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冬の狼  作者: CANDY
薄明の章
323/355

ACT288 目を閉じて、そして手を ⑤

不快な表現が多数あります。R15相当に表現を変更しているつもりですが、不快な場合はブラウザバックでお願いします。m(__)m

 動力炉の廃液とは違い、城内の生活用水から出る汚水は、それほどの臭いを発していない。むしろ動力炉の毒液の熱湯は目に染みるような刺激を伴っている。

 だが、念の為にハーディンは水に濡れないように通路を進んだ。

 濁りはないが、寄生虫が獣人にも何らかの作用をするかもしれない。寄生された元が同じかどうかはわからないが、進んであんなものに憑かれたくはない。

 水の流れに微かな空気の流れ。

 気配は何者もつかめない。

 簡単な仕組みの動力は、物が大きいだけである。城壁の下に広がっているが元からの岩盤と遺跡の間をくり貫いて作られている。

 縦穴から降りて左側に続く薄暗い通路は、天井が円を描いていた。

 その奥から微かな振動を感じる。

 浄化槽を撹拌する動力部分に、モルガーナも向かったはずだ。

 と、すぐに異変を見つけた。

 子犬ほどの節足動物だ。

 まだらの体表にはね飛ぶ足、長い触覚で非常に獰猛な口許。餌をすりつぶす口蓋が見てとれる。

 ハーディンの記憶にあるかぎり、南領でもここまでの大きさのモノは見たことがない。

 そして東部では、直翅目の巨大なものでも手のひらの大きさだ。

 そして重要なのが、この種類は草食ではなく雑食。死に餌を問わず共食いもするのだ。

 それが子犬の大きさともなれば、十分な害虫である。

 それだけでも異常だが、虫の腸から蚯蚓のようなモノが溢れていた。

 学識の低い自分でもわかる事に、彼は背筋を震わせた。

 寄生虫だ。

 奴等である。

 哺乳類以外にも寄生先を選び始めている。

 白い蛆型の寄生虫や腸詰め肉のような姿ばかりであったが、

 この虫はジメジメとした場所に繁殖する。たぶん、元からこの下水にいたのだろう。鼠の類いは病気を危惧して駆除剤を置くが、体長がせいぜい硬貨程度の虫である。農作物を育てたり台所に出入りしているわけでなし、そのままここで生きていた。

 蚯蚓のような赤茶色の管は、溢れて撒き散り乾いていた。

 乾いていても水を吸ったら動き出すかもしれない。

 小さな火種を点火するとハーディンは骸に投げた。

 燃え尽きるのを待ちながら、思考する。

 モルガーナはここで、デカイ害虫を見つけた。

 たぶん、解体用の得物で虫を一刺し。蟲が飛び出す。

 蹴り飛ばして、部下に言う。

 汚い害虫がいるかもしれない、掃除だ。

 連れは五人だ。

 二人づつ組ませて、二組を汚水槽に向かわせる。残り一人と、奥の動力を見るべく彼女は進む。

 そして戻らない。

 ハーディンは武器を抜き、片手で発火灯を擦りきってつけた。

 明度をあげた通路に、痕跡を探す。

 ゆっくりと進む。

 再び、虫の死骸。

 今度は少し大きめの百足だ。

 虫の体液とは違う血液が溢れている。そしてまた例の蚯蚓のような管だ。最初の虫よりも内容物が大きいのか、水路まで溢れていた。

 さっと灯りを頭上に翳す。

 天井に剣が刺さっていた。

 これも巨大化した蛾だ。南領の奥地にいる毒蛾にも匹敵する大物だ。

 だが、これも腸が蟲に覆われていて、虫よりも何か別の生き物に変わりつつあった。

 垂れ下がるのは蔦にも見える蟲の管だ。

 引き返すのが良いだろうが、モルガーナは城塞の地下にこのような物があってはならぬと思ったのだろう。

 平行する水路に灯りを翳す。

 水面は波たち、異変は伺えない。

 だが、戻れないほどの何かがあるのだ。

 動力部は鉄の柵が回っている。

 回転式の原動機は確かに回っていた。

 一度立ち止まり、灯りを振る。

 影を落としながら、鉄の固まりは震えていた。

 モルガーナならどうする?

