Act64 紋章
ACT64
トゥーラアモンは整然と整った古い街並みをしていた。
辺境の街など、衛生環境の未熟な場所が殆どである。
だが、この古い街は、美しい石畳に下水抗というものまでが完備し、馬糞でさえ清掃する者がいた。
一般的な辺境地の町とは、土の道に動物の糞尿があちらこちらに山になる。そして家々からの排水も基本は垂れ流しだ。
人口密度があがれば、衛生面に配慮しなければ生活もままならないが、田舎はそこまでの発展はしていない。
そして、建物にしても、竈を使う家もあれば外で煮炊きする家もある。
風呂の習慣でさえ、よほどの家格がなければ無い。
文化格差は広大な大陸ならではであるが。
因みに、私の村は辺境伯の城下であるため、衛生面では格段に上等である。飲料水は井戸と家々に引き水が施されていた。
動物の糞尿も、村はずれに纏めて堆肥にするようになっていた。
ただし、個人で風呂に入る習慣はない。
村共同の蒸し風呂が川に面して建てられていた。
そんな事を懐かしく思い出す。
そして、目の前には絵画のように美しく情緒に満ちた街並みがあった。
ゆっくりと馬を進めながら、様子を伺う。
行き交うのは男が多い。
女子供は見えないし、年寄りも見あたらない。
商店は開いているが、活気が無い。
街全体がざわざわとして落ち着きが無く見える。
それは多分、街角に配置された兵士のせいだろう。
通りの角ごとに兵隊がいる。
アイヒベルガー候の兵だろうか?
騎馬は多くは無い。
物々しい装備を見るに、何事かが起きたことは明白だ。
中央の噴水のある広場まで馬を進めると、城の方角から騎馬が走ってくるのが見えた。
「おや、案外早かったですね」
騎馬は広場に駆け込むと、乗り手は素早く降りた。
近場の兵士が駆け寄り手綱を引き取る。
乗り手はそのまま私たちに近寄り、少し離れた場所で胸に手を当てた。
私が慌てて馬から下りようとすると、サーレルが引き止めた。そして彼は前に出ると、城から来た騎士に頷いた。
対する騎士は、胸に手を当て二度程叩く。
叩かれた装備が鳴り、それから少し腰を屈めた。
利き腕が後ろに回され、敵意が無いことを示される。
「王国の方とお見受けする。
我は古の名を引き継ぎしトゥーラアモンの者
名を名乗る事、お許しいただけようか」
「許します。
我は、アギレオの子に連なる者
故に、トゥーラアモンの名乗りを受け入れましょう」
サーレルは返礼を返した。
形式的な挨拶はここまでのようで、迎えに来た男と共に場所を移る事になった。
因みにアギレオとは、王国最古の軍団長の名前である。
つまり、中央王国軍の所属だという意味だ。
私達はそのまま城下町を抜けた。
侯爵の居城の周りには、それに連なる氏族と兵力がある。
そのトゥーラアモンの実質兵力は、城下を囲むように居住地があり、内郭という本格的な城壁に囲まれている。
そして、その内郭の部分の更に内側、城の周りは堀が囲む。
平城に近い作りながら、アイヒベルガー候の居城は堅い守りになっている。
ただし、この外郭、内郭を見捨てて攻城戦になるようでは、負け戦だが。
私達は、その内郭の一端にある一見役所のような場所に案内された。
城壁は分厚く、高く、内側が居住空間も含んでいるらしい。その壁を潜って直ぐの場所にその役所はあった。
「ここでしばらくお待ちください。領地差配の者と、その村の記録を持って参ります。」
エリの人別照会を最初にする事になったのだ。
それと同時に、あの処分した死体の事も記録と照らし合わせる。
通された部屋から、城壁の内側がよく見えた。
城下とは違い、石の作りの建物が犇めく。
それでいて戦時には往来がしやすいように道幅が広くとられていた。
私とエリは、陽射しが入る窓際の椅子に腰掛けている。
冬の陽射しだが、ぬくぬくと暖かい。
どうしても二人して瞼が下がる。
その間、あの出迎えの騎士とサーレルはお茶を挟んで談笑していた。
話題は最近の中央の噂であったり、他愛ない話を装った腹のさぐり合いであったりした。
出迎えの騎士は、短い黒髪に顎の角張った軍人の見本のような男だった。
少し左眉が下がり、傷がある。
そこが人好きのする風貌になっており、外見の威圧感を和らげていた。
実直そうな外見の男で、サーレルと同じくらいの長身だ。
因みに、サーレルも大男である。
身軽で重みを感じさせないのと、カーン達に紛れると普通に見えるだけだ。
トゥーラアモンの騎士は、地味な黒金の鎧と中履きをつけており、髪同様真っ黒だ。
そして、その肩当ての部分に彫られ紋様だけが黄金に輝いている。どうやら、それがアイヒベルガー候の紋章らしい。
その紋章を見て気がついた。
エリにそれを教えると、まじまじと男の肩当てを見る。
するとそれに気がついた男は肩当てを指し示して教えてくれた。
アイヒベルガー侯爵様の紋章は神鳥である。
神鳥は悪と病を喰い殺し、人を平和に導くのだ。
「神の鳥ですか」
サーレルが人別を受け取り、持ち込んだ事務官とやりとりをしながら口を挟んだ。
「ええ、元々はこの地方の土着宗教が題材で、地母神の子供と言われております」
「地母神ですか、聞いたことがありませんね」
「えぇ、侯爵様のご先祖がこの土地のご出身だったそうです。何でも、この地方には大地の毒から人を守る神がいたそうです。それを地母神として祀ったそうです」
「さすが、古いお家柄ですね」
「えぇ、この鳥は母神と同じく悪や病を喰うそうです」
「では、その母神は同じく鳥の姿で?」
「いいえ、美しい大蛇と言われています。子孫繁栄とか、長寿と知恵を司るそうです」
しばらく会話は途絶え、騎士もサーレルも人別を照らし合わせるのに集中した。
私は黄金の輝きに羽ばたく奇妙な鳥を見ていた。
確かに、鳥にしては嘴が無く、体は細長かった。
火を吹き、長い二股の舌を出している。
紋章は勇ましく、剣と斧がその神鳥に交差して描かれている。
「エリの靴の方が可愛いね」
私がそういうと、彼女は眉間に皺を寄せて神妙に頷いた。