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冬の狼  作者: CANDY
喪失の章
53/355

幕間 後悔はしない

[後悔はしない]




 押し寄せる圧力が一瞬だけ薄れた。



 その隙をついて化け物を斬る。ここまでは同じであるが、そのまま黒い蠅を突き抜けると横たわる体に剣を振り下ろした。

 ゾクリとした感触と、醜い絶叫。

 石の祭壇の体は見る間に朽ちた。

 背後から再び化け物がしがみつく。身にふれると体が痺れ、頭の中身が塵になる。

 それを乱暴に振り払う。

 拘束力が思った通り弱い。


 真ん中の生け贄の腹に剣を振り下ろす。


 腐った臭いがする。

 やはり見る間に朽ちた。

 すると、背後の気配が消えた。

 振り返ると、化け物が微笑んでいた。


 奇妙だ。


 だが、これを始末せねば、あの狂人に手が出せない。

 再び、組み敷かれる前に、最後の一体に剣を振り下ろす。

 すると、剣が何か堅い物に触れた。骨だろうか。


 最後の体は朽ちなかった。


 微かな何かが壊れる音がして、祭壇の体から小さなうめき声が聞こえた。

 すると、背後の化け物が楽しそうに笑った。

 剣を引き抜き、真っ赤な血が花嫁衣装を染める。

 それに頓着せず、そのまま、背後に振る。

 今度こそ、化け物は両断され消えた。




 愚か者




 何故か、最後に化け物はそう言って消えた。

 振り返ると、ボルネフェルトは相変わらず笑って立っていた。


 剣を向ける。


 荒れ狂う光りの帯も、今になると平気だ。

 不思議と体力は漲り、疲労は無い。



  こいつを始末したら小僧を探す。



 何故か、あの子供を思うと、気が落ち着いた。

 真面目くさった子供は、生意気だが、今度こそ連れて帰ってやるのだ。

 たまには人間らしい振る舞いも吝かではない。特に、あの子供は、奇妙で喋ると子供の頃を思いだす。

 毎日毎日、遊んだ子供の頃だ。


 だから、特別に




 ユルシテヤルノダ




 リン


 リンリンリン






  「…思ったとおりだね」



 ボルネフェルトが不意に本を閉じた。

 その身の回りの光りが消える。

 本来なら、その隙に剣先を叩き込むのだが、男の顔に笑いが無いのを見て躊躇った。


 本能が危険を告げる。


 身構えたままでいると、ボルネフェルトは石の祭壇に近寄った。



「人間だと欠片もおもわなかったの?」



  何を言っているのか解らない。



「躊躇わなかったね、君は。これが生きている人間かどうかも、罪人か只の囚われた人かも、確かめなかった」



  横たわるモノを指している事に漸く気付く。



「当たり前だ、こんな場所にいる人間は運が無い。お前の力を増長するなら殺すのが筋だ」


「確かにね。この朽ちた体は、元々、人を欺き呪うような女だからね。だから、一つ消すと吸精鬼の力は薄まる。だから、君が手前のこの女から殺すように誘導した」


「誘導した、馬鹿な」



 今更問うなど、愚かだ。だが、ボルネフェルトは頭を振った。



「二番目に朽ちたのは、ディーターの義理の姉だ。強欲な女で彼も心底嫌っていたよ。二度目の死は楽しんでもらえたかな」



 他人事のように、話す男は、残った塵を風に飛ばした。




「ねぇ、何故、この子を殺したの?」




 朽ちずに残る花嫁を指して、ボルネフェルトは首を傾げている。



「あの時、私の吸精鬼は、攻撃を止めていたよ。」


「嗾けた者がぬけぬけと何を言っている」



 剣を握り直すと、改めて踏み出した。



「君は、殺しすぎだよ。」



 言うに事をかいて、狂人の人殺しには言われたくはない。



「まぁ、正義だ愛だといって人を殺すよりは増しなのかな。

 君はどう思う?」



 供物のお嬢さん?