 柵をあけて、中を点検する。

 そして?

 頭上の剣は部下の物だとして、彼女は自分の剣を片手に柵をあけて原動機の回りの細い点検通路を回り込むだろう。

 ハーディンは柵を開けずに、通路端まで寄り柵の影を見る。

 原動機を通るのは汚水ではなく、浄化槽を通りろ過した水だ。故に水路は動力の下を通っている。

 端によっても真裏は見えない。

 見えないが、原動機の回転する部分のおおよそは見えた。

 たいした水量ではない。

 だから、そこに引き潰された何かが絡まっているのが見えた。

 もちろん、モルガーナの残骸かと最初は思ったが、残っている引き潰された部分は、女ではない。

 人間と何かが原動機の歯車に絡み付いていたが、問題なく回転していた。

 では、モルガーナは何処にいる?

 何かの事故か襲撃で一人やられた。次に向かうのは残りの部下のところか?

 だが、よくよく鼻を確かめれば、匂った。

 極度の緊張と恐怖の匂いだ。

 人間の匂いだ。

「モルガーナ、ブロウだ」

 短い言葉で伝えた。

 だが、息づかいでさえ掴めない。

「モルガーナ、どこだ」

 完全に気配を消している。

 彼女が何の獣体であったか、肝心な時に思い出せない。

「何があった、モルガーナ」

 それでも答えはなかった。

 寄生されたか。

 どうしたものか。

 ハーディンは暫し考えた。

「バットルーガンの後頭窩(盆の窪の事)を見たか?」

 ハァッと深い息遣いが聞こえた。

 原動機の裏だ。

「お前は無事か?」

 それに答えはなかった。

「無事でなければ、お前を始末するしかない。もし、無事なら、巫女頭殿と合流する。モルガーナどっちだ?」

 ハァハァという激しい呼吸音。

 ゆっくりとモルガーナは姿を表した。

 銀の体毛は真っ赤だ。

 完全な獣体で、極度の興奮と緊張で巨体が震えていた。

 理性の色は微かだ。

「寄生されたか調べさせろ」

 それにモルガーナは唸りを返した。

「俺は綺麗だぞ」

 珍しくおどけたように首筋を晒す。

 モルガーナの狂気の宿った視線が、ハーディンの腹を見ていた。そこで彼は灯りを床に捨てると胸当てをずらし、衣服をめくった。

 傷跡がはしる体には蟲の痕跡は見当たらない。

「お前の首を見せろ。そして頭を差し出せ」

 モルガーナが牙を剥いた。

「抵抗しても始末するだけだ。わかっているだろう」

 武力ではなく体力と出力は彼が数段上だった。

 ハーディンは見た目よりも更に剛力であり、頑丈だ。

 獣体でもその差は埋まらない。

 唸り声をあげながらも、彼女は首を差し出した。実力差を考えれば抵抗は無駄だ。だが、彼女が恐れているのはそんな事ではない。

 大方、乗っ取られる事を危惧しているのだ。

 獣の太い首を掻き分けて、後頭部から探る。

 傷も幼虫の痕跡もない。それから片手で彼女の前頭部を掴む。


 いるか?


