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冬の狼  作者: CANDY
薄明の章
326/355

ACT291 目を閉じて、そして手を ⑧

 轟く音と激しい衝撃。

 礼拝堂にいた大人達が下へと転がり込む。それと同時に獣人は擬態を解いた。

 人族や亜人の者は納骨堂の奥へとより固まる。

 それを見届けるようにしてモルガーナが一際大きく唸ると体を大きく膨らませた。

 重い音が次々と頭上に響く。

 直接の死を感じさせる衝撃を伴う揺れだ。

 悲鳴はあげていても聞こえない。

 体を変化させた大人は子供を囲むようにして建物の壁に体を押し付けた。

 大きく大きくなろうとしているのがわかる。

 この空間が押し潰されないように、体で支えるつもりなのだ。

 泣き出した子供達に、巫女と町の大人達が体を被せる。

 巫女がずっと祈り続けているのか、口を動かしていたが耳には何も届かなかった。

 ビミンは入り口で扉を押さえるモルガーナのところへ這っていく。

 もし、ナニかそれでも入ってくるなら、押し破られたら自分が最初だ。

 恐ろしいが、最後に死ぬのだけは嫌だった。

 皆に取り残されて、最後に死ぬのだけは嫌だった。

 生き残るよりも、それが何故か頭に浮かんだ。

 唸り続ける彼女の隣に座り、壁から落ちてくる漆喰を払う。

 斧を手に、彼女も祈った。

 片手を無意識に探る。

 モルガーナの巨体が何度も浮き上がる。直接、扉にナニかが押し寄せているのだ。

 その毛並みに手をのせる。すると彼女の目が見えた。

 ビミンを見ながら、それでも笑っていた。

 何も恐れる事はない。

 そんな強がりを視線は語っていた。

 上が崩れていくのが音でわかる。

 沢山の吠え声が聞こえた。

 獣人の声なのか、何の声なのか、下ではわからない。

 地下墓地が徐々に軋み始めた。

 天井が、教会の床が耐えられなくなりつつあるのだ。

 堪えろとばかりに、鍛冶士の男達が恐ろしげな姿に膨れ上がった。

 バラバラと装備を落とすと四つ足の獣に変わる。

 限界を越えている。

 あれでは体が壊れてしまう。

 そんな事を思うも、目の前の壁に皹が入っていた。

 支える頑丈な支柱も一度軋みをあげると柱ごと床に沈み始めた。

 徐々に部屋が押し潰され始めた。

 モルガーナの背が扉を境に押し返されている。

 あぁ、ナニかが入ろうとしている。

 ナニかが命を磨り潰そうとしている。

 室内の崩壊は容赦なく、かばう住民達の上にも降り注ぎ始めた。

 子供は泣いていた。

 大人は口をつぐんだ。

 痛みも血も口から出してはいけない。

 泣いてはいけない。

「この下にも空間がある筈だ、いよいよになったら、子供はそこだ」

 コルベリウスが網をかけていた小さな排水溝の蓋をあけて中を覗き込んだ。

「潰れなきゃいいんだ、子供を」

 そのコルベリウスも徐々に体を変えている。体を傷めているので、中々変化できないのだ。大事な部分に傷があるので活性ができない。それでも更に地下の隙間を探すために力をふるう。

 視界が暗くなる。

 あぁお助けください。

「空気は流れてる。小さい子供なら」

 それが無理な話だとわかっていた。

 それでもと、手を伸ばす。

 押し潰されながら、手を。


(楽しい思い出を語ってよ

 明るい陽射しの夏の海辺

 一緒に食事をしたあのお店

 街の広場でお祭りを観て

 夜には港を歩いて花火を眺めた

 あの楽しい思い出を

 冬の午後に語ってよ

 さびしい一人の冬の日も

 楽しい思い出が暖める

 手に手を重ねて愛を語る

 あの夏の日が嘘ではないと

 目を閉じてそっと手を差し出せば

 幻の貴方が手を握り返してくれる

 だから目を閉じて、手を)


