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冬の狼  作者: CANDY
薄明の章
342/355

流浪の女 裏

 全てが醜悪であった。

 醜悪という言葉だけでは表現できない。

 これは何であろうか?

 ターク・バンダビア・コルテス。

 今は只のタークという人間は、ある意味、感嘆していた。

 それは名画を見た時や、技巧をこらした技を前にした時と同じか。それとも未開の地に住む異種族の神像を見たと言えばいいのか。

 馬を進めた城塞内は蛮族の宴のようだった。

 肉と骨、汚物の山だ。

 積み上げられた頭蓋、井戸の回りに散乱する骨。

 町並みは黒々と汚れており、シェルバン末期を思わせた。

 シェルバンは城下が消えていたが、もしあったとすればこのような有り様であったかと思った。

 群がる蛆と鼠。

 飛び交う羽虫は黒い霧のようだ。

 積み上がる肉の柱に、彼は息を吐いた。

 最奥には何があるのだろうか。

 エレッケン城は、古典的な城塞であった。

 外見は重厚な石造りであり、城壁は高く、本城は尖塔が天に聳えていた。

 重厚で頑丈、歴史を感じさせる装飾に町の作り。

 どれもが夏の陽射しで彩られていれば、素晴らしい古城であった事だろう。

 たぶん、百年か二百年前は。

 ロドメニィ殿下が来た時は、まだ体裁を取り繕えていたと思いたい。

 違和感を覚えていないミダスを見ると、それも怪しい限りだ。

 城塞の町には民はいなかった。

 本城に近づいても、人の気配が薄かった。

 門衛は長命種には見えなかったし、ミダスが喋る相手もそうだ。

 ターク公には、ここが人間の城には見えなかったし、付き従うニルダヌスは悪臭に息が苦しそうだ。

 ミダスは、人間に見えるのに。

 そんな思考を読んだのか、傍らの男が気配で笑う。

 顔を見ずともシィーリィヤンは笑っているだろう。

 これが長命種の素であり、崇めてきたモノだ。

 笑わずにはいられようか。

 たぶん、もしかしたら普通は見えないのかもしれない。

 城塞の町は民がおり、奇妙な形の這い虫のような何かが蠢いてはいない。

 重厚な石の建築には、臓物のような蔦が覆ってはいないのかもしれない。

 奇妙な四肢に異形の姿をした三つの頭があるのは、本当は人間だったかもしれない。

 もしかしたら、狂った頭が見せる幻覚かもしれない。

 通される通路の脇道の先には、白い固まりが溶け蠢いて見えるのは、ヨジョミルの山城で飲んだ酒が原因かもしれない。

 同じ顔をした使用人達が歩くと、石の通路が赤黒い体液まみれになっているのもだ。

 白い塊が、男や女のように見えるのも、積み上がっているが生きているように見えるのも、きっと幻覚に違いない。

 ただ、それが城の中心部に近づくと、湿気った血と汚物の臭いが酷くなり、誤魔化す事が難しくなる。

 だが、その異臭が強くなると、その醜悪な景色が圧倒的な造形に見えてくる。

 血と肉、人間の肉体による芸術のように。

 女と男、大人と子供、そんな人間の姿は無い。

 人の形をした何か違う生き物が、溶けて混ざり、違う物になっている。

 生きているし死んでいるし、それは命であり物である。

 そして心も体も、生きているようで死にかけている彼だからこそ、恐れも半減していた。

 人間の末路とも思えず、奇妙にもそれが恐怖には繋がらない。危険で恐ろしい事なのだろうが、やはりそれは物量による圧倒感だけだ。

 同じ命が失われ変質していく様には見えない。

 同じ人間への憐れみは浮かばない。

 もちろん、ターク自身にも死や痛みへの恐怖はある。だが、生への執着なく生きる苦痛が大きすぎて何を見ても、壊死した精神は何も感じないのだ。

 それ故に、わかったような気がした。

 これは何だ?

