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冬の狼  作者: CANDY
薄明の章
325/355

ACT290 目を閉じて、そして手を ⑦

 声を聞いた時、彼女はやっと解った。

 全てが過去である事を。

 それは悲しくて寂しい事だった。

 だが、父親の声を忘れてしまった事に安心した。

 言葉も思いも残っていたが、声も顔も忘れてしまっていた。

 薄情?結構なことだ。

 生々しい痛みは無く、何を持ち出されようと、自分を傷つける事は無いとわかった。

 アレが本物だとしても、自分の父親ではない。

 本当は区別などついていなかった。

 けれど、もし、本物だったとしても、ビミンの父親は死んだのだ。

 見えないものを想像するから怖いのだ。

 現実になれば、それは陳腐で恐れる事はないのだ。

 私は生きている。

 私は自分を生きている。

 モルガーナに地下へと押しやられてから、ビミンは入り口で立ち尽くしていた。

「ビミン、こっちへ来なさい」

「ねぇちゃん、大丈夫か?」

 かかる声に頷く。

 だが、背をむけて地下墓地の入り口から動かなかった。

 エンリケの手斧は腰にあった。

「入り口にいる。誰も入らせないわ」

 モルガーナが興奮して出ていくのを見送ると、隠し扉を背にして座った。

 建物が揺れて地鳴りは続いている。

 中の子供達は毛布をまとい、段になっている壁に座っている。

 地下墓地と言っていたが、骨や遺品などはまったくない。

 すでに鍛冶士達が片付けて、外の納骨堂に移した後だ。掃除もされて磨きまでかかっている。誰が持ち込んだのか良い匂いの薬草まで下に敷かれていた。

 食料や水の入った樽、工具に鍛冶士の道具や、様々に持ちこまれていた。もちろん薬品や物騒なあれこれもだ。

 逃げようと提案してから一日でこうなった。

 いかに一人で悩むのが無駄であることか。

 恥をしのんで回りを頼るべきだし、本当は恥ではない。

 さて、武力では手助けできない自分に何ができようか。

 神が死を望んだとしても、最後まで生きる事をあきらめたくない。

 自分は生きたいし、明日を望みたいのだ。

 欲をかきたいのだ。

 まずはどうするか。

 あの恐ろしい声からもたらされた言葉だ。


 明日の朝まで

 私はツケの支払い

 巫女様は大丈夫

 奥で寝ている人は命拾い

 ブロウさんは自分で支払う


 ここまでで読み取れるのは、命の支払いに関してだ。

 私は予備の支払いで、今のところは取り立てを見合わせる。足りなければだろうか。

 巫女様と商会の人は今回の支払いに入らない。

 ブロウさんは、自分から支払おうとしてる。


 他は許されない。

 けれどブロウさんは神様に願った。

 神かどうかはわからないけれど、ソレは許したくない


 子供が一人に、大人が一人。


 元から教会にいた子と合わせて下から連れてきた子で十五人。

 ブロウさんが連れてきた人が六人。

 余裕がある

 町の子供が十六人いて、連れも十六。

 でも正確には子供同士で来た子が多かった。

 三十二人の内、大人は六人しかいなかった。

 子供の目から見ても、明らかに大人がおかしくなっていたようだ。

 残るといって戻っていった子らは、どうしたろうか。


 ではこれは何を意味するか。


 地下墓地は広かった。

 うすら寒く体には良くないが、今晩一晩なら何とか身を寄せあえば耐えられるだろう。


 身代わりになる数だとハーディンには言ったが、それが間違いである可能性をビミンは考えていた。

 つまり本当に生存への切手という意味だったら?


 自分達を含めての余剰は?

 鍛冶士五人、商会の人が一人、巫女様一人、ブロウとモルガーナで二人、そして自分で十人。

 残り三十一人だ。


 そしてこの数を考えるとビミンは唸った。

 あの声を聞いたのが、子供だけだったのだろうか?

 という事だ。

 聞こえた条件が、子供以外にもあったとしたら?

 身代わりにもなりうる人であり、助かるべき人だろうか。

 寄生されておらず、身近に子供はいない。

 そんな大人がいたとして、どうするか?