 調子外れの歌が聞こえた。

 か細い女の囁くような歌声だ。

 潰されながらビミンは、その歌声が何であるのかわかった。

 それは魔物の唄だ。

 酒場の女が歌うような歌詞だが、決してそれは言葉通りでは無いことがわかった。

「大丈夫よ、いらしたわ」

 潰されるその中で、巫女頭の呟きだけが、鮮明に耳に届いた。

「あぁ、いらしたわ」

 体が潰れていく感覚。

 息が胸から押し出され、嫌な音が自分の足元から聞こえて。

 あぁ死ぬのだと、その真っ暗な口を覗きこんで。


 不意に圧力が消えた。


 代わりに四肢の力が抜けるような、恐怖の波動が頭上に広がる。

 冷たく、暗く、それは笑い、一息に。


「来てくださったの、ね」


 ※※※


 この中央大陸は、多民族で構成されている。

 南には獣の相を持つ獣人族。

 そして東は長命種を中心とした人族。

 そして北や西、様々なところに小さな社会を作る亜人の者だ。

 沢山の宗教や文化、人種ごとの言語や慣習。

 多彩で素晴らしい世界だね。

 そう沢山の異なる考えや種族がいるということは、多様であるということだ。

 これは素晴らしい事なんだ。

 違っているから素晴らしい。

 理想はね。

 まぁ、もちろん、違うということは争いの元で、恐怖や嫌悪の元でもある。

 そして、こうした民族や文化を調べると、面白い事がわかる。

 我々は何処からやってきたのか?

 何処から生まれたのか?

 そしてどうやってこの世界に根付いたのか?

 とかね。

 何の話かって?

 早く結論を言えって?

 死んじゃいそう?

 大丈夫、そんな簡単に許さないよ。

 さて、どこまで話したかな。

 多彩なオルタスの人間種において、彼らの神話、つまり創世記には共通項があるんだ。

 神様は何処から来たか?

 それに神様は、どんな姿だったか?

 あと、数柱がそれぞれの神話で似かよっている事かな。

 蛇の神様が多いとかね。

 つまり、それぞれの種族発生時期の伝承には、似かよった、そう同じと思える神の描写が必ずあるんだ。

 実はね神聖教は人間社会の歴史の中では、本当に新しい宗教なんだ。

 だから、神の姿を固定していないし、極端な神話もないんだ。

 健全といえば健全だよね。

 正しい創造主の言葉を守り、理を順守するわけだ。

 ところがだ、そんな新しい宗教であっても、神様の姿をあえて描写しなかったとしても、神と同じモノとして考えられているものがある。

 浄化する炎ではないよ。

 それは拝火教からの引き継がれたものだ。

 偶像を崇拝しないかわりに、神聖教徒が祈るのは光りだ。

 陽光だね。

 さて、その陽光ない時は、神の言葉が書かれた聖布を拝んだりもする。

 この聖布を信者の年寄りが時々、白神様と呼んでいるのを知っているかな。

 これは白い布を使用しているから、だけじゃないんだ。

 このオルタスの古くから、神を表す言葉は、白いモノなのさ。

 白い鳥、白い光り、白い馬、白い魚、白い..

 神様は、白いお姿をしている。

 というのが、どの種族でも神話のなかで共通の認識なのさ。

 つまり炎を神聖視する事は一部の宗教だけだが、白いモノを崇め祀るのは共通なんだ。

 じゃあ、今、君たちを飲み込もうとしている黒い神様は何だと思う?


 ***


 それを表す言葉がなかった。

 空が落ちてきた。

 世界が降ってきた?

