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冬の狼  作者: CANDY
喪失の章
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幕間 忘却の荊

[忘却の荊]



 祭壇の広場から石の町に階段が続いている。

 ここに青空と緑があれば、繁栄した町並みに見えるだろう。

 しかし、ここには星も風も光もない。

 出てくるのは、溶け腐った死体か化け物だ。

 散々、醜い物や不可思議な現象を見て体験し尽くしたと思っていた。

 だが、この場所は想像力の貧困な自分でさえ、戸惑う。


 正直、恐怖はない。


 死や痛みは辛いが、いつもの事だ。

 化け物も、死に様が醜いのも、自分にとって戦場と変わらない。

 ただし、全てが少し狂っている。

 歪で不確か。

 だから、恐怖は無いが不安だ。



 いつもの外面が取り繕えない。



 真面目腐ったつまらない顔をしているはずだ。

 背中の娘を背負い直す。

 石の町をどれほど歩いたろうか。

 ここに来た人間の姿は、もうどこにも見えない。

 逃げ失せたのだろうか、死んだのだろうか。

 踊らされた男の首は大人しく腰にある。

 付き従った者、騙された者、信者、それらの生き死には自分の仕事には関係ない。

 あくまで、始末するのは二人だけだ。

 もう一度、準備をして、ここに戻らなくてはならない。

 あの男は、ここにいるのだ。

 どうやったら、あのまやかしを叩き斬れるのだろう。

 化け物は斬れた。

 だが、斬れたからといって始末できたとはいえない。

 そこが、この場所のおかしさだ。

 死ぬという絶対的な現象が、おかしくなっている。

 南にできた、あの場所と同じだ。

 まぁ、腐った死体は潰して焼けばすむが。

 何処かに嘘がある。

 奇術というには無理がある。

 己の頭の中身がイカレたという方が納得できる。



  否、イカレているのか。



「誰だ?」



 道の先に忽然とソレはいた。

 全く気配はなかった。

 肩幅に開いた足に、細い剣が腰にある。

 壮年の男は長い黒髪を一つにしていた。北の男に多い装いだが、古めかしい。

 顔は、奇妙なことに、誰かに似ている。

 知り合いではないが、何処かで見たことのある顔だ。

 細面の暗い表情の男だ。

 目の色は薄い水色。



「私は貴様のような奴が一番嫌いだ」



 男の声にも聞き覚えがあった。



「傲慢で卑怯、運ばかり恵まれている」



 黙って聞く。

 厭な予感がいや増して、只、立ち尽くす。



「我が兄弟は眠りを守り、愚昧な人間の世を保つ。だが、貴様は門より帰らなかった。


 人殺しの獣め。


 娘の願いを聞かず、この禁域に戻った罪、心して聞くがいい」



 囁きに近い、静かな口調。

 誰だ?



「貴様は忘れる。


 受けた恩も娘の運命も忘れる。


 ここで犯した罪への罰だ。


  忘れて愚かに生きるがいい。


 この会話も記憶には残るまい。


 宮の呪いに勝てば話は別だが」



 呪い。



「人の世に戻れば、供物は長らえる事が難しい。


 貴様が思うよりもずっと、娘は憐れな末路を辿るだろう。


 それも、貴様は忘れる。


 何故、娘が死ぬのか、死んだ後も苦しむのかも忘れる。」



 何を忘れるのだ。



「そう、最初から貴様は理解していない。人という獣だからだ。



 だからこそ、主は試される。



 忘れて尚、貴様のような人間でも、救う価値があるかを。」




 無駄であるのに。




 不愉快そうに言葉を結ぶ。

 そして、男はゆっくりとこちらに歩み寄った。


 殺気はない。


 だが、ゆっくりとした歩みは奇妙に見えた。

 歩いているというより、歩いているように見せている。


 目を凝らす。


 一歩、身を引いたところで、男が、幻のように薄い事に気が付いた。

 厚みのない絵だ。



「近寄るな」



 斬る。事ができるだろうか?



「不安か獣。この世には、貴様の剣で斬れないものなど数多ある。」



 男の姿は滲み、靄のように漂う。

 乾いた小枝を折るような音がした。

 パキパキと腰の革袋から聞こえる。

 霞が完全に消えるのを確かめてから、小物入れに手を伸ばした。


 砕けたはずの鏡が、手の中にあった。

 只、その模様は薔薇と茨が刻まれている。




 さようなら。




 幽けし声が聞こえる。




 チリン




 もう、この鈴はいらぬだろう




 取り上げられまいと震える拳を握り、銀の鎖を巻き付ける




 やめろ




 いつもの貴様に戻るだけ




 やめろ




 下劣な輩にお似合いの




 やめてくれ




 お前を誰が信じるというのか













 もう一度、智者の鏡を仕舞う。


 出口はどこだろうか?


 唐突に、頭の中が冴えたように感じた。


 自分は戻らねばならない。


 早く。


 主犯の遺体を確認できなかったのは不覚だった。


 遺跡が崩落するとは、予想外だ。


 あの狂人の死に様としては、呆気ないものだったが。


 五番目の首があるだけマシか。


 抵抗した者共は、遺跡の崩落で死んだ。


 もう、誰も生きてはいまい。


 面倒な報告になりそうだが、まぁ、どうにかなるだろう。


 背中の重みを揺すり上げて背負い直す。


 あぁ、オリヴィアを返さなければ。


 オリヴィア?


 誰だそれは?


 娘?


 娘など知らない。



「あぁ、そうか。この子供か。そうだ、村に帰さないとな。」


 静まりかえった石の町に、自分の声が響いた。

 何故か、自分を殺したくなったが、歩き出すことで我慢した。



 気分が急に悪くなった。



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