(27)
「アラクネちゃん、ごめんね……」
そして準備が整った室内へとアラクネ連れてくる。
いよいよその仮定を実行するときがやって来たのだ。
車椅子に揺られながら部屋へとやって来たアラクネは今日もいつもと変わらずに全身を脱力させたかのような体勢のまま微動だにしない。
「ケイさん、体を支えてあげてください」
「アラクネ、ちょっと持ち上げるぞ」
座っているアラクネをエマが後ろから前に押すと重力に従ってアラクネの上半身が前方へと倒れそうになるが、それを前にいるケイが支える。
「よいしょっと……」
ケイがアラクネを支えている間にエマが車椅子を移動させてアラクネの下半身を浮かせ、エマが素早くそこを手で支える。
義体の重さはかなりの物だがサイボーグの重心を熟知している二人は見事に息の合った動きでアラクネを椅子から下していく。
そして床に敷かれた柔らかなマットにアラクネの体を横たえた。
横たえた後も手や足の位置を関節に注意しつつ動かしていき体勢を整えていく、最終的にアラクネは頭の下に手を置き、足をクロスさせた状態、いわゆる回復体位と呼ばれる状態となった。
「アラクネ、苦しくない?」
一日中座りっぱなしの体勢のアラクネが横になるのは恐らく初めてである、横になっているアラクネの体をさすりながらケイは優しく尋ねる。
サイボーグには疲労という概念は存在しない、むしろ体の重量があるサイボーグは立ったり座ったりを繰り返すと精密部品の寿命が短縮してしまうという欠点があるため一日中立ちっぱなし、座りっぱなしの方がある意味では楽と言えるかもしれない。
それでもケイは自然とその言葉を掛けるのであった。
優し気な口調の為もちろんアラクネからは何の反応もない、指先一つ動かさず回復体位の姿勢を保ち続けているだけだ。
ケイが手をさする中、エマは横になっているアラクネの耳元に口を当てて言う。
「今からちょっとだけ怖い思いをするかもしれないけど……ごめんね」
エマがアラクネにそう伝え、二人は部屋を後にする。
扉が閉められた室内に残されたのはアラクネただ一人。
それであっても室内のアラクネは微動だにする事無くその体を横たえるだけであった。
アラクネを室内へと運び入れたケイとエマは急ぎ足で隣の部屋へと向かって行く。
「カルロさん、準備が出来ました」
ケイは隣の部屋へと入りながら言う。
隣の部屋には多数のモニターを始めとした機器類が所狭しと並んでいる。
その中心付近にある最も大きなモニターの前にいたカルロがその呼びかけを聞いて振り向きながら言った。
「では始めるぞ」
二人がやって来た事を確認したカルロはモニターに隣接した装置を操作し始める。
その間ケイとエマはその大きなモニターへと近づいていき、その視線をモニターの画面へと集中させる。
そこに映っているのは横たわるアラクネの姿。
先ほどの部屋には小型のカメラがあらかじめ設置されており、それを通してアラクネの様子を外からでも確認することが出来るようにしておいたのだ。
もちろんそこに映っているアラクネは先ほどから指先の一つさえも全く動かしてはいないままである。
その様子をエマとケイが見守る中、全ての作業を終えたカルロが最後に機器のスイッチを押した。
すると横たわるアラクネの姿を映していたモニターの映像が一瞬消えたのちに部屋の電気が一瞬消え、画面は暗闇に包まれる。
だが暗闇に包まれたのは単にカルロが照明を切ったからに他ならない、それ自体は特に驚くようなものではないが重要なのはここからである。
「……いくぞ」
照明を切ったカルロはやや緊張したような口調でそう確認をしたうえで別のスイッチを押した。
すると真っ暗闇だけを写していた室内へと再び光が差し込み、モニターには色が現れる。
だが二度目に着いた電気はただの照明ではない。
今、カメラからの映像には部屋の中心で横たわるアラクネ、その下に敷かれたマット、暗幕で覆われた窓などが見えているがその全ては赤く染められていた。
最初に付いていたのは通常の明るい照明、それを一度切ったのちにカルロが代わりに赤い光を放つ照明へと切り替えたのだ。
赤いと言っても真っ赤、という訳ではない、むしろ室内の闇によって塗りつぶされたような状態となっている赤黒く覆われており不気味さを放つような状態となっていた。
「やっぱ、不気味な感じにしか見えないですね……」
モニターを覗き込むケイはそう言葉を漏らした。
赤い世界の中に横たわっているアラクネの姿はまるで鮮血で塗りつぶされた室内に横たわる死体のよう。
「……いや、これでいいはずです」
ケイの困惑する声を他所にエマは自分自身で確信を持たせるようにそう言う。
「カルロさん、次をお願いします」
「ああ……」
カルロもケイと同じような感情を抱いているのか心配そうな雰囲気を保ったままその言葉に従って次の装置のスイッチを入れた。
するとモニターから微かに音が流れ始める。
膨らんだ膜の中を液体が流れるような音とその中に微かに篭る様に聞こえる収縮音の共鳴。
「これで再現は出来ているはずだが……」
子宮という肉の塊に包まれた胎児は赤と黒と時折差し込む微かな明るさの光景を見ると言われている。
そして耳には母親の体を流れる血流の音が絶え間なく聞こえていると言う。
赤黒い部屋で横たわり、連続した血液の音が流れる室内は胎内で初めて目を開けた胎児が見るであろう光景が再現されていた。
「アラクネに何か変化は……」
カメラの映像を凝視しながらケイが一人呟く。
映像と言ってもアラクネの様子を見る為だけのものでありはっきりとした映像が見えるわけではない、目を凝らしてみてもアラクネに何かしらの変化が起きているのかどうかの確認は出来なかった。
男二人が変化しない現状を再び見て落胆の雰囲気に包まれそうになっている中。
「少し……待ちましょう」
エマは落ち着いた様子でそう言い、ひたすら待つ事を選んだ。
まるで待っていれば何かが起こると確信しているかのように。
そしてその確信はすぐに現実のものとなる。
「二人とも見て下さい……!」
「……見ろ!」
「ああっ……」
エマがモニターを指さし、カルロがその指先を追って驚きの声を漏らし、ケイはくちをぽかんと開ける。
「…………」
画面に映るアラクネの姿に大きな変化はない。
それはそう思えてしまうほどのほんの小さな変化に他ならないからだ。
そんな小さな変化でも場にいる三人は気が付く速さは違えどもその変化には全員が気が付いた。
アラクネの体が動いている。
回復体位の姿勢で動かなかったアラクネがその手足をゆっくりと、本当にゆっくりとした動きでその手足を折り曲げていく様子が不明瞭な映像の中でも確かに見て取れた。
そしてゆっくりと時間をかけてアラクネが取ったのは両膝を折り曲げて体を丸め、そして両腕でまるで自分自身を抱きしめるかのような体勢。
それはまさしく母親の胎内にいる胎児の姿勢。
「動いた…自分から動きましたよ!」
それを見たエマは心底嬉しそうに言う。
「うん……ほんとだね……」
ケイもまたその光景を見て、例えようのない感動……あるいはそれ以上の生命の神秘とも言えるような場面に立ち会ったかのような感情を抱くのであった。




