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冬の狼  作者: CANDY
薄明の章
344/355

流浪の女 裏-3

 彼は誤算に気がついた。

 目前にして、彼は理解した。

 自分が消滅することを。

 魂が肉を支配する。

 それが当たり前だと思っていたから、長く長く支配ができていた。

 だが、誤算があった。

 支配は見せかけであった。

 同じ行いが、真逆の結果を導いた。

 戻るべき場所は亡く。

 守護者は残り。

 魔素は減らせず。

 肉が魂を支配しようとしている。


 底にて炎を見ながら、□□□□は考えている。

 □□□□が考えている。

 消滅した魔素が満ちるのを待ちながら。

 □□□□は考えている。

 多くの犠牲により、還った。

 忌まわしき事ごとは終わる。

 守護者は残り。

 人は生き残り魔素は失われずに。


 侵食する事ができた。


 既に元の体は、神の慈悲により許された。

 己は戻る事は無い。

 本来なれば、もろとも消滅を選ぶところ。

 だが、それは役割としてあってはならない。

 なれば、何を為すか?


 □□□□はイアドの底にて笑った。


 ***


 霊素が高まる。

 想像もできなかったが、なってみれば、精神の限界をためす拷問であった。

 時が失われていたために、訪れは唐突。

 長きに渡り、長命種の、ただの人間として生きてきた身としては、初めて恐慌をきたした。

 息苦しさ、感覚の増大、精神の躁鬱。

 そして何よりも長命種という生き物ではなくなる感覚。

 肌に神の言葉が浮かぶ。

 細かな紋様が肌を埋めつくし、自分の外見も変化していくのが感じられた。

 腹の中も変わるのか、激痛とともに全身が震える。

 視界の隅でニルダヌスが片膝をつくのがわかった。

 だが、彼らは体の変化に慣れているため、堪えている。

「落ち着いてください、大丈夫です。紋様以外、変化はみえません」

 最後には呼吸が苦しくのたうつ彼を、ニルダヌスは抱えた。

 ニルダヌスは獣面になっていたが、人型を保っていた。

「牙が伸びたようですね。少し体も変化しておりますが、容貌は同じですよ。目がちょっと違いますけどね」

 最後は笑って見せる。

 この男は、結局、私が自殺をしないようにと気を配り。こうして無様な主人を介抱する。

 奴隷だからではないだろう。

 殉死せずとも許す、解放すると随分前に誓っていた。

 元々、獣人としても気性は穏やかで、人族の妻を大切にして、その甘さゆえにこんな場所までたどり着いた。

 似た者同士か。

 思うと息が落ち着いた。

 相手の腕を軽く叩いて、公爵は立ち上がった。

 目線も変化し、異様な力を身のうちで感じた。

「肌の色も変わったか」

「外を確認しましょう」

 二人で窓に立つ。

挿絵(By みてみん)

