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冬の狼  作者: CANDY
薄明の章
340/355

ACT 299 流浪の女 ③

 ジェレマイアは嫌そうに口を歪めた。

「悪霊にはなりたくないからな、前のめりで突っ込むか」

 それから側にいた者に荷物を持ってくるように命じた。

 ジェレマイアの持ち込んだ荷物は神殿から持ち込んだ長櫃が一つだ。

 鍵のかかったそれを開けると、中身をかき回す。

 カーンも覗き込むが、中身は複数段になった引き出しに小さな収納箱などで埋めつくされていた。旅の荷物とは思えない、意味のわからぬ小物がミッシリと詰め込まれていた。

「何だこりゃ」

「お前で言う仕事道具だ」

 その中から、木彫りの小箱を取り出した。

 煮炊きや夜営の支度で動き回る者を他所に、棺の側にいる者達は、その小箱を凝視した。

 異様で生々しい人の気配を小箱から感じたからだ。

「大丈夫なのか、それは」

「おう、ちょっとばかりオママゴトの人形な」

 木彫りの小箱の蓋をとると、中身は小さな木彫りの人形が複数つまっていた。

 いずれも同じ形の素朴な木彫りだ。

 顔は惚けた表情をしており、体は簡単な物である。

「ソモ神殿の呪術具、ヒラルアビフの奴隷人形だ」

 胡散臭い視線に、ジェレマイアは咳払いをした。

「まぁ俺は、魔に傾いた神の神官って事になってる。

 んで、その魔神から、死と嵐に口利きができる風の神が使徒っつ~名前を頂戴したんだわ。一応、こっちの言葉にした名前な。頭が悪そうな感じで、嫌だよなぁ」

 何も言わない一同に、居心地が悪いのかジェレマイアは、小箱を見せながら続けた。

「で、呪術具は神殿長が得意なんだが、俺も死とか災いの呪具は使えるのよ。古い風の神の象徴、死と嵐、疫病と災害を運んでくるって感じでな」

 と、言って差し出された小箱から、カーン達は一歩後ろに下がった。

「いや、これ別に悪さはしねぇよ」

「この長櫃いっぱいが呪いの品か」

 努めて無表情のジェレマイアにカーンがため息をついた。

「どうせ元から呪われてるようなもんだろうが」

「否定はせん。だが、それの詳細がわかる身としては、不安しかない」

「グリモアの主が使えねぇ奴だから、俺がかわりにやるんだろうが。嫌なら、お前が殿下を壊さないように対面してみろよ」

 カーンはグリモアを支配している。

 だが、力や能力はまったく制御できていない身としては、カーンは黙るしかなかった。

「しかし、それでどうやって殿下と話すのだ」

「そりゃご招待するのさ。ヒラルアビフのおもてなしだ」


 ***


 ヒラルアビフは裕福な家庭の娘だった。

 だが、その親は彼女を使用人のように扱った。

 朝から晩まで働かせ、朝から晩まで罵った。

 実の娘のはずなのに、彼女は両親に虐げられた。

 だが、彼女は善い娘であった。

 物乞いには施し、神には祈り、馬鹿な親にも尽くしていた。

 そんなある日の事だ。

 ヒラルアビフは、親が自分をまわりの者に何と紹介しているか聞いてしまったのだ。

 親は娘を、小間使いと紹介していた。

 決して娘とは言わず、それを彼女が親に問うと。

 ヒラルアビフは働き者で美しい。見初められて出ていかれるのを危ぶんでの事だと言う。

 これにはヒラルアビフも悲しんだ。

 親に尽くすことも、結婚できぬ事も許したが。それは生まれ居場所を与えてくれた親への情である。だがしかし、それでも小間使いと言われた言葉を悲しんだ。もっと言い方があるだろうと言うだけではない。日頃の仕打ちが、彼女の心にヒビをいれていたのだ。

