幕間 微睡み
[微睡み]
雪の落ちる音に覚醒する。
あれから二晩吹雪は続いた。
仲間と共に、雪をおろし出口をかきだす。夜昼無く皆で動いた。
眠り、食い、雪をかく。
細切れの眠りの合間に、娘は目覚めていた。
奥の部屋に横になり、時々、年寄りと何か話している。
一言、二言、拾う限り、たいした話ではない。
体の具合、腹の具合、お互いに相手の無事を確かめている。
疲れた。と、娘が微笑み。
そうか。と、年寄り達が返す。
単に涙もろいのか歳の為なのか、皆、一様に沈み泣く。
それに、娘が大丈夫と言って。
大丈夫
何が大丈夫なのか?
収まりの悪い何かが、頭の後ろで身じろぐ。
寄りかかる柱に背中の筋肉がこわばっていた。
雪の具合で、帰路は倍の時間がかかる。
南下して師団に復帰するのに、どれほどかかるだろうか。
領主館に着いてから、街道の状態にもよる。
街道を上り、オーダロンの中央門に向かい、そのまま審判官に首を渡す。
中央門から外郭を抜けるだけなら早い。
そのままオサラバできればいいが、首を確かめるのに早くて一日。防腐処理は施されているが、貴人を呼び出して本人と確認するのは難しいだろう。
そして、そのまま神殿経由で報告し、集合査問院で認証を受ける。その足で首都の司令部により、事務手続きを終える。
うんざりする行程が順調ならそこまでで四月、問題がない
方が珍しい事を考えれば、南領に出発するのは年明け後になるだろう。
年明けとなると、自分の在籍している師団は本拠地に戻っている。
十の兵団は、常に南領を循環している。
兵士の循環移動は、四季の風物詩だ。
常に本拠地にいる第一兵団と第二以外は、防衛拠点を巡るのだ。
自分の所属は南領第八兵団である。本来は、第一か第二と一緒に行動し、戦時中は第八で行動する。兵団は八つの師団に分かれており、その中の八の八、第八師団は別名愚連隊と呼ばれる大型獣人の集団だ。戦闘が激化すると、個別で遊撃と破壊を繰り返す。
そして、その中でも頭がオカシイ奴らが塵掃除を任される。
そのオカシイ奴らは、南領の将軍、統合軍団南領統括長とやらが仕切っている。
総司令の直属隊というわけだ。だからイカレた者共は、総司令のいる場所が所属地になる。
今現在は、休戦中の為、表向きは第一兵団に所属し、後ろ暗い仕事を直属隊としてこなしている。
今回の首狩りの後は、暫く、直属隊としての任務は無い。
ここ数年、塵掃除ばかりしてきたので、統括領の人事から注文ついたそうだ。
長期戦闘従事者の管理規定事項に抵触する。短く言ば、大型獣人であっても、長期間の殺戮戦闘に比重を置きすぎており、頭が狂うのを危惧している。
手遅れだよなと、第八の奴らが聞いたら大笑いである。
そこで、暫く、停戦期であり任務地が比較的穏やかな地域に循環する第八師団に里帰りになった。
頭が病みそうなら、休暇らしく保養地にでも送り出せばいいものを、仕事をしながら休めと訳の分からない予定になっている。
どうやら、すでに中央の人間からすれば狂人認定は決定らしい。
年明けの第八師団の駐屯地は、東マレイラの海岸地域だ。
東マレイラの夏は素晴らしいが、冬はいただけない。
記憶にある限り、あの地域の冬は雨だ。
豪雨に近い氷雨が降る。
潮風と雨。
夏は限りなく暑く晴れ渡るのに、冬は常に雨が降る。
雪ではない。
常に雨だ。
だから、あの場所への駐屯時期が冬にかかると、兵の士気が下がる。
再び、雪が屋根から落ちる音がした。
瞼を開くと、年寄り達も火の番以外は眠りについた。
風も弱まり、三日目の昼になろうという頃合いだ。
そろそろ、腹もすいてきた。
食い物を探そうと起きあがる。
すると、奥の間で寝ている娘と目があった。
白身が少ない琥珀色の瞳が、光を湛えている。
まるで、人形の目だ。
人形の目は不気味だ。
生き物と違い、焦点があっていない。そう、まるで瞳孔が開いた死体のようだ。
死体。
大の大人が怖じ気ているかのような考えに笑った。
「よう、気分はどうだ?」
近寄って覗き込む。
すると、娘はゆっくりと瞬きをした。すると、まるで獣面のように瞳が縮んだ。
縮んで見えた。
「お前、目が」
どもる自分に、娘は眉を寄せた。
「目が、どうしたんです、お客人」
落ち着き払った子供の声に、言おうとしていた言葉が逃げた。
「いや、なんだ。腹が」
そう、この娘も獣人かも知れない。ならば、獣面が体の一部を変化させる事もあるだろう。
子供とはいえ、獣面をあからさまに指摘する行為は、無礼である。
「お腹がすいたんですね。私の背嚢がどこかにあれば、薫製肉があるんですが。食事まで我慢できますか」
そう言いながら、娘はヨロヨロと起きあがる。
ひもじいと訴えかける自分が、滑稽だ。