 つまりは己が悩む事事が、何の因果も意味もないという事だ。

 意味がない。

 大切な人が死ぬ理由には、この世を揺るがすような理由はなかった。

 争いの余波で死んだだけだ。

 彼女を狙って奪っていったのではない。

 苦痛も不遇も、回避できなかったのは、単なる巡り合わせであった。

 ただ、欲をかいたシェルバンの人間に殺された。

 理由、理由だ。

 シェルバンがおかしくなったのは、この闇があったからだ。

 そして名無しが触れたのも、この闇だ。

 このような病み腐った根元を放置したが故に、人の醜さが増えただけだ。

 圧倒的な汚濁の世界は、弱い心に根をはるのだ。

 己はどうだ?

 問いかけて、この力により大切な人を呼び戻すか?

 偽物を呼び戻す?

挿絵(By みてみん)

 自分が取り戻したかったのは、夏の日の一日だ。

 二人で過ごした、黄金の夏だ。

 神は彼女を連れ去った。

 もう、素晴らしい世界にいるのだ。

 二度と会えないが、醜い世界から逃れられたのだ。

 胸が黒い思いで焼けつく。

 憎い。

 因果なぞなかった。

 この害虫どもが花畑を食い荒らしにきただけだ。

 美しい花を枯らせ、養分を吸い付くそうとしているだけだ。

 憎い。

 中城に続く門にて、ミダスが別れた。

 連行されていく姿を、何の感慨もなく見送る。

 自分で始末をつけるがいいと思う。

 ここで生きてきたのだ、どう進もうと自分で決める事だ。

「シィーリィヤン殿、私を最後にして欲しいのですが」

 中門が徐々に開くのを見つめながら、彼は呟いた。

「命乞いかい、鶉ちゃん」

「いいえ、彼らが死んでいくのを見届けたいだけです。苦しんで死んでいく姿を土産にしたいので」

 それに興味が無いのか、チラリと背後のニルダヌスを見ると殺人鬼は肩をすくめた。

 城の中は湿って冷たかった。

 気温が高く無い事は救いである。

 それでも微かな羽虫の音がする。

 これまで遭遇したエレッケンの者は、甲冑の騎士達と奇妙な姿の何かだ。

 甲冑姿はミダス達と同じく人間の形をしていた。

 所々、足りなかったり多かったりしたが、おおよそ人に見えた。

 住人や官吏、ツアガの係累らしき者達は、同じ顔をした男女であった。

 これの多くは人が混ざった何かに見えて、おおよそ人間を取り込んだ別の生き物に見えた。

 服を着込んだ肉の袋に、顔の皮膚を張り付け、髪の毛を植え付けたような感じか。

 子供の絵のような姿。

 言葉は辛うじて人語のようであるが、衣服の下が人間と同じには見えない。

 蠢いているし何かチラチラと裾から出入りしていた。

 それでも謁見の間に近づけば、人間らしくなっていった。

 凝った長衣を着込み、二本の足で歩く。

 謁見の間には甲冑の騎士が並び、老若男女が控えていた。

 しわぶき)ひとつ無く、建物の最奥であるはずなのに、すきま風のような音がしている。

 正面には玉座。天に向かうように光の筋のような彫刻が壁にあり、玉座に座れば天を支配した神のようにみえる。

 公王の玉座よりも豪華で、そしてくすんで薄汚れていた。

 そこには誰も座ってはおらず、黒い染みと何か小さな煤のついた金属が置かれていた。

 凝視すると、それが手甲を纏った手の骨に見えた。

 ターク公は、玉座から視線をあげると、左右に控える者達を見た。