「領域の変化、なのか」

 ニナンの方向は、赤黒い蔦と岩窟から絶えず異形が溢れている。

 異形の姿は、どれも奇っ怪な肉の固まりである。

 時折、曲がり角を生やし巨大な姿をしたモノ、羽の生えたモノと、地獄の生き物としか見えないモノばかりだ。

 それを迎え撃つヨジョミル達も、一段と人外の姿になっていた。

 ニナンから溢れる化け物が、血肉の異物ならば、こちらは骨の異形である。

「これがニーカとリャドガ、イオレアというのか?」

「祖の人とは間違っても言えませんね」

 エレッケンの外殻にも変化があった。

 フィグ・ダウラは目鼻と皮膚の無い化け物になり、外殻を食べながらとりついている。

 リクス・ツアガ達は鎧というより、黒い外骨格をまとった姿で戦っていた。

 骨だ。

 ターク公爵は、納得と同時に霊素、つまり異界や神の世界は、人間にとって善き場所ではないと確信できた。

 死して向かうべき場所であり、迷う者は留まってはならない。

「こっちもはじまりましたな」

 滅びの館を輝かせていた幕が消えていた。

 橋は十全ではないが、渡れる。

 見ればツアガの者共が武装して並んでいた。

 ツアガ、人の姿を残した奇妙な生き物ども。

 蛭と人。

 今は蛭が勝っているようにも見える。

 それを島にて待ち構えるのは

「霊素の影響でしょうか」

「普通は」

「完全な獣変化以外で、巨躯になる事はありません。

 武装がギリギリまで大きくなっていますが、人型です。

 更に擬態を解けば倍以上でしょう」

「大丈夫そうか」

「最終的な霊素の高まりが不安です」

 確かにそうだ。

 この後もう一度、霊素が高まるという話だ。

 体もそうだが、心が人間から離れてしまうのではないだろうか。

「相手も変化するのです。変わらねば太刀打ちできないでしょう」

 その言葉が引き金のように、エレッケンの外殻が崩れ城が揺らいだ。

「移動しましょう」

「いいよ、ここで」

「色々見て回りましょう」

 手を差し出される。

「奴隷契約を解消するよ。君の誓約を解くのは簡単なんだ。私が死んでしまえばいいんだから」

「いけませんよ。それはいけません。さぁいきましょう。そんな事に真面目にならないでください」

「まじめ..」

「何もしなくたって、それこそ自分から死なずとも、勝手に死ぬんですから。適当にしていましょう。真面目に取り組まないでください」

「..」

 手を差し出すと、革手袋に包まれた大きな手が握り返す。

「ちなみに、ヤンが教えてくれた通路ですので、すぐ死ぬかもしれませんね。期待できますよ」

 鉄格子を外すと、風が吹き荒む外へと身を乗り出す。

「地下方向に向かうので、酒蔵があると楽しいのですが」

 そう言うと、ニルダヌスは壁に張り付く。公爵は、床に転がる空瓶を見て諦めた。

 そのため息は、焦げ臭い風に消えた。


 ***


 潮風に傷んだ足場は脆かった。

 多分、ヤンが置いたであろう楔金具を頼りに、直下の霞む水面を見ながらの綱渡りであった。

 その楔は尖塔の屋根へと続き、身をおける場所など皆無。中々によい眺めの場所であった。

 変わりに戦場となった入り江から、徐々に神域となりつつある神殿がよく見えた。

 小島はいつしか丘となり、その丘には神殿を頂にした石段が見上げるように広がっていた。

 そしてその頂きは巨木が天へと突き立つ。

 何処に続いているのかもわからぬ巨大な木は、そこに約束の地でもあるかのように輝いていた。

 だが、その裾野では血生臭い争いが広がっている。

 未だヨジョミルは戦い、冥府の神の如き姿で君臨し、ニナンからも途切れること無く亡者がわく。

 どちらも死にぞこなった魔物のようであり、一見では区別も良し悪しもわからない有り様だ。

 横から襲いかかっている中に、ツアガのイオレアも混じっており、それが助長させていた。

 小島への上陸と共に、ツアガは裏切りを隠さなくなったのだろう。

 ただし、リクス・ツアガ(影竜騎士、外部との混血)達は城に残っていた。

 煮えきらない話だ、どちらの道も選べぬとは破滅だろうに。愚かしく機会を眺めて終わるのも致し方なしか。

 転じて、小島にて裾野で奮闘する姿は、効率良くイオレアを屠殺していた。

