呪われ退けられし者たちが
胸のうちで力を奪うような考えが居座っていた。
悲しみと寂しさ
不安と痛み、これまでの人生で振り返りもしなかった自分の心だ。
死に瀕しても、どこかで自分の力を信じていた。
生きるとはあたりまえであった。
悲しみは確かにあった。
そして寂しい孤独も知っていた。
だが、それ以上に、不安がこんなにも苦しい事だと知らなかった。
自分の力が及ばす、自分が無価値で無意味で、惨めだ。
もちろん、そんな事は表には出さない。
平気だと、強がりばかりではない。
自分は健康で力が強く、男で稼ぎがあり、仲間もいる。
家族には恵まれなかったが、それでも孤独という程ではない。
そう打つ手も選択肢もたくさんあるのだ。
信じてきた。
自分が駄目な人間である事はわかっていたが、腐ってはいない。
でも、今、本当は不安だった。
打てるてはうった。
惜しまず、やれる事はやった。
だが、本当は、駄目なのか?
という不安も焦りも消えない。
堂々とし、胸をはり、負けずに突き進め。
そう思うも、どこかで疑念がある。
疑念と、不安と、心の奥に封じた思いだ。
もっと、一緒にいたかった。
もっと、きちんと会話をして、もっともっと、同じ時間を過ごしていたかった。
後悔と自分でも驚くほどの、寂しさだ。
寂しいという気持ちは、子供の頃以来だ。
寂しいという自分と向き合わずに大人になった。
怒りを燃やし、負けないと踏ん張り、強い自分を信じてきた。
女々しく後悔して泣くぐらいなら、一番最初に殴りに行けと思ってきた。
だが、不安で寂しいという気持ちが、胸の真ん中で居座っている。
もう一歩で、終わる。
だから、それまでは耐える。
どうせ終わるのだ。
だから、この醜い過去を切り刻み引き裂き続ける。
まるで自分のようだと思いながら。
間違った手段と方法で、なんとか生き残ろうとしている姿。
でも、お前はもう、死んでいるんだ。
お前の愛も希望も、そして生きた時代も過去だ。
残すべき人たちはもういない。
お前だけが残った。
これは自分だ。
よく見せてれた、と、思う。
勘違いするところだった。
斬り裂き、骨を折り、肉と外殻を裂くと男の頭部があった。
モーデンと呼ばれた男。
セネス・イオレア・モーデン。
その残り香であり、本当は、ただの心残りだ。
肉から引きちぎると真っ赤に染まる頭部を取り出す。
異形の姿は落ち、周りのイオレアが押し寄せるが、仲間が空間を確保した。
皆、無事な姿は無い。
自分も、体がまともに動かないし、残っていない。
血まみれの頭部を持ちながら、階段を登る。
崩れそうな場所を避け、ヨロヨロとしながら登る。
天辺に茂る木陰に門を探す。
最初に来た時とは様相が違っていた。
小さな祭壇がある。
その祭壇には小さな器に水が置かれていた。
その前に進むと小鳥が一羽とまった。
小さな灰色の小鳥だ。
何も考えが浮かばないのに、抱えた頭部を置くと、顔を拭った。
そして小さな器の水を、その屍の口にあてた。
屍は杯の水を含むと、息を吐いた。
そして数度瞬きをすると、青い瞳が覗いた。
白い面のセネス、愚かな男はこちらを見ると口を開いた。
「難儀であった、まこと忝ない」
「まだ、戦うか」
それに男は頬を上げた。
「守護者と戦うほどの力はもう無い、もとより無いのだがな」
「では何故、このような事を企んだ」
血の滴る頭部が動く。笑ったようだ。
「主と同じよ。取り戻したかっただけだ。我、自身は、それだけだ。だが、それにより集まるモノが多すぎた。まぁ無駄な繰り言だ。さて、あの女も申していたように、時も終わる。始めようぞ」
「わかっているのか?」
「わかっている。結局、我と女は一つ。逃げる事は叶わなかった」
祭壇に小さな紙があらわれた。
「我が結んでいた約定は一つだ。
あれとは違い、これだけの事だ。
これにお前が署名をすれば終わる。