 ゆっくりと見回し、こちらを眺める視線を確かめた。

 数瞬の沈黙、そして一人の男が前に進み出た。

「西より東に送られし守護者の庇護の者、何をもって訪れた」

 ずいぶんと共通語に苦慮しているのか、その男はこもった声色で問うた。

 それにターク公はニルダヌスに、公王の信書を渡した。

 獣人のニルダヌスを異形をみるかのように、広間の者はざわめいた。だが、信書は捨てられる事無く渡された。

 ツアガに直接と思ったが、予想以上の荒廃に、ターク公は諦めていた。

 たとえ、ツアガ公が本来のモーデンであったとしても、会話できる種族とは思えなかった。

 信書は開かれる事無く、影に立つ人物へと渡された。

 痩せ細った老爺がそれを手にして、渡した男に何かを言う。

 すると広間にさざ波が広がるように何かが伝わり、詰めかけていた者どもは背を向けた。

 言葉無く、それでも某かの意味が伝わるのか、彼らは広間から出ていく。

 そうして老爺と一人、無表情の小柄な女が残った。

 女は灰色の髪をし、一目見ただけでは異相はない。

 ただし、顔色は緑がかった白さを見せ、瞳は無く目の部分は白く濁っていた。

 老爺はターク公を手招いた。

 使者に対する態度ではないが、異形の巣にて人間らしさを求めても無駄。そう考えて彼らは招きに応じた。

 玉座の右手にかかる幕を掻き分ける。すると老爺の先には通路があった。

 吹き抜ける風音はそこからだった。

「何処へ」

 彼の小さな呟きに、女が答えた。

おきなは喋れませぬゆえ、代わりにお答えします。

 根源の光が主の元へと案内いたします」

「その方らは」

「侍るは光が主の、十六氏族にございます。

 すでに十と三の氏族は絶えますれば、私と翁は葉添えの氏族と呼ばれております」

「葉添え?」

「絶えて久しく、お戻りになられた光の主が一人の血筋にて、西より東に移り血筋でございます」

「つまり、東マレイラからの生け贄の子孫か?」

「はい」

 同族であると言われ、タークは否定をしたくなった。

 だが、確かに広間に集められた者どもとは違い、人間らしさの片鱗は彼らにある。

「一度、宗主とご面会のあと、御滞在すべき場所へと案内する事になる。と、翁が申し上げております」

 どうやって意思の疎通をはかっているのだろうか。

 その疑問は答えられる事無く、老爺は会話が途切れるのを見計らうと、先に歩きだした。

 通路は入り口は狭かったが、その先は吹き抜けになっていた。

 尖塔が複数あることから、玉座の間の後ろは、橋や通路が集まっているようだ。

 頭上も交差するように幾重にも橋が通り、うっすらと天がみえる場所もあった。

 中庭、空中庭園のような作りだろうか。

 寒々しい彩りだが、実に洗練された作りである。

 そう、これほどの構造をした巨大な城だ。

 優れた文化を有していたのだろう。

 もちろん、今では奇っ怪な頭蓋の置物や、人皮の魔除けめいた物が吊り下がる有り様だ。

 もったいない話だ。

 ここを思うがままに暮らしているのは、蛆虫や鼠ぐらいであろう。

 ターク公が崩れかけた壁の絵画に顔を向け、そうして煤けた絨毯に転がる美しいはずの陶器の皿を見るに。

 老爺は振り返ると女を見た。

「我らも理解しております。彼らは理解しております。そしてそれゆえに、無駄なのです」

