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冬の狼  作者: CANDY
薄明の章
351/355

閑話 彼女の料理帳

 刻んだ食事にしてみた。

 いくら大丈夫といっても、長い間、寝ていたんだ。

 消化が良くて、顎をあまり使わない、飲み込みやすい料理。

 とろみをつけるのもいいかな。

 獣人は、濃い味が嫌いだ。

 人族は、濃いめ。

 亜人は、体の作りによってかな。

 じゃぁお姫様は?

 薄味で試すか。

 どうせ食材は使い放題だ。

 目が覚めてから、あの気持ち悪い王様がお金を使いまくっている。

 あんまり無駄金使うもんだから、殿下に注意してもらった。

 そしたら、今度は量ではなく質になっちまった。

 怖いような食材がくるんだもん。

 でも、料理人は入れない。何がおきるかわからないし。

 だから、私が当分うけもつ。

 料理が好きかと聞かれると、多分、違う。私は必要だから料理をする。美味しいものが食べたいだけだし、美味しいものを食べさせたい。だから、料理が好きというより、料理で楽しくなりたいだけだ。他の手段を知っていれば、料理はしない。

 でも、何故か、私の周りに、料理をする人間がいない。

 子供の頃、親父と旅をしていた時なんて、生丸かじりか、酒場の賄いだ。

 もう、貧相で悲しいというか、食わなきゃ死ぬってだけの話。

 じゃぁどうするか。

 自分で作るしかない。

 泊まる場所では、厨房を盗み見したり、長い滞在なら、誰でもいいから料理を習うというか、下働きした。

 そうすると、それが仕事になって、金も入る。

 親父が夜逃げしても大丈夫。

 料理は、そう、美味しいもので私を助けてくれた。


 起きてから、お姫様は笑顔だ。

 皆に、困ったような笑顔で接する。

 ありがとう、ごめんなさい。

 初めて聞いた声は、思ったよりも低くて落ち着いていた。

 優しい声だ。

 皆、たくさん話しかけたかった。

 皆だ。

 でも、王様と神殿から、都中にお触れが出た。

 お姫様に、あの日の出来事も、今までの事も、話すのを禁止すると。

 でも、それは仕方がない。

 彼女は、何も覚えていなかった。

 物を知っているのに、一切の子供の頃からの記憶が無いのだ。

 私の事はもちろん、誰も彼も彼女は覚えていない。

 でも、生き返っただけでも、素晴らしい事だ。

 誰も彼も、やっと明るい出来事に浮かれた。


 ***


 今日は、良い肉が二種類入った。

 ひき肉の機械を回しながら、香草の配合を考える。

 最近、皆、肉料理が楽しみになっている。

 飽きるかと思ったが、貴族の偉い爺さんのおかげで、とんでもない進化をとげた。

 これは南部でも高級な調味料で、貴族ぐらいしか手に入らない。以前、仕事の報酬で親父が手に入れた事があったから、使い方は知っている。

 これを使うと、柔らかさが増して、旨味が3段階ぐらい跳ね上がる。

 これを使うと、周辺の獣人の兵士も、通り向こうの貴族の爺さんも集まってくる。

 大量にひき肉を作る必要があった。


 突然、お姫様が泣き出す事がある。

 声をあげずに、涙だけポロポロこぼす。

 これには最初びっくりした。

 でも、本人はぼんやりしているようで、理由も何もわからないらしい。

 いつ、泣き出すかはわからない。

 食事中や会話の途中。

 お医者に診てもらっても、わからない。

 お姫様自身も、わからない。

 こっちをみてニコニコ笑っているのに、急に泣くのだ。

 皆、心配している。

 猫どももソワソワしている。

 遠くからアンも心配、あの子、お姫様に恥ずかしがって近寄らないんだよね。


 泣けるのは、溢れたから。

 きっと悲しくて寂しいのだ。


 皆、わかっている。

 仲の良い相手を忘れる。

 きっと普通の忘れ方じゃなかった、だから。

 残ったのだ。

 悲しい気持ちや寂しい気持ち、きっと持ち逃げされたのは、時間だけで、感情は残っているのだ。


 私は、愛のお話が好きだ。


 皆に馬鹿にされるので隠している。

 単純で、男と女が仲良くなる話。

 結婚して子供ができる、家族が大きくなり、幸せが続く。

 そんなおとぎ話のような、お話が好きだ。


 子供の頃から、男女の醜い事々を見てきた。

 本当なら、嫌になるけれど。

 でも、親父の不幸を思うと、何処かで本当は夢みたいに幸せな夫婦や恋人がいるのではと。

 親父のような人生ばかりだと、認めては、親父自身が哀れだ。


 だから信じている。


 たとえ、自分が独身で終わっても、きっと何処かで、うっとりするような愛や恋があるのだと思っている。


 だから、お姫様と王子様は、幸せになる。


 もちろん王子の肩書はあれど、あれが夢の王子とは、他人から見れば怖い話だ。

 見た目は、可愛い女の子を拐かす悪人。


 でもあの男は、彼女の英雄だ。

 眠る姫に誓い、姫は目覚めた。


 だから、お姫様が泣くのは当然だ。

 夜、深夜すぎると、か細い泣き声が聞こえる。

 皆、声はかけない。

 だって、布団の中で泣いている彼女には、理由はわからないのだ。

 悲しい気持ちだけ残っているから、どうして悲しいのか聞いてもわからない。

 私達は、知っている。

 そして、それは私達の所為だ。


 無くしてしまったのは、きっと、お姫様の愛の記憶だ。


挿絵(By みてみん)


