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冬の狼  作者: CANDY
薄明の章
341/355

ACT300 流浪の女 ④

 太陽は顔を出さず、東がほんのりと白くなるだけになった。

 乾燥した木材と燃料を運び入れ、石炭や炭は地下へと積み上げる。

 ヨジョミルの山城から持ち込めるだけの品を船にて運び入れた。船は山城の地下にある艀からだ。

 隠されていた船は鋼の外装を施された代物で、浅瀬になる前は海の上でもやりあっていたそうだ。

 城から持ち出されると霞と消えるのかと思ったが、これらは矛盾が作り出した品らしい。

 良いのだろうかと訊ねれば、ヨジョミルは笑うだけだ。

 別段、習慣となった最後の一日の副産物で、彼らが消費する訳ではない。

 そしてこれで最後と思えば、予定調和にも思えた。

 滅びの館の小島は、元は海底に沈む都市の神殿跡だ。

 地盤が沈下したのか、周りが隆起したのか、地下に構造物が広がっていた。

 地下二階までは保存状態は良く、その更に下は岩に押し潰されている。地上部分が脆く不安があったが、下に物資を入れて上階を防御陣地にするには不足は無い。

 館自体は朽ちているが、急遽補強と陣地作りを急いでいる。

 おおよその形だけで良いのだ。

 この館にたどりつく前にヨジョミルとツアガの兵力が、浅瀬で敵を迎い討つ。ここには滅多に誰もたどりつかない。

 そしてエルベの結界、神鳥の結界、水の女とナリスの妹が作り出した結界にて門は閉ざされている。

 館には結界があり、客人は入り込めない仕様だ。

 普通の人間は入れない。

 いつもなら、ヨジョミルとツアガは極夜を乗りきり終わる。

 共闘して敵を排除してだ。

 だが、今回はどうか?

 イトゥーリ・ツアガでありセネス・イオレア・モーデンの片割れは何を考えているのか?

 彼個人の考えはわからないが、ツアガ公爵の家臣や住人は、自由と幸せを求めている。

 過去の出来事の為に生きる事を疎んでいる。

 そこに封印されていた諸悪の根元が働きかけた。

 混ざりし者は何を考えているか。

 女は門への帰依だろう。簡単に言えば、自分自身へと戻り死ぬ事だ。それを阻めば死を振り撒くだろう。神に許される為に本体に融合するつもりだ。はたして憎悪が残っているかはわからない。

 男はどうだ?

 予想できる範囲では、男も融合し門へとたどりつくことだ。

 イトゥーリ・ツアガと融合し、主導権を自分に戻すため、そして女を排除するためだ。

 門を破壊するのか、門を手にいれる為なのかは不明だ。

 混ざりし者は、女の願いと男の欲望により共に門を目指しているから、ニーカとリャドガに合流しニナンへと入った。

 厄介だ。

 存在が混沌としている為に、行いに統一性が無い。

 ヨジョミルは、そこに今回はツアガが手を貸すのではないかと懸念している。

 混ざりし者の帰還と中央の人間がやってきた事。

 門が定着した事。

 どれもがツアガの成り立ちを変える時期を示している。

 終わりを受け入れないのではないかという危惧だ。

 ヨジョミルは自分が死んでいる事を理解している。

 奇妙な話だが、彼女は自分が亡霊でありエルベの力、グリモアの欠片であると自覚している。

 同じく中途半端にいかされているツアガの者は、罪を忘れ罰の為に生かされている事を忘れ、死人である事を忘れている。

 これは守護者の生温い優しさという愚かしさが産んだ罪だ。

 引導を渡さず、後の人間に支払いをさせているので、寄生虫が勘違いをしているのだ。

 それをヨジョミルは警戒し、ツアガは今回の極夜に離反し敵に荷担し門を支配するのではないかと考えている。

 では、門を支配するとは何だ?

 神にでもなるつもりか、守護者の拘束から抜け出すつもりか。理を越える事か?

 高尚な考えであろうとなかろうと、今の人間からすれば無用な事。

 門を支配するとは、エルベやエイジャからの離反であり、つまりは神の慈悲は要らぬという事だ。

 では、門がもし開かれたとしたら、最初にモーデンの片割れを押し込んでやろう。

(異界で死なずに化け物になるのがおちよ)

 ナリスの茶々に、そうだなとカーンは頷いた。

 確実に息の根を止めて、死者の宮に送り出した方が安心だ。

 問題は殿下の棺だ。

(棺か、確かに棺よの)

 棺以外のなにもでもない。

 見栄をはるにも、この儀式の間は崩れかけている。

 元からこのようなむき出しの場所だったのか?

