ACT298 流浪の女 ②
砂と同じように、足が沈む。
何処が固い場所か、穴になっているのかわからない。
それでいて濡れて固い場所もあれば、泥のような場所もある。
磯の香り、そして腐敗臭。
風と気温の低さに助けられていたが、湾の中身、館へと至る海底は酷い有り様だ。
先頭をナリスに任せると、カーン達は足元を見ながら進んだ。
波の音が遠く、鳥の声も無く、そして怪異も現れず。
「十分、おかしな事になっていると思うが」
ジェレマイアは担がれている。
いざという時に備えてだが、この足場は見た目があてになら無い。踏み外せば深さのわからぬ場所へと落ちてしまう。
落ちて這い上がれるだけの体力が無い。
「いや、俺だって普通の体力はある」
「まぁまぁ俺たちには、砂袋ひとつ程にもならない重さですんで、気楽にかまえてくださいよ。乱暴だったら仰ってくださいな」
その人の良いモルドビアンの言葉に、ジェレマイアはあやまる。
「で、そこのお人を何と呼べば?」
それにカーンは肩をすくめた。
「お前の方が付き合いが長かろう」
困った神官に悪霊が答えた。
「お主が童の頃からの付き合いになろうな。元をたどれば先祖であり、主と同じく精霊種の腹から生まれた者でもある。
だが、既に我は死したる者なれば、いつも通り呼ぶことが一番障りがなかろう。我は悪霊なれば」
「悪霊が悪霊というのか」
「こうして穢れたモノに宿れるのだからな」
「それもびっくりだ」
気軽に答えているが、ナリスを従えて戻ったカーンを見て、彼は一度吐いた。
悪霊に吐いたのか、その宿った肉に吐いたのか。
まだ、ジェレマイア自身もわからない。
どちらも腐臭が酷すぎたのだ。
「ツアガ公爵も同じなのか?」
「神官なれば、同じに見えよう。」
「イオレアというモノは滅びたのではないのか?」
それにはカーンが答えた。
「結局、モーデンが死に本来なら基軸となるイオレアが枯れたのだから、終わる話だろう。だから、どうにかして戻されたモーデンを使い、門を守ってきたツアガのイオレアが繁殖を果たしたのだ。
ただ、どうして使者をそれにしたのか、隠しておけばよいものを」
カーンの言葉を受けてナリスは馬鹿にしたように続けた。
「主軸の縛りが無くなるとは、ニーカとリャドガからイオレアになったという事だ。
シェルバンに沈んでいた欲深いモノは当然、それが知りたいだろう。
ならば混ざりし女は何とする。
憎悪と復讐そして一欠片の情によって、繋がるモノすべてに命じるのだよ。
愚かを選べとな」
ジェレマイアは頭を振ると徐々に姿を大きくする館に目を向けた。
その側、岬の突端にあるエレッケン城は、思ったよりも館から遠い。そして館と城の間にある橋は、古く脆い。なにしろ、所々途切れており、海水があれば、あれでどうやって館に渡るのだろうかという有り様だ。
「船は城の東側に艀があり、そこにあるのだ」
先回りされた言葉を吟味していると、ふと、気がついた。
館には船らしき物も艀も無い。
「地下で繋がっているのか?」
それにナリスは足を止めると振り返った。
暗い目元がジェレマイアを見ると笑った。
「ひとつだけ教えておこう。
山城も岩窟も、そしてそこに見える古き城も、すべては幻に過ぎぬ。
この館は門であり、人などおらぬのだ。
故に、この悪霊と同じく、名など無意味であり、消え去り朝に灰となるのが定めなのだ。
お前は、救う必要はなく、嘆く必要もなく、そして耐える事さえ必要が無いのだ。
お前が為すべきことは、ひとつ。
伝える事だ。
伝えて選ばせる事。
正しいことや戒めでさえ無い。
学ぶのは伝える相手、今の人である。」