 馬鹿らしい考えが空転する。

 半透明の黒いモノだ。

 それが大津波のように外郭を呑んで広がろうとしていた。

 粘菌の移動のように見えもした。

 その黒い壁の中には、呑み込まれたモノが溶けながら蠢いている。

 酸ではない。

 壁や建物は押し壊されており、溶けてはいない。

 変異体も異形の生き物も、その黒いモノに呑まれて蠢いていた。

 大きさゆえに、移動がゆっくりにも見えたが、建物が崩れる様は爆破されて飛び散るような有り様だ。

 無駄としりつつ体を変えると、教会を囲むように並ぶ。

 よくよく見ると、一塊のモノではなく、幾つもの黒い塊が寄り集まったモノだった。

 密集する触手だろうか。

 何かの生き物なのか。

 それともこれが海神の手なのだろうか。

 手だと考えれば、その動きが呑み込むだけでは無いと思えた。

 追われた変異体が食らい付いてくるのを、弾き飛ばす。

 ともかく、飛んでくる瓦礫や岩壁を教会からそらす為に、体を変えていく。

 逃げ出そうとする蟲や異形を殺し、降りかかる城塞の瓦礫を身でそらす。

 崩れ行く方向を何とか地下部分からそらして、逆に壁にしようと皆で積み上げる。

 一人、二人と、変異体と瓦礫に押し潰されいく。

 それに黒い手も徐々に迫っていた。

 あれに呑まれれば教会は崩れ落ちるだろう。

 変異体が途切れ始めると、崩壊が激しくなった。

 そこからは、思考がどんどん狭くなった。

 何も感じないようになっていく。

 そういう風に作られている。

 死ぬことが怖くなくなるように、もとから加工を受けている。

 巨大な黒い壁が飲み込んでいく。

 押し返せるような大きさではない。

 あぁ、これは不味いと、微かな思考の流れで思う。

 隣にいた誰かが自分を掴んだ。

 そして自分は、他の誰かをとっさに掴んだ。

 沢山の死骸が浮かぶ黒い神の姿が、崩れかかった建物ごと彼らを飲んだ。

 息ができず、身動きもとれず。

 目の前には腐肉を晒す異形達。

 窒息死のあと溶かされるのか、そのまま地獄にいくのか。

 黒い神の中にも流れがあるのか、つかんでいた体が引き剥がされそうになる。それを力付くで教会の瓦礫にとりつかせる。基礎の部分は呑まれた後も姿を保っていた。

 だが、壁はほぼ無くなっている。このままでは地下に空気が届かない。

 と、ここで急激に異変がおこる。

 体が崩れ始めたのだ。

 痛みもなく、その輪郭が滲み始めた。

 それは捕食による溶解ではない。

 だが、自分の何もかもが壊れていくのを感じた。

 それは壁にとりついていた仲間も同じようで、思う間もなく力が抜けて流されていく。

 それでも彼は流されようとする者の足を掴んだ。

 他の者も呼吸の苦しさもあるのか、力が抜けていくのがわかった。

 そして彼自身も、何をしていたのか、急激に思い出せなくなっていく。

 己が誰なのかも忘れていく。

 何もかもだ。

 何の為に、苦しみの中にいるのかもわからない。

 なぜ、力を抜いてはいけないと必死になっている。

 なぜだ?

 どんどん、自分が壊れていく。

 記憶がどんどん消えていく。

 苦しい。

 息が苦しい。

 力が抜けていく。

 ぼんやりとしながら、それでも握る手に力を込めた。

 ひんやりとした何かが指にからむ。


(ねぇ良い子にしてるから、名前を呼んで)


 見開いたままの目に、それは言った。

 幼い子供の声だ。


(名を呼んで、ねぇ、そうしたら)


 男の口は動かない。

 けれど、魂の残りが呟いた。


 古き神よ

 忌まわしき女よ

 悪夢に苦しむ者よ

 どうか、幼き命をお守りください

 どうか、子供だけでもお助けを

 さすれば、その悪夢を私が引き受けましょう

 私の眠りをささげましょう


(名を呼ぶのじゃ)


 不意に女の声が笑った。

 怨念と情念の塊のような女の声だ。

 男は最後の命を絞って答えた

 教えられていた、忌まわしい名を呼ぶ。


(ナーヴェラト、否貪欲なる女、我が子を喰らった鬼よ。我が願いを聞き届けたまえ)


 男の片腕が千切れ飛ぶ。

 そして右目が抉られた。

 獣の姿になってはいたが、それでも決定的な損傷だ。

 しかし、その傷を負わせた者は、楽しそうに男の姿に巻き付いた。

 巻き付き、男に寄りそうと、楽しそうに笑った。

 笑う女は、蛇の体をくねらせて血まみれの顔を舐める。


(さぁ宴じゃ、腹いっぱい喰らうがよい)


挿絵(By みてみん)