 そこを確認すると、公爵は自分の足場の方へと注意を戻す。

 何が起ころうと、彼らが生きていればいいのだ。

 何の足場もない場所から、隣の尖塔の滑る屋根に飛び移る。

 生きた心地がまったくしない。が、そう感じる己が申し訳無い。自死を選ばず、ニルダヌスの差し出す手を握る自分が惨めだ。

 探しても探しても、無駄であった己が選び損なった事実がわかるだけである。

 このような人外の争いにさらされても、そこに見つけるのは己が愚かであるという事実だけだ。

 そうして無事に隣の尖塔に移ると、そこには鳥の巣がある出窓があった。

 除き込んでも中に人気は無く、出窓を塞いでいたはずの木切れは壊されていた。

 狭苦しい窓から入り込む。と、先程までいた部屋とは違って扉も壊れていた。

 残骸を覗き見れば、吹き抜け通路に繋がっておらず、この塔だけで完結していた。

 塔内部、降りる階段のみ。

 円柱の中央が空洞で、そこを螺旋の階段が下まで続いていた。

 この部屋は天井の屋根裏部屋のようだった。

 部屋には長櫃と簡素な木の椅子があるだけで、埃は無い。人の出入りがあるかどうかはわからない。

 誰かと出くわせば逃げ道は無い。

 だが、耳をすませても外の争う音以外聞こえない。

 まぁどうすることもできはしないので、金属を踏む音をたてながら階段を降りた。

 どうやら近くに人はいないようだ。

 住人は、とうの昔に骨となっていた。

 降りて格子のなかを見る。

 腐り落ちたもので石の床が錆色に変色していた。

 経過年数はわからない。が、骨にはなっていたが古くは見えない。服装から生前をはかる事が難しい。

 放置した結果、骨になるまでの腐敗の過程で、衣服も装身具も駄目になっている。

 長命種ではないことを証明するだけだ。

 そうした足枷や手枷をつけた死骸が各部屋に転がっていた。

 塔は、貴人の幽閉の為の場所だったのか。

 意見が割れたのか、もしかしたらリクス・ツアガと同じく外部の人間の血が入ったからこうなったのか。

 長命種では無いが、遺体の様子からイオレアでも無く。人族の混血か亜人のようだった。

 なぜ、これほどツアガと中央が断絶していたのか不思議だ。

 公王や政治中枢の人間が不利益を被るのはわかっていたはずだ。

 放置というより助長は守護者の死であったろう。だが、それだけではない。

 意思が動いた。

 ツアガを滅ぼす、という意思だ。

 守護者の死を導いたのは?

 前公王。

 ではそれ以前は?

 王国にいたツアガ、モーデンの死だ。

 モーデンの死は謎だった。

 皆、何といっていたか?

 戦で死んだ、女のせいで死んだ、自分から死んだ?

 遺体は戻ってきた。

 そしてセネスはイオレアとして、戻した。

 自分の体に取り込んだ。

 融合だ。

 融合したが、分離した。

 そしてツアガのセネスは死んだ。

 この流れはわかる。

 と、ターク公は思った。

 ゆっくりと下に向かいながら、考える。

 理由手段は謎であるが、モーデンは死んで、その死因を含んだまま運ばれた。

 そしてセネスは分かたれた半身の帰還を疑わずに受け入れた。そして伝染病ではないが、受け入れた為に同じく死ぬ。

 死んだセネスを認める事ができなかったツアガの一族は、本心から願ったかどうかはわからないが、セネスの代わりを作ろうと考えた。

 そして一族郎党、あの様だ。

 だが、エイジャという守護者は、それを黙認した事になる。

 いや、順番が違う。

 セネスはすぐに死んでいない。

 結果を見る前に、守護者が先に死んでいるのだ。

「誰が仕組んだ」

 と、考えるのをやめる。

 因果を探し続けても、たどり着いてみれば干からびた死骸だけなのだ。

「どうしました?」

「元に戻るためにツアガはヨジョミルを攻撃し、門を支配しようとしている。おかしな話だ。神から逃げるのか?逃げてどうなる」

「元に戻れるのでしょうか」

「元が化け物では判断できないだろうな。化け物になったら混血のリクス・ツアガは奴隷かな。我々は食糧か、忌まわしい生き物だ。滅びるのは当然だ。元に戻るとは、罪を認めていないということだ」