 それに指輪は舌を震わせて笑う。


「何があった?」


 首筋と肩を叩くと、彼女は唸るだけだ。

 たぶん、一気に擬態を解いて殺しあったのだろう。

 攻撃本能が加工の制御を上回ったのだ。

 恐怖もあったのだろう。

 人語を話す事は無理そうだ。


「他はどうした?」


 それに彼女は息を荒げ、辺りを見回す。

 ハーディンはあまり想像力が無い。無いなりに誰がどう考えるかを類推するようにしていた。

 たぶんモルガーナは、自分が閉じ込められたとわかっている。

 探しに来た者が人間かどうかを疑っている。

 バットルーガンが寄生されている事を疑っていない。

 奴が寄生されている事を知っている。


「お前一人か」


 モルガーナは水面を天井を、そして闇を見て唸り続けている。


「なぜ、お前だけ助かった?」


 当然の疑問に、彼女は前足を差し出した。

 非常に鋭い爪がのぞく。

 彼女の獣体は、肉食よりの獣体のように見えるが、本来は昆虫が主食の類だ。彼らに襲いかかったのが、最初に見た虫ならば、相手が本能的に避けたのかもしれない。

 だが、それだけではないだろう。

 そして彼女の性格を思えば、この程度の事で怯え恐怖で擬態を続けられなくなる事は無い。

 ハーディンにはここに来て、選ばねばならない選択肢が浮かぶ。

 まずは全てを肯定して行動するか否か。

 ハーディンはこの半日の間の事を、幻聴を含めて肯定するを選んだ。

 夢のお告げ、海神の存在、弟の言葉、魔の気配。

 本来なら、欠片も真実が見出だせない事を、すべて肯定した。

 理由は、死の気配だ。

 これだけは自分の感覚を信じられた。

 死をもたらす前の、何とも言えない不安の影。

 では、この己の感覚という不確かな物を信じるとする。

 その上で、果たさねばならぬ事がある。

 根元の探求か目前の災禍を消し止めるか。

 これには考えに入れる要素がある。

 子供の命と優先的に命じられた巫女頭の保護だ。

 巫女頭の保護が一番の命である。

 普通ならウォルトや商会員に任せればよい。そしてシェルバンにて活動をするのが最初の予定だった。

 だが、それも城塞が安定している事が前提だ。

 根元の探求はできない。

 ではここでの災禍を最小限に抑えて逃げられようか。

 だが、それには時間も人手も足りない。

 それにハーディンはもう選んでしまっていた。

 すでに神にすがり、子供と巫女の助命を嘆願している。

 残る結論は一つ。

 この城塞は捨てる。

 破壊する猶予がないのが残念だが、動力炉などの機関部を破壊すれば城塞ごと消し去ることもできる。が、それでは子供らと巫女も巻き添えになる。

 焼き払う事もできない

 予想にすぎないが、今夜を凌ぐ場所は城塞の中、教会に決まっているのだ。

 これも奇妙な確信で、神は一番残酷な事を仕向けてくる予感がしていた。

 と、モルガーナを前にグダグダと考えていたのは、彼女をここまで怯えさせ、この場所に縫い止めた理由を探していたからだ。

 ハーディンは、自分をあまり賢い人間だとは思っていない。

 腕力と剛力、体力のみの愚鈍な兵隊だと思っている。

 だが、彼の自己評価は間違いだ。

 彼は非常に回りの関係性を認識して動く、言わば過敏な性格だ。

 いかにもな厳つい男の姿をしているが、内実は非常に協調と調和を選び、そして言葉は悪いが神経質で細かい事に気が回る。

 如何にも男らしい男の外見に、繊細な性質が詰まっている。

 だから、想像力が足りないと自分では思っているが、相手の思考や現場をみてとる能力は高かった。

 共感能力が非常に高い。

 だからこそ、未だに過去に囚われているのだが。

 そしてハーディンは、モルガーナという女性の性格を知っていた。

 そして何に怯えるかと想像できた。

 何が最悪かを。


「大丈夫だ、ここの構造は熟知している。閉じ込められることも水攻めもさせん」


 その言葉に、彼女は口を閉じて牙を隠した。

「戦闘体制時の水没操作をされても、開閉可能な場所を知っている。蟲が溢れても逃げ出せるし、生きながら食われる事も、奴等の宿主にされる事も無い。