 黒い神の中に、幾万の蛇がわいた。


 ***


 不愉快な事は忘れてしまった。


 彼は逃げる事にした。

 このままだと呑まれて元に戻ってしまう。

 元に戻っても、本当は死なないけれど。

 彼は人間のつもりだから、元に戻りたくない。

 人間から何になるのか、その矛盾は棚上げだ。

 都合の悪いことも、覚えていたい大切な事も、忘れてしまった後には、何の意味もない。

 辻褄など合わせる必要もない。

 彼は自分をバットルーガンだと思っていたし、なんら不都合を感じていない。

 ただ、元に戻ると増えなくなってしまう。

 では、逃げないと。

 幸い、バットルーガンは人族ではないので、誓約が緩い。

 忘れたことを覚えてもいられる。

 モルガーナやあれの娘には拒まれたが、城には他にも株になる者がいる。すべて飲み込まれる前に合流して逃げよう。

 他は撒き餌にでもなればいい。

 水の質が多いから、どうせ湖沼地帯が限界だ。自分なら内地にも移動できる。

 もとから、自分が増える事と、あれらが増える事は同じではない。

 あくまでも、自分が生きて増えるためだ。

 繁殖する頭数は少ない。

 まだ、力が定着していないので取り込めたのは数人だ。

 だが、城塞の内部は既に支配していた。

 支配といっても、完全に管理できてはいないので、逃げるのはその精神を繋げた数人だけになる。

 同じ寄生の株で繋がっているので、簡単に行動を同調できた。

 城塞の内部は海辺から逃げてきた変異生物が入り込み始めている。

 彼らは中途半端に移動できないので、この付近で巣を作らなければならない。

 制限がかかっているのは、やはり、二つに分離したからだ。

 これは自分達の責任ではない。

 そういった条件付けを受け入れたから、ここで増える事ができている。

 が、そんなことは忘れて良いことだ。

 バットルーガンは、彼女の部屋を訪ねた。

 あれが出ては、海辺で巣を作る意味はない。もう逃げよう。

 返事がない。

 繁殖をするために、別の寄生生物の株を用意しようと考えていたので、まだ、彼女は同じではないのだ。

 この騒ぎに、臆病な彼女は隠れてしまったようだ。

 ただし、増えるために匂いはつけているので、どこに逃げてもわかる。

 手間が省けて大変よろしいと彼は思った。


 すまない、許してくれ。


 不意に心の片隅で、朝陽は見れぬのだと絶望が溜まる。

 美しい澄みきった大気を、子供の頃の晴れやかな心持ちは失われたと。しかしそれも、すぐに忘れた。

 いつ失われたのかと言う嘆きは、水泡のように消えた。

 見渡す限りの破壊と醜悪な景色に、次第に全てどうでもよくなる。

 そう、元から何も変わっていない。

 嫌なことは耳を塞ぐ。

 あの父親にそっくりだと言われる度に、耳を塞いだ。

 立派すぎて最後は、叔父に処刑されたあの男に。

 元々、そうした色眼鏡でみられて育った。

 何も自分は悪くない。

 何か不味いことが起きれば、全ての原因を押し付けられる。

 だが、もうそれも忘れる。

 自分は正しいことを選んだのだ。

 目的をきちんと定めれば、道は開けるのだ。

 一番大切なことは、生きることだ。

 誰を騙そうと、嘘をつこうと、盗もうと。他人から奪ってでも生き残る。それを非難するのは、間違いだ。

 本当に恵まれた奴の言い分で、生きぬくのは、そんなに正しいことでは無いのだ。


 正しいことでは無いと認めているよ、これは罰だ。神よ。


 頭の隅で、再び泣き声が聞こえた。

 女々しい声など聞く必要はない。

 海辺から追い出された蟲が、素早く内部で新しい巣を構築していく。今まで貯めていた卵を守るためだ。寄生虫ではないし、水妖の株でもない。肉を使った苗床だ。蜘蛛の本体が討伐されてしまったので新たな繭を作ることができなかった。

 奥方は禁域へと向かってしまっている。

 増やすには、これを守り羽化させなければならない。

 だが、バットはそれも、どうでもいい気がした。

 支配されているのに、何故か悲しみはうっすらと感じられ、一欠片の残り香しかないはずなのに、どこか違いが出ていた。

 彼は異形の波を避けながら、呆れたように肩をすくめた。

 まだ、少し人間が残っていたらしい。吠え声が城塞の地下階から聞こえた。

 ちょうどいい匂いは下に向かっている。

 彼女も迎えにいこう。

 彼は鼻唄を歌いながら、死体を踏みつけた。


 もう、これで終わりなんだなぁ。


 蟲は糸を吐き、茎を伸ばして中を覆う。

 濁った空気に、金属の臭い。

 蜂の巣の中にいるかのように煩い。

 それでも彼の回りは静かだ。

 基本とコツさえつかめれば、歩きながらでも吸収できる。

 元は筋ばった男でも、肉は肉だ。

 後ろに口があると、とても便利だ。

 ただし、海から来た奴等は、もう臭くて食べれない。昔は一緒にいたのに。

 もう、血も肉も冷たくなってしまっている。


 下に向かう通路に入って暫くすると、半死半生の兵士が襲いかかってくるようになった。

 いまだに寄生を拒んでいるようだ。

 こんなに自由になれるのに。

 もったいないと思いながらも、茎を伸ばして血を吸い上げる。

 獣化していると中々突き刺さらないが、それでも数が数だ。

 あっという間に蟻がたかるようにして蟲の柱ができる。

 時々爆死する者もいて面倒だ。

 だが、どうも匂いがする方向に彼らは残っていたようで。

 辿り着いた場所に、彼女と数人の兵士が固まっていた。


「どうしてだ?」


 問いかけられて、バットは首をかしげた。

 何に対しての問いかけかわからなかった。


「いつからだ?」


 それもわからない質問だ。

 いつからとは、そもそもの始まりの事だろうか?