 そうしてそんな悲しみをも上回る出来事が程なく起きた。

 彼女が望んだ縁談が壊れ、恋人が去ったのだ。

 親達は喜び、彼女は死んでしまいたいと泣いた。

 泣く声がうるさいと外に出されたヒラルアビフ。裏庭で泣いていると、その悲しみに答える者が現れた。

 以前、彼女の親から追い払われた物乞いだ。

 ヒラルアビフは、その物乞いにも親切にし、度々食事を渡していたのだ。

 その物乞いは、こう言った。

 泣きなさるなお嬢様、貴女は何も悪くない。

 死ぬのはお嬢様ではない。

 惨めな気持ちにさせるような相手がおかしいのですよ。

 病気なら貴女は健康で、鞭をふるう相手が病人だ。

 ヒラルアビフは泣き止んだ。物乞いは優しく彼女に言った。

 お嬢様、良い機会じゃございませんか。

 そんなに辛いのなら親元から離れるのはいかがか?

 ちょうど裕福な商人が小間使いを探しておいでだ。

 お嬢様ならすぐに雇われる事もできましょう。

 それに何より、その商人は遠き場所にて商いをしております。

 旅立ってしまえば、探すこともできますまい。そうして真面目に勤めれば、報酬と自由を購う事ができるでしょう。

 何々、貴女の親も新しき奴隷でも雇えばいいのです。

 普段なら耳を貸す話ではなかったが、その時のヒラルアビフは正気ではなかった。

 皮肉な事だ、と、彼女は思った。

 その日、彼女は自分が小間使いどころか奴隷であると知ったのだ。

 彼女の親は、結婚の申し込みをしてきた幼馴染みの青年に、小間使いで奴隷でもあると言い。結婚がしたいならと法外な金を要求し、自分達に尽くせと言ったからだ。

 彼は驚き呆れ、ヒラルアビフが嘘をついたと怒り狂った。

 信じてほしいという彼女の言葉は、彼には届かなかったのだ。

 何故なら、彼女の親は、奴隷の契約書を見せたからだ。

 実の子に、このような仕打ちができるとは。

 裏切られたと去る男より、実の親の浅ましさに心が砕かれた。

 今まであった情は消え、相手が自分に言う言葉が、甘えでも親愛でもなく、ただその言葉通りの意味である事に気がついたのだ。

 しかし、奴隷の契約書があるかぎり、彼女はどこにも行くことができない。

 逃げれば死罪となってしまう。

 それに物乞いは言った。

 安心しなさいな、優しいお嬢様。

 私も元は奴隷でしたが、奴隷から逃げる方法はいくらでもございます。

 ひとつは、死んでしまうこと。

 ですがお嬢様は未々幸せにならねばなりません。故にこれはだめですね。

 二つ目は、その奴隷契約相手が権利を放棄すること。これも無理そうだ。

 そして三つ目は、契約相手が死んで、所有する人が変わる事。

 この場合、あの二人の財産は誰の者になるのでしょうか?

