ACT292 黒檀の棺に芥子の花 上
表現を和らげましたが下品な言葉のやり取りがあります。(いつもか)
両手を合わせ、カーンは顔の前で拝むようにして考え込んでいた。
地盤の固そうな場所にあった石の長椅子に跨ぐように座っている。
野ざらしの天日にさらされた石は、人の体にぴったりと合う。
もちろん体格の良い男なので、跨いで体を乗せている。そうして影竜騎士のもたらした領地地図に眼を通していた。
シリスはもうずいぶんと昔に人がいなくなっていたようで、一夜明けてみれば、街の全ての化粧が落ちて廃墟としか見えなかった。
生きた人間はイアドにて蝋のように溶け、生き残っているのは影竜騎士二人と、子供ばかりだ。
このまま放置するわけにもいかず、子らの体力が回復しだい無事な場所に運ぶしかない。
そして旅程の見直しが必要であり、最速でツアガ公の本城までたどり着かなければならない。
兵站と経路の見直しが必要だ。
珍しく考え込んでいるのは、実はこの旅程に関してではないのだ。
格好だけはつけているが、実は全く違う事を考えていた。
分析をしているうちに、自己嫌悪の沼にハマっているのだ。
力に振り回されている。
情報を理解できていない。
考えが浅い。
なぜ、結論だけわかってしまうのか。
そう、それが一番の問題だ。
答えだけが理解できてしまうのだ。
そして答えでは解決できない。
自分でも力の制御ができていない事もそうだが、単純な事柄であるはずなにの手が出せない事に苛立っている。
無論、そんな事を表にだすような事はしない。
上にたって先頭を切る人間は、迷っていたとしても迷う姿は見せない。見せるぐらいなら憎まれるような悪辣な態度で恐怖を振り撒く方いい。
そんな思考の空転に、悪霊は静かだ。
それも態とだとわかってはいる。
螺旋を描く千切り絵のように、紙片のようが情報を手渡される。
グリモアの主ならば、理解できるはずだ。
信頼ではない、それこそ憎悪だ。
貴様のような奴に理解されてたまるか、という意味合いだ。
だが、神は彼女を愛している。
何を犠牲にしようともだ。
人の愛情とは別物の、深く暗い愛情である。
愛をもって人の世界から連れ去っていくだろう。
大きくため息をつくと、カーンは地図に目をあてる。
物資は調達できる。
補給場所も地図には記されている。
解放できるミダス達もいる。
問題は、どの道を選ぶかだ。
初めは西よりに進むつもりであった。
最短を進み、布教順路を進みという具合だ。
だが、初手からの歓迎に考えを改める。
その意味をだ。
災禍は如何にして現れ、そして何処へ向かおうとしているのか。
不確実であった事柄が、足跡を残していた。
まるで、自分達を待ち受けるようにだ。
密やかに、この世界を壊そうとしていたモノが、都に現れ消えた。
表面だけを見るならば、名無しが地獄へと消え、現世の罪業故の苦難が残ったと見るだろう。
だが、悪意は消えず、場所を変えたのだ。
自分達が向かっている場所に見えたのは、その足跡だ。
攻撃を受けた場所には印が書き込まれている。
朱で示された場所を見て、そして神聖教の布教図と合わせる。
これが同じなら理解できるが、潰されていない場所もあった。
ツアガ公領地の西のリシャルデンには、シリスを中心に四ヶ所の町がある。
代官の街の北西部にマリ、そこから南にロヴァ、自分達が出た場所の村の東よりの森の先にサルーテ、そしてもっとも東よりのトラトルだ。
その四つの比較的大きな町の側に小さな村があり、布教図には、その村々が記されている。
どうしてか、シリスにも四つの町にも神聖教の教会は無いのだ。
教会だけを潰しているわけではない。
何故だ?
