閑話 彼女の料理帳
刻んだ食事にしてみた。
いくら大丈夫といっても、長い間、寝ていたんだ。
消化が良くて、顎をあまり使わない、飲み込みやすい料理。
とろみをつけるのもいいかな。
獣人は、濃い味が嫌いだ。
人族は、濃いめ。
亜人は、体の作りによってかな。
じゃぁお姫様は?
薄味で試すか。
どうせ食材は使い放題だ。
目が覚めてから、あの気持ち悪い王様がお金を使いまくっている。
あんまり無駄金使うもんだから、殿下に注意してもらった。
そしたら、今度は量ではなく質になっちまった。
怖いような食材がくるんだもん。
でも、料理人は入れない。何がおきるかわからないし。
だから、私が当分うけもつ。
料理が好きかと聞かれると、多分、違う。私は必要だから料理をする。美味しいものが食べたいだけだし、美味しいものを食べさせたい。だから、料理が好きというより、料理で楽しくなりたいだけだ。他の手段を知っていれば、料理はしない。
でも、何故か、私の周りに、料理をする人間がいない。
子供の頃、親父と旅をしていた時なんて、生丸かじりか、酒場の賄いだ。
もう、貧相で悲しいというか、食わなきゃ死ぬってだけの話。
じゃぁどうするか。
自分で作るしかない。
泊まる場所では、厨房を盗み見したり、長い滞在なら、誰でもいいから料理を習うというか、下働きした。
そうすると、それが仕事になって、金も入る。
親父が夜逃げしても大丈夫。
料理は、そう、美味しいもので私を助けてくれた。
起きてから、お姫様は笑顔だ。
皆に、困ったような笑顔で接する。
ありがとう、ごめんなさい。
初めて聞いた声は、思ったよりも低くて落ち着いていた。
優しい声だ。
皆、たくさん話しかけたかった。
皆だ。
でも、王様と神殿から、都中にお触れが出た。
お姫様に、あの日の出来事も、今までの事も、話すのを禁止すると。
でも、それは仕方がない。
彼女は、何も覚えていなかった。
物を知っているのに、一切の子供の頃からの記憶が無いのだ。
私の事はもちろん、誰も彼も彼女は覚えていない。
でも、生き返っただけでも、素晴らしい事だ。
誰も彼も、やっと明るい出来事に浮かれた。
***
今日は、良い肉が二種類入った。
ひき肉の機械を回しながら、香草の配合を考える。
最近、皆、肉料理が楽しみになっている。
飽きるかと思ったが、貴族の偉い爺さんのおかげで、とんでもない進化をとげた。
これは南部でも高級な調味料で、貴族ぐらいしか手に入らない。以前、仕事の報酬で親父が手に入れた事があったから、使い方は知っている。
これを使うと、柔らかさが増して、旨味が3段階ぐらい跳ね上がる。
これを使うと、周辺の獣人の兵士も、通り向こうの貴族の爺さんも集まってくる。
大量にひき肉を作る必要があった。
突然、お姫様が泣き出す事がある。
声をあげずに、涙だけポロポロこぼす。
これには最初びっくりした。
でも、本人はぼんやりしているようで、理由も何もわからないらしい。
いつ、泣き出すかはわからない。
食事中や会話の途中。
お医者に診てもらっても、わからない。
お姫様自身も、わからない。
こっちをみてニコニコ笑っているのに、急に泣くのだ。
皆、心配している。
猫どももソワソワしている。
遠くからアンも心配、あの子、お姫様に恥ずかしがって近寄らないんだよね。
泣けるのは、溢れたから。
きっと悲しくて寂しいのだ。
皆、わかっている。
仲の良い相手を忘れる。
きっと普通の忘れ方じゃなかった、だから。
残ったのだ。
悲しい気持ちや寂しい気持ち、きっと持ち逃げされたのは、時間だけで、感情は残っているのだ。
私は、愛のお話が好きだ。
皆に馬鹿にされるので隠している。
単純で、男と女が仲良くなる話。
結婚して子供ができる、家族が大きくなり、幸せが続く。
そんなおとぎ話のような、お話が好きだ。
子供の頃から、男女の醜い事々を見てきた。
本当なら、嫌になるけれど。
でも、親父の不幸を思うと、何処かで本当は夢みたいに幸せな夫婦や恋人がいるのではと。
親父のような人生ばかりだと、認めては、親父自身が哀れだ。
だから信じている。
たとえ、自分が独身で終わっても、きっと何処かで、うっとりするような愛や恋があるのだと思っている。
だから、お姫様と王子様は、幸せになる。