 どうしても駄目なときは、殺してやる。焼き殺してやる」


 本来なら身の毛もよだつ宣言であった。

 だが、モルガーナは逆立てていた毛から力を抜いた。


「水攻めと蟲が同時に来た。お前の部下は喰われ寄生され水の流れに翻弄された。

 だが、お前は女だから残された。違うか?」

 モルガーナは喉奥で唸る。

「今までの寄生体、変異体は男だった。だが、管を有するこれらは、対象を限定していない。腹が裂け寄生された女の報告もある。お前はここで宿主となるべく残された」

 女ゆえだ。

 屈辱と恐怖、いかに武力にたけていようと数に押し負けるなどざらだ。

 繁殖させる目的で女を残した。

 強ち間違いではなかろうとハーディンは思った。それは化け物が相手だからではない。争いの場ではよくある事だ。

 誘拐され繁殖の為に残される。

 モルガーナの一番耐えられないことはそれだ。彼女は繁殖能力のある若い女だ。

 つまり、蟲ども以外にも追い回された可能性が高い。

「奴等は夜行性か?」

 それにモルガーナは唸り返した。

 やっと知性が戻ってきたようだ。

「腹には入れなかっただろうな?」

 何人か殺したのかもしれないが、喰って腹に蟲が入っていない事を祈る。

 それにモルガーナはニヤッと笑った。


 ***


 モルガーナは水に近寄ろうとしなかった。

 獣体からは戻らず、血まみれの姿のまま、言葉も戻らない。

 血は返り血で大方は食い殺したか、噛み殺した時の相手のものだ。

 鍛冶士達の蟲のあるなしをまだ見ていないな。

 と、ハーディンは通路を戻りながら頭の隅で考える。

 浄化槽の大部屋は黄緑色に照らされており、一見すると何も不自然な事はなかった。

 水晶光は不健康は色を放っているが、滅菌の効果がある。

 黒々とした水が撹拌されていく様を見渡す。

 モルガーナは息を荒くし、緊張を隠せない。

 水から出てきたのだろう。

 一応、今はまだ朝だ。陽の光りの恩恵は無くとも、大挙してわきだす事は無い。

 とは言えないが、約束は日没からだ。

 心もとない約束でも、神はそうした約束ごとを厳しく守る。


「水没時は放水が城塞内の取水穴に切り替わり、排水路は閉鎖される。放水する汚水層側の穴もだ。だが、別段、下は構造上物理的な扉があるわけではない。

 水没し圧力と構造によってこの地下が埋まり、上へと向かう排水溝や通路が閉じられる。つまり上の蓋だけ閉じて下は水に埋まるだけだ」

 説明に、モルガーナは首を傾げた。

「汚水層への排水溝は下におりてから曲線を描いて捻りを加えている。排水溝が途中で捻りを加えることでそこに溜め水ができる。それを水の栓としているのだ。構造の傾きで水圧と流れを管理しているのだ。

 だから、ここは密閉されているとなっているが、移動は可能だ。

 もちろん、そんな事実は無い事になっているがな。

 加えていうなら、遺跡部分に外界との通路は無い事になっているが、それでも整備や点検する通路は作られている。安心したか?」

 浄化槽の縁を回り込み、汚水の流れ込む穴を見る。

 大量の水が飲み込まれていくだけで、その先がどうなっているのかこちら側からはうかがい知れない。

 ましてやこの穴を通るなど論外に見える。

「寄生された奴等が襲いかかってきたのか?」

 穴を前にしての問いに、モルガーナは歯を見せた。

 暗澹たる思いに、ハーディンも渋面になる。

「潜水は得意か?得意じゃなくても行くぞ、ここから出た方が時間が稼げる」

 全身で拒否を示す彼女に、ハーディンは肩を竦めた。

「ついてくるか来ないかは自由だ。まだ昼前だから、奴等も活動が低下しているだろう。それに今日は晴れてもいる。ただ」

 それに彼女は唸った。

「この水路は一旦垂直に落ちているが、捻りが逆向きで後ろに向かう。二山の上下に曲がってから半円を描いて上に向かう。その中間で一度空気が通っているが、息が続くなら溜まっている場所で息継ぎをしない方がいい。吸い込む前に流されて逆に溺れるかもしれない。あとは勝手に押し出される」