あとは謎を解くには、当然、結果から逆にたどるしかない。
魔物が求める結果。
ツアガ公が求める結果。
それをカーンは知っている。
答えが書かれたグリモアを所持しているからだ。
到達点だけはわかる。
しかし、結果を知ると今度はツアガ公の行いと意味がわからなくなるのだ。
公王が送り出す花嫁の意味も、ツアガ公が払う犠牲もわからなくなる。
(君の好きな単純な話かもしれない)
「理屈をこねまわせといつも言っているのは誰だ」
(腐った臭いって嫌いだなぁ)
「人間同士の争いか」
(根元は人間、嘘をつくのも人間。残念ながら、僕たちには関係がない)
「関係がないか」
それにカーンは目を閉じた。
顔の前で拝むような仕草でとまる。
答えは知っていた。
たくさんの命は奪われて、土地は破壊されるだろう。
何故なら、この世界は元々の姿に戻るだけであり、元から悲惨な有り様だからだ。
それはヨルガン・エルベも知っているはずだ。
何をしても無意味であり、余計な犠牲がでているのは人間同士の行いのせいだ。
だが、人同士の争いは手をつけず、魔物への場当たり的な対処をしている。
たぶん、東側の町は残っていない。残っていたとしても地獄の有り様だろう。こちらが手をつけるのを待つ罠の祭りだ。
エレッケン城は孤立している。
だから、ミダス達は増援を求めるべく外へ。
しかし、住民も置かれた兵士も既に滅んでいた。
あの男の絶望は、それだろう。
滅亡が見え、子供を生かす事の困難さ、そして守る意義を見失っている。
癒す者か。
期限はきっとギリギリだ。
ミダスを見ればわかる。
既に不死身ではない。
心も死にかけている。
エルベは何を考えている?
ふと、カーンは意識が澄むような感覚を得た。
物事は、すべて表と裏がある。
善と悪の違いは些末だ。
この世界においては、だが。
そして魔神の言う探すべき者の意味。
ツアガ公の犠牲。
(結末を知っているとつまらないよね)
目を見開くと、カーンは久しぶりに、曇りの無い笑顔を浮かべた。
祭りに向かう子供のように、笑った。
「確かに、関係ない話だ」
(どうするの?)
「サーレル、ちょっとこい」
カーンが示した旅程は、サルーテとトラトルと通過し、東のユシュル地方に入る。
ユシュル地方に入った後は最速で海岸沿いにエレッケン城を目指す。
「ニナンの様子を探らないのですか?」
「たぶん、ヨルガン・エルベは、ニナンに来てほしくないんだよ」
「どういうことです?」
「ヨルガン・エルベは、庭を広げた。理由は何だと思う?」
「影竜騎士達は災いを抑える為だとか」
「それは都合の良い解釈だ。エルベは人間の味方では無い。この世界の理を守っているだけだ。この街が滅んでもエルベは何もしなかったし、今もしていない。じゃぁ何をした?」
「さぁ、私にはわかりません」
「簡単な理由だ。終わりにするためだ」
「終わりに?」
「そうだ。エルベも答えを知っている。だから、今一度、最初に戻ろうとしている。間違いが起きた最初にだ。我々に手出しをされて、災厄の元を滅ぼさずとも邪魔してもらっては困るのだ。だから、ここを通らせないし、もし、東側の入り口に到達したとしても、また、邪魔をするし相手に荷担するだろう」
「よくわからない話ですね」
「エルベは今までは、ツアガ公と同じ立ち位置にいたが、今は災厄の方へ手を貸しているのさ。もちろん、敵対しているわけではない。」
「..中立を語る厄介な門閥貴族のようですね」
「エルベはツアガ公にも災厄にも力を貸す。そしてツアガ公への助力として、この歯応えの無い敵だ。仄めかしだな」
「無意味では?」
それにカーンは再び笑った。
「その通り、だが、答えに一番沿う」
