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 そしてその時さらなる驚きが起こる。


「――! ――! ――!」


  胎児のような姿勢で丸まっていたアラクネが突然激しく手足を動かし始め暴れ始めたのだ。

 声帯のないアラクネは声を発することは出来ない、それでもそれを見ただけですぐにアラクネが何をしているのかは本能的に察することが出来る。


 それはまるで生まれてすぐの子供が行う最大限の感情表現、号泣に他ならない。


「っ!」


 それを見た瞬間エマは周りの反応など一切気にする事もなく、即座に部屋を飛び出してアラクネの元へと向かっていた。


「エ、エマさんッ! ちょっと待って!」


 一歩出遅れた物のケイもそこへと続いていく。


「――! ――!」


 声は一切出せないアラクネだったがその体を精一杯動かしている事で床をひっかきまわす状態となっており室内には金属同士が擦れ合う耳障りな音が絶え間なく響いている。

 それはまるでアラクネの泣き叫ぶ声のよう。


 金属製の義体をバタバタと動かすアラクネに近づくことは当然危険である。

 だがもはや説明するまでもなくこれはまさにアラクネが感情を外に出しているという事なのだ。

 それを分かっているエマはバタバタと暴れているアラクネの元へと迷うことなく近づくとその身体を抱きしめた。


「大丈夫っ……ここにいるよ……」


 まるで迷子になった子をようやく見つけた母が優しく抱きとめながら言ったように囁かれたその言葉。

 耳元でそう言われたアラクネもまた、まるで唯一心を許す子にとって絶対的な安心である母に抱き留められたかのように大人しくなった。


 そこどころかエマの胸に顔をぎゅっと埋めさせ、自分からそのうでの中に包まれることを望むかのような事もアラクネは見せた。 


「…………」


 エマに遅れる事数十秒、同じように室内に入ったケイはその光景をただ見つめる。


 機械で出来た子供とその子供を抱きしめる母親の如きエマの姿、その光景はまさしくアラクネという存在その物を支える光景であった。


 自分が入る余地は何もない、そう確信したケイはただ沈黙のままに見つめ、息を飲み続けるだけであった。

 そのまま時間にして数分、アラクネをだきしてめいたエマであったがふと振り向くと入り口の辺りで茫然としていたケイに向かって手招きをし始めた。


「(はやく、きてくださいはやく)」


 さらに声は出していない物の口パクでそんな事を伝えてくる。


「(なに?)」


 それを受け取ったケイは音を立てないように慎重になりながら近づいていこうとする。


「(しーっ!)」


 だがエマに厳しい視線で制止されてしまう。


「(せっかく泣き止んだんだから静かに!)」


 その視線からはそんな事を訴えているようである。


「(………なるほどね)」


 受け取ったケイはその場で膝を付くと四つん這いになりながら二人の方へと近づき始める。

 ゆっくりとハイハイをしながら二人の方へと近づいていくケイの耳には小さいながらも数多くの音が聞こえて来る。


 最も大きく聞こえるのはやはり胎内音。


 一聴すると心臓の拍動と籠ったような液体、血液が流れる音が絶え間なく鳴り響くこの場所は日常とはかけ離れた不気味さのようなものを感じると言えるのかもしれない。


 だがしばらく聞くうちに不思議とそんな気分は消え去っていく。


 その音が主と聞こえて来るこの場所では完全な静寂という物は存在しない。

 静寂の代わりに胎内音が自分を包み込んでくれる。

 静寂として捉えるにはあまりに大きい絶え間ない音の連鎖は自分自身を守ってくれる母親の存在とその中にいる自分という存在をしっかりと浮き彫りにさせてくれる。


 室内にはそんな環境が形成されていたのだ。

 そこへ土足で踏み込むには余りにも惜しいとエマが制止したのも無理はない、ここでは全員が母親の胎内にいるように過ごすべきなのだ。


「……アラクネ」


 アラクネを抱きしめるエマの元へと近づいていったケイはその二人ごともう一度包み込むかのように抱きしめる。

 赤黒い室内にアラクネを中心としてエマが直接体を抱き留め、ケイがその外側から更にもう一度包み込むという三人だけの空間が造られる。

 すると自分を包み込む新たな存在に気が付いたのかアラクネはさらにきゅっと体をちぢ込めるようにしてエマの胸元へと潜り込んだ。


「……ふふっ」


 それを見たエマは微笑みを浮かべる、その微笑は今までエマが見せてきたような笑顔ではない。

 大きなものを自分の中に抱え込んだ人間の微笑み、母性の顔であった。


 そんな表情を間近で見てしまったケイは恥ずかしさのような見蕩れるような不思議な気持ちになってしまい目を逸らす。


「(ケイさん、見て下さい)」


 だが耳元で囁かれるようにして言われたエマの言葉を聞くと視線が勝手にそちらへと吸い込まれてしまう。

 その視線の先にあるのはアラクネの胸元、アラクネの言葉を受け取り外界へと放つ唯一の場所。


「――ああ」


 それを見たケイは息が漏れるような声を出す。

 安堵に驚き、嬉しさ、様々な感情が入り交じったその声を出させているのはそこに表示されているたった一つの単語。


――まま。


 今まで形作られた言葉しか返さなかったアラクネが初めて見せた原始的欲求、包み隠されていない本心が解き放たれた。


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