 階段は終わり、小窓のついた部屋にたどり着いた。出入りを監視していたのか、鍵や雑多な品々に帳面が放置されている。

 落ち朽ちかけた帳面を見れば、日付は去年の秋頃だった。元々、ツアガの氏族は知らぬため見知った名前は出てこない。

 ニルダヌスは通路に続くと思われる扉に身を寄せている。

 気配を探っているようで、すでに両刃の短剣が抜かれていた。

 音をたてないようにしようと公爵は書類から離れる。そうして小部屋を改めて見回すと、奇妙な鍵が目についた。

 結構なガラクタが積み上がる書棚がある。

 その積み上がった物の後ろに小さな額縁の絵がかかっていた。

 半ば隠れていたが、その額縁の角に鍵が引っ掛かっていた。

 牢や扉の鍵のように頑丈な作りではなく、細く小さな金属の鍵で、書棚や飾り棚の引き出しに使うような品だ。

 なぜ、奇妙と感じたかと言えば、その額縁の絵に描かれている子供の首から、同じ鍵がかかっていたからだ。

 同じとどうしてわかるのか。

 鍵の持ち手には太陽の形の硬貨がついていたからだ。

 太陽は金と中央に緋色の硝子がおさまっていた。

 特に何の思いもなく、公爵は鍵を手に取った。

 小さな鍵は、埋もれていたにしては輝きを失わず、何かを語りかけてくるような気がした。

 肖像画を改めて見る。

 音をたてないようにと思ったが、手に取れる小さな物だ。壁からそれは簡単に外れ、公爵はしみじみと子供の顔を見た。

 利発そうな赤毛の子供だ。

 瞳の色は金色だ。

 どことなく自信のなさそうな表情だが、耳をすませて話を聞いているような感じで首を傾げていた。

 小さな額縁の裏を見る。

 一般的な言葉があった。


 安らかなる事を願い贈る


「どうしました?」

 ニルダヌスは、公爵の手の中の物を見て言った。

「目についてね、先はどうなってる。進めそうか?」

「行けます。ただ、物音を極力たてないように進むことに」

 倒したイオレアは近くの牢に投げ入れてある。

 顎下から脳天に、刺し抜いての静かな殺し方だ。

 一体づつならという説明に、流石だと褒める。が、ニルダヌスは自分の腕に不満そうだった。

「そうか、どこに向かっているんだ」

「北側ですね、一旦、エレッケン城から離れます。爆破焼却の準備が終わるでしょうからね」

 あぁと公爵は思い出した。

 シィーリィヤンとばかり接触していたが、イグナシオ達は当初からエレッケンの城の中で工作を続けていた。

 不幸な災害や事故によって、ここは無くなるのだ。

 自分まで消し飛ばすと問題があるのだろう、死ぬなら他所でと言う事か。

 滞在と証言の実績はほしいが、死亡実績はいらないというイグナシオの声が聞こえる。

 公爵は肩を竦めるとニルダヌスの後に続いた。


 通路は主に身分の低い者達、使用人やイオレアの血が薄い人間が暮らしている部分に通じていた。

 どうしてかと言えば、人間の暮らしに必要な部分が残っていたからだ。

 だが、表の城の部分や街と同じく、汚濁と血にまみれていた。

 痕跡のみなのは、死体、食料は城の表側に運ばれているのだろう。城に入る時に見たのは、狩猟後の屠殺の風景だったのかもしれない。

 桶いっぱいの泥水か屠殺後の汚水のようなものを見つけて、公爵は頭をふる。

 臭気と虫が不快である。

 痕跡はそここに人の文字としても残っていた。

 走り書きの紙片を見つける度に、目を通す。

 つい最近まで、生きていたようだ。

