ACT295 隠者と魔女 上
入り口はシリスにあった怪物門と同じ意匠であった。
上層の町に入ってみるが、そこに何ら不思議な様子は無い。ごく普通のひなびた田舎町だ。
若い女しかいない町であるが、構造的には普通で、破壊も荒廃も見受けられない。
それは女達、妖魅が非常に頑健であり勤労な性質によっていた。
男を使役し退廃的な生活を営んでいるのかと思っていたが、妖魅にとって食料は食料以上の存在ではないらしい。
ミアーハの言う完全変態をする昆虫の生態に近しいのだろう。
向こう側から流れ着いた異形が、蟲に近しいのかもしれない。そしてこちらがわの異形であったイオレアが植物様であったのか。
どちらにしろ、今の人間とはかけ離れているのは間違いない。
その怪物門を潜ると、闇ではなく白い光りが出迎えた。
足元には白い砂利が敷かれているのもシリスに同じだが、こちらは掃除もされているのか、均されて歩きやすい。
外気を取り入れ、採光も考えられているのか、頭上には地上に向けて解放部分がある。
それは足元にも置かれ、透明度の高い水晶が嵌め込まれ、精緻な網が囲う。
「それは手先の器用な旅の人が作ってくれますの。あぁ旅の途中でこちらに暮らすようになった方々ね」
水晶部分で昼に光をあつめて、夜に発光する照明の役割もしているようだ。そして金属の飾り網は空気を流している。荒天の時は閉める事もできるらしい。その時は別の空気を送り込む通路があるそうだ。
壁はくりぬきの洞穴ではなく、これも目にも美しい貼りつけ模様が覆っている。異国の宮殿か王宮の離宮にあるような、華やかで美しい小花柄だ。
「これは西の方が手を入れた装飾ですのよ。西の方々は細かい作業が好きなのね」
いちいち入る説明の、その技術を持ち込んだ男達の末路を聞いてよいものかと、ターク公が困惑している。
背後のニルダヌスに、お愛想は必要ないと注意されていた。
女性に対してもてなすのが礼儀の生活を長く続けているためか、相手が化け物でも無言は気がひけるのだ。
そのターク公とシュナイ、そしてジェレマイアは、隊の女兵士に囲まれて進む。
会食後の話し合いは直ぐに終わった。
ロドミナの方から、恭順の誓約を持ちかけたからだ。
守護者の庇護があるかぎり、絶対の恭順を誓うと魔神に向けて宣言した。
それに仲介者のジェレマイアが何故だと問いかけても、彼女の答えは、怖いからというだけであった。
そんな奴隷契約のような誓約を取り交わした一行は、サルーテの地下からエレッケン城へと向かう。
当然、案内はロドミナだ。
ロドミナは妖魅の首魁であり古い個体だ。契約は彼女の魂に署名をし、魔神へと捧げられた。紙面ではなく、守護者に恭順をするとはそう言う意味だ。ジェレマイアにしてみれば、頭がおかしいのではないかと疑う。何を考えて自分を売り渡すのか。恭順を示した筈が、仲介をし魔神の力が女を締め上げるのを見て逆に不信が大きくなっていた。
ただ、怖いのだという理由をカーンは受け入れた。
生きること選ぶこと、守るものがあればこそ怖い。ごく普通の考えだ。そう理解した、と、彼は本意は別に受け入れる。
そうして彼女を先頭に、地下へと入った。
一人の犠牲で種族全体の延命を図った事が潔かったからかもしれない。
カーンは、そうした狡猾なのかバカなのかわからない、潔さが好きだった。
「ここから、城への道になります」
妖魅の居住区を抜けて程近い場所、奇妙な蔦が絡まる金属の扉の前に、一行は着いた。
ミアーハ達が調べた地下の居住区には降りなかった。
お互いに、近寄らない方が良い事もある。と、心に言い訳をしてカーンは何も言わなかった。
「この扉の向こうは、死を司る御方の回廊。回廊の床には紋様があるので、その紋様をたどると目的の場所にでます。」
「イアドなのか」
「いいえ、死を司る御方の道は、踏み外さなければ安全です」
ここまで、幾度も判断をしてきた。
ロドミナを受け入れたように、保護した子供達を一度、彼女の町に置くことにした。
この先に、子供が生きていられる余地が無い。
そんなロドミナの助言を受け入れた。
氷の巨人とエレッケンの兵力がぶつかりあうような場所に連れていくのは無謀。
言われてみれば、確かに道理だ。
ならば妖魅は少なくとも、子供を呑んでしまうような性質はもっていない。肥太らせて捕食するにしても、子供の内に食料とする心配は無いとも判断した。
そしてミダスが妥協したのもある。
妖魅の本性を彼らが知らなかったのは確かだ。だが、それがエレッケンにいるツアガ公爵が知らない道理はない。
サルーテは、昔からの補給地だ。
そして支配者に隠れて巣を作るのは不可能。
夜が分けられ本性が隠されていたとしても、元々を知らぬ訳がない。
だが、ミダス達は知らなかった。
そして知らぬのは、偽っているからだ。
嘘を基盤にして生きてきた事。
ツアガは、人を領民を命を捧げてきた者に偽りを与えたのだ。
裏切られた。
そんな己が一族への落胆が大きく、城が安全とは言い切れず。ミダスは落胆と怒り、人間らしい不満に襲われている。
本質はまったく別に問題があり、それが解決されない限り破滅。そもそもの守るべき事柄を選ばせずに犠牲だけを与えられた。イアドと影竜騎士を作り出したヨルガン・エルベは味方ではない。そんな情報を知れば、己が犠牲が本当に意味があったのかと。
罪を押し付けられ死ぬこともできないミダス。その姿を見ると、エルベの心情も理解できなくは無い。
エルベは、だから人を選ばない。
(何を選んだと思ってる?)