 その意味は理解できないが、彼には言い訳に聞こえ、それこそが無駄であり怒りがわいた。

「善き事を知らねば、わからぬのです。

 抗う事を学べなければ、わからぬのです。

 そして無知であれば、弱者の意見は悪なのです」

「では死ね」

 傍らのヤンが言う。

 それはターク公の言葉でもあった。

「死を選べるならば、我らは従うでしょう。」

「どの者がだ」

「少なくとも葉添えの者は、ヨジョミル殿と同じ思いでございます。

 そして、光が主も又」

「じゃぁ死ねよ」

 つまらなそうなヤンの声を無視すると、老爺は再び歩きだした。

 先に先にと進む通路は徐々に上へと向かっていく。

 薄曇りの空から降る、弱々しい光りがあたりを照らす。

 暗く重い石の建物に、白い光りが差し込んでいた。

 ハタハタと白い布が揺れている。

 吹き抜けから曲がり、天井の高い部屋へと入る。

 冷たい風が吹き抜けていく。

 それでも城内の腐った臭いは無い。

 ニルダヌスが大きく息を吸い込み吐き出し、ヤンは臭いを確かめている。

 この通路だけは、異物がなかった。

 整然とし掃除され、それでいて酷く荒れ果ててみえる。

 徐々に見えてくるのは、扉代わりの白い大きな布で、それが風に揺れている。

 それを潜り抜け金箔の柱を横切る。

 すると小さな水音が聞こえた。

 風、はためく、水。

 案内されながら、ターク公は息苦しさを覚えた。

 理不尽に対する怒りは徐々におさまり、代わりに何かが胸に広がる。

 異形には覚えぬ恐怖だろうか。

 だが、心の底をさらえば、人の身で見てはならぬ物を見るのではないかと言う不安だ。

 馬鹿な事だと思う。

 ただ、海が見通せる部屋にたどり着き、そこにあった物を見て、彼は目を閉じた。

 原因はあれど、悪はなかった。

 過ちはあれど、悪はなかった。

 何と虚しい事だろうか。

「我らが主よ、神よりの答えがありましたぞ。」

 主は答えず、干からびた姿が光りを求めて朽ちていた。

 だが、一目見てわかった。

 ツアガは朽ちぬ遺骸を戻したが、何かがおきたのだ。

 頭領であるツアガは、戻ったモーデンの亡骸を取り込んだが、本来あるはずの融合に失敗している。

 下肢は植物様になっている事から、途中までは融合はできた。

 ところが上半身の胸の部分は内側から弾けとんでいる。

 殺されたのではない、内側から何かが出たのだ。

「暫くは、そう殿下が嫁がれた頃は無事であったはずだ」

 翁は信書を広げると木乃伊に捧げた。

「分離が起きたのです。皆、復活に喜びました」

「良くあることなのか」

「いいえ、本来は三体全てが戻らねば、分離や産卵はおきません。ですが遺骸が朽ちて分離したという結論に」

「産卵だと」

「主軸のイオレアに死滅に瀕すればの話。数を増やす為に分離や産卵という手段をとります。ですが、それはかつての事。分かたれた者は、融合するだけ。あり得ぬのです」

 側による。

 白い骨、干からびた皮。

 抉られた胸と腹に、空っぽの内臓。

 もつれた髪が侘しく抜け落ち、その左手は無かった。

「玉座にあったのは、この腕の先か?」

「印璽がとれず、どうしても必要と切り取りました」

 残りの手は窓枠にかかり、外を見ようとするように身をよじっていた。

挿絵(By みてみん)