(聞けばよかろう)

 ナリスの返答に、エレッケン城をみやる。

 臆病者は誰が館に行くかで揉めているだろう。

 生首の返礼をした後だ。

 ターク公は囀ずっているだろう。

 にこやかに脅しつけている頃だ。

 そんな思考にナリスが溢れるように笑った。

 ターク公の怨嗟は、そっくりそのまま悪霊と同じ。

 相手をじっくりと痛め付ける事が目的だ。

 極夜の前にくるだろう再びの使者からなぞ、話を聞いても無駄だ。

(心より罪を悔いる者が死に、時が流れれば、このようになるのも当たり前ではある。

 神の鳥が降りる場所のみが残され、いずれはすべて無くなるのが定め。

 だが、供物を投げ捨てるような行いを、はたして我らが神はお望みであろうか?

 守護者達が望むであろうか?

 ヨジョミルが足を運ばぬのは、入れぬからだろう。

 死者は結界に踏み入れる事ができない。

 では、死者以外を遠ざけたのは誰であろうか?

 ここが壊れてしまえばいいと考えたのは誰であろうか?

 女一人を犠牲にして、こうして打ち捨て祈りもしないのは、誰であろうか?)

 ヨジョミルは朽ちていく約束を見て、ツアガを見放したのか。

(トスラトは約束を果たした。

 もうすぐ神より慈悲が与えられる。

 と、思っていたのだろう。

 だが、イオレアは忘れたのだ。ヨジョミルは許せまい。長い苦痛からの解放を欲で阻むのだ)

 ツアガは何を求めているのだ。

(死にたくないし、手放したくないのだ)

 俺と同じか?

(貴様は死にたくないが、手放すと誓った。違うのか?)

 答えないカーンに、悪霊は笑った。

(貴様は、欲が深い。だが、亡者ではない。馬鹿だからな)

 確かに、とカーンはため息をついた。


 ***


 館の奥に炉が作られた。

 建物は神聖教の建築に近い。

 神聖教は前身の拝火教からの流れを持っているため、所々、寺院風建築と神殿建築が混じっている。

 便宜上布教施設を教会としているのも、元が寺院と神殿の中をとっての事だ。

 拝火教の宗教者が僧侶であり、神聖教が神官である。

 乗っとる形で神聖教が政治体制と共に広がり、そのまま宗教施設を利用したのでそのような事になっていた。

 そしておおよそ中央大陸で教会、つまり集う場所にて教えを説いているのは神官を指す。もちろん、拝火教の僧侶との抗争後も協力体制はあるので、寺院にて護国を願う僧侶はいる。