 本来ならば子のヒラルアビフが受け継ぐはずだった。だが、彼女は子でありながら奴隷となり、何一つ与えれる事は無い。

 誰に行くとするのなら、親たちの兄弟だ。

 なるほど自分自身を取り戻せる見込みは望めそうも無い。

 親を殺しては同じく追ってもかかり、自分が相続して自分を自由にする事も難しい。

 そこまで聞いて物乞いは言った。

 では、お嬢様、もし財産を放棄し二度とこの土地に戻らぬと言うのなら、この小箱をあげましょう。これを部屋に置き、身ひとつで旅立つのです。

 これには貴女の代わりに働く奴隷が入っております。

 貴女がたどるはずだった運命を肩代わりしてくれるでしょう。

 親御様方も、働き手が見つかれば追ってくることもありますまい。

 ただ、この奴隷も追い出されたくはありません。

 お嬢様がこれを使うと言うのなら、二度と故郷に戻らないと約束を。

 さすれば追っ手はかかりますまい。ただし、決して戻ってきてはいけませんよ。

 死ぬなんて考えるぐらいなら、貴女は自分の名前を捨ててしまうのです。

 その時、ヒラルアビフが思ったのは、嘘でも良いから全てから逃げたいと言う思い。そして悲しみと小さな怒りだ。

 物乞いの言葉は慰めで嘘でも良いと彼女は小箱を手に取った。そうして小箱を自室に残すと、家人が寝静まってから逃げ出した。

 自分自身をヒラルアビフの小間使いであったという紹介状を書き、それだけをもって旅立った。

 さて、鬱憤を晴らす相手が消え、使い勝手の良いヒラルアビフがいなくなり、親は悲しんだ。

 自分達が悪かったと反省したのではない、自分達が不自由する事を不安に思っての事だ。

 奴隷としての追っ手をかけては、親族に知れてしまう

 もとより娘と扱わず、小間使いと言っていたせいで、大っぴらに探すのも難しい。

 親類にもヒラルアビフが行っていないか調べたが、深く事情を言いたくはない。

 財産の事で揉めた親類は、ヒラルアビフが本当の娘と知っている。もしも娘に行くはずの財産をすきにして、娘を奴隷にしているとはばれたくないのだ。

 そうヒラルアビフの祖父母が財産を譲ったのは孫だったのだ。

 困った困ったという親たちが、行き先を探すためにヒラルアビフの部屋を漁っていると、彫刻の施された小箱が見つかった。

 見たことも無い小さな木の小箱で、表面には骸骨と風と雲の彫刻がある。金目のものかと蓋を開けると、中には粗末な人形がひとつ入っていた。

 何の役にもたたぬ価値の無い人形を彼らは投げ捨て、他に何か手がかりはないかと漁り続けた。

 だが、何も見つからず彼らが部屋をあとにした。

 人を雇って追っ手をかけるかと相談していると、物音がする。

 カタカタと家中で音がする。

 両親がいる場所で、見えない何かは走りまわり、彼らの側で音が止まる。

 まるで駆け寄ってきたような気配だ。

 驚き怯えていると大きな物音がヒラルアビフの部屋から聞こえた。

 泥棒かと恐る恐る覗いてみれば、何食わぬ顔でヒラルアビフの姿があった。

 それに激昂する両親に、彼女は何時も通り笑って罵られた。

 何もかも変わらず、彼らはヒラルアビフを罵った。

 自分達が彼女のせいで苦労したと殴った。

 それにヒラルアビフは文句ひとつ言わずに、いつもと変わらず朝から晩まで罵られ働かされた。

 笑顔で何も言わぬヒラルアビフだが、何故か彼らは心の隅で怖くなっていた。だから余計に、金も与えず食事も粗末にし鞭まで打った。

 そうして丸々一年たった日に、ヒラルアビフを鞭打っていた母親は、鞭を捨てると黙々と機織りを始めた。口を開けば罵る父親は、口を閉じると畑に出て働くようになった。

 そして静かになった家に、ヒラルアビフを捨てた男が訪ねてきた。

 ヒラルアビフの親がおとなしくなったと聞き付けたのだ。

 彼女が反省していれば、己を愛していれば許してやろうと。今さら手を差し伸べてやろうと考えた。

 それに静かな親と共にヒラルアビフは、男を笑顔で迎え入れた。

 そうして、おとなしくなった家族達は、奴隷の証文を破棄すると、財産全てをヒラルアビフの小間使いに送った。

 ヒラルアビフが言う商人に推薦した小間使いにだ。

 働き者で気の優しい娘にだ。

 そしてすっかり無口になった家族達と、ヒラルアビフだけは楽しく暮らした。

 朝から晩まで働かせ、年老いて死ぬまで文句も言えずに働いた。

 おかげで再びそこそこ裕福になったヒラルアビフは長生きをして、ある日神殿に来ると小箱を奉納し消えた。

 これは家族の人形で、親と親戚と夫である。と、だけ告げて彼女は煙のように消えた。

 残された小箱には人形がたくさん詰まっていた。

挿絵(By みてみん)