***
子供を運ぶ荷車を調達すべく廃墟を漁る。
オービスと獣体のスヴェンが愉しそうに瓦礫をひっくり返し、建物を壊していく。
その後を食事を終えた子供の集団が、恐れげもなくついて歩いてた。
楽しそうである。
その後ろをフラフラとついて歩いていた危険人物をカーンは呼んだ。
「ヤン、ちょっと来い」
「ほぃほぃ」
ふざけた男は、フラフラと歩いてくる。
頭の花を見れば、日光浴中なのか仲良く二輪、風に揺れていた。
少し眉間を指で揉むと、カーンは目をそらした。
「例の渦潮は何処だ?」
カーンに聞かれたヤンは、地図を覗き見て、愉しそうにグルグルと筆をはしらせた。渦潮の落書きに価値が下がるが、十分に役立つ。やはりそれは、襲撃のあった村と同じ、川や水源の上を示していた。
「ついでに、ここに灯台かなぁ、あと、ここに何か訳のわからない印もあったぜぇ」
壁に描かれていた逆さまの海図の印だ。
灯台はニナンで、エレッケン城から程近い海上に印が書かれた。ついでにヤンの署名と宣言が入り、ミダス達の殺害予告が完成する。
「落書き以外は上出来だヤン。だが、ミダス達はまだ殺すなよ」
「うぃ~そう何度も言わんでもぉ」
それから何気なくカーンは続けた。
「それで公王は誰を殺せと」
今さらの問いに、シーリィヤンは唇を不満そうに尖らせた。
「一応依頼だしぃ内緒~」
支度に走り回る部下を見ながら、カーンは笑った。
「なら、ジェレマイアだけは最後まで殺るな。魔神の怒りに触れる事になる。まぁわかっているだろうがな」
それにヤンはヘラヘラと実の無い笑顔を返した。
「代わりに殺れって言われただけだよぉ」
「そうか」
「楽しいよね、ゲヘヘ」
「まぁ標的は、わかっている」
ヤンの頭で花が何か内緒の話を二輪でするかのような仕草をした。
それにカーンは呆れたように口を閉じた。
「まぁ、そうだね。わかっているなら邪魔しないでくれるとありがたいんだけどぉ」
「公爵とジェレマイア、それにグリューフィウスには手を出すな。助ける必要は無いが殺すな」
それにヤンは真顔になった。
狂った男が表情を消すと、ただただ気持ちが悪い。
顔以外が焼け落ちた人形のような、得たいのしれない様になる。
「あの影の竜騎士、あれは嫌な臭いだね。あれは生かしておいたらダメだよ、大将」
カーンは頭を傾けると、花を見ながら言った。
「手順がある。結果、皆殺しだとしてもだ」
「大虐殺だねぇ」
ヤンは、おどけた仕草で踊り出した。頭の上の花も踊っている。
そして妙な格好で片足で立つとカーンに指を突きつけて言った。
「それ、つまり、それね」
頭上の花も同じ格好で蔓を突きつけている。
カーンは頭を傾けたまま、口を歪めた。
「俺ならできるのさぁ~公王曰く、論理的にぃ役割を振られる力が強くなったからぁ?なんだっけ。変化したんだってさ」
何を言いたいのか、うすぼんやりと感覚的に伝わる。
そう、ヤンは人殺しだ。
夜が来て、魔神のしいた理が強い力を持つようになった。
理は、理屈、屁理屈でさえも強固な抗弁があれば、それなりに形を作ってしまう。それは今、今までになかった魔という要素が現世に加わったせいだ。
領域の概念の書き換え、正しい事の幅が大きくとられたという事。
それは人間のみの事にあらず、共通の概念が改めて振り分けられる。
神の力であり、この世の再定義、領域は変化していく段階という意味だ。
もっと簡単に言えば、新たな遊びが始まって、新しい遊びの規則と駒の意味が振り分けられた。
それはカーンをして守護者でありグリモアの主という意味の振り分けで、神が力をも現実に与える。
ならば、殺すことを息をするように行う狂人は魔物になるのか?
