Act0 グリモアの主 後編
ACT0
普通に戻れると思ってた。
でも、俺は、俺達は、戻れなかった。
何も考えないんじゃない。もう、何も考える事ができなくなっていた。
考える事は、生きる事だ。
生きていない、囚われの魂は、飢えているだけだ。
飢えたるモノの眷属。
ジグの森からあふれ出た黒い影は、俺達だ。
腐土領域の出現と共に、中央大陸とその周辺諸国は戦争行為を中止した。
殺し合いは腐土領域を拡大する。
死体が一つあれば、実体のない死霊と蠢く死肉の二つができる。すると、死霊は遺骸にとりつき蠢き、死肉は生きた人間を襲う。鼠のように増えていく。
死者が群をなすと、近隣の動植物が死に絶える。土地や水が腐る。
そうして一つ二つと村や町が腐ると、周辺の様相が一変する。
昼夜無く大気が澱み、正常な人間が活動すると常に消耗する。
絶滅領域のような、人間の生存が難しい空間になるのだ。
信じられない?
俺もだよ。
温い夢の中にいるみたいだ。
中央に戻った俺達は、男の言うままに動いた。
男の言うままに、人を殺し、奪った。
何故、司直に渡されなかったか?
死人をどうやって裁くんだ?
それに証拠が無い。
犯人は戦死者だし、死体は食われて無い。奪ってきたモノは、日の目に出せるようなものじゃない。
何を盗んだか?
腐土領域に入ると人間は具合が悪くなる。
まぁ聞くんだ。
しかし、一部の人間は逆に戦闘力があがる。俺達、死人と同じに、生きたまま体が変わるんだ。
腐土領域は人間が名付けたが、もっと簡単な言葉で言えば、冥土だ。
この世の理が変質した場所で、人間も変質する。
男は、その変質を望んだ。
何故か?
俺には推測もできない理由だろう。
あの男が何なのか?
俺の知る男は、貴族の頭のおかしい男でしかない。
今の男が何者なのか?
変質を望むその理由は?
変質させるには、俺達のような化け物が、領域を腐らせる必要がある。
でも、腐らせるには、たくさんの死が必要だ。新鮮な死体が欲しいと男が思っても、中々難しいし、国も馬鹿ではない。むしろ、中央は死人より貪欲だ。
では、どうするか?
男は古来よりの方法で、この世を腐らせる手段を得ようとした。
それにはオラクルが必要になる。
入植以前にこの大陸にあったとされるオラクルの書だ。
そう、男の手にいつもあるのは、不完全なオラクルだ。
その頁は白紙だ。
しかし、ある者が触れ、失われた断片が戻ると力を取り戻し、道が開かれる。
そして、オラクルの失われた部分を補うのは血だ。
血は、歌が聞こえる。
ジグで聞いたあの歌は、オラクルだ。
俺達の村には、神の話が伝わっている。
その神は何だった?
俺達にはいくばくかの血が混じっている。この場所に関わっていた昔の人間の血だ。
俺達は言われるまま、人を浚い、血を抜き、食った。
男は力を増した。
だが、俺も、変わった。
俺は血肉を啜る毎に、オラクルの断片をも取り込んでいた。
他の奴と何かが違って、どんどん、男の呪縛が薄れた。
それに気がついた奴が、俺達をここに縛った。
縛って番人の注意を引くようにした。
あの目玉の事じゃない。
ここにいるのは墓守で、番人は門番のことさ。この忘れられた場所には理を守る門番がいる。
ここにはちゃんと理がある。
爺達が、この世の理を守っている。
普通の人間によって、ちゃんと世界は保たれている。だから、番人がいて、腐らないようにしている。
その番人の目をそらすのが、俺達餌って訳だ。
罪を犯した死人の俺達は、ここに繋がれている。
だから、ここの理も徐々に覆され始めている。
男は何者か?
死人だよ。
俺と同じ、哀れな普通の人間だったモノだ。
今は何者かって?
オラクルの書を使う者は、グリモアの主と呼ばれている。
そして、死人を使役する者は、こう呼ばれている。
死霊術師だよ。
ご大層な呼び名だよな。