Act54 輪の中へ
ACT54
そろそろ朝陽がはっきりと顔を見せる頃合いだ。
地図によれば、程なく、旧街道の本道に合流する。
薄暗い細道を一列に進む。
獣道に毛が生えた程度なので、並ぶことができない。
空気の中の湿気が重い。
そろそろ、旧街道にでるのなら、木々の濃さが薄れるはずなのだが。
しかし、視界の木々は鬱蒼と茂り、益々深くなる。
太陽の位置を見据える。
方角は問題ない。
だが、微かな違和感が拭えない。
一行の男達も辺りに警戒をしていた。
その時、もわりとした風が吹いた。
湿った低い大気に、生臭い吐息が吹き抜ける。
軍馬は鼻息を荒くし、私の馬は悲鳴のように嘶いた。
私が馬を宥めていると、男達は黙って馬を止めた。
馬の息、甲冑の音、私の息、なま暖かい風。
囂々と吹き抜けると、それはぴたりと止んだ。
鬱蒼と茂る木々からは、鳥の鳴き声さえ聞こえない。
何の気配もない事を確認すると、一行は再び馬を進めた。
一本道を黙々と進む。
すると、森が開けて、我々は墓地にいた。
あの村外れの墓地だ。
お互いに顔を見合わせるが、意味が分からなかった。
私たちは、その後、二度ほど、あの岩の側を通り進んだ。
そして、村へと戻っていた。
昼過ぎ、私たちは引き返すことにした。
村の入り口に戻り、旧街道から再び逆走して戻る事にしたのだ。
だが、村へ来た時の道はなく、細い獣道があり、そこを進むと再び墓地にでるのだ。
陽が暮れる頃、私達は再び、あの村の集会所の扉をこじ開ける事になった。
カーンは、少し、考え込んでから湯を沸かすように言いつけた。
グラグラと煮立つ水に、薬らしき粉を振り入れる。
酷い臭いだ。
その晩、その集会所で食事をとり、最後にその水薬を飲まされた。
毒物を中和する薬らしい。
確かに、幻覚ならば、今日の事も説明ができる。
そして、一行の冷静さも理解できた。
何かの行為で、私達は感覚を狂わされているのだ。
ここで、恐怖を覚えれば、更に判断力が無くなる。
カーンの懸念は、この幻覚により村人が混乱状態であったのではないか?
と、言うことらしい。
明日もう一度、道沿いに印を付けて進む事にした。
「エンリケよ、いつものを頼む」
黒髪の騎士が、同じく黒髪の従者に言った。
食事が終わり、片付け物をすませた所だ。
外には既に見張りが二人立っている。
昨夜と夜番は同じ順序だ。
エンリケは、返事を返すと身軽に外へ出て行った。
何をするのかと、扉から外を見る。
木切れと石を寄せて地面に盛っている。
私が見ているのに気がつくと、手招いた。
「野営の呪いだ。悪夢を避ける」
あの黒髪の騎士は、モルダレオというそうだ。彼とエンリケは同郷で、同じ部族らしく慣習も共通なのだ。
石と木切れで人形をつくる。
さも重要そうに腰の袋から白い鳥の羽を持ち出すと私に見せた。
「聖なる鳥の羽だ。これをここに挟んでおく。悪霊は通れなくなる」
人形の木切れと石に鳥の羽が挟まれる。
味のある出来映えだ。
ウムと、頷くとエンリケは立ち上がった。
「早く寝ろ」
ご利益を期待したい。
村は二つに分かれた。
恩恵を受け続ける事を望む者と関係を絶ちたい者とにだ。
裏切り者は誰だ?
二つではなく、三つに分かれたのだ。
奴らは逃げた。
許すまじ、裏切り者め
恩を徒でかえすとは
皆の呪詛を受けるがいい
いつか、きっと、その身に相応しい報いが降りかかるだろう。
ただ、ひとつ、哀れなる子が、気がかりだ。
我らは争い、愚かに墜ちた。
裏切り者を呪う事に喜びを感じる
永遠に、輪の中で踊る
血と苦痛の輪の中で
だが、この子だけは哀れだ
どうか
どうか、供物の女よ
我が子を見つけてはくれまいか?
