Act77 コインの裏
ACT77
暗い。
館は灯りが絞られており、豪華な調度が薄暗い中で陰をつくる。
やはり、部屋の暖炉には火は入れられず、空気は寒々としていた。
本来なら客間を暖めるのが、普通だと思うのだが。
私とエリが案内された部屋は、サーレルやラースとは隔たった、屋敷の奥の小部屋だった。
その扉を薄くあけて廊下を見ると、ぼんやりと微笑んで歩く使用人の女性がいた。
ヘラヘラと笑っているが、その手には洗濯籠を抱えている。抱えているが、中身は濡れて絞られた様子のない布の固まりがある。
扉の側に来たので、そっと隙間を閉じた。
ここに案内してきた男も、笑っていた。
笑っていたが、何を話しかけても要領を得ない。
部屋に私達が入ると、廊下を戻っていったが、その足取りは酔っているかのようにふらついていた。
エリは木の丸椅子に腰掛けて足を揺らしている。私が近寄るとエリは、あの動作をした。
町に入った時から、ずっとしている。
私は、彼女の前に跪いた。
「カーンにお願いして、別の町へ行こうよ」
私の言葉に、エリは少しだけ唇を引き上げた。
じっと彼女の瞳を見つめる。
彼女の瞳の中にある星は、色を変えなかった。
奥方の目は様々な色がくるくると変わった。
そして、この町は、どこもかしこも、赤かった。
門から眺めた町は、美しかった。
人の言う美しさではない。
崩れかかった過去の建造物が美しいのでもない。
この城塞跡には、七色に輝く円がいくつも浮かんでいたのだ。
縦に横に、複雑な紋様の円は、ボルネフェルトが見せた、魔法陣と同じような作りだ。
その魔法陣は、城塞跡に掛かっているらしく、割れたモノや動かないモノも多く見受けられた。
それらが、過去の智であるのに対し、今現在、町を覆うのは、どす黒く赤い歪な楕円である。
一目で恐れがわく醜い輪だ。本来は美しい過去の呪が穢らわしいモノに覆われている。
それは歪で、門から眺める限り、二重の輪になって町全体に赤黒い霧を降らせていた。
その中に入っていくなど、問題外だ。
と、思った。
思ったが、エリは鼻を押さえながら、片手で身振りする。
行こうと。
霧は、先を行く男達を濡らした。
私には、返り血を浴びたように見えた。
町中の人々も、真っ赤だった。
楽しそうに、血の海を泳いでいるように見えた。
私が狂っているのだ。怖い、逃げたい。
そう思う。
だが、血みどろの町を抜けながら、エリが少し涙ぐむのを見て我慢した。
私もエリも真っ赤だった。
エリにしてみれば、悪臭の中を進んでいるのだ、息苦しいことだろう。
そうして、たどり着いた館も、内装がすべて赤くなっていた。
汚染された者が家の中を這い回ったようだ。
廊下にも赤い線がある。
どこを触っていいのか分からないほどだ。
今いる部屋は、辛うじて赤くない。
日頃、使われていなかったのだろう。
「エリ、このままだと、皆死ぬよ」
エリは、暫く私を見た後、不思議な身振りをした。
手のひらを上に向けて、何かの大きさを示す。それはちょうど人の頭ぐらいの大きさの球体だ。
それを何度か繰り返して、指を三本立てた。
「三つの玉?」
私の言葉に頷くと、エリは自分を指さした。
「エリ?」
頷く。
三本指を胸にあてる。
「三つの玉、エリ?」
頷く。
自分を指さす。
「エリの三つの玉?」
頷いて、下を指さした。
「エリの三つの玉、下?」
指は周りをくるりと巡る。
「エリの玉は、ここ?」
エリが初めて笑った。
そして声が聞こえたような気がする。
「エリの玉がここにある?」
エリは私の手を握ると扉に向かった。
薄く開けて様子を伺う。
「どうしてここに、エリの物があるんだ?」
答えは無かった。
エリに手を引かれて、私は廊下に出た。
相変わらず、赤い世界は臓物のようだった。