 たぶん、何とかここにたどり着こうとするだろう。


 轟く地鳴りに建物が揺れる。正面の扉から皆、中に戻ってきた。

 忙しなく窓や扉を内側から補強し始めた。

 廊下側の扉の前でモルガーナが唸っている。

 それを見て、ビミンは地下に置かれていた食料籠を手に取った。

「モルガーナさん」

 憎々しげに扉の前に腰を据えていた彼女に食べ物を渡す。

 獣化したままでいると消耗が早いのだ。

 彼女は耳を伏せるとビミンの差し出した食料に手をつけた。

「ブロウさんだけ外?」

 内部の補強に走り回る他に、声をかけづらかった為にビミンは彼女に聞いた。

「シロナカノヤツラハ、タイシタコトナイ。ブロウドノナラヘイキ」

「何で一人で?」

「ナニカクルラシイ」

「一人はダメよ」

「ソウダナ」

「お城に、まだ、普通の人っていないのかしら」

 それにモルガーナは咀嚼しながら首を振った。

「ワカラナイ、オソワレタトキ、ドウジニ」

「ここまで来れるかしら?」

「ナゼ」

「見えるはずだから、ブロウさん一人で外に出てる。火も使ってる。お城から見えるはず」

「タシカニ」

 揺れがひときわ激しくなり、ざわめきが波のように響く。

 教会もミシリと嫌な音をたてた。

「下へ入れ」

 ビミンは鍛冶士の一人に片手で担がれると、荷物のように投げ込まれた。

「内側から押さえておけ、おぅおめぇら、旦那が外で踏ん張ってんだ。何がおきてもびびるんじゃぁねぇぜぇ」

「親方の顔の方が怖いぜ」

「本当だ、こえぇ」

「何だこんちくしょう、町のお人は内側だ。おう野郎共、内の扉を閉じるぜ。モルガーナすまんな」

「トキドキ、ソトニデル。コルベリウスデイリヲタノム」

「状況しだいだ、出して怒られたくねぇ。神様ってなんだよ、海から何が来んだよ」


 ***


 閉じられた隠し扉を前に、ビミンはちょっと思い付いたことがあった。

 中に降りて固まっている子供たちに、大丈夫、強いオジサンとお姉さんいたでしょ。等と言いながら奥に向かった。

 子供たちも強い獣のお姉さんを思い出したのか、落ち着いたようだ。

 巨体の安心感は段違いであろう、それに彼女が外の扉にいる限り、それを押し退けてはいってくるようなら、悩んでも無駄だ。

「巫女様商会の人は、まだ、目が覚めません?」

「どうしたの?」

 運び込まれた男は獣の姿のまま、意識を戻さない。

「ちょっと聞きたい事があって」

「どんな事?」

「気になったんです、寄生されても擬態は解けるんでしょうか?そもそも擬態を解いた状態で寄生できるんでしょうか?」

 ビミンの言葉に、クリスタベルは思いもしなかったという顔をした。

「私のような人族の相が表に出て、殆ど獣化できない者だとわからないのですが。寄生された獣人で擬態を解いて獣化している人は、まだ見ていません。さっき城塞の人が来てました。でも、獣化はしてません。優位にたてる獣化をどうしてしないのかと」

「なるほど、この人は寄生をされたけれど途中で排除できた。傷を治す為に獣化はできている。寄生している時はできないのか、しないように寄生虫がしているのか、それとも気がついていないだけで、寄生虫がその手段をとるのか?という事ね」