お前の望みは叶うだろう。
ただし、守護者であろうと、我と同じく、一生、死ぬまで、逃げられぬ」
あざ笑うような言葉だが、その口調は悲しみに満ちていた。
「神は与えずだ。
望む者は選ばねばならない。
我が勝っていたならば、その先にて新たなる世界を手にしていたかもしれない。
この誓約が届かぬ場所にな。
だが、主が勝った。
そして、これが主に残された機会であり、虚しい絶望だ。
神に望み、そして主は終わるのだ」
紙には、男の署名と誓約の内容があった。
「さぁ署名してしまえ。守護者ならば違える事はなかろう?それとも我のようになるか」
呪われし土地と名を結ぶ。
その生命尽きるまで、この地より逃れる事は無く、生きる事も無く、育むこともない。
「イオレアの長の夫は、土地の縛りを受けた。
荒れ果てた毒の世界の唯一の縁だ。
生きていける場所を与える為の人生だ。
選ばれた者は生贄で、その一生は、惨めだ。
一片の自由もない。
耐えられなかった。
我は、誰かの為に自由を奪われたくなかった。
一人きりで生きたくなかった」
自由でいたい。
孤独は嫌だ。
子供の物言いをしていたが、見る間にそれは朽ちていく。
髑髏はカタカタと歯を揺らし、言った。
「コワカッタ」
怒りを向ける前に、それは砂になった。
勝手な事だ。
と、思いながら、何処かで自分も同じだと感じる。
今一度、深く息を吐いて吸う。
署名の筆は側にあった。
土地との結びつきは必要がなくなった。
このまま破棄してしまい、表にある柱樹を起点として門と特異点の守護をしてもよいのだ。
敢えて生贄を捧げて約束を取り付ける必要はない。
だからこそ、これこそが神への願うことができる唯一の場だ。
不安が落ち着くと、悲しみを遠くで感じた。
あぁ、もう会えないと。
だが、この為にここまで来た。
人を物を動かして、多くの人生を奪って、ここまで来た。
直接の関わりさえ無い人間を争いに巻き込んだ。
寂しくとも不安であっても、やっと選べる場所に来た。
やっと取り戻せる手段を手に入れた。
今までは、闇雲に神に誓い、会うことを目標としてきた。
そしてこれを手にして、嘘では無いとわかった。
沈黙するナリスが証拠だ。
皆、期待をもってそれを見ている。
己がなかの者どもは、皆、思っている。
日頃、間違える事を唆す奴らがだ。
少しの間、一緒にいた少女が生き返る事を望んでいる。
そう、自分もだ。
「お前の世界が、綺麗で優しい事を祈ってる。
お前が婆さんになるまで、婆さんになって曾孫が生まれて、いい人生だったと墓に入るまで、俺も頑張るからな。
お前が俺を忘れても、俺がお前を覚えておく。
幸せになってくれ。
これでいいか?
俺をここに縛り、大地と門の守護とする。
俺の魂は捧げる。
彼女を返してほしい、どうかどうか」
守護者は筆をとった。
***
又も、王都ミリュウにて騒ぎが起きた。
白夜街解禁の後、泊り客の一部が化け物じみた姿になったのだ。
いずれも、著しい知能の低下と異様な外見の変容をした。
猿に滑る蛭や蚯蚓のような四肢の生き物である。
元から、遠く南部から輸入したのではと最初疑われたが、そんなモノなら金にする白夜街の住人である。
客が化け物になって金がとれないと檻に詰め込んで、兵隊に引き渡したのが発端だ。
そして持ち物や付き人の証言から、多くが貴族階級の者だった為、その原因を探るべく国も動いた。
しかし、下々からすれば、また貴族がおかしいという認識で、新たな変異者もいないことから、暫くすると騒ぎは収まった。
早期に憑き物つきとして処理されたのもあったろう。
季節は夏を迎え、渇水の対策に注目が集まっていたのもある。
定期的な降雨が続いていたので、その話題も危機的状況とまでは大きくはなっていなかった。
何処かで、誰かが、終わらない時間に取り残された。
そして、何処かで、誰かが、終わらない夢から覚めた。