0話 モンスターが現れた
「どうしてこうなった……」
俺は、激しく頭を抱え込みたくなった。
だが、そんな事をしている暇はないとでも言うかのように彼女の声が廊下に響く。
「わたしは魔法剣士だよ。だから、そこから離れて欲しいの~」
間延びした声で、しかしハッキリと聞き取れる大音量で周りへと注意を促すのは逢世優希だ。
「わたしは魔法剣士なんだよー。だから、みんなそこをどいて欲しいです」
「は?」
「逢世、だよね?」
「なになに、どしたの?」
クラスメイトや同学年の連中が、学年一美少女と噂される彼女に白い目を向ける。その気持ちは十分にわかる。
高校一年生にして、自分の事を魔法剣士だなんて突然言い出すとか頭がどうかしているかもしれない。でも、残念ながら、きっと、それは真実なのだ。
「すずき?」
そしてキョトンと、お前もこっちに来いとでも言いたげな視線を寄越しては俺の名を呼ぶ逢世に、思わず溜息が出てしまう。
「すずきも、魔物喰らいでしょ? こっちこっち~」
一気に逢瀬から俺へと視線が集中していく。
そしてヒソヒソと囁く声に、俺の心が圧迫される。
「鈴木って、誰?」
「あいつだよ、ほら」
「あぁ、三組の……」
「スキル・イーターって何だよ……ぷぷぷ」
「てか、なんであんな地味男が逢世と仲良さそうにしてんだよ」
「ツッコミどころそこ?」
「逢世のやつ、さっきから何へんな事を言ってるんだ」
「マンガの読み過ぎか?」
昨日のアレはやっぱり、夢じゃなかったんだな……。
そんな諦観にも似た想いを胸に抱きつつも、手をこまねく逢世に向かって、覚悟を決めて歩き出す。
傍観者から当事者にならざるを得ない。
「私は魔法剣士なの。だから、九条さん。その猫さんは私達に任せて欲しいです」
先程から繰り返し、逢世は廊下に突然現れた黒猫もどきに、『かわいい』とか『どこから来ちゃったのかなー?』と、可愛がっている女子グループ3人に話しかけていたのだ。
「さっきからなんなの、この子」
「逢世さん、あなたも猫ちゃんに触りたいの?」
「普通に言ってよ。私、逢世のそーいうところが嫌いなんだけど」
九条と呼ばれた女子と、その取り巻き二人が不機嫌そうに逢世を睨む。三人は黒猫もどきを背に、逢世には近づけないといった体でその身で壁を作っていく。
「私達、猫を見つけたから癒されてるだけなんだけど」
「なんで、邪魔してくるの?」
「魔法、なんだっけー? アニメの話とか私達はわからないから。他でやってよ」
彼女達が逢世に感じの悪い対応をしている隙に、俺は問題の猫を遠目で観察しておく。
『うにゃあー』と鳴き、顔を右前足でコロコロとかいている生物は、確かにそこらにいる黒猫に見える。
だが、その身体の大きさは通常の猫よりもやや大きい。
さらによく見ると額に小さな角のようなものが生えている。
あれは……間違いない。
俺達が夢中になってプレイしていたVRゲームに出てきたモンスター、『月ノ猫』だ。
どうして、ゲーム内の生物がこの現代社会に、俺達の通う学校の廊下に突如として姿を現したのかは全くの不明だ。
だが、これだけはわかる。
危険だ。
『月ノ猫』という魔物は、『月魔法』というスキルを使ってくる。たしか重力に関係する魔法で空間を圧縮し、そこへプレイヤーを巻き込み、攻撃をしてくるモンスターだ。
普段は猫のように温厚で気まぐれであり、その身体能力は猫と動揺に素早い。
「なぁ、逢世……こいつ、俺達だけじゃキツくないか?」
今はまだ、大人しくしているから何事も起きていない。
だが、目の前の『月ノ猫』を、ゲーム内で討伐するとしたら5Lvプレイヤー3人で挑むのが常道だった気がする。
俺と逢世だけでどうにかするのは危険すぎる。
正直に言うと、近づきたくない。
だから、俺は注意を喚起したのだが、肝心の逢世は聞いていなかった。
「おまえらどしたー」
現国の主任、田中先生が騒ぎを聞きつけたのか逢世と九条の女子達に話しかけていたからだ。
「先生、私は魔法剣士です。なので、あの猫さんは私に任せてください~」
「ん? 逢世、頭でもうったのか?」
至極まっとうな反応をする田中先生に、ここぞとばかりに九条たちが逢世に対しての悪口じみた事を述べていく。それらを先生は苦笑いで受け止め、問題の黒猫もどきへと視線を移していく。
「なんだなんだ、猫か……こいつ、どこから校舎に入って来たんだかな」
『にゃあ~』と呑気な声で鳴く黒猫もどきに対し、田中先生が手を伸ばす。
俺と逢世に緊張が走る。