 家門の為に彼女に従った。

 裏切り者の父親の尻拭いの人生だった。

 だが、それは昔の話だ。


「なぁ、何か答えてくれ。本当は..私を殺したかったのか?」


 そんな事は無い。

 彼女は新しい特別な株を植え付けるつもりだ。

 そうすれば死なない。

 ずっと一緒にいられる。

 幼馴染みじゃないか。


「無駄ですよ、ありゃぁもう人間じゃねぇ。見てごらんなさい、人の形が残ってるのは前だけだ。あぁひでぇ後ろは何だよ、蛆か」


 ずっと一緒だ。

 偽り、奪い、殺してきたじゃないか。

 今度も君の不始末を、すべて隠してきたよ。

 それにこれで君は生まれ変われる。


「すまねぇが、俺たちはあんな風になるくらいなら、自爆する。それが嫌なら勝手に何処かへいってくれ」


 彼女は何故か泣いていた。

 どうして泣くんだろう?


「幸い、奥の武器庫に仕込みがあるみたいなんでな。ほら、どうする、邪魔してもどうせ、アレになるだけだ。俺もこいつらも、故郷の家族に恩給がでるようにしたいんだ。化け物になって討伐なんぞされたら、末代までの恥の上に、家族が生きていけなくなる」


 泣き崩れる彼女を慰めるにはどうしたらいいのだろうか。


「じゃぁな」


 油薬が撒かれ火柱が行く手を阻む。

 炎の向こう側で彼女が立ち尽くしている。

 燃え尽きるまで、少し待つことにした。


「ルゥ」


 炎を挟んで見つめあう。


「もう、喋れないのか?」


 彼女は涙を拭うと言った。


「怖いから一緒にいてくれるか」


 炎の向こうから差し出される手を見て、彼はうっすらと笑った。

挿絵(By みてみん)