「いや、お前、寝てろ」
肩に手を添えて押しとどめる。
めまいがしたのか、娘は目を閉じた。
その顔を見ながら、自分の思考が切れ切れになるのを自覚した。
ぼんやりとする。
睡魔とは異なる存在の散逸。
そもそも、お前はその程度なのさ
右手に、小さな鏡があった。
違和感。
思考の散逸。
そして感覚が鈍るのを自覚。
とっさに娘から、身を退いた。
この感覚は、覚えている。
毒ではない。
体は麻痺も痺れもない。
だが、自分自身の何かが管理を外れている。
恐怖。
それに近い感情に身を強ばらせる。
駄目だ。
力を抜く。
考えようとすると、どんどん感覚が乱れる。
小屋の中を見回すが、異常は無い。
馬の落ち着いた瞳を眺めて、自分の異常を知る。
ガクガクと手が震えていた。
その間にも思考が鈍麻していく。
強制的に、何かが自分を浸食している。
「ナリス、俺は、どうしたんだ?」
滑稽な問いかけに、日頃沈黙を貫く異形が答えた。
外に客だ
剣を握り、小屋を飛び出す。
小屋の周りを素早く見回す。
誰もいない。
気配を探りながら、剣を抜く。
「俺に何をした」
胸元に差したナリスが笑った。
白い世界に息が消える。
気配も無く、それはいた。
赤い一つ目の鷲だ。
見つけると共に、止まる枝ごと叩ききる。
雪に落ちたのは枝だけだった。
一つ目は、するりと隣の枝に身を移した。
うなり声をあげている自分は、すっかりのぼせ上がっている。
それを自覚したのは、散々枝を下ろした後だった。
息を切らして膝をつく自分を、ナリスが笑った。
それに答えるように、鷲も身を震わせている。
どうやら、怪異に馬鹿にされたようだ。
「俺に何を」
怒鳴ると、一つ目はゆっくりと瞬きをした。
やはり、鷲では無いようだ。
「お前、二つ、ある」
甲高い声で一つ目は言った。
「お前、旨そうなもの、もってる」
喰っていいか?
翼を広げてそれは笑った。
白い雪の上がどす黒く汚れた頃、やっとそれを切り刻み終えた。
鳥のような何かを殺しても、頭の靄は晴れなかった。
散々、外で騒いだのに、小屋の中は静かだ。
これも怪異の何かなのか、わからない。
只、自分に異常がある事を覚えていようとして、自分の手を傷つけた。
血を絞ったところで、貴様は忘れるのさ
虚脱感を抱えて小屋に入る。
確かに、覚えていられたのは、自分が何かを忘れたという事と手の傷だけだった。
忘れた事を覚えているのに意味はあるのか?
「帰路は、北東の旧街道をお使いになられますか?」
無為な時を過ごした自分に、火の番をしていた頭領が聞いてきた。
無言で側に座る。
皆、眠っている。
雪下ろしの後なのだから不思議ではない、が、訝しい。
「領主館に立ち寄らぬ方がよいのか?」
「お急ぎでなければ、逗留されるのに異存はございません」
ですが
と、年寄りは続けた。
「立ち寄られた場合、春までは足止めされましょう」
刺した手の傷から血が流れ、土間に流れ落ちていく。
「春とは、まだ、冬のとば口じゃないか」
「はい、まだ、荒れる時期ではないのですが」
少し、足音が早いのです。
「この地は厳しい環境ですが、これほど早い降雪と吹雪は珍しいのです。雪が降るとしても、積もる時期ではないのですよ。
だいたい後、一月半程、後ならばよくある話です。
遅い果実を刈り取る余裕があるはずなのです。
いつもの年ならば」
「今年は荒れるのか?」
傷口を縛りながら、戸口に戻り外を見た。
雪は止んでいた。
胸苦しいような、紫を掃いた空は、朝なのか昼なのかわからない。
「このような降雪の後、数日は好天が続きます。これを勘違いして、外へ、森や山に入ると死にます」
死と言う言葉に、雪を汚した怪異の黒い血に目がいった。
「あの鳥は、何だ?このあたりには、あんな生き物がいるのか」
「あんな、とは、どんな物でしょうか?」
小屋の扉を少し開けて、外の肉片を見せる。
「あぁ、北の山から時折奇妙な生き物が降りてきますよ。例の北の領域は、見たこともない物がいるそうですな」
愛想の良い答えに、扉を閉めると閂を下ろした。
無言で睨みつけるが、相手は笑うだけだった。
「で、死ぬとは穏やかではないな」
「好天の後、山脈から凍り付くような風が吹くのです。鳥も凍り付いて落ちる程の寒波ですな。それが年明けまで続く」
「村の人間はどうするんだ」
「本来なら、その間は備蓄で乗り切ります。まぁ、毎年の事ですからな。只、今年は早い。その分、飢えずに年を越せるか、ぎりぎりでしょう」
これを素直に読めば、天候により足止めされた客を抱える余裕は無い。と、いう話で終わる。
だが、何か、おかしいのだ。
手の傷が教える。
忘れているぞと。
「北東の旧街道など知らぬぞ」
それに年寄りは、にたりと笑った。