元々、エルベは残す事に反対していたのではないだろうか。
ナリスにしても過去の者は許したくなかった。
許したのは、エイジャ・バルディスのみだ。
彼は許して手をとった。
だが、エルベにしてみれば、死を司り、新しい命を産み出す者としては、終わりにする事が正道なのだ。
だから、直接ではないが手をかしたのではないだろうか。
(誰に、手を貸したと思う?)
扉が開くと群青色が広がっていた。
足元には変わらず白い砂利が敷き詰められている。
その道は群青色の空間に消えていた。
ロドミナが踏み出すと、白い道に緑の蔦模様が浮かび上がる。
「偉大なお力によって、道は何処にも通じております。ですが、通じてはいてもたどり着くことは難しい。ですので決まった場所以外は、案内されても向かってはいけません」
「願えば何処にでも通じるのか?」
「願えば、その場所へと繋がりますが、そこが果たして同じ場所かはわかりません」
「同じ場所ではないとは?」
「同じ時であり、同じ領域であるかは、わかりません」
「過去にも行けるのか?」
「過去にたどり着いた者は、今を失います。先にたどり着いた者は、過去を失います」
「繋がってねぇじゃねぇか」
「死を司る御方の道ですもの。ですが重要なのは、この道が確実に、今のヨジョミル様の山城に繋がっている事ですわ。その山城からエレッケンの城は目と鼻の先、そこからならば無事にたどり着ける上に、ヨジョミル様の支援が受けられるでしょう」
「ふん、まぁいい。で、エルベは過去にも行けるのか?」
それにロドミナは呆れたように肩をすくめると歩きだした。
(前にも僕は言ったけど?)
わかってるさ、できるけどやらないんだろう?
ロドミナに引き続き、一行も踏み出した。
そして皆が中に入ると、蔦が蠢き扉を閉じた。
***
薄暮のような群青色が視界を塞いでいた。
だが、よくよく見れば、果てが見えないほどの草原である。
異形の空間なのだろう。膝丈の草花の草原で、陽が落ちきったあとのような薄闇なのだ。
(どうしてこんな風だと思う?)
無言でロドミナの後を追いながら、カーンは殊更感傷的にならないようにと心に蓋をしていた。
だが、そんな抵抗をわかっているのか、グリモアは底意地の悪い事を言う。
エルベの心情。
静寂の自然。
ゴミはいらないか?
だが、よく見てみろ。こんな整然とした場所が自然にあるか。
エルベの心象によって創造したというのなら、これは人間が手をかけた場所の再現だ。
自然の花畑は畝をつくらない。害虫を殺し草花の丈を揃えられるか?ましてや風雨で茎も倒れていない。
揚げ足とり?
根性のひねた事を言っているのはそっちだろうが。
人間が手入れしているきれいな花畑だ。
人間をいらないというのなら、最初から作らなければいいのだ。
そして生きるも滅ぶも、守護者が決める事ではない。
守護者は神ではない。
牧夫であり園丁なのだ。
そんな嫌みへの返しをしていると、道の向かって奥、遠くに青い光りが見えた。
幻の景色なのか、遠くに月光のような光りが見えた。
カーンがちらりと視線を投げると、そこにいた小さな影が右手をあげた。
右手をあげて、手をふる。
そしてあっという間に朧に消えた。
(見た?)