そして何も言わぬカーンを馬鹿にしたように見た。
「そして阿呆は壊してまわり、ゴミを焼くだけよ。実に簡単であろう」
そうして無駄口の間にも館に近づく。
古い石積の建物は、廃墟のように見えた。
所々、屋根さえも無い。
砂地から固い地面へと上がる。
人の気配すらなく、風が吹き抜ける音だけがした。
皆が固い土に足を置くと、頭上で音が鳴り響く。
流れ行く雲には何も見当たらないが、ひび割れた低い音が通りすぎた。角笛の音にも似ていたが、城の方から聞こえた訳ではなさそうだ。
その音が響きわたると、遠く海が戻ってくる。
ザンザンと恐ろしげな打ち寄せる音が響くが、館の回りだけは緩やかに打ち寄せて嵩が上がる。
あっという間に辺りは潮の流れに満たされていた。
皆、その有り様に目を奪われていたが、ナリスだけは廃墟の扉とおぼしき場所に声をかけた。
「巫覡より紹介があった者だ。ヨルグアとニガトの子らと参った。モーデンの血もあるが、繕う者も同道している」
「..なれば...へ」
「では、入るが」
振り返り、カーンを見てからそれぞれの顔を見て、ナリスは笑った。
実に楽しそうな顔である。
「幻であるが、死と苦痛は紛い物ではない。心しておけ」
「不吉なことを」
「悪霊らしかろう」
そして扉を潜ると、灰色と黄色の混じった空があった。
物の配置は同じ、エレッケンの城に、ヨジョミルの山城、ニナンの穴。
ただし海だけが乾き、目の前には塚があった。
段差のある石の塚だ。
中央には階段があり、頂上には白い石柱が建っている。
陽射しは黄色い雲間の辺りなのか、その他は薄汚れた灰色の雲が流れていた。
「草木も水も無いのか」
エレッケン城を囲むのは赤茶けた岩山である。
「ズレを小領域で作り出し、閉鎖空間にしている。
極夜だけ、この領域と貴様らの領域が混じるのだ。
ここにいるのは、滅びの館の者だけだ」
「どこに館などあるのか?」
「ここだ」
ナリスが指し示したのは、その石の塚だ。
「これは何だ?」
「当時、残ったのは、この墓だけだ。
街も何もかもが消えた。燃え尽き壊れなくなった。上に行くぞ」
階段を上る。
足音が響くが、それ以外は風の音だけだ。
「一瞬で、ここを残して抉りとられた。領域が削られた後に、溢れたモノに焼かれ砕かれ、生き残った者は山城へと向かった。
だが、あそこも火に包まれ、異形に飲まれた。
エレッケンの元の城もほぼ崩れていたが、あれは」
階段の中程でナリスは当時を振り返るように、指をさした。
「馬鹿がたか笑いをしていたが、妹とアレが何とかしようとな。
我は間にあわなんだ。
目の前で、消えてしまうとはな。
門を支え、落とされた身を探そうと。
なぜ、先に妹へ注意を払わなかったのか。
なぜ、我はヤツを始末できなかったのか。
馬鹿は喉を喰われて驚いていた。
滑稽で滑稽で、ひとつだけ訂正するぞ」
ナリスはカーンを見ると続けた。
「あれをあの時、死なせなかったのは、何もエイジャの慈悲ばかりではない。
今生苦しめてやりたかったのだ。」
「お前はいつ死んだ?」
「そんな些細な事は忘れた」
やがて頂上へ至る。そこは、あの滅びの館と呼ばれていた廃墟と同じぐらい広い場所であった。
ただ、中央には太い石の柱が天にそびえているだけである。
「なにも無いぞ」
「しばし、待て。今に来る。
さてあの日、全ての滅びの音が聞こえていた。
そこで門を閉じようとするも、誰も彼もが愚かだった。
エイジャも急ぎ繕うが、絶命したと思っていた男は、閉じようと苦慮する女に襲いかかる。
エイジャもなそれに気をとられ、我は役たたずの腑抜けよ。
駆けつけた残りも、融合を始めた株に己が飲まれないようにと逃げる始末よ。
