Act55 窓の外
ACT55
赤髪、イグナシオは敬虔な国教信者だそうだ。
人を殺す生業と信心深さの共存が不思議でもある。
だが、カーンに言わせると、信心深い人間の方が向いているらしい。
嫌な話である。
そのイグナシオは、先ほどから神のお慈悲を願ってブツブツ何かを呟いている。
「神聖教の詩編ですよ。さて、そろそろお湯が沸いたかな。」
穏やかな声音は、金髪の従者サーレル。
ここに来て、やっと名乗りを受けた。
どうやら、私と彼らの道行きが長くなりそうな雲行きになったから、のようだ。
その一つが、井戸から出てきた子供である。
そう、井戸は腐った死体が詰め込まれており、それらが覆うように子供を一人包んでいたのだ。
子供は痩せており、言葉を発する事はなかったが、問いかけには反応した。
村唯一の生き残りである。
今、残りの死体を引きずり出している。
簡単な記録をとり、後に焼く事にした。
打ち捨てて、去るのもありかと思っていただけに意外だった。
それを正直に言うと、サーレルは笑った。
「国の方針で死体は焼くことになったんですよ。死体の有効活用を防ぐ意味でね」
笑って子供を盥にいれると湯をかけて洗う。
「それに、普通の村が襲撃されたのなら、女子供を生きたまま井戸に投げ捨てるのは、おかしいですし」
子供には薬湯と蜂蜜を溶かした物を飲ませている。
盥に湯を張り、洗いながらである。
どちらか一つにするものだが、栄養状態と衛生面が最悪である。
血と蛆を最初に洗い流してから、やっと人間らしくなったので、今度はゆっくりと暖めながら体を確かめている。
だが、脱水や栄養不良も何とかしなければならない。
思ったよりも弱ってはいなさそうだが、ともかく腹に何かを入れなければと、滋養の薬や腹薬やらの微妙な薬湯と蜂蜜を混ぜた物を飲ませる。
飲ませる前に、私が飲んだが、何とか味は大丈夫なはず。
その子供は、年の頃は十前後、痩せた少女だ。血と汚れでごわついた髪色は砂色と白髪。
白髪の髪に深い藍色の瞳をしていた。
今はやせこけて頬も尖っていたが、肉が戻れば可愛らしい事だろう。
ゆっくりと洗い流し、布にくるむ。
これは集会場の奥に残っていた綿布の束から拝借した。
少女の着ていた服は、先ほど私が洗った。洗っても洗っても、水が黒く濁る。
ようやく綺麗になる頃には生地が草臥れた。
早く乾くように暖炉の火の前に吊す。
今日の出発は見送られる事になった。
私が井戸の事を指摘した事が気に入らないのか、世の全てが気に入らないのか、イグナシオがずっと側で呟いている。
サーレルとイグナシオは私達の側で番をしているのだ。
他は死体の始末で忙しい。
始末も簡単ではない。年齢や外見、死因を記録し、死体は墓地まで一旦運ぶ。そこに集めて焼却するとの事だ。
人を焼くのにも時間がかかる。
その間に、こちらではサーレルが子供を尋問し、私は皆の食事の用意をする。
そして、何かとうるさいイグナシオが私達の見張りと言う訳だ。
多分、死体の処理に、イグナシオが関わると儀式を始めかねないからじゃないだろうか。と、私は思った。
イライラとした様子の男が側にいて、虚脱したような子供が怯えない訳がない。
サーレルはにこやかにイグナシオを建物の外に追いやる。
すると当然、イライラは外の炊事場で煮炊きする私の側にくる。
仕方がないので、お茶を入れて渡した。
イグナシオは、やっと呟きを止めると樽に腰を下ろした。
衰弱した子供も食べれるように、野菜を細かくして鍋に入れる。昼は根菜の汁物だ。
「人が死ぬのは慣れている。女だろうが子供だろうが、兵士はいるし、死体も慣れてる」
唐突に、イグナシオがしゃべり出した。
墓地から煙が見える。
「だが、武装もしてない女子供を生きたまま井戸に投げ捨てる?」
不機嫌な顔のまま、彼は煙を見ていた。
「やれるさ、多分、俺もやれる。だが、屑だ。人間じゃない。俺も人間じゃないが、少なくとも、殺してから埋める。」
ぶるぶると手が震えているので、その手から杯を抜き取った。
「そいつ等、この村に戻ってくるでしょうか」
それに、赤髪はニイッと笑った。
「出て行く前に戻ってきたらいいのにな。そうしたら、膾に刻んで鳥の餌だ。だが、多分、こんな卑怯者は臆病だから戻っては来ない。」
「残念ですね」
「あぁ、だが、こんな腐れた魂は、酷い臭いがするからな」
魔物の餌にはちょうどいいんだ。
魔物の餌が、どう言った意味かは聞けなかった。
イグナシオは再びブツブツと呟きを始めた。そして、私も料理を続けた。
子供は言葉が喋れなかった。
耳は聞こえるようだが、文字は読めず、口からは吐息のみであった。
この村の出来事を問いかけても、頷くか首を振るだけだ。
根気強くサーレルが問いかけていく。
人を殺したのは、村の中の人間であること。
犯人は複数で逃げた。
沢山の人が殺された。
女と子供は、井戸に入れられた。
何故、殺されたのか?