 不思議なもので恐怖と支配は慣れるのだ。

 支配されていると、正常な判断ができなくなる。誰かの死が日常になり、選択肢がなくなっていく。

 まぁ多かれ少なかれ人間の支配地でも搾取はある。

 ここは労働の代わりに喰われる違いだけだ。

 厨房など水場を抜けて、使用人が使うような通路に入る。

 時々、徘徊するのは人型の生き物だ。

 イアドと同じ生き物であるのがよくわかる。

 目鼻と皮膚が無いところは、フィグ・ダウラに瓜二つ。衣服をまとい下肢が蛭、生きた肉に襲いかかってくるのだから、これがツアガならば、焼却処分は当然だ。

 背後から近づいて突き刺す。

 ニルダヌスの職人芸を眺める。

 音に反応するのだなぁと安穏としていられるのは、ニルダヌスがあまりにも手慣れていたからだ。

 現役の頃は、さぞや重宝されたのだろう。

 不憫だ。

 と、失礼な事を勝手に考えていると行き止まりになった。

 それは食糧庫らしき一室で、穀物の袋が積み上がっている。

「ヤンが言うには、ここに隠し通路があるそうです」

「どうやって調べたんだろうね」

「ここは完全に自分で見つけたそうです。

 主殿、渡された手帳の通路、ここからのはずですよ」

 虚をつかれて、懐に忍ばせていたミハエルという少年の雑記に目を通す。

 簡素すぎて何処が起点かもわからない。

 ただ、これをみると確かに小部屋らしき四角の行き止まりから点線がのびていた。

「西の壁だ、いや、西はどっちだ。わからん」

「こっちですよ、さてどこかな」

 貯蔵棚が並んでいる。

 それを動かして裏を見ると、壁の右下に鉄格子があった。

 ヤンが一度動かしているのか、埃はあまりない。

 鉄格子の金具も見せかけだけで外れている。

「念の為、この部屋の扉を塞いでからおります。暫しお待ちを」

「かまわんよ」

 室内の棚を移動し内側から扉を塞ぐ間、公爵は近くの穀物袋に座った。

 それから、革の手帳を開いた。

 この小部屋から暫く西に一本道で、途中で北に曲がる。

 その先は二股にわかれていて、東と西に向いていた。

 東は半月、西は満月が線の先に描かれていた。

 どちらに向かうのか。

 でもよくよく考えると、この西は海の底ではないだろうか。

 東の方向は城が途切れた先の森のあたり。

 それとも極夜なりエルベの影響で、位置の違いがあるかもしれない。

 記述から、外への道と儀式の道と考えられる。

 結局は渡せなかったのは何故だろうか?

 この少女は船に乗れたのだろうか?

 それも昔の話だが。

 通路に潜り込むと、狭苦しい入り口から直ぐに、石の通路になった。光りは無いが、空気は動いてた。

「睡蓮の紋様ですね」

 通路の燭台は溶けて跡形もないが、刻まれた印は残っていた。

 下る通路には何もなかった。

 狭苦しい石の壁と湿った足元。

 やがて分かれ道にたどり着いた。

「ヤンは右に進めば外へでると」

「左は?」

「水没していると」

「では左だ」

 公爵の答えにニルダヌスは何も言わずに歩きだした。

 左側に折れると、石壁が苔なのか緑に覆われていた。

 暫く歩くと通路は金属の格子で塞がれていた。

「行き止まりですね」

 先はまだ続いていたが、通るには少々骨がおれそうだ。

 じっと先の闇を見つめて、公爵は浮かんだ考えに体が縛られた。

 子供は、自分から供物になったのか?

 この手帳は、子供が書いたのか?

 この手帳は誰がもっていたんだ?