 ***


 最近、元気がたりない。

 料理の品数を増やすことにした。

 獣人の男は野菜を食わない馬鹿が多いので、時々、倒れる奴がでる。

 だいたい若い馬鹿の食生活はそんなふうだ。

 お姫様の顔色が最近、益々白い。

 栄養だ、栄養がたりないんだと思うんだよね。

 悲しい気持ちって奴は、栄養が足りなくて日光に当たらないと増えるんだ。

 もちろん、それで消えるわけじゃないけど。

 って、殿下に言ったら、次の日から生鮮食品が増えた。

 館の氷室が拡張された。

 専用の牛と山羊と鳥が庭園で飼われる事にもなった。

 王様も貢物が増えて。

 辺境伯の爺さんが、王様を焚きつけるから、もう。


 ビミンって子が来てから、料理が楽になった。

 あの子、手慣れていてうまいのだ。

 私が褒めたら、何か照れて怒っていた。

 ああいう子って、白夜街に多い。

 男にモテるんだよね、何ていうかな、生意気で可愛い。

 たぶん、あの子、獣人の女を怖がっている。

 そうとう虐められてきたみたいだ。

 まぁ、私は外見は獣人だけど、殆ど共同体とは縁がない。

 彼女が誰の子供であろうと、特に気にはならない。つーか、逆に私の親父、悪人だしな。

 彼女はリアンともうまくやっている。

 面倒見が良いし、お姫様の事も妹のように扱う。何というか外見を裏切る面倒見が良い子だね。

 男じゃないけど、あんな嫁さんが欲しい。

 獣人の兵士が多いから、気をつけないといけない。

 とか思ったが、シャルルのオヤジが気合をいれて睨みをきかせているし、おっかないフローラ姉さんがいる限り、そんな方向で問題はおきない。

 問題がおきたら、頭を斧でかち割られる未来しか無い。

 つまり、オロフの旦那、諦めなよ。

 皆の話だと、ビミン、恋人いるみたいだし。えっ?別に関係ない?何、その悔しそうな顔、おもしれぇ〜。


 ***


 今日は小麦粉の料理にした。

 お姫様は乾酪が苦手だけど、匂いの少ない奴にして野菜を多くしたら食べた。

 あれは気に入ったと思う。

 体にも良いから、卵と乾酪、野菜はよく使うようにしよう。

 魚は川の物だけど、これも匂いを抜くのに気をつける。

 好みはだいたいわかってきた。

 注意するのは匂いだ。

 香りとは違う、生臭さ、青臭さが苦手。

 まぁ誰だって苦手だけど、大人になると逆に癖のある味が好きになったりする。

 つまり、お姫様の舌は子供に近い。

 けれど子供と違って、油や砂糖より、うすくてほんのりって感じの味付けが好きだ。

 塩っ気の多いのは苦手で、辛いのは食べられない。食べるとしばらく不調になる。なんにも言わないけど、辛いものがあると、ちょっとしょんぼりするので気がついた。