 ***


 中央大陸オルタス東部マレイラ地域ミルドレット城塞とアッシュガルト港周辺を含む人口は、約一万人前後である。

 当時、駐留していたのは中央軍南領第八の師団内二旅団編成で約四千人。

 合計一万四千前後の人々が、災害時に居合わせた事になる。

 ただし、公式の人口や死亡者数は不明。

 それだけの人間が存在していたはずであるが、死亡確定に至る記録と統計をとることは不可能と判断。

 ひとつには、海岸部分の災害による地形変化が著しく、砂浜や接岸できる場所が失われている事にある。

 アッシュガルト港は喪失。

 海岸線はミルドレット城塞まで侵食、丘陵の岩盤層に到達しており、今では崖を塩水が洗っている。

 この大規模な地殻変動による死者は駐留兵士にも及ぶ。

 城塞は海水による動力炉が破損し一部爆発により、北西部が崩壊。それと同時に城塞内部の居住地域は災害の地殻変動の影響を受け残骸と化した。

 この一晩で、兵士、城塞住民のほぼ全てが死亡。

 アッシュガルトの住民は死体も発見できず行方不明。

 近隣から駆けつけた中央軍兵士、領主兵士等が巻き添えになり死亡する。

 この災害の影響度、今後の動きなどは現在調査中である。

 ただひとつ幸いであることは、この災害により変異体と呼ばれる異常な存在は、ほぼ、シェルバン領内に残る物のみになった。

 人間も失われたが、化け物もいなくなった。

 人が失われたことにより、この付近に繁殖しつつあった未発見の寄生生物も同じく駆除されたようである。


「何やってんの?」

「こいつらのご飯作ってる」

「俺たちと同じじゃないの?」

「先生が言ってたでしょ、あの汁の野菜は毒になるって」

「モルガーナの姉さんは平気じゃん」

「姉さん猫じゃねぇし」

「えぇ、俺、でかい猫だと思ってた」

「あんなデカイ耳した猫がいるかよ、犬だろ」

「犬なのか?尻尾太いし」

「お前ら、魚焼けたから、こっちこいやぁ」

「船乗りのおじさん、姉さんは猫だよなぁ」

「何の話だ。おぉ、こいつら納骨堂に詰まってたんだってなぁ」

「ちゃっかりしてるよね」

「まぁ俺なんぞ、ずっと寝てたしなぁ、ガハハハハ。こいつらも内地にいくのかぁ?」

「勝手についてくるんじゃない?猫だけ置いてったら、何かまた変なのに食われそうだもん」

「医者に見せてからだなぁ」

「みてくれるかなぁ」

「アンタ達、ご飯だっていってるの、早く来なさい。ウォルトさんも、呼びに来て何してんの。それから猫のご飯作りは適当でいいわよ。舌が肥えちゃって、普通の残り物いやがるんだから」

「なぁビミンの姉ちゃん、モルガーナの姉ちゃんって猫じゃねぇの?」

「拳骨もらいたいの?礼儀作法は気を付けなさいよ。口は災いのもとになるのよ。女に種族と年齢と獣相の詮索をしたら半殺しになる覚悟しなさい」

「嘘でしょ?」

「おじさんに聞いてみなさい」

「ぉおぅ、そりゃ本当だ。長年連れ添ったオッカァもな、年齢なんぞ今でも人前でいったら、前歯折られるわ」

「嘘でしょぉ」

「どの人種でもおなじだからなぁコルダーの坊主。どんな枯れ木みたいなバァさんでも、同じだからな。モテる男は、絶対にその三つは口にしねぇ」


 下らない話をしながら、ビミンは海を見た。

 潰れた右足は感覚がなかったが、杖をつけば歩けた。

 今のところ腐っていない。

 あの晩から十日たっていた。

 生き残った子供が41人、大人も同数生き残った。

 きっちりと同数だ。

 外にいた大人は、差し引きがあったようだ。

 最終的に生き残った者の数で、やはり何らかの条件で生き残ったようだ。

 合流しては死に流され、そして生き残り集まり。

 選択し続けた末の数だ。

 死ぬことも生きる事も辛い選択が続く。

 ただ、孤独が一番いけないと思っている。

 今の気持ちはそれだ。

 暗闇、夜、影、恐ろしい事がこれからもあるだろう。

 だから、誰かと手を繋いでいこうとするべきなのだ。

 身にしみた。

 一人ではとても耐えられない。

「食べたら又、瓦礫を掘るわよ。役に立ちそうな物は早めに確保するの、中央の本隊が来たら漁れないんだから」

「まぁ俺は見なかった事にするぜぇ、掘り返した酒、飲んじまったしなぁ」

「ほどほどにしてくださいよ、傷にさわりますから」

「まぁなぁ」

「ブロウさんを乗せる台車に、柔らかい物を敷きたいの。貴方達も手伝ってね」

「うん、わかった。姉ちゃん」

「何?」

「おじさん、大丈夫かなぁ」


 あの晩、外で何が起こったのか、下にいた者は誰も知らない。

 夜が明けて、瓦礫をはね除け這い出した彼らが見たのは、無数の石だ。

 更地のようになった町と黒煙をあげ崩れはてた城。そして目の前に広がるのは海だ。

 外郭の壁は無く朝日が昇るのが見えた。

 美しい薄明の空を背景に見えるのは、石だ。

 無数の石が転がる。

 そしてその多くは精緻な人と異形の像だ。

 その間に死体なのか生きてるのか転がる姿が見える。

 異変は見当たらない。

 あれほどの音を出していた何かも見えない。

 とても静かで、聞こえるのは波の音ばかりだ。

 何とか這い出して、潰れ怪我をした者を確かめ、子供を上に運び出す。

 そして身動きとれる者から、転がる人達を確かめてまわる。

 半死半生の獣人で殆どが擬態を解いて、昏倒していた。

 そうして集めた中にはハーディンも含まれていた。

 右目と左肘から先が失われ、意識が戻らない。

 出血は止まったが、損傷が酷いのか意識が無いままだ。

 本隊が到着すれば医療も受けられよう。

「何があったんだろうね」

 瓦礫の建物には、無数の何かが這い回った跡が波打つように残っていた。

 そして異形は怯えたような姿で彫像となっている。

「さて、寄生生物が完全にいなくなったかどうか、わからないんだから。皆、まとまってご飯に行くよ。ほら、猫はいいから、きなさい」

「はーい」


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