もちろん王子の肩書はあれど、あれが夢の王子とは、他人から見れば怖い話だ。
見た目は、可愛い女の子を拐かす悪人。
でもあの男は、彼女の英雄だ。
眠る姫に誓い、姫は目覚めた。
だから、お姫様が泣くのは当然だ。
夜、深夜すぎると、か細い泣き声が聞こえる。
皆、声はかけない。
だって、布団の中で泣いている彼女には、理由はわからないのだ。
悲しい気持ちだけ残っているから、どうして悲しいのか聞いてもわからない。
私達は、知っている。
そして、それは私達の所為だ。
無くしてしまったのは、きっと、お姫様の愛の記憶だ。
***
最近、元気がたりない。
料理の品数を増やすことにした。
獣人の男は野菜を食わない馬鹿が多いので、時々、倒れる奴がでる。
だいたい若い馬鹿の食生活はそんなふうだ。
お姫様の顔色が最近、益々白い。
栄養だ、栄養がたりないんだと思うんだよね。
悲しい気持ちって奴は、栄養が足りなくて日光に当たらないと増えるんだ。
もちろん、それで消えるわけじゃないけど。
って、殿下に言ったら、次の日から生鮮食品が増えた。
館の氷室が拡張された。
専用の牛と山羊と鳥が庭園で飼われる事にもなった。
王様も貢物が増えて。
辺境伯の爺さんが、王様を焚きつけるから、もう。
ビミンって子が来てから、料理が楽になった。
あの子、手慣れていてうまいのだ。
私が褒めたら、何か照れて怒っていた。
ああいう子って、白夜街に多い。
男にモテるんだよね、何ていうかな、生意気で可愛い。
たぶん、あの子、獣人の女を怖がっている。
そうとう虐められてきたみたいだ。
まぁ、私は外見は獣人だけど、殆ど共同体とは縁がない。
彼女が誰の子供であろうと、特に気にはならない。つーか、逆に私の親父、悪人だしな。
彼女はリアンともうまくやっている。
面倒見が良いし、お姫様の事も妹のように扱う。何というか外見を裏切る面倒見が良い子だね。
男じゃないけど、あんな嫁さんが欲しい。
獣人の兵士が多いから、気をつけないといけない。
とか思ったが、シャルルのオヤジが気合をいれて睨みをきかせているし、おっかないフローラ姉さんがいる限り、そんな方向で問題はおきない。
問題がおきたら、頭を斧でかち割られる未来しか無い。
つまり、オロフの旦那、諦めなよ。
皆の話だと、ビミン、恋人いるみたいだし。えっ?別に関係ない?何、その悔しそうな顔、おもしれぇ〜。
***
今日は小麦粉の料理にした。
お姫様は乾酪が苦手だけど、匂いの少ない奴にして野菜を多くしたら食べた。
あれは気に入ったと思う。
体にも良いから、卵と乾酪、野菜はよく使うようにしよう。
魚は川の物だけど、これも匂いを抜くのに気をつける。
好みはだいたいわかってきた。
注意するのは匂いだ。
香りとは違う、生臭さ、青臭さが苦手。
まぁ誰だって苦手だけど、大人になると逆に癖のある味が好きになったりする。
つまり、お姫様の舌は子供に近い。
けれど子供と違って、油や砂糖より、うすくてほんのりって感じの味付けが好きだ。
塩っ気の多いのは苦手で、辛いのは食べられない。食べるとしばらく不調になる。なんにも言わないけど、辛いものがあると、ちょっとしょんぼりするので気がついた。
結構、王都は辛味のある料理が多いのだ。
香辛料は平気だけど、そこに辛味が混じってくると、しょんぼり。
ちょっと可愛いけど、食事を楽しみにしているので、彼女のご飯とお弁当だけは、特別仕様。
もちろん、この豪華な食材は全部、彼女のためなんだけどね。
お弁当を持って、彼女は門に向かう。
忘れてしまっても、帰ってくる人を待っているのだ。
その話は、自然と広まった。
救おうとした男の話。
救われた少女の話。
身も蓋もない話だが、情報操作だ。
良い話にしている理由。
色々私も考える。
無事に戻ってくればいい、お姫様はずっと待っているのだ。
館には色んな人間が来る。
と、言っても決まっているが。
リアンの兄が帰り、お姫様の弟が帰り。
帰ってこない人をまっている、お姫様。
水が戻って、都は活気が少しづつ戻っている。
そうしたら、お姫様のありがたさが、ようやくわかってきたようだ。
それまでは、お姫様と民の間には、深い溝があった。
感謝する人もいたけれど、疎んでいた人もいる。