 ※※※


 その家の北西に生える木の枝を、小枝で東に向いたのを一本。

 春に新芽が出ているのを、夜露に濡らす。

 それを六つに切断し、乾燥させる。

 これを使い人のように繋げる。

 木に穴を開けて、糸で繋げるだけで人に似せてはいけない。

 木を頭、胴体、手足の数にして繋げるだけだ。

 これが元の写しに使うヒトガタだ。

 これは相手の意識を写しとるだけのもので、版木の役割だ。

 ヒラルアビフを写し取った物乞いが、彼女の家族を呪ったやり口は別だ。

「殿下の意識を写しとるのか」

「ヒラルアビフは肖像画を描かれただけだ。だから本体は傷つかない。これは記憶や意識をそのまま写せる。まぁ本人には何を言ったか責任は無い。だから本人と話した事には本当はならない。

 だが、写しとる瞬間に魂に穴が開く、ヒトガタを通して俺が繋がる。これで俺が窓口ってわけだ」

「呪う場合は?」

「お前の悪霊に聞けよ、専門だろ」

「聞かんでもいいか、その昔話の乞食はヒラルアビフの親戚だったのだろう?」

「そうさ、父親の弟で彼女の叔父だ。彼女は気がつかず、施して免れた。呪い殺される前に逃がしてもらった。もちろん、旅立った先では幸せに暮らした。呪いが消えたのは、本当のヒラルアビフが天寿をまっとうしたからさ」 

「神殿らしい締めくくりだ」

「神殿もこの品を受け取って調べたのさ。だからとっておいた。」

 呪術具を広げ、箱の中から二枚貝の容器を取り出す。

「ちゃんと見ておいてくれよ、殿下に悪さをしてない証明だ。これはわざと殿下にだけ印をつける。別段、悪戯じゃねぇからな」

 貝殻の化粧の品は上品な紅で、そこから指で色をすくいとると、眠る姫の額に塗った。

 眉間に一筋、そこから複雑な模様を器用に描いていく。

「暫く用意に時間がかかるが、今日中には声が聞こえる。で、何を聞くんだ?」

「遊びのきまりだ」

「鬼ごっこのか?」

 それにニヤッと笑うとカーンは館の確認へとむかった。

 もともと陣地とりだろうと鬼ごっこだろうと、規則無用の男がすることだ。約束を確認し、ぶち壊す算段だろう。

 ジェレマイアはため息をつくと、人形を並べた。

「さてこれは誰の人形だ?

 まぁ小間使いに執事に、お姫様の護衛か。

 お茶会の準備をしてくれるかな?」

 棺の側に置かれた、崩れ欠けた石の机の上に人形を並べる。

 素朴な木の人形には、誰とも知れぬ髪の毛がグルグルと巻かれていた。

「さぁ、お姫様へのおもてなしだ。対価はぁ、そうだな。お姫様を苛む輩かな。こんな石の棺に入れ込んで可愛そうだと思わないか?

 お姫様は、絹の布団で母親に愛でられ父親に守られるべきだろう?

 不人情な奴等の幸せを奪いとってやれ」

 おおよそ神の使いに似つかわしくない物言いだが、その神が死を慈悲と唄う魔神である。もちろん、若い娘への扱いと自分の身内の運命が重なって見えたのもある。

「朝にひとつ、彼女へと持たせた荷物を返してしまおう。

 荷物を押し付けた者がひとつの幸せの記憶が対価だ。

 昼にひとつ、彼女へと持たせた荷物を返してしまおう。

 その者の家族が持つべき荷物の分だけの幸せの記憶が対価だ。

 夜にひとつ、彼女へと持たせた荷物を返してしまおう。

 その者達が彼女へと増やそうとした荷物の分だけ幸せの記憶が対価だ。

 彼女から彼らへ。

 彼らから彼女へ。

 我が神へ願おう、風が吹き抜ける限り、貴女へと幸せの記憶を。

 貴女から奪おうとする者に、我が神から特別に慈悲を」

 ジェレマイアは人形達にフッと息を吹き掛けた。

 それから白墨で人形の胴体に紋様を描く。

 一つ描いて石の机に置くと、もやりと黒い影がわく。

 それは木彫りの人形を包むとヌメリと石の中に消えた。

 それを合計四体繰り返した。

 最後に木切れを繋げたようなヒトガタに、彼は紅の点を頭部に付けた。

 それは眠る姫の胸の上にそっと置かれた。

「さぁもてなしをしてくれるか、ヒラルアビフの小間使い、奴隷達よ。姫と私が話すのを助けてくおくれ」


 ※※※


 彼女との関係は何になるのか?