グリモアの問いかけに、カーンは唸った。
子供ぐらいの背丈の影であった。
長衣をまとったその姿は、カーンに向かって手を振って消えた。あれは確かに分かっての行動に思えた。
エルベか?
(そうだね、今のエルベは人型のようだね。君の気配が入って来たから、見に来たようだ。今の話も聞かれちゃったね)
角があったぞ。
(エルベは水も司っているから、前は魚のような姿だったよ)
そういわれてしまえば、まだ、人のような外見に思えた。
(エイジャの後釜が気になったんだね)
そんな暇があるなら。
(暇があるなら、もっと早く力をふるえと?それは愚策だね)
ヨルガン・エルベの行いは、全て迂遠であった。
(その手加減で、何とかなっていたんだよね。
考えてもみなよ、エイジャの死で終幕が脚本の筋立てだ。続きなんかなかった)
それをオリヴィアの存在が終わらせなかった。
(いいや、本当は彼が死んでアンネリーゼの魂が消えてしまった時、封印は全て解かれていた。エルベが一人になった時に、終わっていたんだ)
グリモアが主を失ったという意味か。
確かに、正当な継承者は当時は一人だ。
(君も薄々気がついている通り、エルベが始めた事だろう。
エイジャが死ぬとは思っていなかった。
だから、償いも兼ねて、全てを緩やかに進めた。
とてもゆっくりとね。
だから、僕はエイジャの娘に辿り着いたし、南の死の広がりも防げた。
本来なら、東の破綻も何もかも一息に広がった筈が、実にゆっくりとした流れになった)
エイジャは自己犠牲により均衡を保った。
違うのか?
(エイジャは考えただろう。
なぜ、クラヴィスとダグラスの力が強奪されているのかをね)
死により、自分が封じたセネスとトスラトが解放される。
(落ちたイオレアの血筋、裏切られた時に思ったこと)
自己犠牲ではなく、選ばせる為か?
(間違いをおかした時に、自分で正せるかどうかで、結末は大きく変わると思ったのかもしれないしね)
それか余程のお人好しだ。
(お人好しなんだろうね。
その考えにエルベも理解を示した。
だから、彼は隠れた。
逃げたんじゃないのさ。
彼は、エイジャの諭しに一考したのかもしれない。
だから、彼は途中から止めた。
君にも会いには来ないだろう。)
だが、それはお前の、グリモアの考えだろう。
(蓄積した魂の託宣なんだけどねぇ。
君に会いに来ないと思うよ。
だって彼は、死、なんだからね。
彼に出会った者は死の定めが確定する)
誰でも死ぬだろう。
(運命の確定だよ。死は定めだが、どう死ぬかまでは、定まっていないのさ。それは神だけがわかることだ。だが、彼は不死者の王だ。王に拝謁をした者は、死の定めが決まるのさ。
実例はミダスだ)
守護者同士だろう、それにヨジョミルとやらも接触している。
(逆に考えてごらんよ。
ヨルガン・エルベと親交がある者に、生者はいるのかな?)
いるはずだ。
(勘違いじゃない?)
***
薄暮の草原は途切れ岩谷の景色になる。
夜が降りたかのように暗闇が広がり、岩谷の合間に続く道だけがほんのりと浮かんで見えた。
そして闇が深くなり辺りを支配する頃、道は穴蔵へと降りていく。
中は鍾乳洞のようで、鍾乳菅や石柱が立ち並ぶ。
足元を照らすために灯りを灯せば、脆い結晶が輝いた。
滲む水はあるが、蝙蝠などの生き物の気配は無い。
エルベの世界は、きっと何処も静かなのだろう。
胸苦しい閉塞した気配と、期待に満ちた終わりの匂い。これが死の気配なのだろうかと、カーンは思った。
(生き物が長くいるべきではないね。存在が死に傾いていくようだ)
やがて鍾乳石が途切れ、水の溜まる、まるで船着き場のような場所に出た。
ロドミナは水を避けるように水際を進み、朽ちた木の桟橋のような物の奥へと向かう。
すると薄ぐらい闇の奥に、小さな木の扉があった。
白い砂利の道は、そこで途切れている。
どうやら、ここから先はエルベの回廊ではないようだ。
ロドミナは、扉に取り付けられた鐘を鳴らした。
小さな銅の鐘は緑青が表面を覆い、紐は解れて今にも切れそうだ。
その紐を揺らすと、奇妙な響きをあげた。
チンと小さな音なのに、遠くで何かが答えた。
おぉとも、ごぉとも聞こえたのは、何かの獣のような吠え声に思えた。
「奥方の執事ですわ」
「何が来る」
彼女は少し首を傾げた。
「大神様が残された目ですわね。主様ならご覧になった事がおありかと」
扉が開く。
管を伸ばし、それは扉を開くとこちらを見た。
(覚えているかな?)