世の中が変わったのは、彼女の所為ではないけれど。
暮らしが苦しくなって、国は助けてくれなくて。
彼女は眠っていたけれど、それでもなお、不満や不平を向ける人はたくさんいた。
でも、目が覚めて、水が戻って。
彼女も無くしてた。
情報操作は国だろうか、獣人達の動きだろうか。
彼女がここを去れるようになのか。
それとも彼女を守るためなのか。
それとも、彼女を欲しがる人たちの考えか。
ふと、親父が帰ってくると良いな。と、思った。
今まで、いなくなっちまえと思ってきた。
けれど、今は思う。
帰ってきて欲しい。
そして、あの男が帰ってこなかったら、守って欲しい。
人族長命種は信用がならない。
王様は個人的には彼女を助けるだろうけど。
殿下は、彼女が死んでも一緒に死ぬだけだし。
獣人の国は、不安だ。
あの男がいればいいのに。
でも、いなかったら誰が力を手に入れようとするだろう。
でも、まぁこれも私が考える事じゃない。
彼女の弟、祭司長様もいる。
先を思えば、人生なんて不安ばかりだ。
彼女が泣かない未来であればいい。
野菜で酸味のある大ぶりの果物みたいなのが手に入った。
これは生でも美味しいけれど、刻んで煮込んだり焼いたりと、それぞれ色んな調理方法で楽しめる。
これを刻んで炒め、香辛料を混ぜてタレを作る。
それを刻んだ茹で麺にまぶして、油を塗った深皿に盛る。そこに乾酪と燻製肉、温野菜、卵で練った小麦粉で蓋をして焼く。表面にも油を塗って時々串で確かめる。まぁ家庭料理の延長で、お姫様が好きな奴だ。
これを大きく改造した窯で焼くんだけど、これも匂いで人が集まるから、大量に仕込んで、他に大釜で汁物を作る。
料理屋みたいだなぁと最近、作る規模が大きくなって思う。
もし、南に行くなら、料理屋でもやるかと。
親父が無事なら、夜の酒の営業もできるしとか。
先の事を考えられる幸せ。
不確定だけれど、それは幸せだ。
無くした物より得たものに意識が向けられるのは、やっぱり、人間て奴には、記憶って必要だ。
苦しくて今を生きる気持ちも萎えてしまうのも、記憶で。
でも、無くしてしまうのは、不安で怖いだろう。
想像できない事だ。
お姫様、猫を抱えて水を見ている。
アンが駆け寄って、何か喋る。あの子、やっとなれてきた。というか、本当は好き過ぎて恥ずかしいというのは本当みたいだ。じっとり、遠く隠れながら様子を伺うの、やめたほうがいいとリアンに注意されている。
で、理由を聞いた。
何でも、良い匂いなんだそうだ。
これにオロフの旦那がぎょっとして注意していた。
齧ったり食べたりしようとすんなよって。
旦那こそ勘違いしている。
アンは、南のロスロリアンに生息する海亀みたいなものだ。
彼らの主食は植物である。
でも、養殖するのは大変だ。
彼らは非常に、食にこだわりがあるのだ。
決まった場所に生えた、決まった種類の草が必要になる。
生かすだけなら、どんな飼料でもいいのだけれど。
産卵や繁殖をしなくなるのだ。
だから、美味しいロスロリアン海亀の養殖は、たいへん難しいのだ。
つまり、肉食であるアンの種族は、人間を食べる事はできるけど、実際は食べない。
もっと簡単に言えばだ、人間だって、肉は食べるけど人間は食べない。基本はね。
でも、状況が揃えば、その人間だって、同じ人間を食べる。
そういう事だ。
彼女には知性があるので、この世界で生きるには、多数を占める人間を食べる事が不利になる事を知っている。
そしてオロフの旦那が考えるより、アンは賢い。
アンが好きなのは、特別な肉で、その辺の人間の肉は、飢餓の時だけである。これは人間だって同じだ。
つまり、取り越し苦労である。旦那はちょっと馬鹿だ。
と、その貴重なロスロリアン産海亀の料理を出して思った。
けれど、ちょうど食べに来ていたオロフの旦那は信用しない。アンが又、からかうから。
海亀の料理方法、最初は寄生虫の処理からだね。他は切れ味の良い鉈で捌いて、内臓の処理をするだけ。料理方法は普通の肉類と同じ。匂いが少ないのが、ロスロリアン産の特徴。
揚げてもいいし、汁物にもいい。
生で食べるのは勧めない。南領の現地人以外は、虫に腹をやられるからね。
で、今回は酒に漬け込んだ香草で肉を揉んで寝かせた。それを使っての揚げ物だ。
