Act33 門番
ACT33
どれくらい立ち尽くしていたのか、私は自分の両手が震えているのを感じた。
恐慌に飲まれそうになっている。
落ち着かなくては、悲鳴を上げてはいけない。
そう、考える側から、闇雲に叫んで走り出したくなった。
娘よ
魔が満ちている
懐からの声に、私は息を吐いた。
「魔とは何だ」
力だ
「その力とはなんだ」
この世界を浸食するものだ
「浸食とはなんだ」
それにナリスは、フッフッと笑った。
「判らないのか?」
娘よ、
主は既に、浸食を受けた。
我と言葉を交わす事に躊躇わぬのは、
主の心が浸食を受けた故だ
「馬鹿な」
浸食とは、言葉通りである
共に隔たりをもっていれば互いに影響はないが、混じり合えば毒となる
すなわち、病だ
「病?」
蝕まれ変質し、死に至る
「どうすればいいんだ」
人ならば、道を戻るがいい。ああなりたくなければ
繋がれた姿は、動かない。
「どうすれば、いいんだよ」
霞み始めた眼に、石の群の向こうから歩いてくる姿が見えた。
大きな姿だ。
カーンと同じぐらいだが、あの男ではない。
両手には鉈が握られている。
相手も私に気がついたのか、ゆっくりとこちらに歩いてくる。
相当の重量があるのか、石畳が抉れるような音が歩く度に聞こえる。
逃げる、隙は無かった。
男の顔色は、青黒かった。
否、死人ではない。もちろん、人でもない。
ナリスの声は楽しそうだった。
男は私の前まで来ると、繋がれた姿の数を刃物で確認した。
つまり、彼らを突き刺したのだ。
ただ、私が悲鳴を上げたのに、刺された彼らは何の反応も無かった。
血も、流れなかった。
本当に、死体なのだ。
私は言葉にならない声を上げた。
それにつられるように鉈がこちらを向いた。
刺される。
だが、刃物は私の目の前で止まった。
宮の番人は
汚れた者に触れる
故に、主に触れる事はない
フッフと、ナリスが笑った。
幅広の刃物が下がる。
私は、ナリスの言う番人を見上げた。
人ではない。
確かに、この者は人ではない。
番人には口が無かった。
入れ墨が頭部から顔に向かってはしっている。眼と鼻はあるが、口の部分には何も無かった。
あぁ眉も耳も無い。
宮の主に造られた番人だ
汚れた死人を見張るのだ
そして、汚れに見合った罰をあたえる
番人は腰を屈めると、私を不思議そうに眺め回した。
その両手の刃物を鳴らし、私の周りを回った。
ぎゃあぁぁぉおうぅぅひぃぃいぃぅ
すると突然、死体が顔をあげ、歯を剥き出しにした。
石碑に繋がれた五人が一斉に叫びだしたのだ。
獣のような叫び声で、繋がれた彼らは身を捩り暴れる。
それに番人は私から離れた。
逃げろ
彼らは確かに私に告げた。
異形の姿になっていて、はっきりとは聞こえなかったが。
私は番人に背を向けると走り出した。
一度振り返ると、番人が彼らに鉈を揮うのが見えた。
私は卑怯にも、逃げるだけだった。