言葉が喋れない子供は、泣いて泣いて気を失うように眠った。
集会所の備蓄の事を子供に聞くと、食べても大丈夫という事だった。
そこで、日持ちのする物を選んで荷物に詰めた。
結局泊まるのだからと、備蓄の穀物を利用して手をかけて料理をすることにした。子供が食べたいような味の料理を作る。
火葬の火を絶やさないようにするのも難儀だ。
今晩は子供と私以外は順繰りで火の番をするのだ。
もちろん、炎を見て襲撃した者が戻ってくる事も考えている。
ただし、イグナシオの言うとおり、臆病者は炎を恐れるだろう。
子供は食事をとると、炎を見に行きたがった。
だが、遠くから見るべきものである。
臭いも焼ける姿も、子供が見ていいのか悪いのか。
井戸の中で生き腐れる人間を間近で見てきた子供に今更であるが。
ただ、集会所から炎を眺めるのが一番穏やかな別れになると思う。
子供と二人でじっと外を見ていると、天に煙が上るのがよく見えた。
天に還るのだ。
安らかに眠れ。
と、祈る。
すると、子供が扉を押し開けて集落を見下ろした。
私も並び見下ろすと、あの井戸が見えた。
暗い中、白い敷石が井戸を囲む。
その影に、何かが動いていた。
影よりも黒い、真っ黒が固まりがうぞうぞと動いている。
それはまるで、村の祭りのように円になっていた。
円になり、輪になり、動いている。
手を繋ぎ、黒い固まりは動いていた。
すると、足下から赤い色がちらちらと這い昇る。
そして、どす黒い血の色はユルユルと巻き上がり、天に昇る。
炎に巻かれて昇る死者の煙とその赤い何かは、混沌とした色合いを見せて空に消えていく。
私と子供は、井戸の周りで踊る黒い固まりを見ていた。
どれくらい、そうしていたろうか。
見張り番の交代に男達が入れ替わると、黒い固まりは井戸に入っていった。
私は井戸の蓋が閉まっているのだろうか。井戸を石で潰すべきだろうかと、ぼんやりと考えていた。
子供の名前はわからなかった。
本人も名乗れないし、文字も書けない。
どちらにしろ、廃村の生き残りとして、国へ届ける事になる。
役所のある場所まで連れて行く事になるのだから、その時に名前を決めればいい。
この国の人間は名前に関して、二つ持つ事になる。つまり、隠し名と言うものだ。
だから、文字を覚えて自ら名乗れるまでは、仮の表の名前があればいいのだ。
貴族は複数の隠し名があるそうだ。
だから、ウルリヒ・カーンを名乗る男にも隠し名はあるわけで。
本来の名前は親と信仰する教義の司祭が知っている。
しかし、公の名前でも人は中々名乗らない。
中央の公用語は、特に人の名前を抜かすような組み合わせになる。
だから、私もこの男達も中々お互いを名前で呼ぶことはない。
個人の名前というものが、慣習と長期の戦争によって避けられるようになった。と、いうのが通説だ。
それこそ、魔除け的意味でだ。
ただし、貴族は話が違ってくる。
公用名は、長々と名乗る。
そして、私のような辺境の民は愛称ですませる。
カーンは鷹の爺にでも聞いたのかオリヴィアと呼ぶが、村ではヴィだった。
私がヴィと子供に名乗ると、子供は困ったようにもじもじとした。
名前の音が何に近いか指してごらんと、子供を促すと、空を指さした。
私達は集会所の扉の前に腰掛けている。
私は順繰りに発音してみた。
空、夜空、星、木の葉、夜、
中央の共通言語ではないのだろうかと、北の訛に変えてみる。
すると、ある星座をいったら、近い発音になったようだ。
「エリ?」
激しく頷く。
目眩をおこしそうなので、慌てて頭を押さえた。
「エリはこの村以外に知り合いはいる?」
いないようだ。
先ほどの黒い影の事は聞かなかった。
私だけが見えていたのかもしれないからだ。
そして、私は彼女の身に起きた事を聞かない。
他の人間が聞くだろうから。
「明日、村を出て、どこに行くか聞いた?」
聞いたようだ。
あんな状態で、長い間いたのに、この子は落ち着いていた。
落ち着きすぎている。
だから、多分、村を離れてから反動がくるだろう。
彼女が預けられる場所に、薬師や医者がいればいいのだが。
そんな事を考えていると、遠くで雷が鳴った。
空を見ると、煙の向こうに紫の光が走っている。
雪か雨か、私達は中に入ると、寝ることにした。
蛇だ。
白い蛇がいる。
よく見ると、とても愛嬌のある顔をしていた。
人に慣れているのか、そばによるとするりと巻き付き、肩にのる。
ありがとう
私の可愛い子供を助けてくれて
だから、私の小さな力をあげます
蛇はチロチロと舌で私の頬を舐めると、再びスルリと降りていく。
そうして、うねうねと去っていった。
腐った魂がよくみえるよ