だが、心配は杞憂に終わり、『月ノ猫』は大人しく先生に頭をなでられていた。
「あ、先生ずるいですよー」
「うちらもー」
「かわいいー。またニャーンって鳴いてっ」
九条たちも釣られて、『月ノ猫』へと殺到していく。
「とりあえず、校舎の外には出しておかないといけないな」
『うにゃ?』と首を傾げる黒猫もどきに、先生はそう言って、『月ノ猫』を持ちあげようとした。
『お腹がすいた』
しかし、その手は驚愕によって止められる。
『お腹がすいた』
その声は、中年男性より低くしわがれた不気味な声。
それが、黒猫もどきの口が動いたと同時に発せられたのだ。
「え、いま……」
先生は『月ノ猫』を凝視する。
「せ、先生? 今のって腹話術か、なにかですか?」
九条が猫もどきの口から出た言葉に、見当違いな質問をする。
『月ノ猫』の特性は普段から大人しい事だ。だが、腹が減ると人語を介して自分の主張を伝えてきたりもする。
『お腹がすいた』
そして、それが満たされないのであれば……。
「逢世! まずいぞ! 逃げろ!」
俺は必死に叫ぶ。
「みなさん、逃げて~!」
俺と共に周囲に向かって逢世は危険を知らせるが、周りのだれ一人としてこちらの言葉を真に受ける者はいなかった。
ただ、急に人語を喋りだした黒猫もどきを唖然と見つめ、興味深そうに様子を窺っていたのだ。
『お腹がすいた』
再び、ひび割れた声が廊下にこだますると――。
ドパッと何かが弾ける音が響いた。
「あ……」
現国の田中先生の胸から上が失くなっていた。
まるで、円形の何かに喰い潰されたかのように、綺麗に半円を描いて。
数瞬遅れでピチャッと、田中先生の赤い体液がほんの少しだけ飛ぶ。
その一滴が一番傍にいた九条の頬に付着し、彼女はそれに気付くと顔面が蒼白になっていった。ドウッと倒れる田中先生の身体を見つめ、目を大きく見開き、全身を小刻みに震わせた。
あれは……『月ノ猫』がよく発動する月魔法、『月蝕』。
円形に空間を圧縮し、その範囲内にあったものを呑みこんでしまうという、けっこうな大ダメージを被る魔法。
ゲーム内では、奴の視線の先が魔法を発現する地点だという攻略法があり、それを基準に身をかわしていったものだが……。現実でやれとなると、その難易度は跳ね上がる。
ましてや、自分の命を賭ける恐怖もある。
ゲーム内で普段通りやっていたことを『失敗したら即死か致命傷のリスクがありますけど、プレイしてください』なんて状況で、誰がハイソウデスカと言って首を縦に振るだろうか。
『お腹がへった』
『月ノ猫』はクルリと九条の方に頭を向けて、またそう呟いた。
「九条さん、逃げろ!」
当然、俺の叫びなど怯える女子高校生には何の役にも立ちはしなかった。
ドパッ、と九条のお腹にまんまるの穴が開いた。
「く、ぎゃぁあ、ごぽぉっ」
口からドロリとした血を吐き、白目を向いて倒れる九条。
「きゃあああああああああ!」
「うわああああああ!」
「おいっ、なんだあれ! どうなってんだ!?」
「だれか、救急車!」
「そんな事言ってる場合か! 逃げろ!」
「死ぬぞ! 」
「何がどうしたんだ!?」
一同が一斉になって、今更すぎる悲鳴を上げた。
我先にと逃げ出す生徒もいれば、腰が抜けてその場でうずくまる者もいる。
そんな混乱が渦巻く中で、毅然と逢世は立っていた。
いつの間にか、右手にはホウキを、左手にはチリトリを持ち。
自身の身体は横向きにしてチリトリを前面に置く。そして、武器である得物は隠すように後ろへと向けられている。
ゲーム内でよく見た、逢世の魔法剣士としての構えを『月ノ猫』に取っていたのだ。
「おいおい、やる気かよ……」
そんな彼女に『月ノ猫』は。
ニタァーっと不吉を予兆する黒猫の如く、嗤った。
瞬間、ドパッと何かが喰われる音。
それは、逢世の左手で持っていたチリトリが消し飛んだ音に他ならない。
逢世はゲーム内でつちかったセオリー、黒猫の視線をチリトリに当て、『月蝕』の一撃を交わしたのだ。
さらに、彼女はひるまず一歩を踏みこみ、ホウキを黒猫目掛けて振り下ろす。
「どうしてこうなった……」
俺は頭を抱え込みたくなったが、ここで逢世を見捨てるわけにもいかない。
拳を握り、逢世に続き『月ノ猫』へと突進していく。
なぜゲーム内でのモンスターが、この現実世界で徘徊するようになったのか。
事の元凶は、昨日にさかのぼる。
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