「それがわかれば、寄生されているかどうか、それに獣化していれば入り込まれないのなら、獣変化できる人は安全です」

 ビミンとクリスタベルは、人族の相が強く体の変化はできない。だが、相手を選別するのにやくにたつ。という事だ。

「確かに、それが分かるだけで大きな違いだわ」

「ただ、起きそうもないですよね」

「そうね、普通は死んでいる傷ですもの」

 ワサワサと伸びた毛並みでさえ胸と背中の抉られた傷は生々しい有り様だ。もちろん、度重なる薬の注入による傷害もある。

「それにそうでないと怖いです」

「何が?」

「この人が完全に寄生から逃れていなければ、私たちは子供も含めて、ここで死んでしまいます」

 その可能性に、巫女頭は眉を寄せた。

 それは確かにそうである。

 いくら外を守られても、ここでこの男が苗床になってしまえば終わりだ。

 ただ、その可能性は無い。と、彼女は断言できた。

「それは大丈夫でしょう」

「そうですね、ブロウさんが大丈夫だって言ってましたもの」

 ただ、ビミンの言う大丈夫と巫女頭の根拠は違っていた。

 ビミンは恐ろしい声の主を恐れ、ハーディンをエンリケを通して信じただけだ。

 だが、巫女頭であるクリスタベルは、違う根拠で信じた。

 男が呼び出した存在。

 それも禍々しい気配と巨大な、そう山のような神威を纏ったモノ。

 この世界を覆う不穏な魔の気配の中でも、特に鋭く冷たい気配であった。

 ふと、トゥーラアモンの大蛇はこのような気配だったのだろうと。

 それでも人間を蝕み、世界を壊す、そんな事を思わせる地鳴りと揺れをおこす神よりは良いと思う。

 まだ自分達の神と同じ匂いがしたからだ。

「ねぇちゃん、何か嫌な音がする」

 コルダーの言葉に、ビミンと巫女頭は入り口に顔を向けた。

 地鳴りや雷鳴のような轟きは続いていた。

「ほら、何かジリジリ、ブンブン」

 耳に手をあてた少年が、眉間にシワを寄せて耳をすます。

「他の音が凄くて、何かする?」

 それでもビミンは入り口の内側から閂を通した。

 そして厚い扉に身を寄せると、耳をつけた。


 ***


 こぼれ落ちてきたのは動物型ではなく、虫の形をしていた。

 押し出されて絶え間なく降ってくる。

 教会に押し寄せていたモノ達は、それを見て敷地から散って行った。

 それはバットルーガンの形をとる何かもだ。

 ハーディンは、バットがゆっくりと城に歩いていくのを黙って見送った。

 孤独な後ろ姿にみえた。

 憐れだと思いながらも、選んだ末の人生にも思えた。

 ただ、そんな他人を思いやる余裕は、もうない。

 虫といったが、そんな形を模倣した、たぶん、分裂した寄生体は、落ちてくると目的地を北に変えた。

 つまりバットと同じ城へだ。

 当然、教会はその流れの端に位置している。

 薄い茶色と血の色をした、その虫は蠢きながら移動する。

 見渡す限り、虫が溢れていた。

 それがギチギチと手足を動かし、羽や触覚を擦り合わせて、嫌な音をたてている。

 南領の虫の移動にも似ている。違いは異形の形に統一性が無いことだ。

 寄生し捕食した姿をしているか、引きちぎられて分裂している。おおよそが虫の形状をしていが、時々哺乳類の片鱗が残っていたりもした。

 押し出され溢れたモノは、内町の建物に潜り込む。そしてそこが一杯になると城へと向かう坂道に流れ込んでいく。

 教会の敷地にも流れは寄せてくるが、やはり足は鈍った。

挿絵(By みてみん)

 敢えて押し返さずに、流れが滞留しないように、建物に当たらないようにと大きな個体だけを潰した。

 時間は遅々として進まず、無心で得物を振り回している。

 それでも少しづつ変化はしており、ハーディン自身に寄生しようとして来るモノが徐々に増えてきた。

 口腔や耳穴、体の穴を狙って飛びかかってくるのは、奇怪な形の虫だ。

 子供の腕ぐらいの芋虫。やはり根は同じようで、変異体の寄生虫に似ていた。一部違っているのはその体表には眼球のようなモノが幾つも生えていた。

 口腔は磯巾着のように吸い付き、鋭い歯で肉を食い破り入り込む。

 首を積極的に狙ってくるが、全方向から音もなく忍より飛びかかるので始末が悪い。

 建物の隙間を塞ぎい、空気穴には網をかけろと背後に怒鳴る。

 鍛冶士達は建築の兵站部門とは別だが、手先の器用さは飛び抜けている。塹壕も堡塁も作れない訳ではない。

 そろそろ擬態を解くべきかと考えつつ、町の建物が崩れ行くの見る。

 地鳴りは続き、足元の揺れは小刻みになり始めていた。

 上に突き上げられるような揺れから、脳を揺さぶられるような横揺れに変化した。

 変化の意味は分からない。だが、気をとられては動きが鈍る。

「カワル、ダセ」

「旦那、モルガーナだ」

「まだ、大丈夫だ。開けると細かいのが入り込む。大物に変わってからだ」

「メンドクサイ」

「だから、俺を踏むな、馬鹿娘がっ」


 ぐぅぅうおおぅぎぃぃいいおぅ


「何だ、旦那」

「外だ、海の方向が明るい」

 空が一瞬光った。

 突然の明るさに、咄嗟に得物を振ってから背後に飛び退く。

 教会の壁に背をつけて、化け物の流れから危険を承知で目をそらす。

 光は徐々に収まりつつあった。

 だが、それは暗い雲を断ち割り、空を見せた。

 何か、物理的な閃光が大気を割ったのだ。

 どっちだ?