魔物ではなく、それは元に戻り、その駒の性質が改めて与えられる。
女は女であり、男は男。
神に使える者は、神の声を聞く者になる。
そして魔物のような人間は畜生以下に成り下がり、長命種族を殺す者、つまり..。
「わかるかなぁって思ってたけど、すぐ、わかったよぅ。
まったく臭いが違うんだねぇ。
大丈夫さ、必ずだぁ、
俺は、これだけは上手なんだ
今まで、獲物を逃した事は一度もないし
満足させる事にかけては職人肌だ」
それにカーンは姿勢を戻すと頭を振った。
今でも焼け野原になったフェンネル地方に程近い場所では有名だ。
子供の躾に持ち出される悪行。
既に悪霊とまで言われ。
狂人ヤンは役人の呼び名で、シーリィの最後の悪鬼ヤンは子供の躾に使われる。
現役の殺人鬼で子供の躾に使われているのは、この男だけだ。
臓物の敷物や皮の服、城門に飾られた肉の置物。
本来なら、今この瞬間にも始末すべき者だ。
ただ公王がその広い腕の中で泳がせている者として、即座に始末するよりも利用できる部分を買われてここにいる。
信用するのは公王でヤンではない。
「それによ、俺の娘と約束したんだ。元を断って綺麗にしないとな」
暫し、カーンは目前の存在に渦巻く力を見ていた。
恐怖と穢れが渦を巻くのに、そこには怨嗟が無い。
この男が心底狂っているからなのか。
人間にあるべき心が欠けているからか。
不思議とそのような歪な魂なのに、腐り落ちる様子は見えない。
それは腐った魂となにが違うのだろうか?
同じく人を殺している者と何が違うのか?
「できるのか」
「その為に、公王は俺をねじ込んだわけっしょ」
結末はいくつか予想できた。
至るべき終わりも知っている。
払う犠牲は自分の命だ。
「それを行い、必ず果たす事ができるのか」
「口約束だけどねぇ、公王は俺の敵を苦しめてくれるって言うしな」
「俺も報酬を払うと言ったら、俺を優先できるか?」
「ものによるねぇ」
「耳を貸せ」
耳打ちされる内容を咀嚼していくうちに、ヤンは笑顔になった。
そして瞳は沼のように濁っていくのだった。
※※※
エンリケは損傷が見えず、色だけが変わっていた。黒髪に黄色の筋が入り、黒い瞳が黄金色になっていた。それが誰であるかを知っているモルダレオは、鼻を鳴らす。だが、初めて役に立った愚か者よりも無事なエンリケの姿に喜ぶ。無くした武器防具の代わりに、己の斧を渡す。受け取った相方は、いつになく朗らかであった。
基本の行動方針をカーンは伝えると、シリスをさっさと後にした。どんな怪異や人の争いが起ころうとも、これからは何にも関わらずに進む。
反対意見は受け付けずに、そう告げるとエンリケとモルダレオを露払いに先行させたのだ。
シリスの北門から東、あの村から続く森が広がっている。
手入れをされない森で、あるべきサルーテへの道が見えない。
近年はイアドを移動の手段としていた事もあるが、東のユシュル地方へ向かうのは、本来は西回りである。
あの村が最南端で西のリシャルデンの最奥の位置になり、ユヴァ、シリス、マリと街道を上って東に入るのだ。そしてエレッケン城はその先のニナンを経由する。
サルーテとトラトルは東ユシュルの街道でいう最奥で、トラトルとサルーテは西と言われながらも、物流は東だった。
なら、なぜ西なのかといえば、人種の違いである。
東は長命種のツアガ公縁の人々であり、最初の入植時代の子孫だ。
そして新規の開拓民が多く、人種混合の人々の共同体である。
最初の入植者、言わば現地の者と新参者。
負わされる義務に代わり無いのだが、長命種の共同体と貧富の格差、そして宗教格差もあった。
教会の布教順路は、後期の入植者の村落に多く、最初の入植者の多い、つまり、本来ならば長命種の共同体にあるべき街々には無い。
長命種は神聖教徒であるはずなのにだ。
では、ツアガ公領の東は何を信仰しているのか。
ミダスはジェレマイアに敬意を表すが、教会が無いというのは、本来あり得ないのだ。