 結構、王都は辛味のある料理が多いのだ。

 香辛料は平気だけど、そこに辛味が混じってくると、しょんぼり。

 ちょっと可愛いけど、食事を楽しみにしているので、彼女のご飯とお弁当だけは、特別仕様。

 もちろん、この豪華な食材は全部、彼女のためなんだけどね。


 お弁当を持って、彼女は門に向かう。

 忘れてしまっても、帰ってくる人を待っているのだ。

 その話は、自然と広まった。

 救おうとした男の話。

 救われた少女の話。

 身も蓋もない話だが、情報操作だ。

 良い話にしている理由。

 色々私も考える。

 無事に戻ってくればいい、お姫様はずっと待っているのだ。


 館には色んな人間が来る。

 と、言っても決まっているが。

 リアンの兄が帰り、お姫様の弟が帰り。


 帰ってこない人をまっている、お姫様。

 水が戻って、都は活気が少しづつ戻っている。

 そうしたら、お姫様のありがたさが、ようやくわかってきたようだ。

 それまでは、お姫様と民の間には、深い溝があった。

 感謝する人もいたけれど、疎んでいた人もいる。

 世の中が変わったのは、彼女の所為ではないけれど。

 暮らしが苦しくなって、国は助けてくれなくて。

 彼女は眠っていたけれど、それでもなお、不満や不平を向ける人はたくさんいた。

 でも、目が覚めて、水が戻って。

 彼女も無くしてた。

 情報操作は国だろうか、獣人達の動きだろうか。

 彼女がここを去れるようになのか。

 それとも彼女を守るためなのか。

 それとも、彼女を欲しがる人たちの考えか。


 ふと、親父が帰ってくると良いな。と、思った。

 今まで、いなくなっちまえと思ってきた。

 けれど、今は思う。

 帰ってきて欲しい。

 そして、あの男が帰ってこなかったら、守って欲しい。

 人族長命種は信用がならない。

 王様は個人的には彼女を助けるだろうけど。

 殿下は、彼女が死んでも一緒に死ぬだけだし。

 獣人の国は、不安だ。

 あの男がいればいいのに。

 でも、いなかったら誰が力を手に入れようとするだろう。


 でも、まぁこれも私が考える事じゃない。

 彼女の弟、祭司長様もいる。

 先を思えば、人生なんて不安ばかりだ。

 彼女が泣かない未来であればいい。


 野菜で酸味のある大ぶりの果物みたいなのが手に入った。

 これは生でも美味しいけれど、刻んで煮込んだり焼いたりと、それぞれ色んな調理方法で楽しめる。

 これを刻んで炒め、香辛料を混ぜてタレを作る。

 それを刻んだ茹で麺にまぶして、油を塗った深皿に盛る。そこに乾酪と燻製肉、温野菜、卵で練った小麦粉で蓋をして焼く。表面にも油を塗って時々串で確かめる。まぁ家庭料理の延長で、お姫様が好きな奴だ。