「いかがしましたか?」

 己の奴隷、己の友人に向かって公爵は言った。

「この先に行きたい」

 干からびた答えではない、事柄があるはずだ。

 ニルダヌスは主人の頼みのままに格子を蹴りつけた。


 ***


 女達が死力を尽くしたのは、結局、次の命の為だ。

 新しい命ができた。

 新しい種族だ。

 だから、その子の為にと命を賭けた。

 だが、その子供は生き残った者の為に使われた。

 因果は善き事も悪しき事も、すべて帰ってくるのだ。


 走ってたどり着いた。

 黒い水が一面に広がる地底。

 外に繋がっているのか緩やかに水面が上下している。

 見渡す限り、花が咲いていた。

 睡蓮だ。

 黄泉の岸辺に咲く花だ。

 青白い炎を宿したように光り輝いている。


「主殿、どうした?」

 呆然と岸辺で立ち尽くす公爵に、ニルダヌスは呼び掛けた。

 それに手帳が差し出された。

 示された場所には


 儀式手順


 供物を八寸に刻む

 三夜に分けて供える

 花枯れて実を収穫す

 罪ふかければ、なお良し

 命を戻す儀式なれば

 種は外に出すことならず


「どういう意味です」

「魔導師の実だよ」

 その言葉に、ニルダヌスは口を開いたまま短く息を吐いた。

「ここが始まりだ」

 喉元を押さえて、公爵は怒鳴った。

「流浪の末に異形の女はここにたどり着いた。

 そしてな、憐れにも子供を産んだんだ。

 憐れでな、魔女は返してやろうとした。

 子供をな生かすために、子の世界を壊さないようにと慈悲をかけた。

 だがな、事が終わってみれば、子供だけが取り残された。

 だが、それも子供だけでも助けようと、死んでも身を削った。

 なのに、この始末よ。

 馬鹿者共は、ここでその子供を始末した。

 供物と称して、正当な後継者で女達が守りたかった子供を殺していたんだ。

 その手帳はな、渡されなかったんじゃない。

 内容だって本当かどうか。

 だから、これは呪いなんだ。

 お前も私も、ここから持ち出された呪いに選ばれたんだ。

 妻を取り戻したいと思う男だからだ。」

 興奮する公爵に、ニルダヌスはゆっくりとした口調で言った。

「だが、それは貴方の推測です」

 それに目を閉じると、公爵は返した。

「証拠は無い。

 だが、ミハエルという子供は、ここで死んだ。

 目的は、命を戻す為とある。

 命を戻すとは何をさす?

 当時必要だったのは、この場所の安定だ。

 どこに使われたのかはわからない。

 だが、イオレアの為に、あの木乃伊がやった。

 覚えているだろう?