ここから読み取れるのは、ツアガ公にとって神聖教は必要が無いという事だ。
支配者が必要としない。
公王は必要とした事をだ。
信心の話ではない。
支配者として必要か否かである。
宗教と政治を結びつけると、意見が割れた時の弱味になる。だから、神聖教を切り捨てた。
と、考える事もできる。
だが、相方も戻り通常運転のモルダレオになってみると、鼻で笑う気にもならない。
当たり前だが、敗北者に宗教の自由は無い。
陣地とりに負けて、別の何かが支配している。
簡単な話だ。
違う何かが居座っている。
罰当たりの愚かな塵が蔓延っているのだろう。
機嫌の良いエンリケと不機嫌なモルダレオに従う男達は、終始微妙な空気だ。
いつもなら不機嫌な理由を乳兄弟のエンリケが聞き出すのだが、その彼がネジが緩んだようになっている。
微妙というより、異常な空気に居たたまれない。
お陰でいつもより早い足の運びで森の切れ目、人の手が入った場所へとたどり着いた。
「サルーテか」
「いや、サルーテの管轄の村だろう」
お粗末な柵囲いに石積の家が見える。
様子をうかがうも人の気配は無い。
荒れ果てている。
静かに近寄れば、枯れた田畑に家畜がいない厩舎。薪も少なく家の戸も壊れた廃墟だ。
数個の家屋が遺棄されている。
井戸の水を汲み上げてみると塵が浮いて濁っていた。
雪は残っていない。だが、春の兆しさえ無い荒れた景色だ。
家屋の中を改めてみると、調度品は埃がかぶり、布類は朽ちかかっていた。
備蓄の食料を探すと、地下に芋類の袋が出てきた。
保存状態は良いが、その他、小麦や肉、必要な物、塩等がなかった。
財産を奪われたにしては、きれいになくなっていた。
荷物をまとめて逃げ出したというところだろうか。
重さのある芋の袋は残した。
家畜を連れて逃げた。
冬前に?
首を傾げるモルダレオに、エンリケが少し面白そうにしながら言った。
「代官の徴集があったんじゃないか?兄弟なら、そうするだろう?」
確かに、そう考えるのが普通だ。
「まぁ、それじゃぁ面白くないけどなレオの兄貴」
続けて言われて、モルダレオは思わずしかめていた顔を戻した。
そしてエンリケの顔をマジマジと見た。
鬱屈の無い乳兄弟の顔は何十年ぶりか。
そしてあの馬鹿な奴が生きていた頃、長兄の役割を振られる前の口調に衝撃を受けた。
「驚くなよ兄貴、奴に乗っ取られた訳じゃない。単に馬鹿らしくなってな。悩む時間が惜しくなっただけだ。さぁ、さっさと行こう。カーンの指示道理、俺達は関係が無い」
それにモルダレオは、うっすらと笑った。
確かに、ここの住人の悲劇には関係が無い。
迷惑千万な話なだけだ。
「で、代官は徴集して次は何だ、兄弟」
「何を想定しているかだな」
モルダレオはエンリケの変化を受け入れると、目の前の轍を見つめた。やっと道らしきものにでた。これを辿ればサルーテに行き着く。
「何を置くか」
「俺なら肥溜めに返し刃の堀でもつくるかな」
「そんな原始的な罠をはってどうする。子供の遊びならわかるが」
「まぁそうだよな、ただ、本当に来るかどうかわからない獲物だぞ」
「見えない場所に糸をはればいい」
「こっちの人間は、狩り用の金属糸を知らんだろう」
「輸出は禁止されてるが、手には入る」
「扱う者も特別な装備じゃないと、自分の体が輪切りだぞ」
「まぁ巨獣専用だからなぁ、戦場でもあれは使用場所に困る。自分の方の兵隊が輪切りになるからなぁ」
「まぁ一応、切れる工具は持ってきてる、おい、持ってきてるよなぁ」
「はい、大丈夫です。四号まで切断可能です」
「四号を持ち出されたら、俺たちの装備も真っ二つだな」
朗らかに笑ってみせるエンリケに、モルダレオは肩をすくめた。
切断可能範囲を号数で分けており、四号は土壌開発用の工作機器に使われる物だ。狩猟や戦闘用ではなく、鉱物資源の掘削機や加工用具に使われている。もちろん、そんな物を輸出するわけもないが、世の中には頭のおかしい天才もいる。
通常の狩猟用の物を手に入れて研究されてもおかしくはない。
