Act40 異形譚
ACT40
鉈の男
鎖の男
翼の男
と、ナリスが囁く。
その言葉通りの姿の異形が、ボルネフェルトを囲んでいた。
鉈の男は相変わらず、両手に鉈を握っている。
鎖の男は、体中に蛇のように蠢く鎖を巻き付けていた。造作は鉈の男と同じだ。
そして金属の羽のような物が後ろについている男も同じ顔をしていた。
そして、その三体が死霊術師を囲むように立っている。
最後の一体は、残念ながら、私の正面に立っていた。
仮面の男。
ナリスが息をつくように囁く。
人の汚れを示す者
姿は他の三体に似ていたが、その顔はつるりとした仮面に覆われていた。
道化師の仮面だ。
その眼の穴は真っ暗闇で見えない。だが、確かに私を見ている。
そして見返す仮面は、ボルネフェルトの表情に似ていた。
虚ろだ。
そして、その手には実用向きな厚みのある斧が握られていた。
斧の男ではないのか。
「断罪する者よ、我が同胞よ、通してはくれぬか?」
今まで聞いたこともない、はっきりとした口調でナリスが言った。すると、こわばる私にむけて仮面の異形が首を傾げた。
「どこかで聞いた声であるな、そう、そう、そう、これはこれは、久方ぶりの声である」
仮面の下からくぐもった声が答えた。
「しかし、しかし、我に残る破片は万を越える。その一つを戻したところで、何も良いことはない、主もわかっておろう?」
「その欠片に願うのだ。昔、誓っていたであろう。我らの最後の良心に」
それに、異形は確かに笑った。仮面の下で身を震わせて。
「ならば、ならば、他の兄弟にも問わねばならぬ。罪人を獄舎へ送るまでしばし待つがいい」
異形が斧で指す。
振り返ると、化け物と異形が殺しあいを始めていた。
蟻が砂糖に群がるように、三体の異形それぞれに化け物が牙を剥いて集る。
地響きと鳴き声、それに死霊術師の体に纏わりつく濁った光が目まぐるしく漂う。
明滅する燐光のような帯は、ボルネフェルトから皮を剥くように剥がれていき、化け物の体を異形に押し出す。
対する異形は、次々と化け物を引き裂き擦り潰した。
肉が千切れ内臓が飛び散り、闇に血潮が振りまかれる。踊るように武器を振るい、化け物を粉砕する異形。凶悪な牙や爪も彼らには全く届かないようだ。
それでも物量は化け物が勝る。
異形も恐ろしい強さだが、死霊術師の力は無尽蔵なのか、明滅する陣から消耗した分の化け物が次々と這いだしてくる。異形と化け物の争いがどちらが優勢かなど、私にはわからない。
ただ、化け物の腐肉が闇に山を築くのを眺めるだけだ。
すると、力の均衡を感じた男が攻めを変えた。
物語の竜のような生き物を呼び出すと、異形の前に押し出した。
凶悪な姿だが、大きな体を盾にするだけのようで知能の無い肉の壁のようだ。それを三体出現させたところで、男は歌い出した。
歌うといっても歌詞はない。
口を閉じて旋律だけを歌う。
否、歌詞は声を伴わず、男から出ていた。
赤い煙のようなものが男の体から漂い、奇妙な紋様を中空に浮かべる。
文字だ。
この穴の中でよく見かけた、古い文字の紋様だ。
「ほう、ほう、ほう、あの男、中々に穢れた血が濃いようである。」
男の長衣の下から白い手が現れた。
生臭い風が吹き出してくる。
「黄泉路の乙女だ。目を合わせるな」
ナリスの警告に私は視線を足下に落とした。
ボルネフェルトは、手だけではなく女を懐から引きずり出したのだ。
白い花嫁衣装の女だ。
白い手足と白い頬。
赤い霧が掠めると本性が見える。
骸骨だ。
死霊の花嫁のようだ。
美しくも悍ましい女が歌い出す。
すると、死霊術師の周りを巡る言葉の帯と赤い霧が輝きだした。
「ほう、ほう、ほう、高位の魔を呼ぶ気であるな。これは、中々に見所がある」
仮面の異形はさも感心したと斧の柄を叩いた。
その言葉通り、竜の間に巨大な赤い円環が浮かび出た。
複雑な紋様の赤い円環は、幾重にも重なり、縦横に交わっていた。
重い。
空気が私を押しつぶそうとしている。
円環が煌めき巡る度に、私は体が沈むように感じた。
それが錯覚では無いことに、竜も三体の異形も徐々に円環に体が引き寄せられていく。
竜が咆る。
ずるずると巨体が環に消えていく。
「大物を引き出すつもりなのだ。改めて力を戻しているんだろう。」
ナリスの言葉に、仮面の異形が私に顔を向けた。
「うむ、うむ、久方ぶりの顕現いかがしたのであるか」
「それは主も同じであろう。これほどまでに境が消え去るとは」
ナリスの声は、いつの間にか人らしい男の声になっていた。
壮年の低い男の声だ。
が、それよりも呼吸がうまくできず苦しかった。
私が体の重みに耐えかねて膝をつくと、仮面の異形が笑った。
「では、では、久方ぶりの邂逅を言祝ぎ、供物なる女に」
斧が唸った。
ぶんっと横切る風が過ぎると、私の体は力を取り戻した。
「いかがであるか?あるか?」
肺に息を取り戻しつつ、私は頷いた。化け物どもに逆らう気力もない。