Act53 手痕
ACT53
一見すると、それは岩に見えた。
白と言うには薄い影があり、表面は滑らかで陶器のようにも見えた。
大人の背丈の倍ほどの高さで、馬上からぎりぎり岩の上面が見える。
岩、なのか人工の壁か何かわからない。だが、この黒々とした森の中にあると、違和感が拭えない。
人工の物だとしても、森に横たわる大きさと厚みを考えれば、どうやって岩を運んだか見当もつかない。
道を進むと、その姿が大きくなっていく。
黒い木々とうっすらと積もる雪。灰色の何か。
ふと、地下の墓石を思い出して身震いがはしる。
私は、我知らず馬の足を鈍らせた。
それに後続が問いただそうとするのを、カーンが挙手し止めた。
私は懐から地図を取り出すと広げてみる。
乾いた皮の地図には、特に何も示されていない。
村と細い脇道と、森と山。
村が背負う北の山には、大型の獣がいるようだが、それ以外の印はない。
そして、このような不気味な何かもかかれていない。
少なくとも、この心細い道以外、本道には戻れないようだ。
もし、この道を引き返す場合、更に迂回するとなると、雪と泥にまみれた街道に一旦出ることになる。
そうなれば、折角、凍死を避けるべく寒気より先んじて稼いだ道のりが無駄になる。
如何したものか。
私一人なら、戻る。しかし。
私の逡巡を見てとると、カーンが進むと決めた。
ただ、何が不安か述べるように促した。存外、静かに聞かれたので、私も素直に答えた。
あの白い何かが、怖い。
大きな墓石のようだ。
近寄らぬですめば、一番良いと思う。
臆病な事を言って、旦那方には申し訳ないが、アレが怖い。
だが、誰も私の事を笑わなかった。
馬までが賛同するように、静かにしていた。
カーンは、肯定するように頷いた。
だが、これ以上の寄り道は少し拙い。
できれば、後、二三日中に、北領を抜けたいと思う。
そう言われてしまえば、もう、何もいえない。一人で戻るのもできるが、現実的ではない。
彼らに同行させてもらっているのは、私の方である。
快適で安全なのは、小集団とはいえ、完全武装の騎馬のおかげである。
何よりも、今、一人になる勇気が私にはなかった。
未だ、北領の北端地域である。
あれも怖い、これも怖い。
生きている限り、怖いことは尽きない。
やがて、それが道に沿うように近づき、肉眼でもはっきりと全容が見えた。
表面に規則正しい鱗模様がある。
緻密な鱗は、湿った空気のなかで、少し変色していた。
岩の壁、にしては継ぎ目なく、薄暗い景色の中でほんのりと浮き上がって見えた。
模様は緻密だが、岩は密度が低い。
軽石のように細かな隙間がありそうだ。
異様だ。
模様はビッシリと表面を覆っている。
これほどの細工を岩の表面にして
いるのだから、何かの建造物なのだろうと思う。
だが、見た限りでは単に岩肌に彫り込んだだけのようだ。
苔むす事なく、木々に埋もれることもなく、ただある。
それが異様な事の一つで、目の前の圧迫するような雰囲気が気持ち悪い。
ただただ、見上げて馬に揺られていると、カーンが側に来た。
「ありゃぁ、何だと思う?」
岩の事だと思ったが、彼が顎をしゃくったのは別の場所だ。
見間違いかと思った。
目を凝らす。
私は道から逸れ岩に近寄った。
岩の下、地面のとの継ぎ目の土が盛り上がっている。
まるで、大岩が天上から降ってきたので地面がえぐれ土が飛び散ったかのようだ。
そう、つい今し方、低木を引きちぎり草をより分けたように。
もちろん、そんな訳がない。
そして、カーンがそれを指した訳ではない。
手だ。
岩と地面との継ぎ目に、無数の手痕がついている。
ちょうど、地の底から手を伸ばして、ペタペタと痕をつけたようにだ。
大きなもの、小さなもの。
無数の手痕がつき、そして、地面に向けて線を引く。
まるで、地面に人間が飲まれたか、又は、地面から手が伸びたか。
「あー言う風習ってのがあんのか?祭りとか」
暢気な声音で言われても、そんな奇習などない。
にらみ返すと、先を行っていた一人が振り返った。
「カーン、面白いぞ」
騎士の一人、黒髪の男が頭をしゃくった。
因みに、私は彼らの名前を知らない。
騎士と言ったが、騎士なのかも知らない。
多分、カーンと同じ身分だろうから、便宜上騎士と思うだけだ。
髪色で、黒と赤と茶色が二人の計四人の騎士。
それに従う男が二人、身分的には下のようなので従者と私がしているが、もしかしたら違うかもしれない。金髪に黒髪の二人。
年齢は、人種もそれぞれなのでわからないが、外見と様子から、カーンと同じぐらいの壮年の男だ。従者と思わしき男二人は、少し年齢が高い。
普通の従騎士だともっと若い者だと思っていたが、実際はそうでもなさそうだ。
そんな失礼な事を考えながら、私もカーンに続く。
黒髪の騎士が示した場所は、灰色の巨石の終わりだった。
自然のものなのか?