初めて食べるお姫様にも、とっつきやすいだろうと思ってね。
海亀は滋養強壮に良いからと、向かいの貴族の爺さんが奮発したんだよね。
で、お姫様は海亀の揚げ物は気に入ったようだ。
ただし、海亀ってどんな生き物?ってしらないみたいだ。
今度は捌く前に見せてあげよう。
アンが奇妙な草花を持ってきた。
その小さな睡蓮みたいな奴は勝手に蠢いている。
まぁ毒もなさそうだし、人に何もしないならいいかと思う。
多分、館周りの花とか睡蓮の親戚だ。
アンと一緒にいないときは、館の池に浮いているし。
街も活気が戻ってきている。
水量が増えて、水路も久しぶりに音をたてて流れている。
おかげで、祭りが復活した。
もちろん、春以外の祭りだ。
リアンのお婆ちゃんも、召使いのお婆ちゃんも歩けるようになったらしい。一時、すっかり弱っていたみたいだけれど。館に顔を出すようになった。
そして、何もかも忘れてしまったお姫様にも、手作りの物を渡している。
そう、街の人も、再び捧げものをするようになった。
お姫様には届かない話だが、だんだんと流れる話が浸透したようだ。
お姫様の門と神殿通いも話を広げる事になった。
帰らぬ人を待っているお姫様。
都の為に祈っているお姫様。
もちろん、彼女が望まぬ限り、近寄ってはならぬ。と、王様からは言われている。
だから、本人は猫を引き連れて歩いていても、そんなに注目を集めているとは気がついていない。
ちょっと買い物すると、何故かおまけが山になるのが普通と思っているかもね。
最近、菓子に挑戦している。
実は、あまり得意ではない。
甘いものが嫌いではないが、好きでもないのだ。
貧乏育ちで、甘いものに舌が慣れないのだ。
でも、外から持ち込むのも検査が面倒だし、殿下の料理人に頼むのも面倒。
だって、必要ないものでもあるし。
ただ、辺境伯の爺さんに言ったら、大変な事になるのは目に見えているので、内緒で練習をしている。
今日は果実をたっぷりと入れた小麦粉の菓子だ。
材料は小麦粉、牛酪、砂糖、干した果物、卵に香料、醗酵粉、香付けに酒を少々かな。
捏ねて寝かせて、混ぜて寝かせて、とまぁ普通の焼き菓子だ。
分量と手順、火加減さえ間違わなければできるってもんだ。
これは教会で奉仕労働の時に覚えた奴だ。
できて最初に切れ端を味見する。
普通だ。
すごく美味しいわけではない。だが、失敗というほど悪くない。
これはやっぱり、料理のできる人間にならわないとだめだ。
そのなんとも言えない菓子は、時々くるオロフの旦那の友達にあげた。
その仮面の旦那は、前庭の隅で猫にまみれている。
子供たちとビミンは、お菓子貴族と呼んでいた。
いつもお菓子を携帯していて、子供をみかけるとお菓子をあげている。
そういうのなんて言うか知ってるぞ。
不審者だ。
でも、どうやら不憫な子供を見ると、お菓子をあげたくなる変な人らしい。
リアンも貰ったらしいので、菓子を切って適当な袋に入れると渡した。今日も猫にまみれてガックリ項垂れている。
やっぱり不審者だ。
けれど、その不審者のほうが、差し出された菓子を見て腰が引けていた。
何を怯えているのやら。
しょうがないので、今、お姫様に食わせる菓子を練習している。これも微妙だけど、皆に食べてもらって感想なりもらうつもりだと。
そうしたら、鉄仮面の変な人は、頷いて菓子をおもむろに食べた。
鉄仮面なんだよね、口の部分だけ仕掛けがしてあって開くの。おもしろいなぁって見てたら、警備の人にも菓子を強請られた。小分けにしてある分を渡す。
警備の人は、何か感激して食べてる、うまいって。
でも、味音痴が大方の獣人の男だ。これは論外批評だ。
だから、この鉄仮面の人に渡したわけで。
同じ貴族でも、殿下にも辺境伯の爺さんにも渡せない。高位貴族に練習したヤツとか、怖くてね。
その点、オロフの旦那の友達だ。貴族だけど人族だしね。
きっとお姫様の味覚に近いはずだ。変人みたいだけど。
で、お菓子貴族の人は、丁寧にゆっくりと食べた。
そして一言、火加減と使用している小麦粉の種類が間違っていると言った。
使っている窯の火力が強すぎるのと、たぶん、小麦粉の配合が菓子向きじゃない。とか色々言い出しだ。早口だし。
それから干した果物にしても、漬け込み方が良くないし、これだと歯ざわりが..