屍が浮かぶ汚水の中で、私は空を見上げていた。
寒いと感じると、何かが体に巻き付いた。
暖かみを感じて体を見る。
すると、血みどろの白い蛇が無数に絡みついていた。
怖くは無かった。
彼らは、蚯蚓のように団子になり私を覆う。
私が寒くないように。
お腹が減ったら口に入り込む。
食べてくれと巻き付くのだ。
空は遠く。
美しい思い出も遠く。
いつか、蛇を食い尽くしたら、私も死ぬのだ。
ただ一つ、悲しいのは、こんなに汚れた自分が、もう、二度と会えない事だ。
二度と会えない。
優しい人だった。
こんな醜い者にも優しかった。
あの人は知らない。
だから、大丈夫。
皆、ここにいる。
いないのは、裏切り者だけ。
いずれ、裏切り者は気がつく。
何を持ち出したのか、知る。
因果は巡る、糸車のように
あぁ楽しい。
呪われる姿が見れるなら、どんなに良いか。
でも、もう、私も死ぬのだ。
悲しいよ。
寂しいよ。
怖いよ。
結局、私は、窓から外を眺めるだけ。
愛情も人生も眺めるだけ。
でも、もし、もう一度生きられるなら
恐れることなく、戦う、そう誓う
泣きながら目覚めた。
毛布を巻き付けた体が優しく撫でられている。
カーンは目を閉じたまま、私を胸に寄せていた。
夢が嫌だった。
内容がではなく、これが夢ではないと思うからだ。
現実を浸食する幻覚。
薬は効かない。
あの子供は生きているのか?
と、本気で考えている自分が嫌だった。
供物の女。
先を考えると、誰かの悲しみに涙があふれた。
悪夢除けの呪いは効果がない。
涙を拭っていると、見張りに呼ばれた。交代の時間である。
カーンは伸びをすると、私の頭を撫でた。
寝る時には帽子と耳当ては外していたので、髪の毛をかき回された。
「今日は抜ける。そうすりゃ、夜には寝心地のいい場所に行ける。ゆっくり寝れるぞ」
確証のない約束ではあったが、べそべそと泣く身には心強かった。
表にでると、外は未だ夜であった。
星は見えず、暗い雲が足早に流れている。
見下ろす集落は闇に沈み、気味が悪い。
たき火の炎が逆に、不安に思えた。
私達の前は、モルダレオとエンリケの同郷二人組だ。
変わりないかとの問いに、二人は暫し沈黙した。
何かあったようだ。
「集落に人の動きはありません。が、あれが吹き飛びました」
指し示したのは、呪いと称してエンリケが作った人形だ。
確かにバラバラになって吹き散らかされている。
「風が吹いた、とも考えたんですがね」
言葉を濁してから、エンリケはそれを差し出した。
白い羽が真っ黒に煤けていた。
「いやはや、なかなかに威勢のいい悪霊みいたいだね」
楽しそうに話す事ではないのだが。
「そいつの家は力の強い精霊を尊ぶから、それが何であっても嬉しいんだ。」
俺は違うがな。とは、モルダレオの言だ。
「では、何も不審な動きはないのだな」
カーンは集落に何の動きも無いことを確認すると二人を中に入れた。
灰をかき混ぜ、新しい薪を炎にくべる。
夜明けは未だ遠いようだ。
「どんな夢を見ていた?」
聞かれたが答えられなかった。
覚めれば何で悲しいと思ったのかわからない。
「俺はしかとした夢を見た事がない」
意味が分からず、隣に座る大きな体に向き直った。
「寝ると起きるの間に、俺は何も覚えていない。子供の頃から、夢らしい夢を見たことがない。悪夢もだ。」
あり得ないと、その珍しい瞳を見る。
「熱を出したり病気の時も、痛みや苦しさはあっても、夢らしいかけらもみない。悪夢ってモノにもだ。怪我で魘されているのも、痛いからってだけで、具体的な何かは見ていない。
まぁ、偉い学者が言うには、覚えていないだけ。らしいがな。だから、不意に、この世の中全部が夢なんじゃないかと。感じるんだ」
「夢、ですか」
炎に照らされた顔は、少し笑っていた。
「だってそう思わないか」
確かに、村から出られないのは、夢なら納得がいく。
誰かの夢なら、早く覚めてほしいものだ。
「色々な人間の寝る姿を見てきた。お前のように泣く者も見たし、魘される者も知っている。聞けば、色のついた夢も見るそうだな。実にうらやましいが、疲れる事だ。」
ふっふっと、低く笑ってカーンは集落に目を向けた。
「彼奴等は夢を知恵のお告げと考えている。」
モルダレオとエンリケの事だろう。
「夢に意味を探すらしい。だが、夢は夢だ。眠りが知識の吸収を促すのなら、夢は外圧に対しての脳の安全弁に過ぎない。夢が人間を傷つけるのは、虚構の中に過ぎない。」
つまり?