 問題はその先にある。とは言わなかった。

 嫌がっているのに、更に嫌な情報は与えたくない。

 そうしてハーディンから汚水の排水口に潜った。

 思う以上に早い水流と目前に次々と迫る穴の壁を蹴りつけながら、エンリケの話を思い出していた。

 つまり、ビミンの母親は変異体や異常生物とは別の寄生生物を宿していた。

 推論ではあるが、彼女の夫に使われた蓮の実に似た魔導師の種は本来は女の腹にあれば、繁殖せずに苗床の死と共に種に戻る。

 だが、男に使うと男の子種と共に女に移り繁殖を始める。

 この性質をもった悪食が今回の異常生物だとしたら、寄生された男たちは女を使って繁殖できるということになる。

 昆虫や哺乳類、鳥類と試し更に人間の女となれば、これは病どころの話ではない。

 寄生された者は肉体を精査しなければ、この寄生体は延々と宿主を乗り換えて行くことになる。

 そして、エンリケの一番の心配は、今のところ男女間だけの乗り換えであるが、もし、これが胎児に影響があった場合が問題と考えていた。

 恐らく寄生して宿主を支配下に置くまでは想定されているが、そこで通常の妊娠をし、その子供に寄生が行われ表面上は普通の胎児として出産された場合だ。

 他の病と同じく、この寄生生物が環境やその他に適合するべく変体を繰り返した場合、その親ではなく胎児に持ち越される可能性は否定できない。

 つまり、寄生体を宿したままの男児が成長した場合どうなるか。

 ろ過の加工を受けた第一世代の子供は、親の移植臓器を生まれつき持つ事ができる。それを新造再形成と呼び、同時に血液中の寄生虫も持ち越される事からの考えである。

 こうした寄生生物は宿主へと利益をもたらす場合がほとんどであるが、この異常生物、変異体とは又違った管様の寄生体は獣人を苗床にして数を増やそうとしているのか。

 数を増やすという意味において、寄生する生物としては、獣人は良いのかもしれない。

 何しろ、行動範囲が広く女は多産であり、男も多い。

 ぞっとする話しだ。

 ふっと水路から吐き出されて落下する前に、排水口の縁に金属の鍵縄を引っかける。そのまま壁に両足をつき、滝の入り口で待ち構える。と濡れた巨大な毛玉が吐き出された。

 それの腹回りに左半身でぶち当たる。

 何とも情けない鳴き声をあげてモルガーナがうち上がる。そして落下するところを何とか全身で支えた。

 巨体の腹を頭で押し上げながら、慎重に汚水曹の壁を少しずつ降りる。

 げぇげぇと吐き散らしているのは気が付かないふりだ。

 何とかずぶ濡れの毛玉を足場になりそうな石の縁に下ろす。

 恨みがましい目で見られるが、自由落下で寄生虫だらけの水に落ちるのだけは嫌だった。

 そして獣体の重さは持てるが、水に濡れた巨体を持ち上げるにはハーディンの体はでかくない。

 見渡す限りの汚水は、これも撹拌されている。ここで寄生虫と混ぜ合わせているのだ。

「こっちだ」

 何とか立ち上がったのを見届けると、ハーディンは奥の遺跡へと続く排水溝とは逆方向に歩き出した。

 滝となり落ちている浄化槽からの水の裏、左手に回り込んでいくと、ここにも撹拌する為の動力室があった。

「この原動機は年に三度点検が入る。上とは違って水で回していないんだ。寄生虫を混ぜてしまうと傷みが早いからな」

 水を吹き飛ばしながら、モルガーナもやっと辺りを見回す余裕が出てきた。

 やっと自分より上の人間から指示がもらえて安堵したのだろう。

 指揮者不在の不安は、大集団になればなるほど大きいものだ。

 そんな事を思いつつ、わざと言葉にしてモルガーナに語りかける。

「で、油の交換に通路がある。もし、ここが塞がれていたとしても、まぁ他にも二三出口は思い当たる。城塞の地下まで理解しているのは技術関係の奴だけだし、今のところ自分ぐらいだろう」