 限りなく他人に近い親類だ。

 だが、ジェレマイアにしてみれば従姉妹になるのか?

 館は古い時代の石積建築で、漆喰で補強していたが耐久性は低い。

 ロドミナに言いつけてある資材の調達を待っている間に、早急に補修をせねばなるまい。

 地下部分から何から、手を入れてここで戦えるようする。

 極夜の間に、ここに近寄る者全てを殺せるように。

 幸いにも依り代のロドメニィ殿下とツアガの城主は、縁が切れていた。

 ここでいう縁とは、呪術的な繋がりの事だ。

 彼女は門の呪術との結び付きのみが残されている。

 グリモアの見立てでは、水の女との繋がりが切れれば終わるそうだ。

 つまり女が死ねば殿下の役割は終わる。

 だが、女が死ぬと言うことは、門の権利が中に浮く。

 それをツアガはどう考えるか。

 そして地下の者どもはどう考えるか。

 現世の人間どもはどう動くか。

 崩れ欠けた館の裏手は、北の海が広がっている。

 荒々しく暗い海、凍えるような風に雷雲。

 水平線は渦巻く霧で見えない。

 岩礁の黒い影が流れる白い霧に洗われていた。

 背後に逃げ場はなく、東に聳えるエレッケンの城は、古びて酷く醜く見えた。

 西には青い山並みと黒い森。

 振り替えると赤茶けた岩山に岩窟、そしてヨジョミルの山城。

 化け物の巣に囲まれた、ここは浮舟のようだ。

 あの結界の中が極夜は繋がるとして、この館に手をいれる事は意味があるのだろうか?

(極夜に境界が消えると結界は、ちょうどこの海に繋がる。

 貴様らが入り口に居座る形だ。

 エレッケンからの侵入口は、あの壊れかけた石橋よ。

 そして何故巨人どもが正面から来るかと言えば、ヨジョミルの兵隊が出るからだ)

 この館の位置は、湾の中心で浮かんでいる小島である。

 エレッケンから伸ばされた橋は真東から、エレッケンから山城までは岬で、砂浜にヨジョミルが兵力を出せば行き来は水中になる。

(この館のまわりを囲むのは何だ?)

 まさか水が怖いのか?

(水ではない、海の水に入ると動きが鈍るのよ。

 水の質の者は平気だが、神の怒りを受けたイオレアは海の水では弱るのだ。海神の怒りだ)

 それは良い、侵入経路が絞り込める。

(この場所は極夜にて開き閉じる。

 その時、神域との道が開く。

 大気は霊素に交換され、この土地は神の裁量が大きくなる)

 どういう意味だ。

(門を小さな世界として切り取ったエルベの力は、極夜になると神の法により打ち消される。

 ただし、原則として守護者の敷いた北のこの場所は隔離されたままだ。

 すると霊素の逆流が起きる。

 つまり、神域の原理がここに適用される。

 ヨジョミルは不死の兵隊を産み出し続ける事ができ。

 ニーカとリャドガは融合し、イオレアの残党も化け物になるわけよ。

 さて、この霊素はな、貴様らにも深く影響を与えるだろう。)

 霊素とは何だ?

(この世界を構築する元とは別の要素である)

 別の要素とは何だ?

(四つで出来上がっている世界にはない、五番目の力である。それは進化させ発展させる力であり、停滞し衰退させる物でもある。

 この場所にて極夜には神の生きる場所と同じになる。

 貴様らは、極夜の間は人とは違う者になるだろう)

 人とは違う?