 海神か異形か?

 目を凝らすと、雲間に何かが飛んでいた。

 海神の目を侍らせて、何かがゆっくりと飛んでいる。

 ゆっくりと雲間を縫い、それは北の方角へと飛び去った。

 それが何に見えたかは、ハーディンは一瞬で思考を遮断した。

 北にいなくなった。それで終わりだ。

 考えてはならない、今は。


(海神の行動って、人間に理解しやすいよね。

 その生態や存在の特殊性は抜きにしてね)


 思考を放棄した兄の代わりに、弟は教会の入り口の石段に腰かけると頬杖をつき、おしゃべりを始めた。

 徐々に体を変化させつつ対応する兄を眺めながら、彼はニコニコとしていた。


(ここは自分の縄張りだ。食べ物と労働力、そして信仰を取り戻すって感じ?

 さっき飛んでったのは、下で眷族を殺して広がっていた奴等が捕まえていたヤツ。

 下を叩き壊したら、地下から飛び出してきたみたいだね。

 復讐の為に、北に向かったようだ。

 今ので、下に広がっていた地下茎が全部溶けたんじゃないかなぁ。怖いよね)


 敢えて言葉に出さず、ハーディンは大きさを増す寄生体を屠る。

 遠くで吠え声が聞こえた気がしたからだ。

 耳を澄ますと、南西側の門の方向から誰かの声がしている。

 吠え声は獣化した時の攻撃の時のものだ。

 半獣化しつつハーディンは警戒を強めた。


(どこから捕まえたかって聞かないの?

 まぁ聞かないよね。

 あれさ、シェルバンの鉱山から掘り起こしたんだよ。

 眠りについていた姿を見つけて、金銀財宝だと言って殺したのさ。

 神が与えた眠りだったからね、まさか罰当たりにも墓守りが掘り起こして盗掘するとは思わなかったんだね。ちっぽけな人間に殺されてしまった。

 神を殺したら、神話ではどうなるか知ってる?

 もちろん、天罰さ。

 それまでも、数えきれないほどの過ちをおかした。

 水妖は許しても、それは巻き添えになる命を憐れんだからさ。

 けれどね、海神は許すと思う?

 許せる部分がないんだよね。

 何でかっていうと)


 蟲の波の向こうに、毛皮が見えた。

 下に向かわせた配下の二人に、下で使っていた者達が三人だ。

 獣化して蟲の波に抗っていた。


(何で海神が船を沈ませたと思う?

 約束では、往来を許していたんだ。

 理由は、先に言ったシェルバンが山の守護者を掘り起こしたから。

 神様から役割を与えられた古い知恵ある生き物を、虫けらが切り刻んだんだ。

 それを蜘蛛が繭に入れて持ちだした。

 本当は、世界中に不幸を出荷したかった。

 救いはね、あれは水の質でね。

 陸路が使えなかった。

 繭も長時間は無理でね。呪いが全てを腐らせる。

 だからこの世界に、その肉が散らばる前に、海神は出入りする船を叩き潰して沈めた。

 こればかりは古い神は見逃せなかった。

 呪い込みでやったから、だから、シェルバンが終わるのは、異形の生き物のせいだけじゃない。

 この世の古い神も怒ってる。

 もちろん異形の神も怒ってる。

 何が許せないかって、人間ってわけだ。

 でね、守護者は復活した。

 報復が成りつつあるって事だ。

 人は滅び、理に逆らうものも滅ぶ)


 配下の他に、兵士の姿が見えた。

 獣人兵で、所属は憲兵隊、それが六人。

 残りは入り乱れて確認できていない。

 おおよそ、二十人近くの集団だ。


(僕も、始めてみたよ。アレって火を吹くのかなぁ。でも炎にしては、光りが白かったよね)


挿絵(By みてみん)


 ほぼ、獣化している集団が、流れに逆らいこちらに向かってくる。

 ハーディンは何も言わず、敷地内に入ってくるまで待った。

 彼ら全てが寄生されていたら、一気に変圧を行い殺害する事を考えていた。

「閣下、自分を含め二十六人、彼らは内地、治安維持の隊員であります。異変確認の為に中間地点であるフィリギリトの駐屯地からの者です。健康異常は見受けられませんが、念の為一人づつそちらと合流させます」

 ハーディンの意図を理解しているようで、川の流れのような蟲の濁流の向こうで確認をとってきた。

「旦那、ビミンの嬢ちゃんが。獣化できるかどうか確かめてくれってよ。蟲に入られても獣化できるのかどうかわかれば、判別が簡単になる」


(人が増えるね。そしてとれる選択肢も増える。

 兄さんはどうするの?)


