Act48 呪いと祝福
ACT48
嘗てディーター・ボルネフェルトと呼ばれた骨と血肉は、すべてグリモアに喰われた。
しかし、グリモアはその魂が燃え尽きるまで、ボルネフェルトとしての行動をする。
嘗てのボルネフェルト。
それは十一歳の初夏、夜明けと共に死んだ少年の魂だ。
そこに特筆すべき奇矯な性格も思想もない。
幸福な少年が、血族の骨肉の争いにより不幸になっただけである。
本来は、夜明けを待たずして家族と共に死ぬ筈であった。
だが、偶々、生き残った。
偶々?
笑うでない。
兄弟よ、人間の繁栄など偶然の重なりに過ぎない。
故に、ボルネフェルトは偶然生き残り、こうして我らの元へたどり着いたのだ。
私が、こうして顕現したように。
そして、その脆弱な魂は古の遺産を手に入れたのだ。
古の遺産が裏庭に放置されているなど、あり得ないのに。
もちろん、少年が見つけたのではない。
血塗れのグリモアが獲物を捕らえたのだ。
獲物には資質があった。
グリモアの好む思考。
少年らしい好奇心と生きたいという望み。
そこに世を呪う何かは無かった。
少年は糧であり、グリモアこそが魂の主である。
使役する姿はボルネフェルトが主であるかのように見えるが、実際は主従は逆である。
では、グリモアとは何だ。
グリモアとは魔導の書の事だ。
魔導など狂った人間の妄想である。と、今の人間は言うだろう。
確かに、これは魔導書などという書物ではない。
書の形をとる何かだ。
人ならば、魔物とでも言うのだろうか。
蒐集するモノ。
ボルネフェルトの手にしたグリモアは、生き物を蒐集する性質を持っている。
殺し、集め、構築し、使役する。
殺害する行為が人の目につくが、本来は集める事が主であった。
何故集めるのか?
グリモア、つまり、ボルネフェルトの魔導書は予言する者が造りだした。
予言する者は、旧文明の滅びと中央大陸オルタスを中心とする現文明の滅びを予言している。
その予言する者は、文明崩壊と領域崩壊による生命の滅亡を惜しみ、グリモアを作り出した。
このグリモアはあらゆる生き物の形を納める。記録の書の意味合いもあるのだ。
ただし、この予言者は人の括りに入らぬ者らしく、この書物には魂を燃料とし、血をそのページに使う。
ボルネフェルトのグリモアは、予言する者の血肉で構築されてもいるのだ。
しかし、それも長く人を喰らわねば離散してしまう。
ページは霧と消え、文字も薄れるのだ。
だが、誰でも主になれるわけではない。
今を生きる者の中に混じる、嘗ての理を知る血筋でなければならない。
ディーター・ボルネフェルトが掴んだグリモアは、彼の中にその血を見たのだろう。
だが、ここで疑問が一つある。
たとえ、その性質が捕食行動を伴っていたとはいえ、領域を混沌とするのは矛盾がある。
何故なら、その元となる予言する者は、それを危惧する存在であったからだ。
捕食行為で領域を混じらせる迄の行いを、長い年月行ってはこなかった。
ボルネフェルトが奇矯な行動を起こしたのは、彼の魂のせいなのか?
しかし、これまでのグリモアの主が聖人とは呼がたい性情であったのは想像に容易い。
つまり、人間社会の常識なぞ塵と考える輩ではあるが、神の理に手を伸ばす迄ではなかった。
この異変は、我々にもわからない。
予言した者自らが予言を達する為に蒔いた種では無い。
それに、ボルネフェルトは還元した。
不純物を取り除き、呪いを取り上げた。
残ったモノはこれだ。
兄弟は美しいと表現した。
私からすれば、実に、痛ましい。
本来のグリモアになったのだ。
もう、この者は悩むこともない。
さて、娘よ。
このグリモアの変節は、宮の主や兄弟にとっては娯楽に過ぎない。
だが、予言する者が言う滅びは、今を生きるお前達には苦行だ。
我らのような信仰心もなく、理への恭順も薄れ、人こそがこの世の主と言ってはばからないのだから。
我々は滅びの時に選んだ。
選ぶ自由はあった。
だが、お前達には、その準備もない。
これを宮の主の慈悲と考える事が重要だ。
明日滅びるのではないのだ。
だからこそ、今、考えて選ぶのだ。
私には僥倖である。
何故なら、お前は森の民であるからだ。
あの獣を選んだのは最悪であるが、お前は我らの中で一番欲が少ない。
我ら、とは、今お前の周りにいる兄弟だ。
私を含め、全てを捧げて尚、こうして存在している。
嘗て、選び死を失ったのにも関わらず、こうして残酷な振る舞いを続ける。
もちろん、これこそが今を保つ為であってもだ。
不思議であろう、地獄の悪鬼にも理由があるのだ。
そして、世界を構築する一つのモザイクでもあるのだ。
見えるか?
新しきボルネフェルトは一つの役割を与えられた。
もちろん、お前は知っている。
あれは、幻に過ぎない。
だが、ウルリヒ・カーンには、わからない。
お前は、供物として、ここに横たわり、儀式を受ける。
ボルネフェルトが勝てば、カーンは死ぬ。
そして、この宮の怪異となる。
カーンが勝てば、呪いがかかり、我らの兄弟となる。そう、もう、ここからは出ていけないだろう。
そして、お前が勝てば...
知者の鏡から現れた男が悲しそうに囁く。
あの獣も供物となる。
そうして、二人で滅びを見て回るのだ。
そして、宮に戻る。
死した後、この宮にて、我らと共に。
仰臥する自分を認める。
体は痺れ、声はでない。
重い瞼を開く。
身動きもとれず、どうして、彼らに勝てるのだろうか?
三台の石の祭壇。
円形の広場。
空の台座。
石の天井。
ここは?