 その窓から外を見る。

 島が見えた。

 あの小さな館の島だ。

 不意に、おさえようもない悲しみがわく。

「分離したモノはどうした?」

 それまで黙り、気配を消していたイグナシオが老爺に問う。

 女は壁沿いに置かれた小さな書机から、羊皮紙を一枚取り出した。

「十六の氏族の内、十四の氏族はそれを主とは認めませんでした。」

「嘘はつくな」

「嘘なぞ、これが盟約の写しに」

「それがあれらの首魁だというのか、で何処にいるんだ」

「いいえ、もう」

「二つの氏族は、それから出てきたモノを主にしたのだろう?」

 それに翁がイグナシオに近づくと身ぶりをした。

「何と?」

 ターク公の問いに、女は答えた。

「主の中から分離した物は、すぐに死んだ。

 我々は、主の教えの通り約束された行いを全うせねばならない。

 だが、それでは約束を果たす前に、地獄の輩にまけてしまう。それに封印されたもう一人にも気がつかれてはならぬと」

 老爺はイグナシオに繰り返し身ぶりした。

 それを見て、イグナシオは唸った。

「だから、バチが当たったのだと」


 ***


 宿泊する為に通された部屋は、海が見下ろせるあの部屋の近くだ。

 水音は、正常な地下水を組み上げている音で、この部屋回りだけは人間が暮らせそうである。

 糾弾すべき人間が残っておらず、塵を掃除するならば城ごと破壊するのがよい。

 だが、ただ殺すだけでは均衡が崩れる。

 効率を考えれば地下から出てくる物ともども始末する事だ。

 だが、裏切る可能性が確定した者を生かす意味は無い。

 だから、ヤンにしろイグナシオにしろ、ターク公が部屋に落ち着いてすぐに消えた。

 別段、掃除の行程にかわりはないのだ。

 だから生きられる限り、ここで祭りの見物をするだけである。

「期待はずれだったよ」

 ターク公の呟きに、ニルダヌスは入り口に立ちながら見返した。

「モーデンに会えると思ったのに、木乃伊だったよ。

 逆賊の徒に会い、無駄で汚い口論もできなかった。

 聞いたかい?

 生き残った氏族は、人間を喰うそうだ。

 分裂した自分達を食えばいいのに、時々、人を浚う。それがあの死骸の山だ。

 地下の物どもと何が違うんだろうね。

 私の民とは逆だね。

 なのに下手に人間だと勘違いしている。なぜ、私たちを生かしてもてなすのだろうね」

 信書の内容は、あらゆる権利の剥奪である。

 予想で書かれたものである。原本はカーンの白紙の方だ。後から如何様にもするために、誰にも見せぬ原紙である。

 自治権も取り上げ、この地域全部を接収するという事だ。公王は、人間の支配を望んでいる。

「いずれ来るでしょう」

 南部なまりのやけに間延びした口調でニルダヌスが返す。

「貴方も少人数で来た我らも、彼らからすれば驚異に見えないのでしょう。

 だから、見ていろというわけです。自分達の勝利を疑わず、貴方の価値を測っている。

 彼らの目的が何であれ、貴方は窓口だ。

 殺すのは容易いが、価値があると見ているのでしょう」

 窓には格子も無く簡易な木の鎧戸があるだけだ。

 侮っているとはその通りなのだろう。

 この窓の外は断崖絶壁である。

 逃げ出すのは難儀であるが、極夜には押し寄せるモノに曝される。まことに良くできた牢屋だ。

 考えてみれば、あれが本物であれば、城を守る必要もなく。

 何を守ろうとしているのか見失っているのも理解できた。

 何と憐れで穢れた者どもだ。

 人間ではないのに、まるで人間のようではないか。

 いや、人間がにているのか?

 昼を迎える頃に、イグナシオが戻る。

 彼は食料を運びいれると、公爵に伝えた。

 極夜は、赤い霧に包まれて、月も無いというのに明るいという。

 いつもの流れは、エレッケンの戦力、影竜騎士が浜辺にて陣を敷く。ヨジョミルの不死の兵隊が包囲するという感じだ。

 ヨジョミルが調停する立場で、山城を中心にエレッケン城を守る形だ。

 だが、今回は夜が長い。

 おまけに条件が悪い。

 影竜騎士が数を減らしたので、ヨジョミルの兵隊が主力となり、後ろをエレッケンの兵力が囲んでほしいとツアガから申し入れがあった。

「本末転倒ですね」

 公爵の言葉に、イグナシオは鼻をならした。

「そこで今回は、島を囲むようにヨジョミルは兵を出し、エレッケンその他の被害は鑑みない事にした。」

「ツアガの者どもは何と?」

「知らぬ。ヨジョミルが自分の城を捨てエレッケンの守りも捨てるとは、思ってもいない」

「つまり両方に押し寄せるのですね」

「そういう事だ。だが、少なくとも島は守れるだろう。戻るか?公爵殿」

 それにターク公は笑った。


 ***


 窓から外を眺める。

 神罰を受けた男と同じく、海と小島の館と、ニナンの岩窟を厭きもせずに眺めた。

 ニルダヌスは入り口で不動を保っているが、ターク自身は特段心配はしていなかった。

 極夜を前にして、彼らも余裕がないはずだ。

「ご飯おいしいねぇ、ベルちゃんダナエちゃん。お水もきれいなの飲まなきゃねぇ」

 食事にだけ戻ってくる男は、血にまみれていた。

 この男が生きている限り、何もせずに囚われている男など相手にしている余裕はない。

「順調ですか、シィーリィヤン」

「あははぁ、たのしいねぇ。真面目にぃお仕事してるんだぁ名簿も作ってるんだぁ。あの爺に言ってね、始末する優先順位?ちゃんと決めてるよ。公王に報告する時の参考、たのすぃ~」