 そういって、ボルネフェルトは花嫁の面紗をめくった。






 白い面紗の下から、見覚えのある顔が見えた。

 小さな白い顔は、静かで、青白く、今まで見た死体の中では、群を抜いて綺麗なものだった。

 苦悶もなく、醜い憎悪も無く。

 寂しい悲しい顔の子供。

 その顔から目をそらした。




 いつもの事だ。


 親兄弟であろうと、立ちふさがる者は殺す。

 そうして生きてきたのだ。

 何を後悔するものか






 剣を握る。

 子供が見せた最後の挨拶も。

 扉に消えた背中も。


 後悔など


 怒りだ。

 怒りだけに身を浸すのだ。

 疑問をもってはいけない。



 リン




 だが本当はわかっている

 そんな自分も愚かな人にすぎない。



 リン




 腕から力が抜けた。


 もう一度、子供の顔を見た。



「女だったのか」



 腑抜けた言葉に、ボルネフェルトは不思議そうに返した。



「知らなかったのかい?純粋な森の民は、君と同じく長命で、大人になるまで時間がかかる。彼女は君より大人だよ。まぁ、肉体は子供だけどね。」



 そういうと、花嫁衣装は消えて狩人の装いに戻った。



「森の民は、昔から禁域の側に暮らして、人間を守ってきたのさ。供物になって、人間の代わりに主の糧になるんだ。でも、可哀そうじゃないか。君の代わりに死ぬなんて」


「身代わりになれなど命じてはいない」


「命じる?馬鹿だね、だから、人間は嫌いだよ。森の民は君たちより古い血筋さ。王よりも高貴な種族だよ。本来なら、人間が頭を垂れるんだ。」


「貴様は誰だ」


「やっと気付いたのかい。少なくとも、君の知る男では無いよ。まぁ、君の知る男でもあるが。さぁ、首を刈るのかい?」



 馬鹿にしたように、自分の首を叩く男に、力が抜ける。

 本心は、誰の首でもいいから刈り取って逃げ出したかった。



「今、何を感じている?」


 その問いに何も返せない。

 何も感じていない。

 何も考えられない。


「へぇ、君みたいな人間でも、後悔するんだねぇ」



 後悔も何も、砂に足下をとられたように、全てが面倒に感じた。



「ボルネフェルトは何処にいる」


「目の前にいるじゃないか。」



 何とか剣を握り直すと構えた。



「そうそう、ご立派だ。そうやって何も考えずに生きていれば楽だろう。生きているつもりで死んでしまえば、楽だ」


「黙れ」


「この娘は、お前のせいで死んだ」


「黙れ」


「無理矢理、禁域に案内させて」


「うるさい」


「お前は助けられたのに、結局恩を徒で返した」


「違う」


「帰り道を教えたのに戻ってきた。やっぱり、人殺しが好きなんだね」


「止めろ」


「救おうとした者を殺した」



 剣を振り上げる。

 殺してしまえ。

 この無駄口を塞ぐのだ。

 無防備な頭に剣を振り上げる。

 何故か、ボルネフェルトがニヤニヤと笑い出した。




 愚か者め




 怪異となり宮で永遠に苦しむがいい


 ボルネフェルトの顔が骸骨に見えた。そのおぞましい呪いの言葉をも叩き潰してやろうと力を込める。


 すると瞬きほどの隙に、聞こえた。

 真面目腐った、子供の、娘の声だ。




 駄目ですよ、御客人


 リン


 殺してはいけない


 リン


 殺したら戻れない


 リンリンリン


 振り上げた腕が止まる。

 ボルネフェルトの袖が引かれた。

 彼女は片手で男の袖を引き、その手に持っている本にもう一方の手のひらを乗せた。


「グリモアよ


 宮の主に授けられし我が名を預け


  その身に我が血を注ごう」


  だから…



 その先は聞こえなかった。



 ボルネフェルトの姿は薄れた。

 薄れ最後に頼りなげな子供の姿になり消えた。

 そして本は崩れ、茨の蔦のように娘に絡んだ。

 体中に絡み溶けていく。

 娘は倒れ伏し、再び目を閉じた。





 剣を納め、息を確かめる。

 生きている。

 だが、娘の顔に額から頬にかけて碧い入れ墨が浮かんでいた。

 顔を飾る装飾のように優美であるが、若い娘には酷い事だろう。


  己の不甲斐なさに膝をつく。


 果たして自分が追いかけ回したのは、何だったのか。


 殺せなかった。


 この場所を探すには、自分の経験では歯が立たない。

 ボルネフェルトはこの場所にいる。

 だが、本物かどうかもわからない。

 そして、この娘に助けられたのだ。


 認めねばならない。


 ここで目にした事の半分も理解できない。

 そして、これからどうなるのかもだ。

 この失態はこのまま伝えるしかない。

 ボルネフェルトの首の代わりに、この娘を連れて帰るしかない。


 無様だ。


 娘の脈を測る指は、震えている。

 安堵と屈辱、どちらが優るかわからなかった。


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