 蟲をかきわけ、到達した一人の間合いに入り、首を確認する。

 その間にも寄生虫がやってくるのだ、寄生体ならそれ以上寄生される事はない。とは言い切れないので、それでもさっと確認し、頭部をつかむ。

「補助を頼む」

 最初に来たのは配下の一人だ。

 ハーディンの背後に回ると蟲の駆除を始めた。

「外はどうなっている」

「言葉にするのが困難であります」

 真面目な男だったことを思い出す。次の者は獣の姿になっていた為、比較的簡単に首が確認できた。

「何を聞いても驚かん」

「黒い神です。空が見えないほどの大きな姿でした」

 次々と人が増えれば、楽になっていく。

 傷を負っている者は少数で、二人ほど寄生されていた。

 その二人は、ハーディンに近寄る前に、敷地で力を失い膝をついた。

「擬態を解け」

 呼び掛けに、その二人は反応できなかった。

「他の者も擬態を解け」

(肉体の活性と変化の主導権争いって感じかな)

 確証は無いが、おおよその判別方法としてもよさそうであった。

「先に変異体が下から、次に寄生された者が現れました。城塞の者の姿も見ました。

 街から出てきた者に襲いかかって、見た限り、判別がつかず」

「何のだ」

「我々は敵性の変異体と寄生された住人と城塞の者、異形の生物の区別がつきません。どれも異形であり敵性体です。さらに、彼らがどのような関係かも理解できない。それぞれに戦い喰い殺しあっていました」

「合流したのは?」

「ついさっきです、駐屯地は水門の近くですので、異変を感じてこちらに少人数で来たそうです。それまでは城下の人間はどうなったのかと商会に行っておりました。中は略奪を受けていました。どうも変異体や寄生虫の騒ぎ以前に、ここを攻略しようとしていた者がいます。」

「続けろ」

「城塞の者が情報を操作。商会が襲われたのも手引きした者がいると愚考します」

「具体的な証拠は」

「偽装工作に使われた書類を発見しました。商会独自の符丁が抜けています。そして、この占領地の不手際の証拠書類のように装われていますが、当日の記録が別にとられており、それが中の者だと確認できました。」

 馬鹿な事だと、ハーディンはため息をついた。

 ここでも自滅を選んでいた。

 確認しなくても、また、カーザだ。

 まただ。

 政治的取引で隠蔽されただけで、秘密ではない。秘密だと、隠しおおせていたと思っていたのは本人だけだ。

「例の問題となった敗走の偽装工作と酷似しており、再びの、工作をしたと推察できます」

「押収したか」

「所持しております」

「今なら掃除夫が増えた。中に預けておけ」

 バレていないと思ってもう一度盗みに入った泥棒のようだ。

 大方は棍棒で待ち構えていた家主に撲殺だ。

 南領の常識である。

(怖い常識だよね)

「戻りますが、アッシュガルトの港は原型なく、黒い神から伸ばされた手により叩き潰されました。手は数えきれないほどあり、その層になった体から沢山の何かがわいていました」

「なぜ神と」

「体が変化していた住人のうち数人が、神と」

「どんな変化だった。昆虫のようだったか?」

「魚のようでした」

「眷族か、否、なんでもない」

「彼らは海に向かって駆け出して、神の体からわいたモノと合流しました。それが海から戻ってくると変異体や寄生されたモノを殺し始めました。

 それから叩き潰す動きを止め、地面へと手を付き入れたのです。まるで食肉植物がかじりついたように見えました。

 地面を抉り飲み込み、そして広がりだすと街を飲み込んでいきました。夜空が落ちて何も見えなくなったようでした。

 すると今まで何処に潜んでいたのかと思うほどの、寄生虫や変異体、異形の生き物が地面から出てきました。

 そして海から来た者と衝突が始まりました。明確に動きが割れました。そこでちょうど退避途中で彼らと合流し中へ」

「何処から入った」

「すでに門はありません。中から開けられた形跡があります」

 それにハーディンは首を傾けた。

 奇妙な不快感。

 バットルーガンに対する憐れみとは異なった、不快感を覚えた。

 配られた手札が不味い組み合わせの時の気分と言おうか。


(邪悪な魂は、異形の姿なんてしてないんだよ。兄さん)