(魔の神が与えた故、眠らず、食わず、狂いもせずに。

 ただし戻れるかは保証はない)

 では、武器に火薬と水や食料よりもそちらを融通してもらうか。

(蔦の者にも生け贄の者が守りを頼むがいい)

 相変わらず女にだけは優しい事だ。

挿絵(By みてみん)

 一通り見て回ると、火をおこし館の中は暖められていた。

 いくら死なぬとはいえ、生け贄の扱いが酷いと嘆くジェレマイアの気持ちもわかる。

 祀らぬ場所にしてはならぬのに。

 崩れた窓辺から見上げるエレッケンの城に灯りが見える。

 エレッケンに隠る者を本当は見たかった。

 本物の化け物を見たかった。

 魔物ではない、人間の醜悪な末路を見たかったとカーンは思った。

 醜く不愉快な者へと顔を出さなかったのは、顔を会わせて殺さずにいられるか自信がなかったからだ。

 そのあたりの自制心が無い自覚はある。

 ちょっとでも不愉快な言動を、ツアガの者がした場合、力の均衡を崩すとはわかっていても殺害してしまうだろう。

(なぜ、そう判断したのだ?)

 種や呪術、魔の争いをとりされば、残るはよくある話だ。

 貧しさゆえに争っているにすぎないからだ。

 生きる場所を広げようと相手を殺しているだけだ。

 だが、それで田畑に実りは来ぬし、家畜に子は生まれない。

 民が吊るされ子供が飢えている土地の領主は、無能。

 悪辣よりも無能な主ほど害悪だ。

(やむにやまれぬ事情かもしれぬだろう?)

 お前の冗談は笑えねぇな。

 頑張りましたから許してくださいか?

(貴様ならうまくやるとでも?)

 仮定の話ほど馬鹿らしいことはねぇな。

(それもそうだ。最初から駆除し殺せば良い話。

 貴様なら、そもそも女を見つけた時点で殺していたな。

 争いようも無い話よ)

 馬鹿にしてんのかよ、てめぇ。

(誉めているのだがな)