嫌な世の中だとモルダレオはぼやいた。
暫く、道なりに歩く。
祭司長と公爵、それに子供はスヴェンとオービスが一緒だ。当然グリューフィウスとニルダヌスがそこに加わる。
影竜騎士達は監視も含めてミアーハ達が付き、結局、殺人鬼とイグナシオはカーンについていた。
今のところ、死者はサーレルの手勢だけだ。
そのサーレルは、ミダス達の尋問を続けている。情報を空になるまで絞るつもりなのだ。
ある意味、シリスの一夜によって、皆、落ち着きを取り戻していた。
化け物や怪異に遭遇しても、結局、正しく痕跡を辿れば、人間が手を下した争いだったからだ。
手に負えない未知の出来事ではなく、唾棄すべき人間の仕業だった。
そしてモルダレオとエンリケは遠目に見える町を見て、それが間違いではないと思った。
「さて、兄弟。お互い独り身で気兼ねがないのは幸いだ」
「そうだな、兄貴」
少し低地に位置する町は、崩れた石壁で囲まれている。
そこを出入りしているのは何れも女だ。
「シリスは年寄りに歓待を受けたが、今度は若い女だ」
「あぁそれも美人ばかりだ」
二人の男がゲラゲラと笑い出すのを後ろで見ていた部下達は、逆にどんよりとした。
「まったく嫌な世の中だ」
「では、少し楽しんでいこうか」
一行はゆっくりと町に近づいた。
申し訳程度の柵に、美味しい毒餌がまかれた楽しい宴会だ。
近づく男達の隊列に、女達は気がついたのか、手を止めて様子を伺っている。
そして暫くすると、町の中から年増の女が出迎えに出てきた。
「貴方方は、こちらには何ようで?」
辺境の貧しさが伺えない美しい女だ。
モルダレオは、滑稽な芝居に耐えられず笑いだした。
「失礼だぞ、兄貴。一生懸命なんだろうから、笑うんじゃない。すまないね、お嬢さん。ここを通してもらえないだろうか?」
エンリケが日頃絶対にしないだろうお愛想に、回りの男達が目をそらした。言っている本人も気持ちが悪そうである。
「旅のお方ですか?お疲れでしょうから、今日はこちらでお休みになられてはいかがでしょうか?
男手が無いので不自由をしていますが、おもてなしはできますので」
そのあまりの明け透けな誘いに、更にモルダレオの笑いのツボが押されたようだ。
観念したエンリケが、お愛想を消す。
「すまないが、ここを通る。ついでだが掃除をして簡単に略奪をするつもりだ」
誰かがため息をついた。
上官に対して非常に失礼だが、ネジの外れているエンリケは気にしない。
意味がわからずに呆気にとられる女に、さも優しそうに男は続けた。
「俺は人間の女には役立たせるが、化け物に役立たせるモノはもちあわせていない。すまんな」
「少しは楽しんでいかないのか?」
「楽しめるのか、食い千切られるぞ」
そう返す男を不思議そうに見ていた女は、ちょっと首を傾げていた。
「残念だったな、人間の女は背中に口は無いし、髪の毛の中に目は無いぞ」
さて、と、身構えるエンリケを余所に美女は笑った。
女の姿をした何かは、上品に服の裾を摘まむと横に身を避けた。
「残念ですわ、すこし遊んでいかれてもよろしいのに」
今度はエンリケが眉を寄せた。
「私達、別に命が欲しい訳ではありませんのよ」
実に美しい顔で、それは囁く。
「すこし遊んでいっていただければ、お土産をお渡しできるのに。そうそう武器をお使いになる必要はありませんのよ。私たち、別に通さないとは言っていませんでしょう?」
「だが、足止めをする気だろう」
笑顔のままで女がエンリケの腕をとろうとした。だが、それよりも先にモルダレオが女を斬った。
斬られた腕は上に飛んで、地面に落ちた。
だが、女の背中から伸びた管が、さっと巻き取り拾っていた。
「嫌ですわ、乱暴なお方ね」
元々、下手な芝居だった。隠す気もなかったのだろう。
「私たちは、本当にツアガ公の民ですわ。ただ、男が全滅してしまったので、困っていましたの。」
ホホホと笑っているが、内容が酷すぎた。
続々と町中から女が集まってくる。
「これで遊んでいく度胸があるなら、そいつは勇者だな」