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冬の狼  作者: CANDY
欺瞞の章
65/355

Act55 窓の外

 ACT55


 赤髪、イグナシオは敬虔な国教信者だそうだ。


 人を殺す生業と信心深さの共存が不思議でもある。

 だが、カーンに言わせると、信心深い人間の方が向いているらしい。

 嫌な話である。

 そのイグナシオは、先ほどから神のお慈悲を願ってブツブツ何かを呟いている。


「神聖教の詩編ですよ。さて、そろそろお湯が沸いたかな。」


 穏やかな声音は、金髪の従者サーレル。

 ここに来て、やっと名乗りを受けた。

 どうやら、私と彼らの道行きが長くなりそうな雲行きになったから、のようだ。


 その一つが、井戸から出てきた子供である。


 そう、井戸は腐った死体が詰め込まれており、それらが覆うように子供を一人包んでいたのだ。

 子供は痩せており、言葉を発する事はなかったが、問いかけには反応した。

 村唯一の生き残りである。


 今、残りの死体を引きずり出している。


 簡単な記録をとり、後に焼く事にした。

 打ち捨てて、去るのもありかと思っていただけに意外だった。

 それを正直に言うと、サーレルは笑った。


「国の方針で死体は焼くことになったんですよ。死体の有効活用を防ぐ意味でね」


 笑って子供を盥にいれると湯をかけて洗う。


「それに、普通の村が襲撃されたのなら、女子供を生きたまま井戸に投げ捨てるのは、おかしいですし」


 子供には薬湯と蜂蜜を溶かした物を飲ませている。

 盥に湯を張り、洗いながらである。

 どちらか一つにするものだが、栄養状態と衛生面が最悪である。

 血と蛆を最初に洗い流してから、やっと人間らしくなったので、今度はゆっくりと暖めながら体を確かめている。

 だが、脱水や栄養不良も何とかしなければならない。

 思ったよりも弱ってはいなさそうだが、ともかく腹に何かを入れなければと、滋養の薬や腹薬やらの微妙な薬湯と蜂蜜を混ぜた物を飲ませる。

 飲ませる前に、私が飲んだが、何とか味は大丈夫なはず。

 その子供は、年の頃は十前後、痩せた少女だ。血と汚れでごわついた髪色は砂色と白髪。

 白髪の髪に深い藍色の瞳をしていた。

 今はやせこけて頬も尖っていたが、肉が戻れば可愛らしい事だろう。

 ゆっくりと洗い流し、布にくるむ。

 これは集会場の奥に残っていた綿布の束から拝借した。

 少女の着ていた服は、先ほど私が洗った。洗っても洗っても、水が黒く濁る。

 ようやく綺麗になる頃には生地が草臥れた。

 早く乾くように暖炉の火の前に吊す。


 今日の出発は見送られる事になった。


 私が井戸の事を指摘した事が気に入らないのか、世の全てが気に入らないのか、イグナシオがずっと側で呟いている。

 サーレルとイグナシオは私達の側で番をしているのだ。


 他は死体の始末で忙しい。


 始末も簡単ではない。年齢や外見、死因を記録し、死体は墓地まで一旦運ぶ。そこに集めて焼却するとの事だ。


 人を焼くのにも時間がかかる。


 その間に、こちらではサーレルが子供を尋問し、私は皆の食事の用意をする。

 そして、何かとうるさいイグナシオが私達の見張りと言う訳だ。

 多分、死体の処理に、イグナシオが関わると儀式を始めかねないからじゃないだろうか。と、私は思った。

 イライラとした様子の男が側にいて、虚脱したような子供が怯えない訳がない。

 サーレルはにこやかにイグナシオを建物の外に追いやる。

 すると当然、イライラは外の炊事場で煮炊きする私の側にくる。

 仕方がないので、お茶を入れて渡した。

 イグナシオは、やっと呟きを止めると樽に腰を下ろした。

 衰弱した子供も食べれるように、野菜を細かくして鍋に入れる。昼は根菜の汁物だ。



「人が死ぬのは慣れている。女だろうが子供だろうが、兵士はいるし、死体も慣れてる」



 唐突に、イグナシオがしゃべり出した。

 墓地から煙が見える。


「だが、武装もしてない女子供を生きたまま井戸に投げ捨てる?」


 不機嫌な顔のまま、彼は煙を見ていた。


「やれるさ、多分、俺もやれる。だが、屑だ。人間じゃない。俺も人間じゃないが、少なくとも、殺してから埋める。」


 ぶるぶると手が震えているので、その手から杯を抜き取った。


「そいつ等、この村に戻ってくるでしょうか」


 それに、赤髪はニイッと笑った。


「出て行く前に戻ってきたらいいのにな。そうしたら、膾に刻んで鳥の餌だ。だが、多分、こんな卑怯者は臆病だから戻っては来ない。」


「残念ですね」


「あぁ、だが、こんな腐れた魂は、酷い臭いがするからな」



 魔物の餌にはちょうどいいんだ。



 魔物の餌が、どう言った意味かは聞けなかった。

 イグナシオは再びブツブツと呟きを始めた。そして、私も料理を続けた。


 子供は言葉が喋れなかった。

 耳は聞こえるようだが、文字は読めず、口からは吐息のみであった。

 この村の出来事を問いかけても、頷くか首を振るだけだ。

 根気強くサーレルが問いかけていく。


 人を殺したのは、村の中の人間であること。


 犯人は複数で逃げた。


 沢山の人が殺された。


 女と子供は、井戸に入れられた。


 何故、殺されたのか?