 これを大きく改造した窯で焼くんだけど、これも匂いで人が集まるから、大量に仕込んで、他に大釜で汁物を作る。

 料理屋みたいだなぁと最近、作る規模が大きくなって思う。

 もし、南に行くなら、料理屋でもやるかと。

 親父が無事なら、夜の酒の営業もできるしとか。

 先の事を考えられる幸せ。

 不確定だけれど、それは幸せだ。

 無くした物より得たものに意識が向けられるのは、やっぱり、人間て奴には、記憶って必要だ。

 苦しくて今を生きる気持ちも萎えてしまうのも、記憶で。

 でも、無くしてしまうのは、不安で怖いだろう。

 想像できない事だ。

 お姫様、猫を抱えて水を見ている。

 アンが駆け寄って、何か喋る。あの子、やっとなれてきた。というか、本当は好き過ぎて恥ずかしいというのは本当みたいだ。じっとり、遠く隠れながら様子を伺うの、やめたほうがいいとリアンに注意されている。

 で、理由を聞いた。

 何でも、良い匂いなんだそうだ。

 これにオロフの旦那がぎょっとして注意していた。

 齧ったり食べたりしようとすんなよって。

 旦那こそ勘違いしている。

 アンは、南のロスロリアンに生息する海亀みたいなものだ。

 彼らの主食は植物である。

 でも、養殖するのは大変だ。

 彼らは非常に、食にこだわりがあるのだ。

 決まった場所に生えた、決まった種類の草が必要になる。

 生かすだけなら、どんな飼料でもいいのだけれど。

 産卵や繁殖をしなくなるのだ。

 だから、美味しいロスロリアン海亀の養殖は、たいへん難しいのだ。

 つまり、肉食であるアンの種族は、人間を食べる事はできるけど、実際は食べない。

 もっと簡単に言えばだ、人間だって、肉は食べるけど人間は食べない。基本はね。

 でも、状況が揃えば、その人間だって、同じ人間を食べる。

 そういう事だ。

 彼女には知性があるので、この世界で生きるには、多数を占める人間を食べる事が不利になる事を知っている。

 そしてオロフの旦那が考えるより、アンは賢い。

 アンが好きなのは、特別な肉で、その辺の人間の肉は、飢餓の時だけである。これは人間だって同じだ。

 つまり、取り越し苦労である。旦那はちょっと馬鹿だ。

 と、その貴重なロスロリアン産海亀の料理を出して思った。

 けれど、ちょうど食べに来ていたオロフの旦那は信用しない。アンが又、からかうから。

 海亀の料理方法、最初は寄生虫の処理からだね。他は切れ味の良い鉈で捌いて、内臓の処理をするだけ。料理方法は普通の肉類と同じ。匂いが少ないのが、ロスロリアン産の特徴。