 ジェレマイアは崩れ欠けた石の机の側に座っていた。

 棺の側には石組の焚き火が置かれてる。

 薄暗い室内は、天井に穴があり窓は半壊。

 何とも侘しい風情だ。

「どうだ?」

「うん、まぁうまくいきそうかなぁ。

 予想以上にヒラルアビフの小間使いは有能だ」

「なんだそれは」

「これがお茶会の席だ」

 石の机には四体の人形がある。

「主賓はまだ来ないが、護衛の騎士に召し使いが二人、侍女がそこで侍っている。」

 石の机はほんのりと明るい。

 そこには小さな人形が立っている。

 素朴な木彫りの人形ではなく、磁器人形である。

 それはキョロキョロと頭を動かし、ギクシャクと手足を蠢かせていた。

「ミ・ケラエサの神が何れかに宿っているので気を付けてくれ」

「気色悪いなぁ」

 カーンが呟くと四体は頭を彼に向けた。

 グリッと音がするように向くと動きを止める。

「何だ、やるのか?殺すぞ、こら」

「ガラが悪すぎんだよ、殿下のお茶会なんだから」

「ミ・ケラエサってのは、祟りの神じゃねぇかよ」

「あぁグリモアが教えてくれたか」

「祟り神同席の茶会なんぞ、ぞっとすらぁ」

「祟り神を殺すと宣う輩が冗談だろ。さて、殿下をお呼びするぞ。あんまりもたねぇから聞きたいことは最初に聞けよ」

 ジェレマイアは言うと、眠る姿に置いていたヒトガタを手に取った。

 それを握ったまま、石の机にとそっと置く。

 するとその他の人形が立ち上がり、ヒトガタを囲むと膝をおる。騎士は手をさしのべ、召し使いは腰を折り、侍女はジェレマイアの手に手を置いた。

 すると簡素な木のヒトガタが、さっと姿を変えた。

 美しい赤い瞳の女に代わり、黒髪も豊かに波打った。そうしてフッと息を吐くと、辺りをそっと見回した。

 見回し囲む人形と、それを囲む人々を見て、彼女は背筋をすっと伸ばした。

 騎士に手を置き侍女に頷き、ゆっくりと立ち上がる。

 それと同時にジェレマイアは崩れ落ち、意識の無い体をまわりの者が受け止めた。

 小さな石の机は、小さなお茶会の席になり、彼女が踏み出すと草花が繁り装飾用の建物が出来上がった。

 彼女が椅子に座り、まわりの者も促すと、囲む人間も膝をついた。

 そこだけはまるで夏の午後のように明るく憂いの無い場所に見えた。

 それは水に眠る女がいる場所と同じなのかもしれない。

 ナリスの妹が作り出した永遠の世界に近いのかもしれない。

 挨拶をしようとするカーンを制すると、幻は言った。

(神官殿がもたぬゆえ、挨拶などは抜きにするぞ。

 妾が言う事をしかと聞き、考えてほしい。

 外の者が来たとは、妾の終わりだと解釈す。

 故に、契約を引き継ぐ者が必要である。

 引き継ぐには、結界の隠しを維持し極夜を凌ぎ、あらゆる欲を従えねばならぬ。)

 小さな姿に、カーンはスッと指をあげた。

(何ぞあるか)

「我らは引き継がぬ。護るは門の理のみだ」

 幻影は数度瞼を瞬いた。

(門のみか?)

「門のみだ。ここは封印し、訪れるは門の守護のみ。人は立ち入らぬ禁足地とし、守護の結界だけとする」

(それは無理であろう。ツアガも地下の者共も、封印されし者も許さぬだろう)

「許されるつもりも、許すつもりもない。この地を求める者すべてを滅ぼす」

(滅ぼすとは恐ろしい事を)

「保身は優しさではない。

 無責任な者が権利だけを主張するのを手伝う理由がない。

 我らの世界を脅かす害悪を滅ぼす。恐ろしかろうと罰当たりだろうと俺は妥協しない」

(なんと乱暴者よのぅ)

 幻影は口を押さえて笑った。

(砂場の童のようではないか)

「俺が約束し、ここを穏やかなる墓標とする。

 我らが神に、この土地を守護し領域を保たせる約束を願うには、何をすればよいのだ?」

(答えは自分で言っておろう。

 一つは、この土地を何者にも侵略させない。

 一つは、神の土地として祀り墓標とする。

 一つは、この土地に守護を置く。

 この三つにて、門を眠らせる。

 今度の極夜は長い。

 それを生き残れば、神に目通りが叶うだろう。)

「門を眠らせる手段はあるか?」

(あと一つ戻れば勝手に眠る。彼女が言うには、たぶん、ぬしのいうとおり滅ぼせば、神は降りてくるだろう)

「極夜の日数を教えてくれ」

(二日後から六十一、そろそろ神官が息を停めてしまうな。では、滅ぼすとは愉快な話であったぞ)

「最後に一つ、イトゥーリ・ツアガはどんな人物だ?」

 それに幻は、ふっと神官を見た。

(そこな神官に似ておったよ、ただ、体が不自由で妾と会話をする事ができなかった。

 四肢は既に形を変えており、人の形は胸から上だけでな。

 城に入り数日でここへ入った。

 婚姻の儀式も無く、何と寂しい場所であるかと思ったものよ。

 だがな、中はとても楽しいぞ。

 子猫が一緒におるし、友も眠っておるが側には見えぬ者もたくさんいるのだ。いつも暖かく気持ちの良い風がふいておるし林檎の木も)

「壊されたくないか?」

(まさか!それだけはない。

 皆、自由になるのが良い。死ぬことも選べぬのは不幸。

 さて、つい喋りすぎた。ほれ、神官の顔色がすぐれぬ)

 軽い音をたててヒトガタが落ちる。

 すると幻は消え、磁器人形もただの木彫りの人形になった。

「大丈夫か?」

 ジェレマイアを介抱する者に聞くと、無事の返事が返る。

 カーンはホッと息を吐いた。

 予想以上に長い。

 どちらにしろあと二日、やるべき事を考えながら目を閉じた。

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