「それは重畳。私の順番は極夜のさわりだけ見せていただければ、好きにしてください」

「最後じゃないのぅ?」

 ヤンは背後の獣人に目をあてる。

 扉に控える男は、とても静かだ。

 静かだが、公爵を殺そうとした瞬間に、食らい付いてくるのが見える。

 斬りつけてくるのではない。相討ちで喉を噛み千切り食い殺してくる。そう見えた。

 確かに、如何なヤンでさえ首を喰われれば死ぬ。

 逃れたとしても、一部でも噛み千切られれば大損害だ。

 獣人はそこが厄介だ。

 基本能力が高く、武器が必ずしも必要がない。

 喉当ても革では骨ごと持っていかれるし、半獣でも顎か顔半分ごと削り取られそうだ。

 老いたフリをしているニルダヌスは、猛獣の獣体で素早い。

 ふむ、と考えてみれば、この獣人はエウロラ友達リアンの友達だ。

 そしてこの目の前の獲物は、娘の友達の親族と顔見知りで、公王の義兄弟。

 殺してもいいけど、殺すと娘が娘の友達と険悪になるかもしれない。

 別に、今、殺さなくてもいいかな。

 と、頭の隅で思う。

 何しろ、獣人の頭領が良い報酬を提示してくれている。

 たくさんたくさん殺しているのも、その為だ。もちろん、公王依頼でもある。

 そんなヤンの勘定を見抜いているのか、ニルダヌスが言った。

「年寄りなぞ始末する暇があるなら、ツアガの氏族を滅ぼしてこい」

 老爺と女も度々部屋を訪れた。

 彼らの話を信じるならば、全体の姿が朧気ながらわかった。

 ツアガは死んで、行き先を見失ったのだ。

 代替わりをするだけの話なのだろうが、それは表向きの事。

 終わりを受け入れられず、彼らは続ける事にした。

 そういう事だ。

 だから、大切なものが何かわからない。

 彼らは今もツアガはおり、偉大な戦いを続けているとしている。

「不思議ですね、あの水妖の囃し歌のようですね。そうあのパロミナ・シェルバンの歌のようでした。さしずめ、イオレアの三つ子でしょうか。

 イオレアの三つ子

 神の子供

 異界の女に惑わされ

 一人は女に喰われて腹の中

 一人は兄弟に戻され腹の中

 最後の一人は一族みんなの腹の中

 セネス・イオレアは神の子供

 嘘つき三つ子は惑わされ

 一族皆の腹の中

 でしょうかね。つまらないおちです」

「何が腹からでたのか」

「そもそもモーデンの死因がわからないのです。まぁ見ればわかるとおり、食い合わせは非常に最低だったようですね」

 そんなやり取りの間も、世界は夜を迎えていく。

 小島は篝火がおかれ、次々と山城から物資が運び込まれていく。

 静かな部屋の中で、そうして眺めているが、それはとても面白いものだった。

 時々、見える範囲での築陣の様子をニルダヌスと見守り、不思議な輝く幕が降り注ぐ朽ちた館を見つめ続けた。

 対して、ツアガの城は徐々に淀みを増した。

 夜昼無く、元々荒廃し散々血が流れていたが、勤勉にもヤンの働きがお陰か、後方に控えるという言葉が事実になりそうだった。

 何を企んでいるかはわからないが、頓挫しそうで騒いでいる。

 故に時おり、公爵の元へと来ようとする者達も出始めた。

 それを老爺と女は退ける。

 彼らは不思議と、言葉をかけるだけで穢れた者を退けた。

 それを彼らは光りが主の御意向と言う。

 喰わなかった者が排除された理由でもあろう。

 だから、何も煩わされずに極夜を迎えた。