 言葉が喋れない子供は、泣いて泣いて気を失うように眠った。



 集会所の備蓄の事を子供に聞くと、食べても大丈夫という事だった。

 そこで、日持ちのする物を選んで荷物に詰めた。

 結局泊まるのだからと、備蓄の穀物を利用して手をかけて料理をすることにした。子供が食べたいような味の料理を作る。




 火葬の火を絶やさないようにするのも難儀だ。

 今晩は子供と私以外は順繰りで火の番をするのだ。

 もちろん、炎を見て襲撃した者が戻ってくる事も考えている。

 ただし、イグナシオの言うとおり、臆病者は炎を恐れるだろう。

 子供は食事をとると、炎を見に行きたがった。

 だが、遠くから見るべきものである。

 臭いも焼ける姿も、子供が見ていいのか悪いのか。

 井戸の中で生き腐れる人間を間近で見てきた子供に今更であるが。

 ただ、集会所から炎を眺めるのが一番穏やかな別れになると思う。


 子供と二人でじっと外を見ていると、天に煙が上るのがよく見えた。


 天に還るのだ。

 安らかに眠れ。

 と、祈る。



 すると、子供が扉を押し開けて集落を見下ろした。


 私も並び見下ろすと、あの井戸が見えた。

 暗い中、白い敷石が井戸を囲む。


 その影に、何かが動いていた。


 影よりも黒い、真っ黒が固まりがうぞうぞと動いている。

 それはまるで、村の祭りのように円になっていた。

 円になり、輪になり、動いている。

 手を繋ぎ、黒い固まりは動いていた。

 すると、足下から赤い色がちらちらと這い昇る。

 そして、どす黒い血の色はユルユルと巻き上がり、天に昇る。

 炎に巻かれて昇る死者の煙とその赤い何かは、混沌とした色合いを見せて空に消えていく。

 私と子供は、井戸の周りで踊る黒い固まりを見ていた。


 どれくらい、そうしていたろうか。

 見張り番の交代に男達が入れ替わると、黒い固まりは井戸に入っていった。

 私は井戸の蓋が閉まっているのだろうか。井戸を石で潰すべきだろうかと、ぼんやりと考えていた。





 子供の名前はわからなかった。

 本人も名乗れないし、文字も書けない。

 どちらにしろ、廃村の生き残りとして、国へ届ける事になる。

 役所のある場所まで連れて行く事になるのだから、その時に名前を決めればいい。

 この国の人間は名前に関して、二つ持つ事になる。つまり、隠し名と言うものだ。

 だから、文字を覚えて自ら名乗れるまでは、仮の表の名前があればいいのだ。

 貴族は複数の隠し名があるそうだ。

 だから、ウルリヒ・カーンを名乗る男にも隠し名はあるわけで。

 本来の名前は親と信仰する教義の司祭が知っている。

 しかし、公の名前でも人は中々名乗らない。

 中央の公用語は、特に人の名前を抜かすような組み合わせになる。

 だから、私もこの男達も中々お互いを名前で呼ぶことはない。

 個人の名前というものが、慣習と長期の戦争によって避けられるようになった。と、いうのが通説だ。

 それこそ、魔除け的意味でだ。

 ただし、貴族は話が違ってくる。

 公用名は、長々と名乗る。

 そして、私のような辺境の民は愛称ですませる。

 カーンは鷹の爺にでも聞いたのかオリヴィアと呼ぶが、村ではヴィだった。

 私がヴィと子供に名乗ると、子供は困ったようにもじもじとした。

 名前の音が何に近いか指してごらんと、子供を促すと、空を指さした。

 私達は集会所の扉の前に腰掛けている。

 私は順繰りに発音してみた。

 空、夜空、星、木の葉、夜、

 中央の共通言語ではないのだろうかと、北の訛に変えてみる。

 すると、ある星座をいったら、近い発音になったようだ。


「エリ?」


 激しく頷く。

 目眩をおこしそうなので、慌てて頭を押さえた。


「エリはこの村以外に知り合いはいる?」


 いないようだ。

 先ほどの黒い影の事は聞かなかった。

 私だけが見えていたのかもしれないからだ。

 そして、私は彼女の身に起きた事を聞かない。

 他の人間が聞くだろうから。


「明日、村を出て、どこに行くか聞いた?」


 聞いたようだ。

 あんな状態で、長い間いたのに、この子は落ち着いていた。

 落ち着きすぎている。

 だから、多分、村を離れてから反動がくるだろう。

 彼女が預けられる場所に、薬師や医者がいればいいのだが。

 そんな事を考えていると、遠くで雷が鳴った。

 空を見ると、煙の向こうに紫の光が走っている。

 雪か雨か、私達は中に入ると、寝ることにした。









 蛇だ。

 白い蛇がいる。

 よく見ると、とても愛嬌のある顔をしていた。

 人に慣れているのか、そばによるとするりと巻き付き、肩にのる。





 ありがとう


 私の可愛い子供を助けてくれて


 だから、私の小さな力をあげます





 蛇はチロチロと舌で私の頬を舐めると、再びスルリと降りていく。

 そうして、うねうねと去っていった。









 腐った魂がよくみえるよ


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