幕間 風が吹くだけ
[風が吹くだけ]
最初に風に気が付いた。
今までが静か過ぎたので、ソヨリと空気が微かに揺れるのが直ぐにわかった。
風上に向かい歩く。
すると、空気に湿り気が混じる。
墓標のような町の中央に、石の門があった。
石詰みの柱で上は弧を描いている。
扉のない門だ。
それは町中に唐突にあり、何故、こんな場所にあるのか謎だ。
装飾でもなく、その二つの柱の間は、普通の石畳。
抜けた先も、今までと同じ町並みだ。
ここが町の中心というわけでもない。
それとも、この石の枠組みは何かの印なのだろうか。
風は、その石の門から先より吹いてくる。
娘を背負い直すと、気配を探りながら歩を進めた。
石門を潜る。
特に何もおきない。
気を抜かずにそっと振り返る。
すると、背後の景色が消えていた。
慌てて顔を戻すと、そこは薄暗い石の洞穴であった。
暗いが、己の視力は闇に強い。
先を見ると、通路は徐々に上り坂になっている。
それよりも、嗅ぎ慣れた匂いが気になった。
湿り気を帯びた空気は、先ほどよりもずっと冷たい。
しかし、冷たさとは別に、不愉快な匂いが混じっている。
それほど時間は経っていない。
緩やかに右に湾曲する道の先に、人がいた。
自刃して男が頭を下げている。
喉、腹、手首。
膝を付き、謝罪するように力つきている。
その血は通路にまき散らされていた。
擦り付けたような痕もあり、苦しんでのものか、わざとなのかはわからない。
その血の輪を跨ぎ潜る。
敵対者や獣がいないのなら、死人に用はない。
消えるな、やめてくれ
ふと、頭の隅が煩く感じた。
振り返ると、何もなかった。
何もあるわけがない。
自分は、国賊を追い洞穴に入った。
一人は狩る事ができたが、もう一人は追従する者どもと一緒に崩落で生き埋めだ。
そして、帰ってきた。
この不快感は、任務を完璧に達成できなかったからだろう。
そろそろ、外に出られる筈だ。
冷たい冬の風を感じる。
雪と湿った清潔な空気。
濁りも、血の匂いもしない。
凍えるような風が吹く。
通路の先がうっすらと明るい。
風が吹く。
寂しい冬の風が吹く。
帰って、新しい場所へ向かおう。
今度は暖かい場所がいい。
洞穴の先に白い光が見えた。
穴の縁に立てば、足下に馬と仲間がいた。
縦穴の下から見えにくい場所に、この横穴があるらしい。
足場は上に向かっている。
どうやら、縦穴の下り道とは別に上に出られるようだ。
上で合流すると伝えると、撤収を始めた。
元々、機動力を優先している仲間だ。
あっという間に、残されていた馬ともども登り始めた。
時々、こちらに声をかけるが、首級の袋を見せれば後は黙々と上を目指した。
胸が詰まるような冷気だ。
洞穴の中で過ごした時間がよくわからない。
時間の経過が頭から飛ぶのは初めてだ。
穴の口から降り続く雪。
雪雲は明け方なのか色を纏っていた。
冷気と雪の音とこの世の果てのような、沈黙。
娘の微かな息も、自分の吐く息も、白く微かで心許ない。
何故か、早く地上に行かなければと焦燥が腹にたまる。
まるで、何かを怖がっている。
怖い?
くだらない事が重要に思えるのは、疲れている証拠だ。
仲間の上る足場より、こちらはだいぶ細く脆い。
やがて、穴の縁が目に入る場所に来ると、彼らが見えた。
頻りに娘が気にしていた、村の狩人達だ。
五人の年寄りは、火を囲んで穴の底へと目を向けている。
当然、我々が上ってくるのも見えていた。
立ち上がった彼らは、我々が登り切るのを無言で見守っていた。
先にたどり着いたのは、馬を引いた仲間の方だった。
年寄り達と、話し合っている。
これまでの経緯と情報を交換しているのだろう。
一度だけ、穴を振り返った。
真っ暗な闇に白い雪片が消えていく。
黒々とした闇。
自分は何も感じない。
いつものことだろ?
一本の剣に意志はない。
踏む出す背中に、風が吹く。
風が吹いて、それだけだ。