 揚げてもいいし、汁物にもいい。

 生で食べるのは勧めない。南領の現地人以外は、虫に腹をやられるからね。

 で、今回は酒に漬け込んだ香草で肉を揉んで寝かせた。それを使っての揚げ物だ。

 初めて食べるお姫様にも、とっつきやすいだろうと思ってね。

 海亀は滋養強壮に良いからと、向かいの貴族の爺さんが奮発したんだよね。

 で、お姫様は海亀の揚げ物は気に入ったようだ。

 ただし、海亀ってどんな生き物?ってしらないみたいだ。

 今度は捌く前に見せてあげよう。


 アンが奇妙な草花を持ってきた。

 その小さな睡蓮みたいな奴は勝手に蠢いている。

 まぁ毒もなさそうだし、人に何もしないならいいかと思う。

 多分、館周りの花とか睡蓮の親戚だ。

 アンと一緒にいないときは、館の池に浮いているし。

 街も活気が戻ってきている。

 水量が増えて、水路も久しぶりに音をたてて流れている。

 おかげで、祭りが復活した。

 もちろん、春以外の祭りだ。

 リアンのお婆ちゃんも、召使いのお婆ちゃんも歩けるようになったらしい。一時、すっかり弱っていたみたいだけれど。館に顔を出すようになった。

 そして、何もかも忘れてしまったお姫様にも、手作りの物を渡している。

 そう、街の人も、再び捧げものをするようになった。

 お姫様には届かない話だが、だんだんと流れる話が浸透したようだ。

 お姫様の門と神殿通いも話を広げる事になった。

 帰らぬ人を待っているお姫様。

 都の為に祈っているお姫様。

 もちろん、彼女が望まぬ限り、近寄ってはならぬ。と、王様からは言われている。

 だから、本人は猫を引き連れて歩いていても、そんなに注目を集めているとは気がついていない。

 ちょっと買い物すると、何故かおまけが山になるのが普通と思っているかもね。


 最近、菓子に挑戦している。

 実は、あまり得意ではない。

 甘いものが嫌いではないが、好きでもないのだ。

 貧乏育ちで、甘いものに舌が慣れないのだ。

 でも、外から持ち込むのも検査が面倒だし、殿下の料理人に頼むのも面倒。

 だって、必要ないものでもあるし。

 ただ、辺境伯の爺さんに言ったら、大変な事になるのは目に見えているので、内緒で練習をしている。

 今日は果実をたっぷりと入れた小麦粉の菓子だ。

 材料は小麦粉、牛酪、砂糖、干した果物、卵に香料、醗酵粉、香付けに酒を少々かな。

 捏ねて寝かせて、混ぜて寝かせて、とまぁ普通の焼き菓子だ。

 分量と手順、火加減さえ間違わなければできるってもんだ。

 これは教会で奉仕労働の時に覚えた奴だ。

 できて最初に切れ端を味見する。

 普通だ。

 すごく美味しいわけではない。だが、失敗というほど悪くない。

 これはやっぱり、料理のできる人間にならわないとだめだ。

 そのなんとも言えない菓子は、時々くるオロフの旦那の友達にあげた。

 その仮面の旦那は、前庭の隅で猫にまみれている。

 子供たちとビミンは、お菓子貴族と呼んでいた。

 いつもお菓子を携帯していて、子供をみかけるとお菓子をあげている。

 そういうのなんて言うか知ってるぞ。

 不審者だ。

 でも、どうやら不憫な子供を見ると、お菓子をあげたくなる変な人らしい。

 リアンも貰ったらしいので、菓子を切って適当な袋に入れると渡した。今日も猫にまみれてガックリ項垂れている。

 やっぱり不審者だ。

 けれど、その不審者のほうが、差し出された菓子を見て腰が引けていた。

 何を怯えているのやら。

 しょうがないので、今、お姫様に食わせる菓子を練習している。これも微妙だけど、皆に食べてもらって感想なりもらうつもりだと。

 そうしたら、鉄仮面の変な人は、頷いて菓子をおもむろに食べた。

 鉄仮面なんだよね、口の部分だけ仕掛けがしてあって開くの。おもしろいなぁって見てたら、警備の人にも菓子を強請られた。小分けにしてある分を渡す。

 警備の人は、何か感激して食べてる、うまいって。

 でも、味音痴が大方の獣人の男だ。これは論外批評だ。

 だから、この鉄仮面の人に渡したわけで。

 同じ貴族でも、殿下にも辺境伯の爺さんにも渡せない。高位貴族に練習したヤツとか、怖くてね。

 その点、オロフの旦那の友達だ。貴族だけど人族だしね。

 きっとお姫様の味覚に近いはずだ。変人みたいだけど。

 で、お菓子貴族の人は、丁寧にゆっくりと食べた。

 そして一言、火加減と使用している小麦粉の種類が間違っていると言った。

 使っている窯の火力が強すぎるのと、たぶん、小麦粉の配合が菓子向きじゃない。とか色々言い出しだ。早口だし。

 それから干した果物にしても、漬け込み方が良くないし、これだと歯ざわりが..