 ドサリと蟲が落ちてきた。

 重い音で教会の近くに落ちてきたのは、変異体と半ば融合した昆虫の寄生体だった。

 変異体と寄生体。

 人族に入り込んで体を変化させる異形。

 それ以外にも入り込んで体内で増えて、行動の主導権を握る寄生虫。

 大差は無いが、やはり生態は少し違っているようだ。


(選択肢が又登場だ。

 兄さん、どうする?

 裏切り者に制裁を科す?

 それとも見逃す?)


 今なら、教会を守る手が増えた。


(さぁどうする?

 兄さんは、裏切り者に罰をあたえるのかな?)


 変異体が増え始めた。

 寄生された生き物は城へ北へとジリジリと動いている。

 ゴンゴンと不穏な殴打音と地鳴りに揺れは相変わらずだ。

 ふっと目に映る景色に、耳を震わせた。

 まだ、まだ始まっていない。

 そう選択肢などない。

 幾度もわざと聞くが、すでに答えはだしていた。

 わざと間違えるような言葉ばかりをかけられている。


 ハーディンは子供の傍から動かないし、誰にも罰など与えない。


「人数を半分に分けて、交代で動け。

 中の住民と巫女を保護し、この害虫を寄せ付けないようにしろ。

 傷や怪我をおったら、すぐに交代。

 半獣化し寄生虫の侵入に警戒、建物の中にも侵入させるな。

 手当ての後にまた敷地の範囲を確保し続ける

 変異体以外の異常生物が出現し始めたら、すぐさま報告。以上だ」

 機械的に変異体の頭部潰し、白い蟲が溢れたところで火を放つ。

 集まってくるよりも、移動の流れが大きく、死骸を押し出し焼く作業が人数を増やしたことで行えた。

 寄生虫に蝕まれた者よりも変異体に切り替わりつつあったので、人手が増えた事はありがたい。

 ただ、それは次に来るモノの前兆でもある。

 横揺れが再び縦の振動になっていた。

 規則正しい調子を刻み、行進の太鼓の音にも思える。


(よかった)


 ズシンと腹の底に響く音が城塞を震わせる。


(間違わなくて、良かった)


 不意に蟲の変異体の流れが止まる。

 逃げ遅れた異形が無様にも外郭から落ちていく。

 玩具のように吹き飛んで。


(手を離さないでね

 手を取り合って

 けっして離してはいけないよ。

 誰かを見捨てないことが

 自分を見捨てないことと同じ

 弱くても臆病でも

 きっと答えてくれる

 君の隣の誰か、名も知らぬ人でもいいよ

 男でも女でも

 子供でもお年寄りでもいい

 けっして手を離してはいけない

 どんなことがあってもね

 さぁ、来たよ

 神様だ

 黒い神様だ

 暗い冥府の水面から

 刈り取るべき命を貰いに

 兄さん

 できるだけ、耐えてね

 僕も、がんばるよ)


 分厚い外郭が粉々に吹き飛び、内街が消えた。

 ちょうど真南に位置する部分で、繁華街の方向が一瞬で瓦礫になった。

 そして吹き飛ばされた物がゆっくりとこちらに落ちてくるのが見えた。

 ゆっくりなはずは無いのだが、ハーディンにも回りの兵隊達にも、それは弧を描いてふわりと飛んでくる。

 もちろん綿毛がふってくるのではなく、爆風と外郭の巨大な石だ。

 それは教会の鐘楼を叩き潰して突き抜けた。

 音は後を追いかけ、耳に届く前にもう一度破壊が行われた。

 辛うじて位置がずれたのも神の慈悲であろうか。

「礼拝堂の中の者は即座に地下墓地に入れ、モルガーナ、お前もだ。

 内側でお前が潰れぬように支えになれ、今すぐだ。オォオオオオオウウォォォ」


 吠えながら一気に体を変える。

 悲鳴なのか雄叫びなのか、自分でもわからなかった。


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