あの場で知恵があったのは、異界の女だけであった。
地獄のようなあの時を思い出すと不思議にも、笑いを誘う事ばかりだ。
そうしてな止めを指すように、男を食らったアレは、呼んだのだ。」
不穏な気配が頭上に見えた。
「我らも呼んでいた、神よ神よと。
それは異界の女も同じであった。
神よどうかお助けをとな」
黄色と灰色の空が裂け、それは突風を巻き起こした。
「エイジャは、そこで領域の破壊を押さえる方へと意識をかえた。
現れようとするモノに、こちらの理を意味付けを与えようとした。
呼び出してしまった異界の女も、すでに男を喰いヨルグアの民となっていた。
だから、それは形を持つ事ができた」
それは巨大な鳥であった。
白い胸羽根に翼も光り輝いていた。
雲を纏い石の柱の天辺へと片足から下ろす。
獰猛な嘴に金色の目が不思議そうに辺りを見回した。
「禁忌である。異界の神を一柱、こちらに落としてしまったのだ。
さぁ我らの命運は完全に終わったと誰しもが考えた。
神を返すには門を開く事になる。
開けばこちらは更に消失する事になる。
だが、仕方なしとエイジャは開こうとした。
逃げ出そうとする混ざりし者もろとも、己が命をもって開こうとな。
形を持たせたのも、この有り様を招いたのも自分だと思ったのだろう。
早くせねば、我らの神が全てを滅ぼしてしまうとも考えたか。
だが、その最期の時だ。女が、願ったのだ。」
「何と願ったのだ?」
皆で巨大な鳥を見上げながら、ジェレマイアが問う。
眩しそうに目を細め見る。
「エイジャとエルベは口を出せない。己が神の怒りを受けていたからだ。」
「それはそうだろうな、神を落とし神を作るとはあってはならない事だ」
「それもあるがな、魔の神が受け入れぬのは、滅びを受けてのさしで口よ。
それにエイジャが定義したのだ、アレは元より、何ら理を乱すものではない。
さて、門へと行こうか?」
ナリスは鳥が留まる石の柱に手をのせた。
すると皮が剥がれるように姿を変えた。
「あの神鳥がとまる場所が門である。今は器に神は宿らず、術の基点となっている」
見る間に石柱は姿を変え、一本の巨木となり枝に鳥をとまらせている。
「門となったは主軸の女である。
今となってはその身は枯れぬ木となった。
異界に沈んだ女の一部が死に絶え、戻ろうとする肉も魂が消えつつある。
本来は、欠けて至ることがない。
しかし、エイジャができぬ事を成しえた女は、魔の神と異界の神により本来のイオレアの死を得た。これが定められた姿なのだ」
「これが願った事なのか?」
「これこそが願った事だ。
犠牲となったトスラトが献身に、異界の女は願った。
トスラトは門を維持した。
イオレアとして死に、この世界に受け入れられて死ぬことを諦めたトスラト。
だが、異界の、この世界に属さぬ者こそが願った。
門により支えた者に温情をとな。
助けてほしいと願ったのだ。」
「イオレアは、元が朽ちぬのではないか?」
ジェレマイアの問いに、ナリスは答えた。
「長命種人族は、元の性質を消すために砂になる。
融合の能力を消すためだ。
あの影の者のようになるは、混ざりし者のせいだ。
そしてイオレアの性質、主軸は朽ちぬ。
ニーカとリャドガは朽ちて死ぬ。
ニーカとリャドガと融合しイオレアとして三者の記憶が統合できれば、朽ちて死ぬ。
そしてイオレアとして子供を残し、死すればこの界の一部となれる。
神の宿り木になれるのだ。
そしてそれは界を支え、本来の浄化を行うのだ」
「汚れた土地や水や大気から毒を抜くのだな」
カーンの言葉に、ナリスは苦笑した。
「増やし巡らせ、明日を望むために作り出した。