 それに寄生された者は知能が下がる。

 これはウォルトが麻痺したように、脳への直接の干渉のせいか、単に物理的な損傷によってかはわからない。

 まぁ城塞の構造やあらゆる拠点や都市の間取りを知り尽くしているのはハーディンの仕事であり、普通の兵士、いや上級の指揮官もあまり知らない事が多いだろう。

 古い形の扉の取っ手を回転させると、分厚い扉が開く。

 薄暗い通路からは微かに風の唸りが聞こえた。

「外の匂いがするだろう?」


 ***


 結局、その通路は城塞の一番外側の壁に続いており、軽業ばりに石の壁に張り付いて降りるという苦行になった。

 モルガーナは獣体から戻らなかったのもある。

 だが、昼過ぎにはやっと地面に足をつけ、教会へと猛獣を運びいれる事ができた。

 モルガーナは喋らないし獣体のままだが、逆に教会へと運び込む名目がたった。

 巫女への面会と精神的な治療という感じか。まぁ誰もハーディンに文句を言える立場の者と会わなかっただけであるが。

 それに彼女が教会に入ったことは隠してもしょうがない、ましてやコルネリウス達も先に入っている。

挿絵(By みてみん)

 昼食の時間帯だったので、そのまま教会の庭で食事になった。

 鍛冶士と子供らが食事の支度をし、庭に台を持ち出して配膳してしる。

 コルネリウスはモルガーナの姿を見て、安堵と懸念に側による。が、彼女は黙して唸りはしないが警戒体制を解かなかった。

「何があったんだ」

 それにハーディンは答えず、寄生虫のあるなしを判断するべく、コルネリウスの頭を握った。

 ひと悶着あったが、教会の人間は一応無事であった。

 次々と皆の額を掴んでいく男に、最初は戸惑っていたが、巫女が来て自分から額を差し出すのを見て黙った。

「恐ろしい方を連れていらしたのね。いつから?」

 巫女の問いに、ハーディンは何とも返せなかった。

 最初からだが、今までは本性を隠していた、隠せていたようだ。


(皆、食事が終わったら案内しよう。夜ご飯だけは、そこでとることになるね。さぁ楽しい時間が来るよ)


 巫女頭は首を傾げた。

 聞こえたようだ。


(場所を教えるから、準備だね。そうしてお話をしようか。たくさんのお話さ。これを持ち帰れるかどうかは、君たちの選択しだいさ)


 食事が終わり、残る子供らは荷物を纏め親戚や身寄りの先へと出ていった。

 代わりに、城塞内の子供が一人二人と集まってきた。

 親や兄弟姉妹、祖父母や知人、いずれも一人の手を引いて、教会にやってきた。

 何と言って連れてきたのか。

 だが、連れられてきた者は、緊張を隠せてはいなかった。

 どこかで日常が失われていると感じていたのかもしれない。

 子供が手を引くのは何れも、打ち沈み表情は強ばっている。

 そんな彼らを門で待つ、他は礼拝堂へと入れた。

 入れるようにと告げられたからだ。

 姿かたちは見えないが、弟の形をとる者は、少し笑いながらそこを指定した。

 城からはなにも来ないところを見るに、上が夜行性になって今は眠っているのかもしれない。

 そんなふざけた事を考えながら、ハーディンは、来た者の額を頭をつかんで調べた。

 ぎょっとするのは子供以外で、子供はハーディンを見ると笑って頭を差し出す。

 一人一人確かめては撫で、教会に入れた。

 確かに、けっこうな数を今のままでは逃すことは無理だと感じた。

 ある程度、敵を間引かねば追ってからは逃げられない。


(わかっているんだね)


 敵を間引くんだろう?

 その為の痛みだ。


(一晩だよ、耐えれるだけ耐えてね。そして本当にもう駄目だと感じたら呼んでね。

 兄さんがもたないから)


 ある程度は覚悟できていた。

 戦えるのはモルガーナと俺だけだ。コルベリウス達は守りに回す。


(たぶん、そういう戦いは無いよ。

 本当に怖いのは古い神だよ。

 だから、それには助力はできないけれど、彼らが満足したら、あとは物量だね。

 そこを凌ぐのに僕がいる。

 兄さんはね、そしてここに集まった者はね、きちんと返すんだ。

 できなかったら、さようならさ。

 だから、化け物は食べてあげる。

 でもね、古い神様は答えないと駄目だよ。

 許してもらおうなんて甘えたら終わりさ。

 さて、どれだけ生き残れるかなぁ)