最初に浮かんだのは、そんな疑問だ。
自然の岩を加工した。
という事が一番常識的だ。
しかし、曲線を描く姿を、果たして辺境の石工が再現できるか疑問だ。
それとも、もっと古く何か重要な建造物の一部だったのか。
私の浅い知識では目の前の、事柄は全く説明できない。
そう、簡単な表現をすれば、蛇が地面に頭を突き込んでいる。
岩の終わりは、地面にめり込んでいた。
滑らかな鱗模様は黒い土に続き、この岩が細長い壁である事がわかった。
道から逸れて岩の反対側に回る。
おそらく、想像したような中身はなく、道沿いに見せていた
姿と同じだった。
つまり、蛇がうねるようにして森に横たわり、頭を土に埋めているような感じか。
ふと、私たちが来た方を振り返った。
鱗の向きからして、こちらが頭のように感じたが、では、最初に見かけたしっぽはどうだったか?
尻尾や鱗と自然に考えて身震いした。
こんな岩が本当に蛇だったら、人間など丸飲みだ。
ふと、私は目を瞬かせた。
赤い。
どんよりと、視界が赤黒い霧に覆われた。
目を擦る。
赤い小さなヒト形が地面にのめり込む岩に纏いついている。
驚き、手綱を絞った。
赤は不吉である。
あの異質な世界では、力であり、禍事であり、憎悪の色だ。
「カーン、離れた方がいい」
敬称を忘れた声が震えていた。
見えなかったのに。
外では、見えなかったのに!
「オリヴィア、何が拙い?」
それでも、彼らは道に馬を戻した。
しばらく、走らせて振り返っても岩が見えなくなる頃。やっと言葉が戻ってきた。
並足になって、私が平静を取り戻すのを見ていたのか、従者の一人金髪の男が並んだ。
「さっきの岩、何だかぞっとしたんだが。あれは何だったんだ?」
言葉にすると幼稚な気がして、私はわからない。と、答えた。
だが、彼らも暇なのだ。
話の続きを促してくる。
「私が臆病なだけです。だけど、あれは良くないと思います」
「良くないな。良くないってのは、どういう意味なんだ?」
馬の揺れに力を抜いて、黒髪の騎士が振り返った。
返答に詰まると、カーンが笑った。
「つまり、不吉って事だろう?」
それから話は、彼らの出会った不吉な話に流れた。
彼らの不吉な話を聞くと、私が感じ取ったものは、不吉なのではなく、不気味なのだろうと思った。
因みに、彼らの不吉な話は、食事の時に出てきた一杯の酒杯や、夢の話である。
所謂、験が悪いという話だ。
案外、戦を仕事とする人間は迷信深いのだろう。
「さっきのは、あの村の儀式の場所なのかもな」
どちらにしろ、もう二度とあの場所には戻らないのだ。
どうでもいいと私は不安を打ち消した。