 ニルダヌスはイグナシオを通じて手にいれ、設置した鉄の窓格子を閉じた。そして出入り口の扉も内側から閉じる。

 別段、何にも備える必要はないと思ったが、ニルダヌス曰く、ここで腰を据えて観覧しましょうとの説得を受けた。

 確かに、このような見物、人の一生で観れる機会は無い。

 島と浜辺とニナンの岩窟は、鉄格子からも見えた。

挿絵(By みてみん)

 夜が来て闇が降りる。

 月も星も無く、空と地面の際にも一切の光りが見えない。

 だが、暫くすると、水平線が赤く染まり明滅した。

 転じて岩窟が白い霧に覆われ始める。

 遠くで地鳴りがする。

 海の向こうで遠雷がする。

 その時だ。

 天空が赤みを帯びた。

 闇に赤黒い雲が渦を巻く。

 地面は今だ闇の中であるが、それと共に海水が退く。

 館の前まで退き、砂浜が広がる。

 徐々に全てが赤い光りに照らされて色を変えていく。

 館が姿を変えていく。

 巨木が姿を現し、神殿を木陰に置いていた。

 そして兵士が神殿を囲み、神々しい輪の中で浮かび上がって見えた。

 潮の退いた場所、その光りの輪の外には、山城から次々と兵士が進んでくるのが見えた。

 整然と並んだ兵士は、元々の砂浜の部分までを埋め尽くすようにして並ぶ。

 彼らが並ぶと同時に、山城から巫覡が出陣した。

 山犬が牽く戦車に乗り悠然と、中央に陣取る。

 彼女の足元には複雑な呪い陣が明滅していた。

「ツアガは開門もしないか」

 ツアガの兵の出陣する様子はない。

「何をするだろうか」

「上前をはねるつもりか、単純にヤンと工作している彼らが働きの結果でしょう。こちらに何かしてくる可能性もありますが、あの橋を残しているところから、わざと仕向けている事も考えられますね」

 ニルダヌスの指摘に、崩れかけた小島に渡された橋を見る。

「ヨジョミルの兵士が島を囲みますよ」

 徐々に後退し、完全にツアガの城を晒す格好になる。

 そして指揮する女は、島の東側に作られた艀に降りた。

「何かを渡していますね」

「幕が避けたね、あの光りの幕は何だろう。上陸したようだ、あれは建物か?」

「たぶん、島に作った防御陣地でしょう」

「フィグ・ダウラか」

 まだ、動きは無い。

 赤黒い光りの中で、夢の出来事を眺めているような気がした。

「決着をつけさせない戦いに、終わりをもたらすには、どれほど殺せば良いのだろうね」

「終わらせない約束を終わらせればいいのでは」

「なるほど、それはいい。私も下に行くかな」

「主殿、ヨジョミル殿から差し入れが三箱ほど届いておりますが。どれも年代物の一級の酒ですな、美酒美食自慢の方らしい品々ですね。目録がこれです」

「..フィグ・ダウラが来るまで一杯やるかな」

「ご用意します」

「どちらにしろ籠城は無理だぞ」

「下の法則が適用されれば、食べも寝もせずにいられるようですよ」

「では、城の中もフィグ・ダウラと同じになるのだろうか」

「入り口は外側からも物を積み上げるように伝えてあります。」

「まぁそれでも飲み尽くしたら、外に行くさ」

「ご自由に、因みに扉の外は酒樽です。蒸留酒と葡萄酒樽のはずですな。心配はツマミでしょうかね、干し肉と豆類があったはずです」

 ターク・コルテスは諦めると、窓辺に椅子を寄せた。

 そうして酒を待ちながら、夜を眺めた。

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