 陽が傾き始める頃、教会を訪れる者が途切れた。

 ハーディンは門を閉めると中に入る。

 そうして教会の建物の窓や扉を閉じた。

 鎧戸を閉じ扉に閂をかけ、煙突には鉄の蓋をした。

 竈や外に繋がりのある場所も塞ぎたいが、空気の流れは残したい。

 そんなことを考えていると、弟が説教台の後ろの壁に向かうように言い出した。

 確認してみれば、説教台の後ろの壁に隙間がある。

 少し押すとしたに続く階段が見えた。


挿絵(By みてみん)

(古い地下墓地で一室だけど、子供と巫女はそこで夜明かしだね。空気は納骨堂に続く管が通っていて窒息する事は無いよ。水回りも一応あるし、催した場合の壷でも入れておけば一晩ぐらいは大丈夫さ。寒くないように火を入れるのは無しだよ。それで死なれてはたまらないからね。そうだねぇ毛布が)


 段々と弟の皮を被った何かが、普通の人間の親爺のような口調になっていく。

 確かに生きていれば弟も親爺になっていても良い年齢だ。

 そんな事を思えたら、何故か口許が緩んだ。

 死ぬのも悪くないように思えたのだ。

 たとえ無になろうとも、この魔物の一部になろうとも、それも良いような心持ちがした。

 恨みも悔しさも潰える無念も、どこかで家族がいるような、そんな気がした。たとえ会えないとわかっていても、何かとても嬉しく悲しい感情が戻ってくるような気がした。


(最初は奴等がくるだろう。これで大方の命数が決まる。

 次は、海から来るだろう、兄さんは耐えないとならない。

 ここで殆どが死ぬだろう。

 そしてだ、ここまで兄さんが耐えられたなら、子供は大丈夫さ。

 後は選択の時間だ。

 これが夜明けまで。

 僕の手助けは選択の時間だけだ。兄さん)


 何だ?


(僕は兄さんが好きだよ。

 僕達家族は、兄さんが大好きだ。

 いつも遠慮ばかりして、それでいて一番に何でも手助けしてくれた。

 父さんだって、母さんだって、妹だって、皆、兄さんに感謝してた。

 悪いのはさ、本当に悪いのは、僕たちを殺した奴らさ。

 でもね、この世で裁かれなくても、神様は見ているんだよ。

 だからね、少なくとも、僕たち家族は兄さんのみかただよ。

 僕たちの命の分だけ兄さんは呪いがかかるんだ。

 兄さんが死にたくても、そんな事は許さないよ。

 僕は許さない。

 それにね、この城塞に来た奴等も同じなんだよ。


 私は許さない


 そう思っている人がたくさんいるんだ。

 これはね、ここの魔物や古い神々の戦いとは別なのさ。

 魔の神様の遊びなのさ。

 よく覚えていてね。

 卑怯者には相応しい末路があるんだよ。

 だからね、これから起こる事は、兄さんの責任ではないって事さ。)


 どういう事だ?


(さぁ大切な巫女と子供は地下墓地にいれるんだ。付き添いの大人は礼拝堂で祈るんだよ。

 そして手をとる相手を選ぶのさ)


