Act89 真実という名の欺瞞 下
ACT89
頭上の呪が形を変えた。
一つ一つの紋様が、形を少しづつ変える。
二重の楕円が組み変わり、一度解体して再び輪になった。
それは完全な円になり、捻れが等間隔で並ぶ。
七つの捻れは、そこで一度紋様が回る。
さらに複雑な呪の陣となった。
それがゆっくりと、地上に降りてくる。
その下では、明かりの消えた家々と、倒れ伏した兵隊の姿があった。
音もなく呪陣は地面に降りる。
すると、町の地面が黒い影に覆われた。
影が広がると人が呑まれる。
溶けて消えるように人間が影に消えていく。
町にやってきた領兵は、全て、地面に呑まれてしまった。
そして、陣は消え失せた。
エリはそれを見届けると、水路の入り口に引き返した。
「何処へ行くんだ。せっかく逃げたのに」
私の言葉は、虚しい。
エリにとって、逃げる必要は何処にもない。
皆、知り合いなのだから。
そして、闇の中から、青い男がやってきた。
エリに手を差し伸べる。
すると、エリは、怒ったようにその手を叩いた。
叩かれた男は肩をすくめた。
長い年月、そうやったやりとりがあったのだろう。
青い男が私に言った。
あの日、俺は、少し薬を盛られて、動けなくなるだけだと聞かされていた。
誰も、死ぬなんて思わなかった。
イエレミアスもこいつの姉も、村の皆も殺す結果になるとは思わなかった。
俺も欲をかいた。
イエレミアスから、こいつの姉を奪いたかった。
だから、手引きした。
村の中での対立の間、俺は殊更、こいつに恨まれるようにした。
「何で?」
憎まれる人間が必要だった。
死者はエリの耳を両手で塞いだ。
「何でだ?」
こいつの家族が村を出たがっていた。
グーレゴーアの策に乗ったのも、こいつの親だ。
そして、あの女の親もだ。孫と一緒に外に出たがった。
それが対立を呼んだ。
その中で、いつしか、こいつは疎まれた。
「何故だ?」
こいつがいるから村から出られない。と、馬鹿な奴らは考えた。
こいつがいるから、救われているのに。
対立が深まり、エリを殺そうとする奴や売り払おうとする考えの者もいた。
そしてエリを逃げる時の囮にしようと言い出したのは、こいつの親だ。
平行線の話し合いに見切りをつけた。ちょうど、その頃、グーレゴーアの方から、金属を奪う話が持ちかけられる。
元凶さえなくなればいいのでは?
安易な話だ。
だが、元々の価値ある物さえ無くなれば、村に縛られることもない。
だが、問題は婆様の仕掛けだ。
それに、こいつを村に残そうと言ったのは、こいつの姉だ。
イエレミアスと一緒になりたいがため。だが、現実は、村から出ようが変わらない。
俺が手を貸したのは、どうせ、外に出れば夢はさめるだろうと思ったからだ。
それに、俺はどこかで、村なんか消えればいいと考えていた。
それから、青い男は笑った。
嘘かもしれないけどな。
皆、嘘。
だから、俺は、こいつに謝らない。
俺が皆、悪いんだよ。
さて、行くかな
青い男は、エリの手を無理矢理握ると、闇に踏み出した。
暗い影に呑まれると、その姿は一瞬で消えた。
エリは私に手を振った。
間抜けにも、私の手はエリをすり抜けた。
じっと、闇を見つめていると、組み上がるようにして私の中が変化する。
もどかしい、もどかしい、この無意味な暗い世界が厭わしい。
私の中で冷酷とも言える何かが組み上がる。
くだらない、くだらない、と、断罪する声が腹の奥からする。
しんと静かな頭の中に、鋭い何かが起きあがる。
急激な変化が私を襲う。
これは、なんだろうか?
ふと、あの男の言葉が蘇る。
死人の分際で、図々しい。
私は笑い出しそうになりながら、闇に手を伸ばした。
そして、人の道から足を踏み外した。