 話はそれたが、ナリスが言う滅びの館は、当時の神殿の最上階であった。

 本来ならば、儀式の間である神室にあるはずの棺が、入り口であろう前室に放置されていた。

 呪い人形を仕舞いこんでから、ジェレマイアは殿下が放置されている事に耐えられないと騒いだ。

 騒いで神鳥の化身とおぼしき鳥籠の小鳥に捲し立てた。

 端から見れば心が病んでいるような姿だが、ショックが大きすぎたのかフラフラしながら小鳥に訴え続けた。

 そんな神官に根負けしたのか、真鍮の鳥籠の蓋が勝手に開いた。

 そしてテンテンと中から小さく飛びながら、興奮する神官の頭頂へと移った。

 羽をつくろう小鳥の間抜けなしぐさを皆で見ていると、棺を覆う蔦が蠢いた。

 そして蠢き中身を持ち上げると棺から取り出した。

 暫し、皆が無言で見守ると蔦は中身を捧げ持ち、完全に棺から離れた。

 それを見届けたジェレマイアが発狂する勢いで怒鳴る。そうして棺を皆で担ぎ上げると動かす事に。

 それが一晩中続いた。

 方角が悪い、そこは脆い場所だ、下は崩れた時に助けられないと、本当にジェレマイアが発狂しているかのようだった。

 もしかしたら、すこし呪い人形の影響が残っていたのかもしれない。

 そうして石の棺を動かして、一番奥の霊廟のような場所に移動した。

 神にお伺いした訳ではないが、神の鳥は許したようだ。

 炉を作り部屋を暖め、壁中に神紋を刻んで。

 騒ぎ続けたジェレマイアが力尽きると、棺には殿下が横たわり蔦が再び棺を覆う。

 そうして運び込まれた真鍮の鳥籠に鳥は収まり、今に至る。

 とうの昔に壊れた色硝子の向こうには明けぬ夜が広がり始めていた。

「最後は力で押さえ込む事になる。殿下とジェレマイアを守るのがお前の役割だ。

 そして結果がどうであれ、彼らと生き残る事を考えるのだ。

 お前の使命は、殿下と祭司長を守り帰還する事だけだ」

 シュナイだけを呼ぶとカーンは告げた。

「そしてどうしても選ばねばならぬ時は、祭司長のみを生かす。何がおきて何がどうなるか、わかるのはあれだけだ。我々が戻れなくとも、あれだけが戻れれば救われよう」

 それにシュナイは、肯定だけを返したが、抱える疑問は伝わった。

「元より連れて来なければと思うのはわかる。だが、相手は我々が命を秤に置かなければ相手にもしてくれないのだ」

 それは誰なのかと問うのは控えた。シュナイでさえも答えはわかる

 魔神は誠意を見せろといっているのだ。

 傍観は許されない。

「自分は、イオレア、ツアガの血が不安です」

「お前もジェレマイアも殿下も血統から言えば濃いだろう。それに関しては、俺にも考えがある。

 すくなくとも、あのツアガの使者を見た時の反応からすれば、お前たちは大丈夫だと判断した。」

「確かに」

 猛烈な拒否反応を示したのが、ジェレマイアとシュナイだった。血の濃さ故に、親近感とは真逆の反応が出たようだ。

「極夜が明けるまで生き残る事。そしてここで起きた出来事を外へと伝える。

 東マレイラ経由で情報を残す。

 エレッケンから更に東、船を調達できればよいが、そこに入り江がある。サーレルはそこに向かわせている。

 イグナシオが合流できれば戦力的には問題が無い」

「海沿いに逃げれば?」

「極夜の影響はその入り江までだ。

 ただし、これは何の妨害も無い想定の話だ。

 イグナシオとサーレルが入り江にいるとは限らない。

 お前がたどり着いた時点で、極夜が明けているなら、そのままマレイラに向かって移動するのだ」

 言葉が途切れると、外で働く者たちがたてる音が良く聞こえた。活気と火との気配。

 暗い世界に確かに生きていると感じられる気配だ。

 霊廟は静かで、死人と同じく息を止めた姿が横たわる場所は、暖められているはずなのに寒い。

 シュナイは視線を床に落とした。

 ここに来てやっと理解した自分が、ひどく恥ずかしく感じた。

 彼らは、皆、戻らないし戻れないと覚悟しているのだ。

 カーンを含めて、もう、ここで終わると決めているのだ。

 幾度もこの土地にいる異形達に問いかけられていたのは、覚悟なのだ。

 言葉を選んで問われるので気がつかなかったが、幾度も聞かれていたのだ。

 その度にカーンは答えていた。

 望まない。選ばないと。

 自分は生きる事を望まず、自分が生き残る事を選ばない。

「祭司長どのを生き残らせる事が勝利なのですか」

「ジェレマイアと俺はオリヴィアを取り返すのが目的だ。

 だが、それができれば人間の世界も留まる事を許される。ここで神と相対する事が許されれば勝ちだ。

