Act69 信じずとも
ACT69
「汝らは、何者ぞ?」
沈黙を破ったのは、アイヒベルガー候だった。
候の青白い顔が、興奮に染まっている。
今まで横になって浅い息をついていたのに、震えながら起きあがる。
それをラースが支えた。
私は再び膝をついた。
それにエリがそばに来て、私の上着の端を掴む。
「なぜ、お茶を捨てたのか?」
震える息で、侯爵はエリに問いかけた。
エリは、私にしがみついた。
「怒ってはいない。理由だ。それとも単に、この城の物を口にして、我のように病気になるのが怖いか?」
私達は小さくなってうなだれた。
「違うでしょう、なら、この子が杯を叩き落とす必要はない。」
サーレルは転がり空になった杯を拾うと匂いを嗅いだ。
「お茶の匂いだけですね」
「顔を上げるのだ」
侯爵の命令で私は、顔を上げた。
「この水は如何か?」
侯爵は上掛けをまくり上げると枕元の水差しを指さした。
私とエリは手を繋いだまま、自然とそちらを見た。
「飲んでも体に障りはないか?」
言われれば、見ないわけにはいかない。
エリは匂いを嗅ぎ、私は目をこらした。
赤い
私はエリを見た。
エリもやはり頷いた。
「飲めるか?」
エリが首を振って答えた。
「飲めぬか、では、これは如何か?」
次に寝台の側の小箪笥から、小瓶を数個取り出した。
ラースが手伝い、小卓の上に並べられる。
それぞれ蓋がはずされ、中身が見えた。
顔を側に寄せようとするエリを押しとどめる。
一つだけ、濁った赤色が踊るものがあった。
あんな物の匂いを嗅いだら、それこそ体がおかしくなりそうだ。
それにエリも分かったのか、鼻を押さえた。
「どれが飲めない?」
侯爵の顔は今や、赤味がさしていた。
エリは迷わず、その濁った赤色の液の小瓶を指さした。
「どうしてわかる?」
その問いかけに、エリは鼻を指さした。
「汝は?」
人に見えぬ物が見える。とは言い難く、私は言いよどんだ。
侯爵は視線を鋭くした。
「わかるのだな?」
その問いには頷くしかなかった。
「その小瓶の中身は何です?」
「水差しの中身は水だ。だが、この子らが示した小瓶は毒だ。いよいよ耐えられぬようになった時にと、薬師に作らせた。ラース、水差しを」
美しい銀の水差しは、特に変色もしていない。
だが、私には毒々しい赤が踊るように見える。
エリは両手で鼻を押さえている。
臭い。と、全身で訴えていた。
「水ですね。色も匂いもない、器も反応していませんね。失礼して、私の所持している薬を入れても?」
侯爵の了解を得て、サーレルが身につけていた小物入れから、小さな包みを取り出した。
「無味無臭の毒で有名どころですと、この薬に反応して色がでます」
紙に包まれた粉薬が、水差しにまかれた。
水は、透明なままだった。
しかし、私には依然として黒みを帯びた赤い色が水の中で踊って見えた。
「毒だと汝らは思うのだな?」
侯爵に念を押されて、私は困惑した。
侯爵の病苦が果たして、この不気味な赤によってもたらされているかは、正直わからない。毒かと問われても、赤い文字がそうであるという事ではない。
只、赤と言っても自然にある美しい赤色ではない。
あの憎悪や怨念の黒々とした赤だ。
「飲んではいけないと思うのです。毒かどうかはわかりません」
逃げ口上のような答えになった。
侯爵は再び寝台に戻り、仰臥し空を睨んだ。
ラースは私達を椅子に促し座らせた。
「なるほど、これはこれは。では、私がここに滞在する間、二人に何が美味しいのか、見て貰いましょう。」
やけに明るい口調で、サーレルは言った。
「お城の中で冒険ですよ」
侯爵は重々しく頷いた。
私とエリの主張を信じるより先に、藁をも掴む気持ちがあるのだろう。
「ラース、この城は色々と見応えがあろう。使者殿と連れを、隅々まで案内するのだ」
エリは、そんな侯爵をじっと見ていた。