取り戻した記憶にあったそれは、中心の核を潰さなければ溶けない代物だった。
「百目が執事だと」
体表を多数の目で埋め尽くされている異形だった。
死者の宮にいた異形である。
あれらとの違いは、色味に足だ。
これは半透明の白い体に赤い目をしている。
宮にいた個体は這い回っていたが、それには複数の小さな足らしきものが生えておりテケテケと動いていた。
奇妙な生き物を目にし固まる一行をよそに、ロドミナがそれに話しかけた。
「大奥さまにお取り次ぎをお願いね、繕う方が来たと」
理解したのかどうか、それは扉を開けたまま中へと消えた。
「結界は無いので中で待たせてもらいましょう。回廊は時間ごとに形を変えるので、巻き込まれて飛ばされると面倒ごとになりますから」
「イアドと同じか」
「ただの掃除ですわ」
中は食料庫のような作りだった。
半円を描く天井を支える柱には、彫像と灯りが置かれている。壁際には酒樽と酒瓶が並んでいた。
その様子を見るに、勝手口から入り込んだようだ。
しかし、その広さは一行が入っても余裕があり、食糧棚は天井まである巨大な物だ。保存食は整然と封がなされて中身が記されている。一見するだけでも、良い管理が成されていた。
裕福で使用人もよく働いている。そんな様子だが、その使用人と主人が人間かどうかと、皆、疑っていたが。
そうして皆、辺りの様子を眺め尽くした頃、灰色の小鳥が食料庫へと飛んできた。
それは執事が消えた通路から飛んでくると、ロドミナの肩にとまった。
そして間抜けな音色で鳴いて羽をつくろう。
「今、上で準備をしているそうよ。賓客の間に進んでくれと言っているわ」
それに誰も、鳥が言っているのかという無粋な問いはしなかった。
化け物が執事だ。まだ、鳥の道案内の方が普通に受け取れた。
「ここはヨジョミル様の山城、エレッケン城のすぐそばにあるの。三階の露台から城を見ることができるわ。位置はちょうど南側。ニナンからは真東ね」
食料庫の扉から階段を上る。すると次の間は縦に長い部屋で、向かって右手側の壁は食器が収納されていた。そして左に側には長机と椅子が積まれている。
「ここは使用人の居住区と兵士の詰め所。それに食料庫などがある場所ね。山城だから、すこし傾斜があって右回りに通路があるの。今、私たちが歩いているのが大階段ね」
部屋を抜けると石壁の階段になっていた。
装飾の施された井戸の部屋や、ロドミナの説明にあったような使用人の部屋、兵士の部屋もあった。
今も使われている様子はあるが、その使用人も警備の者も見当たらない。
その疑問にロドミナは、考えるような仕草をした。
「ヨジョミル様は砂時計なの、砂時計はご存じかしら」
「船に積んでいるし、簡易な物なら最近は市井でも使われている」
「ヨジョミル様は、その砂時計なのよ。
使用人もそれに合わせているの。
ここからは二階ね。地上部分になるから、外が見えるわ」
階段を上り左手に二つ、大扉を過ぎると壁がなくなる。
華麗な支柱に支えられた回廊の左が外に解放されていた。
右手も壁が途切れて礼拝堂のような部屋が見えるが、それよりも外の景色に一同は目を奪われた。
朱の残子に荒天の空、そして荒ぶる海を背景に城が見えた。
「あれがエレッケン城ね、この位置からはニナンの方向は見えないわ。」
「どうしました?」
目を奪われた一同の姿を不思議に思ったようだ。
そのロドミナにカーンは答えた。
「岬に城が築かれていると聞いた。あれでは海の中のように見える」
「ここから見るとそうですわね。でも、もう一つ上の階から見れば、水没していない事がわかります」
「どうしてあのような場所に?」
「それも見ればわかりますわよ。さて、この先は官吏の区画に。左手から当時の行政機関の殆どがこの階でまとまっておりますの。法廷も確かありましたし、礼拝堂は二つほどあったはず。城の北側に回り込むと図書室に続き、賓客の間になりますわね」
やがて彼女の説明の通り、通路は狭く複雑になり枝葉を伸ばし始めた。
案内がなければ迷ったことだろう。
陽光の入り込む遊歩道のような部屋を通り抜け、さらに枝葉の道に入り込む。
密やかな気配もなく、人らしき者には一人も出会わない。
「写本の部屋ですわね、書物は触らないでくださいね。全て呪い(まじない)がかかっておりますから」