 我々が死のうが生きようが、それで世界は壊れようとも救いの機会は得られる。

 誰も彼もがここで殺しあい醜く争った末に、何が起きようともだ。

 だから、お前が全てを振り絞る姿を見せる事が重要なのだ。

 もしも、お前もジェレマイアも、誰も彼もが死んだとしても、無駄ではない。何一つ無駄にならない。

 死ぬこと、命をはる事、生き残ろうとすること、命を投げ出すこと。いずれにしても死力を尽くし神に見せる事が、証明となる」

 深刻な表情のシュナイに、カーンは表情を少し緩めた。

「だが、お前にただ死ねというのも酷だ。心残りも多かろうし、家族もある。俺とは違い、お前は家族の安寧こそが望みであろう。」

 それに否定を返そうとする相手に、カーンは片手で押し止めた。

「もちろん、栄達が望みとしてもあることは知っている。お前は父親のようになりたいとも思っていることもだ。

 そこでだ。俺が約束できる事を残す。」

 カーンは人の悪そうな笑みを顔に浮かべた。

「死後は俺達と一緒だ」

 父親のようにはなりたくはない。

 そう反駁したい衝動がおきる。

 だがそれよりも違う言葉が口をついた。

「どういう意味ですか」

「言葉道理の意味だ」

 シュナイは震えた。

「自分もですか?」

「そうだ」

 何故、彼らが実に楽しそうなのかも理解した。

「死んだ後は俺達と同じ船にのることになろう」

 燃え落ちる炉の木がはぜる。

「どうだ、安心したか?」

 弱い自分を見抜かれてシュナイはこうべを垂れた。

「まだまだ遊べるぞ」


 ※※※


 極夜と聞き、漆黒の夜を想像していた。

 だが、徐々に広がるのは、焦げたような朱色であった。

 水平線や地平は黒々と霞んでいるのに、空は炎に炙られたような色をしている。

 血の色だ。

 そこには星も無く、時おり烏の黒い染みが通り抜けるだけである。

 気味が悪いが、カーンには何故か心が浮き立つような感覚がある。

 あぁ楽しくなりそうだという感覚だ。

「ひとつ、疑問がある」

 石積の壁と堀が作られ、罠が仕掛けられるのを見つつ彼はナリスを呼んだ。

 ナリスは崩れかけた館の元の壁に腰を下ろし、手にした何かを弄っていた。

 それは過去の姿にすぎないのだろうが、やけに落ち着き安らいで見えた。

(向こう側に落ちた女の事か?)

 内なる存在に問いかける居心地の悪さのひとつに、結局は自問自答のような反応がある。

 カーンはナリスの側により、エレッケン城の影を見上げると続けた。

「死んで戻ったにしてはおかしい」

 ナリスは手の中の小さな紙片を折り畳むと、片膝を折り腕をのせた。

 作業する兵隊を見るともなしに、悪霊は視線を向けると答えた。

(根拠は?)

「三つでひとつ、結果を考えれば、トスラトは理に戻った。消滅ではないし、ましてやイオレアの変異ではないはずだ」

(それで?)

「門になる、神木になる。

 神の試練に打ち勝ち、理を保ったことによる祝福だ。

 戻ろうとしている器も、その祝福と慈悲を求めてであろう。

 一人は門になった。

 一人は門を支えようと命を失う。だがこの時、魂は門を支える一助となった。

 ならば、あとひとつだ。

 盗まれた器と残滓は戻ろうとしているが、神は既に認めている。

 理の中で正しい道を選んだとしてだ。

 イオレアの女は、この世を支える糧となった。

 ならば、裏切り者のイオレアのようになった訳がない。

 投げ捨てられた女は消滅したのではない。」

(ウルリッヒよ、たどり着けたか?)

 疑問を口に出していただけで、答えは求めていなかった。

 だが、カーンはそこまで口にしてから気がついた。

 セネス・イオレアの考えと、混ざりし者の考えと、神の望みをだ。

(貴様の役割は何だ?)

 赤い空を見上げる。

「守護者だ」

(守護者であるエイジャ・バルデスは調和を保たせる役割を持っていた。

 壊れたら直す、必要なら作り出す。

 そう作り出す者、職人だ。

 娘であるオリヴィアは職人の娘であり、機織りだ。

 依頼を受けて美しい綴れ織りを作るのだ。

 綻びれば繕い、必要ならば花嫁衣装を作り出す。

 そしてお前は同じ守護者でも役割が違う。

 クラヴィス・オルウェン、ダグラス・セイルもそうだ。それぞれに性質も担う役割もまったく違う。

 だが、彼らと貴様には大きな違いがある。

 貴様は職人ではない。

 そして今代で求められているのは、名工でも職人でもないのだ。

 そして問おう。

 貴様の役割は何だ?)

