがもう食べられないと思うと、それだけは残念だけれど、仕方ないわね。ディル、どうぞお幸せに」
そう言って、優雅に手のひらを振り、ディルへ別れのあいさつを一方的に済ませると、令嬢らしからぬ大股を広げて、一目散に豪奢な応接間から出ていった。
「ついに、やったわーー‼︎」
王城から遠ざかる馬車の中、クレアは、両手を思いっきり頭上に突き上げた。
あまりの大声に、御者も馬も驚き、馬車がガタリッと傾く。
クレアは馬車の窓を全開にして、顔を突き出す。
紫みを帯びた繊細な銀髪がバサバサと風で乱れる。
淑女を基本とする令嬢にはあるまじき行為だ。しかしそんなことはもう微塵も気にしなくていい。
なんと言っても、クレアはもう王太子の婚約者ではないのだから。
「これでもう面倒なこととはさよならよ!」
たくさんの素敵な作品がある中、目を留めていただき、ありがとうございます!
長編ですが、楽しんでいただければうれしいです。
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