「幻ではなく、原因は確かにあるはずだ」
吹き散らかされた木と石を指す。
「我々への干渉が何であれ、その原因はどうでもいい」
「どうでもいい?」
「帰還を阻む者は蹴散らす。」
「蹴散らせるのですか?」
笑いを消して、カーンは続けた。
「迷信を信じなければ、簡単な話だ。オリヴィア、こういった騙しはよくあるんだ」
「騙し?」
「道と景色を少し弄ると人は容易く錯覚する」
「方角は間違っていなかったはずです」
「そうだな。だが、あの岩が特別な磁場であったとしたら?人に対して害のあるモノであったら?」
「どういう事です」
「ああいった岩の中に、人間の毒になるモノがある。戦の時にも使用されている。」
「岩が?」
「長く人の側にあると、体が弱ったり頭が狂ったりする。家畜が育たなかったり、畑の収穫が減ったりもするか」
「そんな事があるのですか?」
「あぁ、実に恐ろしいモノだ。石や岩、金属にもそういった毒を含むモノがいくらでもある。そういったモノを武器にすると、人間は使う方も使われた人間も、長く苦しんで死ぬ」
私が絶句していると、一息、深呼吸をしてカーンは続けた。
「もし、この村がそういった武器の加工を請け負っていたとしたら、立ち寄る人間にむけて何か仕掛けを残していたとしても納得できる。」
予想外の話に、私は混乱した。
「怖がる事はない。もとより、恐れるべきは人間だけだ」
朝陽が昇る。
雲の薄い切れ間から、集落に光の帯が降っている。
久方ぶりの光だ。
本来なら家々から煮炊きの煙が上がるのだろうが、今は冷え切った景色だ。
私達は昨夜の残りを腹に納めると、集落の家を改めた。
縄や紐を探し、道の目印にする為だ。
手持ちの物はもったいないというのもあるし、村が遺棄された要因を探す意味もある。
我々が関係を持つ必要はないが、今日も又、この場所に捕らわれるようならば、原因を探す事も必要だ。
ただ、率いるカーンは、今日は先に進めると考えている。
多分、彼が正しいのだろう。
順繰りに家捜しをしながら、この家の人間がどうなったのかを考えるよりは、何も考えない方が心の中は穏やかだ。
だが、そうもしていられない。家々を細かに調べると、どうやら、家財を持ち出す前に人間は始末されていたようだ。
家具の置いてあった部分を避けるように、家々にはどす黒い染みが幾つも見つかった。
男達には見慣れた痕で、どうやら、村人の多くは、もしかしたら村人全員が殺害されている可能性があった。
そして、その痕から、死んだ後に家財が持ち出された様子がある。
殺害と略奪が同時だったのか、我々のように、殺害後に訪れた者が金品を持ち出したのかはわからない。
では、当然の疑問がある。
死体はどこだ?
墓は掘り返され、村のどこにも腐敗したモノや焼かれた骨も見つからない。
縄や紐を広場に集めながら、私達は嫌な想像に支配されつつあった。
男達も、警戒を更に怠らず、私は家捜しから外されて馬の側で待つことになった。
ふと、初日に飲むのを止めようと決めた井戸が目に入った。
村の中心で蓋がされ、重い石が被せられている。
馬は近くの木々に繋ぎ、私はそこに座っていたが、目の前の井戸から目が離せなくなった。
夢のなかで見上げた空は、小さく世界を切り取っていた。
まさかと思う。
凝然としていると、男達が戻ってきた。
私が余りにも固まっているので、赤い髪の男が目の前で手を叩いた。
その音で気がつくと、赤髪はイラッとした調子で問いかけてきた。
「何をボサッとしている。しゃっきりしろ」
イライラとした雰囲気はこの男の普段からの態度である。
別段私個人に怒りや不満を持っているわけではない、はずだ。
「どうした?」
カーンが仲間と段取りを中断して、問うてきた。
「おい、聞いてるんだ、しっかり答えろ。坊主」
とは、赤髪。
未だに、この男は私を小僧と思っているようだ。
私が躊躇しているうちに、カーンがもう一度問うてきた。
「旦那方、くだらない事なんですが」
「早く言え、小僧」
イライラとした合いの手と身動きが、赤髪の癇性を表していると、何とも微妙な心持ちになりながら、私は続けた。
「あの井戸の中は、水ですよね」
中を覗けば、水底があるだけだ。
間抜けな問いだと、自分でもわかっていた。
しかし、男達は、特に赤髪は盛大に顔をしかめると、屈めていた体を起こして罵った。
そして、そのまま井戸に向かうと、八つ当たりのように蓋の重石を投げ落とした
。
盛大な音と共に、蓋も投げ捨て、従者に灯りをもってこさせる。
小さな角灯に縄を結ぶと、井戸にスルスルと下ろす。
その時間は僅かで、癇癪を起こしたような顔のまま、男はカーンを呼んだ。
「畜生、なんて奴らだ、悪魔に呪われるがいい!」
そして、神様と彼は言った。
私は、馬の側から動けなかった。