「なるほど」

 ナリスは、天を仰ぐ男に目を向けるとゆっくりとした口調で続けた。

(己を保つ事ができねば、委ねる事になる。

 だが、死後の約束だと思えば良い。

 落とし所を探すのだ。

 貴様の役割は自身も含めての事なのだ)

 それにカーンは言外の意味を拾い、ナリスを見た。

 柄にもない言葉だった。

(仕方がなかろう、娘が帰りを待つのは貴様だ。

 失い終わったとしても、情けは貴様が受け取っているのだ)

「まずは、生き残れという事か」

(神に会うのだ。まぁその前に、あれにあってみるのもよかろうよ)

 エレッケン城の岩崖から伸びる朽ちかけた橋に人影が見えた。

 顎をしゃくって見せた悪霊は、嫌そうに顔をしかめると消えた。

 赤い色に染まった男は、奇妙な姿であった。

 あれが貧乏クジを引いた誰かである事はわかった。

 情報を吐かせ、ターク公がまだ生きているかを確かめようかとカーンは思った。

挿絵(By みてみん)

「面をあげよ、問われた事のみを答えよ。直答は許さぬ」

 モルダレオは、それに膝をつかせた。

 崩れた橋の上、海の上での目通りとなった。

 やはり、それは島に渡る事ができなかった。

 こうなると館の世話を放棄したのも、近寄ることができない事も一因であったようだ。

 近寄ることができない理由は、ヨジョミルとは違うであろうが。

 ただし、ヨジョミルの城に来た塵とは違い、それは面をあげる事もできずにうち震えていた。

 小柄な姿で正装した男であるが、それが生きているのか死んでいるのか、はたまた人であるのかは定かでは無い。

 神鳥が穢れとして見ているのだから、やはり生きているようで死んでいるのかもしれない。もしくは、単なるガラクタか?