王種とよばれる者がそれだ。
セネスの場合、今残っているのはリャドガの筈である。」
「あの女は燃えカスになったぞ」
「そもそもイオレアは、繁殖力の無い主軸を残して分裂後にニーカとリャドガをイアドに入れたのだ。イアドから迎え入れ王種になる事は無い。繁殖を許されて混血の子孫を残しているのは、リャドガのセネスだけなのだ」
「可能性はエルベが戻したか、ツアガがイアドから捕らえたか」
「どちらでも良いわ、もう奴等は砂にもなれぬ。
界を支える姿になるには、神が理の一部と認めればの話。
貴様もエルベも、ツアガが作り出した紛い物など生き物だと認めてはいまい。まして人だともな。
我にしてみれば、ニナンのゴミどもの方がまだましよ。」
ナリスは憎々しげに言うと、巨木に手を置いた。
「守りはエルベの界がひとつに、これはヨルグアとなり神を呼んだ異界の隠し、そして最後は、我が妹の力である慈悲」
ふっ、と風がそよいだ。
それまでの胸を押し潰すような暗い世界が揺らぐ。
「その妹は消え、生き残りの母の一族はエイジャと共に旅だった」
ナリスが呟くと巨木を起点に景色が変わる。
そこに小さな泉があり、陽射しがそこだけに降り注ぐ。
輝く湖面の側には少女と猫が眠り、泉にも女が一人眠り浮かぶ。
「ほら、同じであろう?」
「殿下、なのか?」
思いもよらぬ姿にジェレマイアは言葉をこぼし、カーンは無言でナリスを見た。
「魂の時は止まり命の炎だけが尽きていく。
ここを守るために差し出された女は、水に沈みし癒す者を慰めるのだ」
「何だこれは?」
「神を癒す者として、異界のヨルグアの女は残った。そうして門を閉じて、自分の世界を二つ守った。
消滅した我の妹は、巫覡の術を助ける意味で側にいたのだ。
これは返す女の避難場所で、妹が置いた。
それでも女と神の慈悲は、先に尽きようとしている。
何故だかわかるか?」
ジェレマイアは手を差しのべるが、幻のようでつかめない。
「善き事がひとつある」
連れてこられてきた時より幼い姿。
「まだ、その娘の時は手遅れになるほど過ぎ去ってはいない。我が妹をなぞらえての術の影響もある」
「殿下は元に戻れるのか」
「それはわからぬし、ただ、まだ干からびて死ぬことは無い」
つまり眠ったまま死ぬのだ。
それはもう一人の運命も同じだ。
「結局、滅びは免れず。慈悲は尽きる」
「寿命か?」
「女が願ったのは門となった巫覡への慈悲だ。
門は見ればわかろう、神へも異界の女へも答えた。
だから、これから先は神の慈悲を取り付けるのはお前たちであり、滅びは関わりがないのだ」
「つまり理は安定した。だから、それを新たに壊そうとして滅んでも関わりがないという事か?」
「待ってくれ、よくわからない」
混乱するジェレマイアに、カーンは肩を竦めた。
「俺達だってそうだ、イオレアだろうが何だろうが勝手に死に絶えても何ら問題はない。自分達に迷惑がかからなければな。」
意味が浸透するとジェレマイアは、思わず罵った。
「丸投げかっ」
ナリスは少し唇を曲げた。神官の反応が面白かったようだ。
「いかなる悲劇であろうと過去の事だ。彼らの当時の願いは叶ったのだ。
ここが破壊されても彼らはもういないのだ」
「破壊され、再びの終わりが来てもか」
「ツアガとそれを取り巻くすべてはな。
忘れることなく、謝罪も受け取らず、同じく痛め付けても収まらず、過去だけに目を向け続けた結果だ。
我もだ。
許す意味がわからずにのこった。
どうして、我が許さねばならない?
同じく過去と己が痛みだけに向き合ってきた。
自分だけは正しいと思ってきた。
だが、許さぬ者は本当に正しいのか?