「地下を避難所にするぞ、コルベリウス、爺い達に仕事をさせろ。毛布を用意して」

「モルガーナ、いい加減に元に戻れ、邪魔くせぇんだよ」

「ゴォルゥウウ」

「子供と一緒にしておけ、急激な変圧で戻れないだけだ。どちらにしろ今晩は荒れるはずだ」

「やだねぇ、予備の武器は一応持ってきてるぜ」

「陽が落ちたら、来る奴は敵だ。顔見知りでも容赦するな」

「本気かよ」

「本気だ。受け入れられなければ、出ていけ。たぶん、今晩で勝負が決まる」

「勝負だと?」

「これが冗談なら、ここで楽しいお泊まりをするだけだ。何もなければ戻ればいい。何も困らないだろう」

「親方ぁ、すげえぜぇここは、もしかしたら下は深いかも知れねぇ」

「子供が寝起きできる範囲で手をいれろぅ、下手に穴を開けるんじゃねぇ。そりゃぁ中に押し寄せてきたときの最終手段じゃぁ」

「爺い元気だな」

「鬱憤がたまってたんだろ、それに顔馴染みが行方不明の上に、彼奴らが態度悪かったから」

「そんなにか」

「ここに来た当初、団長がいた頃とは違って、何だか日に日におかしくなってな。命令も軍隊式理不尽が、ただの理不尽になるしよ。新兵が潰れ始めて指導役の古参が、あっという間に消えた。それに憲兵が一部変でよ、そいつらも消えて、鉱山の方への派兵に入れられていたんだと思ったが、消息不明なんだよ。それなのに誰も問題にしない。モルガーナとその周辺が色々動いたんだが、一人二人といなくなっちまう。残ってるのは頷くだけの人形だ」

「元々の指導力統率力の不足と、下士官との不和がもとか?」

「まぁなぁ。だってよ、伝統ある第八がよ、仲間を見捨ててどの面下げていられんだよ。それも上が死んだ兵士に敬意がない。いや、敬えってんじゃねぇぜ。ただよ、公然と逃げないのは馬鹿だと言われるとよ。やりきれねぇ」

「そう言わせた何かがあるんだろう」

「理由はいいんだよ、何かあってそう考えてたとしてもだ、言っちゃぁならねぇ事もある。ならよ、先鋒と殿を受け持つ第八にいる意味があるか?単に勲章を増やしたければ、俺たちの上に来る必要はねぇ」


 ***


「モルガーナと下にいるように」

 夕食を配っていると、肩に手を置かれた。

 大きな手は、軽く暖かくポンと一度叩くと離れた。

 その感触にビミンは怯えた。

 怖いのではない、ハーディンがとても楽しそうだったからだ。

 それはとても悲しく恐ろしい事に思えた。

「私も上にいる。その方がいいはずだから」

 たぶん、下にいた方が助かるかもしれない。

 けれど何も見ないで一晩過ごせる気がしなかった。

 死ぬときは死ぬのだ。

「最後は頼むようになる」

「もっと怖いわ」

「怖い?」

 食事の輪から彼女を離すと柱の影に促した。

「楽しんでいると思うの、苦しみや醜い焦り、人間の本性を見たがってる。だから、きっと私が希望を持てば持つほど、嫌な事を見せられる。私が下にいたら、助かる人たちも助からない。私の巻き添えをくってしまうかも」

 ビミンから受け取った夕食を手に、ハーディンは暫し考えるそぶりを見せた。

「お前は、誰かを殺したか?」

「いいえ」

「お前は誰かを陥れたか、故意にだ。」

「いいえ」

「お前は誰かから盗んだか?」

「いいえ」

「人は正しい生き物ではない。だが、殺さず陥れず盗まないのならば、十分だ。十分生きるに相応しい」

「嘘をよくつくわ。それに皆から憎まれてる。」

「人は嘘をつくものだ。どうせたいした嘘ではなかろう。

 お前への憎悪も、親の罪だ。だから最後でいい。もし、駄目だったときだ」

「では、入り口にいる。地下墓地への入り口にいる。閉じる役目をする」

「入り口に詰めておくのはモルガーナでいいさ。ちょうどいい大きさで、隙間がなくなる」

 遠慮なく肉を齧っている巨体に顎をしゃくって見せた男は、続けた。

「単純な殺しあいにならないと思う。だから一晩と区切った。そして戦える手を集めるのではない。手をとりあえる人数以下にしろという意味は、どうも」

「想像したんでしょ、私もした。誰が来るのか知らない人だと良いなぁって」

 ハーディンも考えていた。

 何が起きても狼狽えずに対処できるかと。

「蓋を開けねば何が来るかはわからない」

 それにビミンは明るい色の瞳を光らせて答えた

「きっと死人よ」




モルガーナはお肉を食べたら元気になりました。

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