 腹から出てきたんだ。

 モーデンと融合したイオレアは、胎児を宿したような状態と認識された。だから、腹からでたんだ」

「主殿、だがそれも推測だ。

 子供は自ら選んだかもしれない。

 友達の娘に書いて残したが、手違いで渡されなかったかもしれない。

 苦痛の無い死だったかもしれない。

 そして一番大事なことはだ、主殿。

 このミハエルという子供は、もうやすらかな場所にいる。

 貴方の姫と私の妻のように、憂いの無い国にいる。

 苦しみを与えるのも苦しむのも、生きている者だけだ。

 争いあっているのは生きている者だ。それにミハエルという子供は気の優しい子ですね。友だち思いだ」

 泣きそうな顔の男に、ニルダヌスは考える。

 例え、何が原因であろうと、苦しみを作り出し人生を選んだのは自分自身だ。たとえ原因があろうと、心の痛みは減らない。

 公爵もわかっている。

「そんな子供が呪うでしょうか?きっとこの子供ではないでしょう。呪うならきっと女達ですよ。

 母親は怒ると怖いですからね」

 だが、おおよそ公爵の推測も間違いではないだろうとニルダヌスも認めていた。

 魔導師の実がイオレアの為の実だったとしたら説明がつく。

 今の人間には毒だ。

 だが、イオレアの女や男、分離した者達には特効薬のように使われていたのではないだろうか。

 生け贄ありきの薬なら、中々作り出す事は難しい。

 そしてちょうど良い子供が使われた。

 特殊な薬になり、モーデンが無害と思い摂取して死亡。

 そしてその遺体を吸収融合したセネスが死亡。

 という馬鹿らしい話が事実ではないだろうか。

 公爵にしてみれば、偶然よりも因縁を信じたいだろうが。

「さぁ行きますよ。誰かと合流できたら、ここを焼却するように伝えましょう。公王陛下に知れれば採取されかねない」

 力の抜けた公爵の手をとると、ニルダヌスは地底湖を後にした。

 本心では公爵の言い分を認めていたし、たぶん、子供は非業の死を遂げていると彼も同意する。

 だからツアガの本性が畜生だとしても、上で争い合う畜生の姿にしたのは、この場所にある何かだと思った。

 黒いヌラヌラとした水面に浮かぶ美しい花と葉。

 その水面下には得たいの知れない根や茎、生き物が潜んでいるのではないか。何かいるのではないか。と、危ぶんでいた。

 信じてない風に言い脱出を促したのは、そんな不安を覚えたからだ。

 壊した格子の所まで来て、やっとニルダヌスは幾分力を抜いた。

「すまない」

「何をあやまるのです」

「君を不快にする言動だった」

「いえ」

「だが、私は」

「わかっています。ですが、それならば今は沈黙をお願いします」

 頷くと公爵は黙った。

 考える材料が増えた。ニルダヌスは通路を先にたち東に進んだ。

挿絵(By みてみん)

 やがて落ち葉が足元にある場所に出た。天井が無くなり外に出たのだ。

 喧騒は遠く、城塞裏側でありイアドの住人は、幸いにも回り込んでいないようだ。

 夕焼けとは違う赤い空に黒と灰色の筋が見える。

 空気は金臭く、温い微風が南から吹いている。

 両脇の壁が高いので、空しか拝めず場所と位置がつかめない。

 慎重に壁の影を歩むと、針葉樹と白い塔の屋根が見えた。

「外殻の内側にある古い物見ですな。中が無事ならば一時そこで休みましょう。たぶん、この通路は中堀に通じる枯れ用水ですね」

 堀の水量調節に使われる側溝と繋がっていた。

 城塞の深い堀は、今は水が抜かれている。そこには水の代わりに逆さ槍が並べられている。

 裏側の用水側には無いので、底を横切ると見上げるような高さの壁にある錆びた梯子を上った。

 安全の為に公爵が先に登り、下にはニルダヌスが控えた。彼の重量で梯子は一回で壊れた。

 戻る事はないので問題はない。

「酒蔵に寄れませんでしたね」

 登りきって、フィグ・ダウラに食い散らかされて吹き飛ぶ騎士を眺める。

「シィーリィヤンに褒美をあげたいですね」

「冗談はよしてください。塔を調べますので流れ弾に気を付けてください」

「イアドの輩は音に反応するとして、イオレアは臭いと光りですかね」

 影竜騎士達は残った外殻部分を利用して戦っている。

 城を爆破焼却したら一緒に始末できるだろうか。

 遠目に見ていると、あのおきなと女が一団を動かしているのが見えた。

「ヤンはあれをどうして生かしているのか」

「大丈夫です、中へ」

 塔の窓から顔をだしたニルダヌスは、公爵を中に招き入れた。

「口のきけない証人は貴重か。でもヤンなら殺すでしょうに」

「報償が良いのでしょうよ、さて、すこしお休みを。極夜でも動いたら休んだ方がいいと聞きますしね」

「別に眠くもないし疲れてもいないぞ」

 ニルダヌスは何も言わずに、入り口から外を伺っている。

 仕方なく、公爵は適当な木の箱に腰を下ろした。

「極夜は睡眠と食事、排泄を不要としますが、超人になるわけではありませんよ。負傷もすれば疲労もします。

 だから、危険なのですよ。

 飲んだくれているぐらいなら、問題はないのですが。

 だから極夜の間中、酒蔵にこもれたら天国だとおもうんですよ、主殿」

 振り返ると公爵は固い木の箱の上で意識を落としていた。

 多少酔って興奮した後だ力尽きたのだろう。

 ニルダヌスは布団の代わりを探す事にした。

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