悪を罪を、その後の者にまで背負わせるのは、時の流れを認めぬ事ではないのか。
エイジャの娘が捧げられた時、死してさ迷う悪霊が、己が何と滑稽であるかを悟らされた」
泉の景色が消える。
「所詮、我らは死人である。
死人の癖にずうずうしい。
貴様の言葉には笑わせてもらったぞ。
そしてこの地に集うは、その死人の作り事に群がる馬鹿者だ。
すでに一度ならず生きて暮らせるようにとエイジャが施し、エルベが整えた。
その後、腐り落ちたのは自業自得よ。
見よ、この阿呆がエイジャの力を得たのが証拠。
魔の神の慈悲もこれまでよ。
さて、これは極夜にのみ開くが、幻ならず外に置かれる館に入るぞ」
そして大樹は消え、頭上から白い鳥を残して闇が降りてくる。
さらりと幕がおりるように、ふっと景色が暗転すると、辺りは崩れかけた館跡に戻っていた。
扉は壊れ朽ちており、その奥には真鍮の鳥かごが下がる彫刻がある。
中には白い小鳥がおり、彫刻は目隠しをされた女の姿をしていた。
その奥には祭壇があり、神の言葉を記された石板と棺が置かれていた。
覗き込めば、そこには公王に見せられた肖像画の姫と同じ姿がある。
気の強そうな眉と、健康そうな褐色の肌。
そして黒髪という大公家出身としては異色の容貌をしている。
頑健な姫は、身が不自由という建前が霞む、実に武人のような筋肉質で長身の姿である。
ジェレマイアは制止する間もなく駆け寄ると、彼女の息を確かめた。
凍るような冷たさで、刻む鼓動も吐息も感じられない。
「魂は眠り、命の時を吸い上げられているが、留める為に狭間にいる。
死んでいると言えば、死んでいる。
お主の姉よりも、エルベの術故、死に近しい。
朽ちるは命の時が吸いつくされた時、まだ、猶予はある」
そのナリスの言葉を無視すると彼は棺を確かめる。
石の棺には豪華な内張りがなされていたが、外側には無数の蔦が絡み付いていた。
「殿下の命数で女を生かしているのだな」
「さて、ここまでよ。
我が案内するのはな。
よくよく考えて選ぶのだ」
忌々しげに鼻を鳴らすと悪霊は、カーンに言った。
「貴様を嫌うが恨みはせぬ、存分に殺すがいい。
所詮、死んだことにも気がつかぬ、愚かな者共故な」
そういうと死骸は転がり、勝手に燃え付き炭になった。
***
「これはねぇよ」
祭壇の段差に腰を下ろし、ジェレマイアがぼやく。
体が冷えると良くないと、敷物やら毛布を体に巻き付けられていた。
「まんま、生け贄じゃねぇかよ。何だよ、この糞が」
先程から神とツアガを直接罵っている。
「それにこれからどうするんだよ、お前、ターク公以外に、いねぇ奴がいるけどよ。城に送ったのか?」
朽ちたとはいえ、館の作りは頑丈らしく、この祭壇は廃墟の中心にあった。
回りを確認し、夜営の準備を始める。
「城には行くのか?」
「いく必要がない」
それにジェレマイアは、はぁと息を吐いた。
目的は、別に彼らではないし、悪霊の言う通りなのだ。
エレッケンの者は、この館の有り様を見れば、もうダメなのだ。
約束を守る意義も目的も、そして人としての情も無いのだ。
如何に生け贄であろうとも、ここが入り口なのだ。
神を祀ることも、供物をも、このように遺棄しては駄目なのだ。
「まぁいいや、サーレルがいねぇ時点で何をする気か想像はつくし」
「なら、今のうちに説明をしておく」
「なんのだ」
「癒す者はもう寿命だ。
ここを守ろうとする意思が薄れたこと、悪霊が言うように過去は過去になり、意義を失った。
まぁ失わせたわけだ。
だが、幸いにも門は定着した」
「どこが幸いだよ、地獄の門が出来上がっただけだろう」
「門として、ここにあるかぎり、これはあるべきだと理のひとつにおさまったのだ。
圧力を減らす為の穴は、いずれ消える。
エルベのつくったイアドも必要がなくなる。
そしてイオレアという寄生虫もいらなくなる。
そしてな、新たな約定というが、それは門を守る為に必要な事だ。
それには手順がある。」
「何を言っているんだよ」
「願いは無くなり、癒す者は消える。
門は残るが、これを守ればいいだけだ。
癒す者もなくなるのだ、生け贄はもういらないのだ。」
「だが、門は残る」
「ツアガは門を手にいれたがるだろう。
それにツアガ以外の人間もか。
ニーカとリャドガは門を破壊したい。
戻ってきた混ざりし者は、どう転ぶかはわからない。
我々は門を、この場所を我らが縄張りとし誰も手を出せぬ禁域としたい。」
「新たな約定か」
「そこで極夜が始まる前に、癒す者と話がしたいのだ」
「悪霊は?」
「沈黙しているが、神官の方がいいのだろう」
「あの場所を開けるとは思えない。あれは幻で我々は外側から見ただけだ」
「では、殿下はどうだ?」
それにジェレマイアは眉をしかめた。
「死した訳でも、魂を神が召しあげた訳でもあるまい」