そんなお菓子貴族は、最後に警備の人にどつかれていた。
オメェは女の子の手作り菓子を批評すっとか何様だっあぁって。
日頃、真面目風な警備の人が豹変していた。
いや、私が頼んだんだから、殴るんじゃないよ。また、作るから。
***
私には親の記憶がない。
腹が減って、今の親父に拾われた時が、まぁ私が私になった日だ。
そして普通の人生でも、記憶を無くす事もある。
歳をとったり、病や事故でね。
だから、お姫様は、まだ大丈夫だと思う。
泣くぐらいだ、きっと大丈夫。
お姫様が門の外に行くようになった。
アンは最近機嫌が良い。
リアンは新しい人形を作っている。
お姫様に又、背負わせる気だ。あれ、都で子供に背負わせるのが流行ったんだよね。
それでだ、ビミンも最近元気だ。
聞いても答えてくれないが、近々良いことがあるよ。と、笑う。
何だろう、知りたい。
明日の食事の準備をしながら、何となく鼻歌を歌う。
良いことね。
良いことか。
館の裏手、睡蓮の池が見える場所に窓がある。
そこに置いてある布巾を取ろうとして、ぎょっとする。
夜でも外には兵士がいるので、ちょっと叫べが助けは来た。
だが、叫ばずに口を手で抑える。
親父だ。
頭の上に、アンのお花が2つも咲いている。
うわぁって思っていると、親父は片手を上げて入り込んできた。
他の皆は台所にいないが、外は兵隊だらけだ。
どうやって入ってきたんだよ。まったく。
親父はきちんとした身なりをしていた。
珍しく飲んでもいないし、顔も手入れがしてある。
黙るようにと身振りしながら、懐から妙な箱を取り出した。
それを私に手渡すと、又来るぜぇ〜という感じで、今度は薪と炭の置いてある扉の方へ移動する。
バレないのか?
バレなかったようで、普通に扉を開けて外に出ていった。
でもどうやって外の兵隊の間を抜けるんだ?
それを考えると、親父に狙われた人族の奴らは怖いだろう。
こんだけの兵隊の間を普通に通り抜けてくるんだ。
やっぱ、化け物じゃん、親父。
お姫様が心配してくれたけど、やっぱ無駄だし。
つーか、前より何だか元気そうだ。
げんなりしていると、小箱には手紙が添えてあった。
(エウロラへ、お土産だぜぇ
あと、書類は本物だから、しまっておくように。
こっちの奴らにはみせんじゃねぇぞ。
それから、お父さんは頑張りました。褒めるのだっ
後で肉の煮込み、よろしく。
そんでだ、手続きは勝手に進むと思う。
だから、お前は財産をまとめておくように。父より)
小箱を開けると、3つほど金属の管が天鵞絨の布の上に置かれていた。
疎い方だと思うが、これは権利書ではないだろうか。
銀の模様で描かれているのは、国の正式書類の印である。
改めて布巾で手を拭くと、食卓にそれを置いた。
恐る恐る手を出す。
開き方はわからないが、何の種類かは表面に細かく記されていた。
中央大陸の戸籍と獣人領の戸籍、それに何かの権利書だ。
急いで蓋を閉めると台所の鍵のかかる棚に箱を押し込んだ。
流浪民の捨て子である自分には、戸籍がない。
親は、そういった柵を失った存在だ。
あの親父自身は、そんな物を欲してはいない。
ただ、娘の将来を思っての事だ。
押し込んだ棚を見るふりをして、歪む視界を腕で拭った。
良いことがある。
親父の帰還や土産のことではない。
親父が帰ってきたということは、もしかしたら帰ってくるかもしれないって事だ。
もう一度、顔を拭うと、仕込みを再開する。
そして、煮込み用の内臓肉も塩ゆでする事にした。