挿絵(By みてみん)


 そんなお菓子貴族は、最後に警備の人にどつかれていた。

 オメェは女の子の手作り菓子を批評すっとか何様だっあぁって。

 日頃、真面目風な警備の人が豹変していた。

 いや、私が頼んだんだから、殴るんじゃないよ。また、作るから。


 ***


 私には親の記憶がない。

 腹が減って、今の親父に拾われた時が、まぁ私が私になった日だ。

 そして普通の人生でも、記憶を無くす事もある。

 歳をとったり、病や事故でね。

 だから、お姫様は、まだ大丈夫だと思う。

 泣くぐらいだ、きっと大丈夫。

 お姫様が門の外に行くようになった。

 アンは最近機嫌が良い。

 リアンは新しい人形を作っている。

 お姫様に又、背負わせる気だ。あれ、都で子供に背負わせるのが流行ったんだよね。

 それでだ、ビミンも最近元気だ。

 聞いても答えてくれないが、近々良いことがあるよ。と、笑う。

 何だろう、知りたい。

 明日の食事の準備をしながら、何となく鼻歌を歌う。

 良いことね。

 良いことか。

 館の裏手、睡蓮の池が見える場所に窓がある。

 そこに置いてある布巾を取ろうとして、ぎょっとする。

 夜でも外には兵士がいるので、ちょっと叫べが助けは来た。

 だが、叫ばずに口を手で抑える。

 親父だ。

 頭の上に、アンのお花が2つも咲いている。

 うわぁって思っていると、親父は片手を上げて入り込んできた。

 他の皆は台所にいないが、外は兵隊だらけだ。

 どうやって入ってきたんだよ。まったく。

 親父はきちんとした身なりをしていた。

 珍しく飲んでもいないし、顔も手入れがしてある。

 黙るようにと身振りしながら、懐から妙な箱を取り出した。

 それを私に手渡すと、又来るぜぇ〜という感じで、今度は薪と炭の置いてある扉の方へ移動する。

 バレないのか?

 バレなかったようで、普通に扉を開けて外に出ていった。

 でもどうやって外の兵隊の間を抜けるんだ?

 それを考えると、親父に狙われた人族の奴らは怖いだろう。

 こんだけの兵隊の間を普通に通り抜けてくるんだ。

 やっぱ、化け物じゃん、親父。

 お姫様が心配してくれたけど、やっぱ無駄だし。

 つーか、前より何だか元気そうだ。

 げんなりしていると、小箱には手紙が添えてあった。


(エウロラへ、お土産だぜぇ

 あと、書類は本物だから、しまっておくように。

 こっちの奴らにはみせんじゃねぇぞ。

 それから、お父さんは頑張りました。褒めるのだっ

 後で肉の煮込み、よろしく。

 そんでだ、手続きは勝手に進むと思う。

 だから、お前は財産をまとめておくように。父より)


 小箱を開けると、3つほど金属の管が天鵞絨の布の上に置かれていた。

 疎い方だと思うが、これは権利書ではないだろうか。

 銀の模様で描かれているのは、国の正式書類の印である。

 改めて布巾で手を拭くと、食卓にそれを置いた。

 恐る恐る手を出す。

 開き方はわからないが、何の種類かは表面に細かく記されていた。


 中央大陸の戸籍と獣人領の戸籍、それに何かの権利書だ。


 急いで蓋を閉めると台所の鍵のかかる棚に箱を押し込んだ。


 流浪民の捨て子である自分には、戸籍がない。

 親は、そういった柵を失った存在だ。

 あの親父自身は、そんな物を欲してはいない。

 ただ、娘の将来を思っての事だ。

 押し込んだ棚を見るふりをして、歪む視界を腕で拭った。


 良いことがある。

 親父の帰還や土産のことではない。

 親父が帰ってきたということは、もしかしたら帰ってくるかもしれないって事だ。

 もう一度、顔を拭うと、仕込みを再開する。

 そして、煮込み用の内臓肉も塩ゆでする事にした。

挿絵(By みてみん)

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