そして吹き抜けの大きな部屋にたどり着くと、天井の灯りが輝き書架が並ぶ部屋に入った。
そこで始めて人らしき者がいた。
「あら、お久しぶりね、オズワルド。ヨジョミル様のご機嫌はいかがかしら?」
人の形をした靄は、ロドミナの問いに微笑んだ。
何かを言いたそうなグリモアの気配に、カーンはため息をついた。
砂時計。
ここもヨルガン・エルベが時を支配している。
黄昏で砂時計を使って元に戻るを繰り返し、朝陽と共に眠りにつく。
巫覡以外は囚われた魂で、巫覡はエルベの眷族か。
(さて、巫覡は門を守る側だ。
エレッケンのツアガも守る側だ。)
図書室を抜けると、そこが謁見を待つ場所のようだ。休めるように椅子がならび、外の景色が見えるように設えられていた。華麗な装飾に火の入った暖炉。本来の出入り口へ続く大扉に、美しい緑の鉢植えが飾られている。
囚われた魂だというのに、その使用人はお茶の支度を始める。
大人数の物々しい兵士を引き入れたというのに、巡礼の客をもてなすかのような有り様だ。
一人では間に合わないとばかりに、奥から小間使いが二人忙しそうにやってきた。
公爵達を休ませると、兵は囲むようにした。
「城での飲食は大丈夫ですわ。大奥様と側使えには必要ですからね」
それでも公爵達には飲食をさせず、様子を見た。
(立場の違いで悪役はかわるね)
囚われた魂にしては元気のある小間使いが、カーンにお茶を差し出す。
礼を言い受け取りながら、彼は面倒だと内心苦々しく思った。
(ツアガ公爵は人の立場で戦っているように見えるし、混じり者の魔女は、復讐に帰ってきたように見える。
領民は蜂起したように見えるし、この大奥様とやらは極悪な魔女にも見える)
別に、トスラトとセネスが混じった何かが、何を考えていようと、ツアガが誰で何をしようと関係は無い。
滅ぼさず選ばせず、そして、自分達が約束を取り付けるだけの話だ。
彼らが滅びようと、何かが死滅しようと、関係は無い。
(でも、グリモアの主よ。力が馴染んでくるとわかってしまう。この後、請け負わなければならない事がね)
ある程度の妥協をする事になるだろう。
再び、ロドミナの肩にとまっていた小鳥が鳴いた。あいも変わらず気の抜ける鳴き声だ。
「私と繕うお方、それに護衛が必要なれば数人。それに神の人もご一緒にとの事ですわね。
どうなさいます?」
***
三階部分がヨジョミルの居室、空中庭園、食堂、謁見室、それに広大な展望台がある。
夜の帳が降りてはいるが、その展望台にてヨジョミルとの会談が行われる事になった。
隊は賓客の間で持て成しを受けている。
食糧や供される物には、時の支配も毒の仕込みもなく普通の物であった。世話をする者達が、この世の者ではないだけである。
その囚われた魂も夜が深くなる毎に、鮮明になり数を増やした。
今では、城に相応しい活気に満ちている。
矛盾と共に、悲しみを覚える風景だ。
ジェレマイアに気を使う使用人が多いのも、その心情が伝わるのだろう。魔に魅いられた神の僕には、あまり良い場所ではないとカーンは思った。
通された西の展望台には、手入れのされた花の鉢植えが飾られている。過ごしやすいようにと置かれた長椅子や、彫刻の施された家具が女性らしい。繊細で雅、手のかかった場所だった。
武装した男や薄汚れた旅衣は場違いだ。
そんな場所に案内されたが、再び、外の景色を見て一同は目を奪われた。
荒れ果てた岩肌に無数の岩窟。
そこから海に向かっての荒涼とした大地に岩。
海は浅瀬が広がり、武骨な城へと続いていたが、更に沖には朽ちかけた建物が見えた。
それを目にして、カーンは知らぬはずの郷愁めいたものを覚えた。
あれが門だ。
あれがセネス・イオレア・モーデンの館跡であり、門の居場所であり、墓だ。と、分かった。
エイジャ・バルディスの記憶だ。
エレッケンの城は、その墓所の側に置いたのだろう。
あの岩窟がニナンだ。
カーンは身震いをした。
そう、ここまで来た。
「あぁいらっしゃいました。皆様、大奥様のヨジョミル・エラ・ツアガ様にございます」
ふっと屋内から死臭が漂う。
白檀の香りに深い渋味のある香の匂いもする。
(ほら、やっぱり)
振り返るのが躊躇われた。