 苦悶の表情をした仮面をつけ、頭髪はヌルリとした太い管。少なくとも影竜騎士のような人間らしさは見当たらない。

 腕は長く膝まであるようで、指の形は布で巻かれており確認できない。

 背中からは奇妙な骨が突き出ており、取り急ぎ体裁を整えた何かに服を着せたようにも見えた。

「名を答えよ」

「ロホスと申します」

「用件をのべよ」

「城主よりの言伝てをもって参りました」

 差し出される封蝋はツアガのものであったが、モルダレオは受け取らなかった。

「極夜を凌ぎ、門は我らが管理とする。

 ロドメニィ殿下への扱い、見過ごすこともできぬ故、極夜の後に公王陛下の元へと戻す。

 尚、このツアガ公領地は公王陛下直轄差配へと差し戻し、再度、モルデンへと渡される。

 これに異義あらば、公王陛下への反逆の意とする。

 ひとつ、ツアガを名乗りし者へと特別審問を科す。

 これに異義あらば、逆賊として処す。

 ひとつ、ツアガが主張する権利を公王陛下に戻し、ツアガ公領地をモルデン系譜、バルドルバ卿に移譲する。

 これに異義あらば、逆賊として処す。

 以上だ。」

 そしてツアガ公からの書状を受け取らず、代わりに統治権移譲を求める公王文書が渡された。

「ツアガが受け取らない場合、これを宣戦布告とする」

 ロホスと名乗ったそれは、文書を渡されると呆気にとられたように動きをとめた。

 そして向かうモルダレオを見て、それから見下ろすカーンを見た。

 そうして書簡を受けとると、何も言わずに笑いだした。

 おどおどとした態度は消えて、腹を抱えて笑いだした。

 しんと静まり返った橋の上で、打ち寄せる波の音と笑い声だけが響いた。

「それだけの兵で?」

 笑い声の合間に囁くように言葉が漏れる。

「何もわかってはおられない」

 徐々に笑いは大きくなり、目の前の人間を指差してそれは笑った。

「蟻のように沸く影を殺す、我らがそんな数で殺せると?何と無知な輩であろうか。

 所詮は下賤なゲダモノどもよ。」

「用件は終わった。ツアガに届けよ」

「馬鹿馬鹿しい、こんな物誰が届けるか」

「相分かった」

 モルダレオは最後まで言わせず、兵士に合図を出した。

「殺す?私はケダモノに劣るような」

 ロホスと名乗るそれは、身を震わせると素早く逃げ出そうとした。

 だが、それよりも早く兵士は四肢を掴んだ。

「力では負けぬぞ」

 それでもロホスは笑って振りほどこうとした。確かにその力は不自然なほど強かった。小柄な姿が大きく膨れ上がり、衣服を破いた。突きだす白い骨と腐肉。

 半ば腐れたような姿が晒された。

 それを見たモルダレオが肩をすくめた。

「既に人であらざれば、話し合いも不必要ですな」

「ターク公とアレの様子を聞き出したら、調理して戻せ」

「了解しました。処分後、ついでに援護させますか?」

「志願者がいれば連れていけ、少し数を減らした方がこちらも集中できる」

「いっそ先に掃除をしては?」

「順番がある。任せたぞ」

 カーンが無駄だったと館に戻るのを背に、モルダレオが控えていたエンリケに合図した。

 暴れまわる使者をため息混じりに指さす。

 面倒くさそうに、エンリケは肩をすくめた。

「白紙の公王文書とか、単に喧嘩売ってるだけだよなぁ」

「もともと、ツアガが機能していなければ、すべてを取り上げ整理するのが、公王の目的だろう」

 様子を見ていたジェレマイアが館の中から顔を出した。

 遠目に橋の上の騒ぎをすかし見ていたが、エンリケの蹴りが延髄に決まったところで見るのを止めた。

 猫がネズミを転がすようなもので、見ていて気分の良いものでもない。ましてやあれら男達を心配するだけ無駄だ。

「ターク公は無事だといいが」

「自分から志願した事だ。そして御付きは公王の心遣いだ。今ごろ楽しんでいることだろう」

「なぜ、行かせたんだ」

「お前は止めたか?」

 止めなかった自分にジェレマイアはため息をついた。

「始まったら殿下とあの部屋にいるのはわかっているな。」

「わかっている。で、約定はできているのか?」

「敵のわきが潮の加減で変わるそうだ。それを見ながら決めるつもりだ」

「よくわからない。ちょっとまってくれよ、神との約定だろ」

「違うんだ」

「何が」

「公王も神殿も、きっと神との新しい約定を考えて、領土問題のように捉えている」

「違うのか?魔と人の支配領域の調停ではないのか?」

「違う」

 ジェレマイアは、先程の使者と同じく呆然とカーンを見上げた。

「神が新しい遊びを欲しがっている」

「わかるように言ってくれ」

「遊びを新しく始めるために、駒に役割を振りなおし、賽子をイカサマの鉛が入っていない物に変える。

 俺は規則を守らせる為の番人だ。それには古いイカサマ賽子を壊す事が必要だ」

「イカサマって」

「まずは、古い賽子を割って処分だ。

 次に盤面を洗い流す。

 そして古い酒とツマミを捨てる。

 最後に、賭けに座る奴を変える。

 綺麗に掃除できたなら、新しい役を振り分ける。」

「人間の世界を守る事が約定ではないのか」

「門は壊れなかった。

挿絵(By みてみん)

 それが答えだ。

 だから、神は人間がここに来て新しい約束をしなくても良いと言っていたんだ。

 何もしなくても、門が壊れる事は無い」

「だが」

「そう、だが、ここが壊れないという事は、ここから向こうへと渡る事も、向こうからこちらに来る事もできる」

「人間は手放してはならない」

「そうだ、それが取り戻す条件だ」

「ツアガは、知っていたのか」

「この門はトスラトが長い月日をかけて成し遂げた。

 向こうへ投げ込まれた女とこちらに投げ込まれた異形の女が同じことをした。

 繋がる事の無い世界を、混じらせ安定させた。

 それがツアガに欲を再び持たせたのだ。

 彼らは、向こうへと行くつもりだ。

 トスラトの残滓は理への帰依。

 地下の取り残されたモノどもとツアガは、異界への逃避だ。

 ならば神の望みは何だ?」

 ジェレマイアは震える手で口許を覆った。

「これが人間のよく言う神ならば、天罰を与えよか?だが、相手は魔神だ。

 彼らは新しい遊びを望んでいる。

 何を望むか?

 これはこれからこの世界の理に組み入れられる要素をひとつ加えて見せろという意味だ。

 答えによっては、俺やお前が死んだところで償える話ではない。ましてやオリヴィアを返してもらえるには、その望み方が問われるだろう。半端な慈悲心や優しさは通用しない。

 賢者のごときエイジャ・バルディスがあの様だ」

「少なくともお前がツアガに会いに行かない理由はわかった。あれは古い賽子か?」

「否、遊戯台の酒のシミだ」

 調理された首と書簡は無事に城へと届けられた。

 返書はなく、そうして夜が来た。

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